27話 それぞれの想い SHARA
心臓が、凍っちゃうかと思った。
テオに、マナヤさんの記憶が残っていると聞いて。
もしかしたら、またテオが……
マナヤさんに、乗っ取られてしまうんじゃないかって。
テオと、二つも約束をしたのに。
◆◆◆
シャラ。
それが、私の名前。
……両親からもらった、私の大切な名前。
白魔導師の父。剣士の母。
そんな私の両親が亡くなったのは六年前。私が十二歳の頃。
あの日の光景は、今も目に焼き付いてる。
突然、村にたくさんのモンスターが押し寄せてきたんだ。
私の両親が、間引きへ向かった方角から。
いてもたってもいられなくなって、私はその方角へ向かった。
辿り着いた門の先で、見たのは……
両親の背後から突然迫る、黒い瘴気に覆われた牛頭の化け物。
そして、金属の狼。巨大なコウモリの影。
それらが、一斉に。
――両親の背から、鮮血を舞わせた。
ニゲテ。
倒れ込んでいく両親が、口だけでそう私に言っていた。
でも、二人を置いて逃げることなんてできない。
泣き叫びながら、お父さんとお母さんの元へ駆け寄ったんだ。
牛頭の化け物が、私の方を見て。
私に向かって、斧を振りかぶってきて。
「【ライジング・ラクシャーサ】!!」
その時。
黒い影が、私の前に躍り出て。
化け物たちは、虚空に、消えた。
ようやく、両親の体へたどり着いた私。
でも、二人の体はもう、動かなくて……
二人の体から、温かさが無くなっていくのがわかって。
私は、二人の体にすがりついて、号泣した。
「……すまない。間に合わなくて……本当にすまない」
化け物を斬ってくれた黒髪の女剣士さん。
彼女が私の元で、そう謝る声が聞こえた。
◆◆◆
両親を失った私は、孤児院に入れられそうになった。
でも私は、泣き叫んでそれに逆らったんだ。
行きたくない。
お父さんとお母さんの家を、離れたくない、って。
だから。
私の面倒を見てくれるって、提案してくれた人がいた。
それが、幼馴染のテオの一家。
お隣さんだったから、食事の時だけでも一緒にいようと。
幼い頃から、ずっと一緒に遊んでいたテオ。
あの頃は、私にとっては弟みたいな存在だ。
だから、私はテオの一家の前では、気丈に振舞った。
夕食の時は、テオの一家と一緒に笑い合ったりしながら。
テオの両親……スコットさんと、サマーさんに、心配をかけないように。
弟のようなテオに、心配をかけないように。
それでも。
帰ればいつも、私は堰を切ったように泣いていた。
涙が枯れ果てるまで、泣いて。
泣き疲れてから、やっと眠ることができた。
そんな、ある日。
自分一人で家に帰った後、ドアがノックされた。
また流れ出そうな涙を拭いて、開ける。
すると、テオが一人で私の家の前に立ってたんだ。
――泣いてたの?
心配そうに言った、テオ。
どきりとしたけれど、私は気のせいだよってごまかした。
でも、何故だろう。
テオは、自分の方が泣きそうな顔になって。
ぽす、と私に抱き着いてきた。
久しぶりに感じた、人の体温。
お父さんとお母さんの体温を、思い出した。
二人がこうやって、私を抱きしめてくれた時の体温。
「ひとりで、泣かないで」
テオは、自分の方こそ目に涙を浮かべながら。
「ぼくが、そばにいるから」
テオの、一つ目の約束。
ぎゅっと、私を強く抱きしめてきた。
抑えていた、涙が溢れだして。
独りで泣いていたのを、悟られたのが恥ずかしくて。
でも……気づいてくれたのが、嬉しくて。
人の温もりが、恋しくて。
いつもだったら、泣き疲れるまで泣いて。
涙が枯れ果てて、ただそれだけ。
でも、テオのそばで泣くことは……
涙が枯れたあとを、暖かいもので埋めてくれた。
次の日の朝。
私は、いつもより晴やかな気持ちで朝を迎えることができた。
◆◆◆
そうなってからというもの。
私は夜、眠る前に泣きはらしてしまうことがなくなった。
私が、ふと悲しい気分になってしまった時。
