259話 大峡谷 カルと伝承系 2
――ドウッ
バルハイス村の方から、白い光の柱が立ち上った。
「よし、合図だ! どうやらあっちの準備ができてくれたみたいだよ!」
ニスティが、小さな石板を手に抱えながらニッと笑った。
ほおっとサフィアがため息をつく。
「ニスティさんが、ランシック様が使ってたソレを持っててくれて良かったです。なんて言いましたっけ?」
「通信石だったかな。この青い石の形状を建築士が変化させたら、対応する赤い石も同じ形に変化するんだとさ――うおっ!?」
なおも放たれるブレスの嵐に怯えながらも、ニスティが説明した。
「し、しかし」
オルランが次元固化を盾として張りつつ、傍らのニスティに振り向く。
「よくもまあ、それほど繊細な形に変化させられるものだな。こんな小さなサイズで」
「だから大変だったんだよ! 文字の一つ一つまで細かく変化させるの、本来はあたいら建築士のやるとこじゃないんだって! 特に今回は作戦内容も複雑だしさ!」
心底疲れたように言うニスティ。
普通の建築士は、基本的に建物など巨大なものの形状を整えるのが仕事だ。ごく小さいものを細かく繊細に形状変化させるのは本来、王都で働けるレベルの建築士がやることである。軽々とやってのけるランシックが異常なのだ。
「とっとにかく! 準備できたなら、作戦を開始するぞ! 【猫機FEL-9】召喚!」
カルが、囮を召喚しながら叫んだ。
「こっから俺、マナ温存しなきゃならない! 悪いが皆、密集してくれ! ジェシカとオルラン、二人でなんとか俺たち六人全員をガードしながら、競技場の方へ向かうんだ!」
「はい!」
「わかった!」
頷くジェシカとオルラン。
「現地についたら、ニスティさんは皆と合流して、すべり台の維持に手を貸してやってくれ! エメルさんは俺の動きを感知して、みんなの総攻撃タイミングを計る役目だ!」
「あいよ!」
「りょーかいっ」
ニスティとエメルから快い返事が返ってくる。
「サフィア、お前は――」
「私はカルを守る役目だから!」
「は!? いや、何言ってんだ! これは危険なんだぞ!」
「だからだよ!」
ぎゅ、とサフィアがカルの腕にしがみついてきた。
「結界だけじゃ、あのブレス相手には気休めにしかならないかもしれないけど! 一瞬のミスでも命拾いできる可能性があるだけ、あった方がまだマシでしょ!?」
「だ、だからって!」
「勘違いしないで、カル」
真剣なまなざし。
カルが息を呑んだ。
「カルが言ったんだよ、『俺がやるしかない』って。カルが死んじゃったりしたら、みんなおしまいなんだよ」
「……」
「みんなが助かるために、成功率をなるべく高めるために、できることを全部やる。ただ、それだけのことなの。わかるでしょ」
俯いたカル。
やがて、据わった目で顔を上げた。
「わかった、頼む。絶対に振り落とされないよう、しっかり俺に掴まっててくれ。いいな」
「うん」
カルは周囲を見回した。
全員が頷いている。すぐにカルも頷き返し、一気に顔を引き締めた。
「よし、行くぞ!」
全員が、村の北側へと走りだした。
徐々に六人全員がひとまとまりに近寄ってくる。すぐに伝承系の塊が飛来し、竜の口が開かれ始めた。
「【トリケラザード】召喚、【次元固化】!」
ジェシカとオルランの二人だけで盾を作る。
六人がその陰に滑り込んだ。四色のブレスが通り過ぎるのを待つ。この時だけは、あの塊も移動が止まっているのが救いだ。
「【猫機FEL-9】召喚、【跳躍爆風】」
オルランが左斜め後方へと、猫型機械獣を放り込んだ。
一瞬だけそちらへと攻撃が逸れる。
「よし今だ、走れ!」
カルの掛け声で、すぐにまた飛び出す六人。
オルランとジェシカが、次元固化でブレスを防ぐ。その間にどちらかが囮を召喚して少しだけ相手を足止め、その間にまた競技場へと近づいて、また間を詰められたら再度次元固化で防御。この繰り返した。
やがて、やや離れた位置に見えている村の防壁が、真横に来た。
競技場はもう少し先だ。
(いいぞ。二人が守りを引き受けてくれてるから、もう俺もワイアーム分のマナが溜まってきた!)