すぐにテオが、私に寄り添ってくれるから。
どうして、彼にはわかってしまうんだろう。
それに、周りの人達の反応も変わった。
私の友達や、村の大人たち。
両親が亡くなってからみんな、私を腫れ物のように扱うようになっていた。
私が、知らず知らずのうちに暗くなってしまったからだ。
でも、テオのもとで泣いた日。
あの日を境に、みんなが明るく話しかけれくれるようになった。
友達が自然な感じに遊びに誘ってくれたり。
近所の大人たちが何かと世話を焼いてくれたり。
……あとで、聞いた話なのだけれど。
テオが、みんなに働きかけてくれたみたい。
自分だけじゃなくて、みんなが私を支えてくれるようにって。
「僕も、村の他の人たちもみんな、シャラの家族だよ!」
テオに訊いてみたら、照れくさそうに笑っていた。
私も……自然と、笑顔になった。
それから一年。十三歳になった私。
悲しくなくなっても私は、テオに寄り添うようになった。
テオの体温が、恋しくて。
そんな私達の関係を友達にからかわれることもあった。
未来の夫婦、って。
恥ずかしかったけれど、満更でもなかった。
テオと夫婦になれたら、どんなに幸せだろう。
いつも、悲しい時にはすぐに寄り添ってきてくれて。
嬉しい時には、一緒に笑ってくれて。
そんな人が傍にいてくれたら、どんなに心地よいだろう。
彼の優しさに感謝する気持ち。
それはもう、恋心に変わっていたんだ。
でも、私には不安もあった。
私はテオに、テオの一家に、何を返せるんだろう。
テオの母であるサマーさんは、片腕がない。
だから、私が家事を手伝うととても助かるとサマーさんは感謝してくれた。
でも、私にできるのはそれくらいだ。
テオはしっかり者だから、私が面倒を見るまでもない。
そんな私がテオのお嫁さんになって、テオを支えられるだろうか。
貰ってばっかりの私は、テオに相応しいのだろうか。
新年のお祭りがあった、次の日。
私とテオは、成人の儀を迎える子達を乗せた馬車を見送っていた。
来年には、私も十四歳になって、王都で成人の儀を受けることになる。
モンスターと、戦う責務を負うことになる。
両親を殺したモンスター。
今でも、モンスターのことはとても怖いけれど。
「どんな『クラス』になっても、一緒に支え合って、村を守って行こうね!」
テオが、そう言ってくれた。
「たとえ私が、〝召喚師〟になっちゃっても?」
そう、少し冗談まじりに問いかけてみた。
けれどテオは、満面の笑顔。
「うん、〝召喚師〟になっちゃっても!」
「ふふっ、ありがとう。……私も、もしテオが召喚師になっちゃっても、一緒にいるよ」
これが、二つ目の約束。
◆◆◆
その一年後、十四歳になった私。
ついに成人の儀を迎えることになり、王都へ向かう馬車に乗った。
テオと、テオの両親が見送りに来てくれた。
王都についた私は成人の儀を受けた。
そして牧師さんに、『錬金術師』が候補にある、と言われた。
錬金術師は貴重なクラスで、二百人か三百人に一人しか候補に現れない。
だから候補が出た人は、ほぼ例外なく成るように命じられる。
けれど私は命じられるまでもなく、一も二も無く錬金術師を選んだ。
錬金術師を子に持つ、あるいは錬金術師と結婚する。
そういうのは、村では一種のステータスだ。
やっと、テオの一家に恩を返すことができる。
やっと私は、テオを支えられる人になれる。
錬金術師のクラスを得て、私は王都の学園で死に物狂いで勉強した。
その甲斐あって、私は一気に錬金術が上達した。
私自身の保有マナの総量も、同年代ではトップクラスになれたみたい。
教官の人もとても驚いて、とても喜んでいた。
でも。
錬金術師が戦いで使える、戦闘用の錬金装飾。
これだけは、どれだけ頑張っても……
作ることも、マナを充填することもできなかった。
珍しくないことだ、と教官は気遣ってくれたけれど。
一年間、学園で勉強して。
十五歳になった私が、セメイト村に帰る日が来た。
テオの一家はもちろん、村の人たちが一斉に大喜びしてくれた。
今まで、この村には三人しか錬金術師がいなかったから。
四人に増えるのは、大きい。
テオの両親が、私の頭を撫でながら喜んでくれた。
テオは満面の笑みで、私に抱き着くように喜んでくれた。
会えなかった一年で、テオはまた背が伸びて。
もう、かなり身長が追いつかれてしまった。
私は、教官から渡された調合書などを読み返しながら、勉強し続けた。
素材を調合するだけじゃなく、服を織ったり、道具を作ったりもして。
テオが勉強に励む私に、飲み物や果物を差し入れしたりもしてくれた。
疲れた時には、昔みたいに寄り添ってくれた。
彼がいてくれるから、私はがんばれる。
◆◆◆
そしてまた一年がたって。
もうテオの身長は、私を追い越していて。
今度はテオが十四歳。成人の儀で王都へ向かう馬車に乗っていった。
来年、テオが戻ってくれば、私もテオも二人とも成人だ。
走り去る馬車を見送りながら。
私は、心に決めた。
テオが帰ってきたら、求婚しよう。
けれど、テオが成人の儀に出立して間もなく。
ここセメイト村は、もう一度大量のモンスター襲撃に遭うことになった。
以前と同じ、南門が襲われたらしい。
戦闘用の錬金装飾が扱えない私は、戦力には成り得ない。
だからサマーさんのような、同じく戦闘要員にならない人達と一緒に避難した。
その日の戦いで、また数人が亡くなったらしい。
村の中央広場で葬儀が執り行われた。
あの日の私と同じように、親族や近しい人を亡くして、号泣している人も居た。
成人の儀を終えて、クラスも得て。
それでも……私は、いまだに戦えないまんまだ。
◆◆◆
また一年後。
私が十七歳になって、テオも王都から帰ってくる日だ。
テオは、どんなクラスになったんだろう。
この一年で、またどれだけ逞しくなっているんだろう。
どんな瞳で、私を見つめ返してくれるだろう。
馬車が村に入り、止まった。
続々と、成人の儀を終えた人たちが降りてくる。
一年ぶりに会った仲が良かった子もいて、再開を手を合わせて喜んだ。
でも、肝心のテオが降りてこない。
不思議に思っていると、もう一台小さい馬車が村に入ってきた。
人が一人二人乗るのが精いっぱいくらいの、小さな馬車。
その馬車から、一人の男の子が降りてきた。
間違いない。
テオだ。
急いでその馬車へと走り寄る。
けれど、降りてきたテオの顔を見て、思わず足が止まった。
一年ぶりに会ったテオは、元気いっぱいのテオとは思えない暗い表情で。
その目は虚ろで、光を宿していなかった。
テオが、私と目が合う。
けれどその瞬間テオは、ばっと私から目を逸らしてしまう。
「シャラ、ごめん……僕……『召喚師』に、なっちゃった……」
掠れるようなその言葉に、私は一瞬息を呑んだけれど。
ううん、大丈夫。
たとえ召喚師になっても、テオはテオだ。
約束、したんだもの。
――でも。
「テオ、大丈夫だよ。私――」
「――ごめんっ!」
「て、テオ! 待って!」
テオは、突然走って逃げだしてしまった。
私は必死に追いかけた。
けれど、テオの足に私は追いつけなくて。
その背中が、どんどん離されてしまって。
どうして。
約束、したのに。
そばに、いてくれるって。
召喚師になっちゃっても、私は一緒にいるって。
「開けて、テオ! 私、大丈夫だから! テオが召喚師でも、大丈夫だから!」
召喚師用の宿舎に入って、鍵をかけて閉じこもってしまったテオ。
私は扉を叩きながら、必死になって彼に呼び掛け続けた。
「シャラ……ごめん。今は……一人に、して欲しいんだ」
扉の向こうから、小さくそんなテオの声が聞こえた。
その響きに混じった、絶望の音色。
私は、言葉を返すことができなくなってしまった。
「……テオ。テオの、新しい服。……ここに、置いとくね」