その分、オルランとジェシカの負担が増えているはず。
遅々としか進めないのが、もどかしい。だが、カルは歯ぎしりをしながら駆け続け、マナの回復に全力を注いだ。
落ち着け。
今は、余計な心配はするな。自分の役割をこなすことに集中しろ。
やがて、競技場の麓あたりまで到達した。
相変わらずかなり高い外壁だ。単にモンスター襲撃に備えたというわけではなく、競技内容の都合である。白魔導師の競技で、球代わりに使われている召喚獣が外へと飛び出してしまわないよう、あえて高く作ってあるのだ。あとは、客席数を増やすためという理由でもある。
「よし、あった! みんな、ちゃんと作ってくれてたか!」
駆けながら、カルは目的のものが見えてきて息を吐く。
競技場の周囲に、なにかスロープのようなものが並んでいた。巨大すべり台だ。それが競技場の外壁に沿って、時計回りにいくつも建設されているのである。
ニスティに頼んで、村の皆に即興で造ってもらうよう指示したのだ。
さらに競技場の南部には、既に巨大なクレーターのような穴が空いていた。
ちょうど、塊の下半分が埋まりそうなサイズだ。こちらも既にしっかり用意してくれていたらしい。
「よし、じゃあ始めるぞ! 【ヘルハウンド】召喚!」
カルは前方へ手をかざし、茶色い大型犬のようなモンスターを召喚した。すぐさまその上に乗る。
「サフィア!」
「うん!」
サフィアもまた、その後ろに乗った。
カルのお腹に手を回し、ぎゅっとしがみついてくる。それを確認したカルは、残り四人をちらりと見やった。
「こっちは任せな、カル、サフィア!」
「二人とも、しっかりね!」
ニスティとエメルがそう言い残し、クレーターのような穴の方へと駆け出していく。
それを見送り、キッと顔を上げたカル。一番近いすべり台の頂点を睨み上げ、呪文を唱えた。
「行くぞ、しっかり捕まってろ! 【跳躍爆風】!」
破裂音と共に、カルとサフィアを乗せたヘルハウンドが跳んだ。
競技場外周についている、すべり台の頂上へと着地する。すべり台の上は、異様なほど滑らかだ。よく見ればうっすらと白い結界がすべり台の全面を覆っているのがわかる。
(ちゃんと、白魔導師さんの結界で滑りがよくなるようにしてくれてる!)
これならいけるはず。
作戦開始だ。カルは、上に手をかざした。
「【ワイアーム】召喚、【強制誘引】【戻れ】!」
深緑の鱗に覆われた、翼の生えた大蛇が飛び出した。
さらに直後、放散するようなオーラが放たれる。ぎょろり、と伝承系の塊がワイアームへと注目した。
「サフィア行くぞ!」
「うん!」
直後、カルは身体を前方に傾けた。
結界で不自然なほどツルツルになった滑り台を、ヘルハウンドが滑り降り始める。凄まじい加速だ。『戻れ』命令で追いかけてきているワイアームと同じスピードが出ている。
(ワイアームに乗って逃げられれば、話は簡単だったんだがな!)
その場合の問題は、ワイアームはそのままでは『敵の方向へ向かっていってしまう』ということ。
今回は、逃げ続けることが目的である。モンスターの移動任せにするわけにはいかない。一瞬だけでも敵の射程圏内に入り込んでしまったら、その時点でアウトだ。
そしてそれは、ヘルハウンドとて同じこと。
だからこそ、常に高速で逃げ続けるためには、こうやってすべり台で『強制的に』高速移動させるしかないのである。
「カル、こっちを追いかけてきてる!」
サフィアが、しがみつきながらも報告してきた。
先ほどまでジェシカ達を狙っていたあの塊が、こちらのワイアームを追ってきているのだ。強制誘引の恩恵である。
自身もヘルハウンドの首にしがみつきながら、訊ねた。
「距離は!?」
「ちょっとずつ詰めてきてるよ!」
黒髪を押さえながら、焦り声でサフィアが答えた。
(思った通り、走ったりワイアームに乗るよりは、こっちの方が速くて確実に逃げ回れる! けど……)
絶対に、射程圏内まで近づかせるわけにはいかない。
やがて、カルは叫んだ。
「【跳躍爆風】!」
「きゃっ」
突如、全身が重くなったかと思うと、一瞬で浮遊感に包まれる。
すべり台の下端に着いたので、カルが跳躍爆風をヘルハウンドにかけ、上へと飛び出したのだ。一瞬で高度を取り戻し、さらに前進の慣性もついて高速で跳び上がる。
やがて、次のすべり台のてっぺんに到着した。
「っよし!」
すぐにまた、ヘルハウンドはそのすべり台を滑り降り始める。
再度顔にかかる風圧。ただ、着地の瞬間、一瞬だけ減速してしまった。ちらりと後方を確認すると……
――ドゴォッ
競技場の外壁が崩れていた。
追いかけてきている塊が、体の側面をぶつけたのだ。障害物にひっかかったことで一瞬動きを鈍らせている。
(作戦通りだ!)
カルは、滑り降りるヘルハウンドの上でガッツポーズを取った。
あの塊は、ワイアームよりも飛行速度が速い。
だからワイアームに乗って――あるいはワイアームと同じ速度で――ただ直線的に逃げただけでは、どんどん間を詰められる。やがて、ブレスの射程圏内に納められてしまっていただろう。
そこで、モンスターの移動の性質を利用した。
モンスターは、移動時に障害物にぶつかった場合、一時的に停止、あるいは減速してしまう性質がある。だから障害物を利用した回避が有効なのだ。
あの塊とて例外ではない。大きな円形になっているこの競技場の外壁は、わずかにあの塊の飛行高度より高い。そのため、ワイアームを追いかけてくる過程で、ああやって外壁にひっかかって減速してしまうのだ。
(外壁を壊しちまうのは申し訳ないが……これで、マナを消耗せずに時間稼ぎができる!)
カルが使用する魔法は、跳躍爆風と強制誘引のみ。
いずれも、召喚師の回復力なら一秒で取り戻せる量だ。
塊の攻撃を封じ込めて身を守りつつ、マナを溜めこみ続けることができる。そのマナを使って――
「まず一体目! 【ストラングラーヴァイン】召喚!」
野生之力の『肥やし』を用意するのだ。
蔦が絡まり合ったようなモンスターが、すべり台の下へと配置された。中級モンスターでは最大のHPを誇る。
そうこうするうちに、またすべり台下端が迫ってきた。
「また跳ぶぞサフィア! 【跳躍爆風】!」
再度、跳躍。
次のすべり台の頂点へと到達。軽く衝撃があったものの、すぐまたスムーズに滑り降り始めた。
(すごいな。すべり台の間隔、絶秒だ。跳躍爆風一発で、ピッタリと次のすべり台の上に着地できるよう、正確に調整されてる)
デルガンピックの恩恵である。
建築士と召喚師が組んだ競技に、『モンスタージャンプ』というものがあった。巨大すべり台を召喚獣に滑り降りさせ、そこから飛び出した時の飛距離を競うというものである。
そのため、この村の建築士たちは、人を乗せたヘルハウンドが飛び出していく距離もキッチリと把握していた。
「これならいけるぞ!」
カルは、興奮と緊張のなか吠えた。
◆◆◆
その頃、競技場の南側にある、巨大なクレーターじみた穴では……
「【ストラングラーヴァイン】召喚、召喚、召喚!」
召喚師たちがこぞって、ストラングラーヴァインをせっせと穴に並べていた。
穴の中央から順に埋まっていく。限界である八体まで並べた召喚師は、その外側のスペースを別の召喚師に譲っていた。これを繰り返し、この村にいた総員でストラングラーヴァインをとにかく量産し続けているのである。
「皆さん、落ち着いて召喚してください!」
ジェシカは真っ先に並べ終え、監修に回っていた。
「なるべく隙間なく敷き詰めること! ストラングラーヴァインの持ち数が少ない人は、余分に持っている人に譲渡で渡してあげてください!」
「中央に並べたものは、錬金術師から『伸長の眼鏡』を受け取ることも忘れるな! 穴の外縁からでは、中央部のストラングラーヴァインに野生之力は届かないからな!」
オルランも、彼女に混じって指示を出している。
――ズゥン
直後、また競技場に振動が響いた。
伝承系の塊がまた、外壁にぶつかったのだろう。オルランがくるりと背後へ目をやった。聳え立つ競技場の壁の上に、エメルの姿が見える。
「エメル! どうだ!」
「今のところ、順調みたいよー!」
エメルが叫び返してきた。
彼女はカルの進捗具合を確認してくれている。彼が一周して戻ってきた場合も、エメルが知らせてくれることになっている。最後の総攻撃に参加するメンバーも、同じく壁面の上で待機しているはずだ。
「ただー、建築士のみんながちょっと辛そうねー!」
と、エメルが叫び下ろしてきた。
ニスティと村の建築士たちは、外壁沿いのすべり台を維持し続けているのだ。
あれは、即興で作った岩の建造物。建築士がマナで維持し続けない限り、あっという間に瓦解してしまう。形を永続させるためには、じっくり時間をかけて固着させていくしかないのだ。