そう言って私は、そっと宿舎を後にした。
……私が錬金術で編んだ、テオの服。
素材から全て、一から全部作って織った服。
練習し続けて、やっと納得できる仕上がりになった、最初の一着。
この一着は、絶対にテオにあげるんだって、決めていた。
この服に、テオが初めて袖を通したところを……
一番に、見たかった。
それからというもの。
毎日のように、テオの宿舎へと足を運んだ。
テオの両親も来て、顔を見せるように説得しようとしてくれた。
けれど、テオは頑なに私たちと顔を合わせてくれない。
錬金術師になれた自信が、がらがらと崩れていった。
テオは、あんなにも簡単に私の心を癒してくれたのに。
私では、テオの心を癒してあげることが、できない。
その日から。
私は毎晩、涙が枯れるまで泣き腫らす日々に戻ってしまった。
――神様。
どうして、テオを召喚師になんてしてしまったのですか。
今だけは私、あなたを、恨みます――
◆◆◆
王都からテオが帰ってきて、一年たったある日。
錬金術師として、生活用の錬金装飾にマナを込めて回る仕事の最中。
スコットさんが、血相を変えて私に報告してきた。
スタンピードが迫ってきたと。
どうして。
こうならないようにするために、開拓村を作りにいったはず。
けれど続くスコットさんの言葉に、私は別の意味で血相を変えた。
テオが、先にスタンピードの前線へ向かったと。
私は半狂乱になって、南門へ向かおうとした。
けれど、テオの両親が二人がかりで私を止めにかかった。
離して。
テオが、死んじゃう。
こんなお別れなんて、嫌だ。
泣き叫びながら、私は二人を振りほどこうとしたけれど。
私は引き摺られるように、避難所へと連れていかれてしまった。
戦えない私は、邪魔になるだけだから。
テオが死ぬとは限らない、死ぬはずがないと。
そう、私を説得しながら。
避難所で、私は震えながら祈った。
神様。
お願いします。
あなたを恨んでしまったことは、謝ります。
どんな償いでもします。私の命だって、差し出します。
だから、お願い。
テオを、連れて行かないで――
幸いスタンピードは、あっけないくらい早く終わった。
南門では、重傷者が毛布の上に並べられていた。
白魔導師さん達が、懸命に治療魔法をかけている。
そんな重傷者たちの中に……テオがいた。
赤毛の女剣士さんが、心配そうに彼を見下ろしていた。
テオが、今回のスタンピード最大の功労者だったらしい。
私たちは、意識のないテオにすがりついた。
生きててくれて、良かった。
けれど、体の中に傷が残っているせいだろうか。
彼の体は、急に発熱しだした。
他にも重傷者が多すぎて、白魔導師さんたちは手が回らない。
私たちは、火を消したピナの葉をテオの額に当てたり。
汗をかき始めたテオの体を拭いたり。
懸命に、看病した。
テオをちゃんと治してもらえたのは、騎士隊が駆け付けてからだった。
その日の晩。
私はテオの両親に頼んで、二人の家に泊めてもらった。
二人は、一も二も無く受け入れてくれた。
テオが目覚めたのは、明くる日の昼過ぎ。
けれど、彼の様子がおかしい。
テオは、こんなに乱暴な口調だっただろうか。
こんなに、しかめっ面をしていただろうか。
こんなに……目つきが、鋭かったろうか。
「……聞きたいことがあるの。あなたは、一体だれ?」
サマーさんの問いに、答えを詰まらせる彼。
私は、背筋に冷水を浴びせられたような気がした。
ほどなくして、赤毛の女剣士さん……アシュリーさんが来た。
その後には、騎士隊の人も。
騎士隊の人が、彼に色々な質問をしていた。
――彼は、テオじゃなかった。
自分を『マナヤ』と名乗った。
神様に命じられて、別の世界からテオに転生してきたのだと。
……『死んでしまった』テオに、時間を巻き戻して宿ったと。
なら、本当のテオはどうなっちゃったの。
必死になってそう問いかけても、「わからない」と言われた。
でも。
私はもう、確信してしまっていた。
彼の目つきが違う。
彼の表情の作り方が違う。
彼の立ち居振る舞いが、全く違う。
この人は……テオじゃない。
そこからの話は、あまり頭に入ってこなかった。
いくつか彼に質問をして、騎士隊の人たちは帰っていった。
「それから、マナヤをそんな目で見ないであげてくださいよ? 彼が望んでなったわけじゃないって、わかってますよね?」
そう、アシュリーさんが言ってきた。
……わかってる。
この人が、マナヤさんが、テオを消したわけじゃない。
でも。
私は、逃げるようにその場を後にした。
そのあと、私がどう過ごしたか、よく覚えていない。
努めて淡々と錬金術師の仕事をしていたのだと思う。
夕食時になって、またテオの家に。
サマーさんは、少し吹っ切れた顔をしていた。
テオの記憶によれば、この村は滅びるはずだったのだと。
私達に死んでほしくない、というテオの願い。
それをマナヤさんが、叶えてくれたのだと。
でも。
私が、いちばん生きていて欲しかった人は、もう――
◆◆◆
私は、マナヤさんと極力距離を取るようにした。
テオの顔で、全く違う人が話している。
それに一向に慣れなくて。
ある日。
マナヤさんは、呼ばれもしていないのに夜中に出撃して。
帰ってきた時、彼のローブはボロボロになっていた。
テオのために、私が作ったローブなのに。
なのにへらへらと、テオとは思えない顔つきで笑う彼。
「ああ。まあでもこれで自信がついたぜ。俺が知ってる遊戯の知識は、ほぼ全部こっちでも通用することが確認できたんだ。これを村の召喚師らに教えてやりゃ――」
「マナヤさんは」
思わず私は、口を挟んだ。
「マナヤさんは、これからもそんな、無茶な戦い方を続けるつもりですか」
その体だって、テオのものなのに。
勝手に、テオの体で無茶しないで。
そうしたら。
マナヤさんは、訊かれもしないのに戦いについて語ってきた。
やめて。
思い出したくないのに。
やっと、忘れかけていたのに。
でも。
彼は、テオみたいに察してはくれない。
「無茶をしなきゃ生き残れねえし、間に合わねえ。そういうこともあるってこった」
「……」
「それは、召喚師に限った話じゃねえだろ?」
私は、その場を逃げ出してしまった。
両親やテオの死のことを思い出したから、だけじゃない。
〝戦場に出たこともない人間が、戦場を語るな〟
そう、言われている気がしてしまったから。
「――そうか。じゃあ、召喚師たちのイメージも変えられそうなんだな?」
「ああ。思った以上に効果が大きくて助かったよ。この調子でどんどん好印象になってくれりゃ助かる」
またある日、マナヤさんが言った。
村人の、召喚師さん達への印象が変わっていくと。
「……どう、して……」
ぽつりと、そう口からこぼれてしまった。
とっさに、呑み込んだけれど。
〝どうして、テオがいる間にやってくれなかったの〟
わかってる。
テオがいる間になんて、出来たわけがない。
これは、ただの八つ当たりだ。
その日の晩。
私は自室で、また声を殺して泣き通してしまった。
枯れた涙が、埋まることなく。
◆◆◆
ある晩。
夕食時に、なかなかマナヤさんが帰ってこなかった。
しばらくするとアシュリーさんがやってきた。
彼が、何か思いつめていたようだったと。
そういえばマナヤさんは、最近様子がおかしかった。
闇雲に探し回っても仕方がない、と。
私達は先に、夕食を済ませてしまうことにした。
その夜遅く。
突然、スコットさんが泣き腫らした目で、私の家に駆け込んできた。
テオが、帰ってきたと。
……マナヤさん、じゃなくて?
……『テオ』が、戻ってきた?
取るものもとりあえず、スコットさんについて家を飛び出した。
すると、テオの家から彼が飛び出してくる。
スコットさんを挟んで、見つめ合って。
しばらく、固まってしまった。
本当に、テオなの?