今回は、その時間がなかった。
ゆえに建築士たちは、デルガンピック競技場内ですべり台の維持に努めてくれている。建物の構造上、あの塊が『ワイアームの方が攻撃しやすそう』と判断してくれているようで、一応建築士らは安全だ。
しかし、そろそろ彼らも疲れが出てくるはず。
「本格的に、一発勝負だな」
瞳を揺らしながら、オルランが呻いた。
ジェシカも目を伏せる。唇に力が入り、白くなっていた。
「――あ、カル、戻ってくるのが見えてきたわよー!」
その時、上から報告。
オルランもジェシカも我に返り、すぐに顔を引き締める。まずはジェシカが指示を出した。
「皆さん! ストラングラーヴァインは並べ終わりましたか!」
「はい! ここに収まるだけ全部、収めました!」
見れば、大穴は完全にストラングラーヴァインの集団で埋め尽くされていた。
巨大な緑色の茶碗のようだ。あまりの壮観ぶりに、ジェシカは一瞬言葉を失ってしまった。
「スペース不足で召喚できなかった者は!?」
オルランが大声で訊ねると、十数名ほどの召喚師が手を挙げた。
「よし、君たちは上へと向かえ! 剣士達が投げるための召喚獣を用意してもらう必要がある!」
手を挙げた者たちが、すぐに動き始めた。
競技場内へ駆け込んでいく。メインエントランスがすぐ目の前にあるため、階段もその近くにあるはずだ。
順調だ。
あとはカルの到着を待つのみ。オルランとジェシカは、緊張の面持ちでお互い顔を合わせた。
が、その時。
「――ちょ、ちょいと! そこの壁、崩れそうになってるじゃないか!」
屋上から声が聞こえてきた。
ニスティの声だ。ジェシカとオルランは思わず上を見上げた。彼女の姿は見えないが、焦ったような大声だけが届く。
「さっきからの衝撃で、もろくなっちまってるんだ! 手すきのやつら、補強に回っとくれ!」
「む、無理ですニスティさん! こっち側のは皆、すべり台の維持で手いっぱいで――」
「なら逆側から呼び寄せな! そっち側にゃもう必要ないだろ! ぐずぐずしてると、カル達が危ないじゃないか!!」
オルランとジェシカは、今度は焦りで顔を見合わせた。
さすがに想定外だ。
「カルさん!」
ジェシカは、届かぬとわかっていても声を張り上げた。
◆◆◆
「【ストラングラーヴァイン】召喚!」
カルは、六体目のストラングラーヴァインを適当な位置に配置した。
場所は関係ない。ワイアームの野生之力の火力を確保するため、とにかく配置さえすればそれでいいのだ。
「よし! これであとは、隙を見てこのヘルハウンドをストラングラーヴァインに置き換えれば!」
これが、最後の一押しだ。
この分ならば充分間に合う。マナも足りている。カルは期待と緊張に心臓が鳴るのを感じながら、次の跳躍爆風に備えた。
が、しかし。
「――ル、避――」
「へ?」
頭上を、凄まじい速度で誰かの声が通り過ぎた。
ニスティの声だ。あまりに一瞬過ぎて、何を言おうとしているのかまったく聞き取れなかった。
「な、なんだ今の、ただならぬ様子だったけど……」
「カ、カル! 上!」
サフィアが、カルにしがみついたまま上を見上げていた。
カルも釣られて上を見上げる。すると……
「な!?」
競技場の外壁が崩れ、今まさに落下してきているところだった。
カルの数倍のサイズはある瓦礫だ。それが進行方向、おそらくすべり台の下端にさしかかる辺りの真上から落下してきている。このままでは、直撃コースだ。
「やべ――」
「【レヴァレンスシェルター】!」
慌ててサフィアが呪文を唱えた。
半透明の、球状の結界に包まれる。ヘルハウンドごと包み込んだそれに、瓦礫が真上から思い切り激突してきた。しかし、バリンと結界が割れると同時に、その瓦礫も外側へと弾き飛ばされる。
「す、すまんサフィア、助かっ――うおあっ!?」
「きゃあああっ!」
が、突然二人して、全身が投げ出された。
瓦礫に驚いて、跳躍爆風のタイミングを逃してしまったのだ。二人はすべり台から放り出され、外側へと飛んでいってしまう。
(まずい!)