「――シャラ!!」
私の名を呼ぶ声。
その瞬間、私にはわかった。
彼が、私を見る目が。
彼が、私を呼ぶ声色が。
彼が、私に向けるその表情が。
私の知っている……テオのものだ。
「――テオ!」
……本当に、帰ってきた。
テオが、帰ってきてくれたんだ。
テオが私に駆け寄って。
彼の方から、抱きしめてきてくれた。
思わず、頬が紅潮してしまう。
マナヤさんだった時には、気づかなかった。
テオは、また一段と背が伸びていた。
一段と、逞しくなっていた。
私はそっと、テオの体を抱き返そうとした。
でも、その瞬間。
テオは私を突き飛ばしかねない勢いで、私から離れた。
見ると、テオの目がまた虚ろになりかかっていた。
そして私から、不安そうに目を逸らしてしまう。
――テオが王都から戻ってきた、一年前のあの日の光景がよぎった。
「ま、待って!」
今にも、逃げ出してしまいそうなテオ。
私は必死に、彼の腕を掴んで止めた。
それでも彼は、目を合わせようともしてくれない。
いやだ。
また、テオが離れていっちゃうのは、もういやだ。
「テオ……私、私ね……テオが、顔を見せてくれなくなって……すごく、寂しかったん、だよ……?」
話しながら、涙声になってしまうのを止められなかった。
「シャラ……ごめんね。でも、僕は『召喚師』だから――」
「そんなの関係ない!!」
テオの言葉を遮り、叫ぶ。
気づけば、テオに抱き着いていた。
「約束、したじゃない……!」
そう。
二つ目の約束だけじゃ、ない。
『ぼくが、そばにいるから』
あの時の、一つ目の約束だって。
「お願い、テオ……っ」
テオが王都から戻ってきたあの日も。
そして、スタンピードのあの日も、私は……
「私、テオが、いなくなるのはっ……もう、嫌だぁ……っ!」
ずっと、後悔してた。
『あの時、私は思ったんだ。いつ、サマーがモンスターにやられて居なくなってしまうか、わからないと』
『そう考えたら、居ても立ってもいられなくなってね。後悔する前に、サマーに求婚しなければならないと思ったのさ』
……スコットさん。
今なら私も、貴方の気持ちがわかります。
私はいったん、そっとテオから離れた。
彼の右手を取る。
そして……私の両手で包み込む。
――もっと早く、こうすればよかった。
でも。
テオは、私の手を包み返してくれない。
……テオは、まだ怖がっていた。
召喚師の自分を、私が嫌うんじゃないか。
召喚師と結婚なんかして、私に迷惑がかかるんじゃないか。
「テオがいなかった間にね。この村は、変わったんだよ」
「え……?」
「召喚師だからって、テオを避けたり怖がったりする人は、もういないの」
私は、待つことにした。
テオが、村が変わったことを、ちゃんと実感できるまで。
久しぶりに、顔を見つめ合った。
いつも私に寄り添ってくれた時の、あの優しい瞳。
私はようやく、テオの元に戻ってこれた実感がわいた。
その日、流した涙の後。
久しぶりに、暖かいものが埋めてくれた。
◆◆◆
「……」
夜中、私はふと目が覚めた。
開いた目の前には、最愛の人の顔。
(……テオ)
さっき中央広場で、月を見上げながら……
テオが、ぽつぽつと話してくれた。
怖い、って。
だから、私は言ってあげた。
テオじゃないなら、私が一番わかるはずだから。
だから、大丈夫だよ、って。
そうして、笑顔を見せてくれたテオ。
私は、少し安心した。
ちゃんと、私は彼を支えることができているんだって。
……でも。
テオの震えは、止まらなかった。
だから、私はテオに言った。
今晩は一緒に眠りたいって。
小さい頃と同じように。
テオが、安心して眠れるように。
「……」
今もまだ少し不安そうに眠る、テオの顔を見上げる。
ぎゅ、と私は胸の前で両手を握った。
どうして、本当の不安を隠すの?
どうして不安を、一人で抱え込んじゃうの?
どうして……王都から戻ってきた日、約束を忘れちゃったの?
今、思えば。
マナヤさんは、すごい人だった。
召喚師なのに、”英雄”として名を立てて。
評判の悪い召喚師の印象を、一気に塗り替えて。
現状を変えるために、凄い奮闘をしていた。
それなのに。
私は、どうだろう。
錬金術師とはいえ、戦うことができない。
戦えない自分を嘆きながらも、変えることができない。
……テオの戦いも、心も、支えてあげることができない。
本当にテオのそばにいる資格が、あるの?
こんな、弱い私に。
『無茶をしなきゃ生き残れねえし、間に合わねえ。そういうこともあるってこった』
……マナヤさん。
彼がいなくなったあの日の、朝。
いったい、何があったんだろう。
スコットさんとサマーさんには、訊けないけれど。
『マナヤ、ごめんね! スコットさんに聞いたの、昨日の朝のこと!』
『あたし、あんたの気持ち、全然考えてなくて』
……アシュリーさん。
あの人なら、何か知ってるのかな。