これでは、次のすべり台に乗れない。
敵に追いつかれる。
気づけばカルもサフィアも、ヘルハウンドの背からも放り出されてしまっていた。しがみついていたサフィアの腕もスルっと抜けてしまい、離れていく。
慌てて彼女へ手を伸ばした。サフィアもまたカルに手を伸ばしたが、届くはずもない。
(だめだ!)
カルは、サフィアの姿がどんどん離れていくのを、絶望的な様子で見届け――
――ズゴゴゴッ
だが突然、地面が隆起する。
二人の体が、何かに受け止められた。サフィアが目をぱちくりとさせ、いつの間にか至近距離にいるカルと見つめあう。
「え、あれ……?」
「こ、これって、岩の波か!?」
そう、巨大な岩の波だ。
彼らの移動の勢いを殺さぬよう、高速移動しながら二人を受け止めてくれたのである。
「――お待たせしましたぁぁぁぁっ!」
競技場の屋上から声。
聞き覚えのあるバリトンボイスに、カルとサフィアははっとそちらへ振り返った。
「お二人とも、お早く!」
ランシックだ。
屋上から身を乗り出しこちらへ手をかざしていた。遠隔から、この岩の波を操ってくれているのだろう。
「お二人とも!!」
ランシックの焦り声。
カルは我に返り、すぐさまサフィアの手を引いた。猛スピードで動く岩波の上で、ヘルハウンドの背になんとか跨り準備を整える。
「ハイッ!」
ランシックが掛け声を放つと、突如岩波は崩れた。
だがその瞬間、ヘルハウンドの身体ががくんと一度、跳ね上げられる。ヘルハウンドは見事、一つ先にあったすべり台の上に復帰した。二人はすぐに速度を取り戻す。
「はっはっは! 危ないところでしたお二人とも!」
カル達がまた滑り出すのを見届けながら、ランシックは高笑いをしていた。
しかし、すぐ後ろからレヴィラが声をかける。
「ランシック様、中へ避難を! 例の塊が来ます!」
「お、おおっと、そうでした。今すぐ――」
が、ランシックが振り向いたその時。
――ガコンッ
突如、ランシックが体を預けていた胸壁が、崩れた。
「えっ」
突然のことに茫然とするランシック。
身体が、外へと傾いていく。レヴィラが慌てて手を伸ばしてくるも虚しく、ランシックの身体は、屋上から外へと投げ出されてしまった。
塊が、やってくる。
ちょうどその目の前に、外へと投げ出されたランシックの姿が。竜たちの頭部がギョロリと彼を見つめ、口を開き始めた。
「ランシック様っ!!」
レヴィラの声。
弾けるようにランシックが振り向く。彼女は、屋上の上でランシックへと矢を引き絞っていた。
「!」
とっさにランシックは腕を胸元でクロスする。
「【ブレイクアロー】!」
直後、レヴィラが矢を放った。
黄色い矢が、クロスしたランシックの腕に突き刺さる。その勢いで、彼の身体は思い切り外側へと吹き飛ばされていった。
直後、無数のブレス、そして塊の巨躯そのものが、ランシックが先ほどまでいた空間を通り過ぎていく。
「ランシック様っ!!」
レヴィラは、屋上から飛び降りた。
軟かい砂地の上に着地。そのまま、ランシックが飛ばされていった先へと駆け出していく。幸い塊はもはや通り過ぎ、二人を狙ってくることはなかった。
「ランシック様! ご無事ですか!」
「だ、大丈夫ですレヴィラ」
かなり離れた先で、砂の中に突っ込んでいたランシック。
だが彼は、呻きながらもうつ伏せから仰向けに寝っ転がった。
「ワタシは、怪我などしておりませんよ。ほら」
と、寝転がったまま両腕を見せる。
矢が刺さった痕すら、残っていなかった。代わりに、パラパラと青と白の二色が混ざった石の破片が零れ落ちていく。
「貴女がブレイクアローでワタシを助けようとしているのが、見えましたからね。とっさに、袖に仕込んだ海曜岩で盾を作って、受け止めました」
「……気付いてくださるだろうとは思っていましたが、肝が冷えました」
ほおっと大きくため息をついてしまうレヴィラ。
「他にお怪我は? 立つことはできますか?」
「……」
「ランシック様?」
「すみません、立てません」
レヴィラは慌ててランシックの傍らにしゃがみ込んだ。
「お、御怪我を!? 骨折でしょうか、どこに痛みがあるかおわかりになりますか!」
「あ、い、いえ、そうではなく」
が、ランシックは戸惑った様子で言い淀んでいる。
首を傾げるレヴィラ。ランシックは、寝そべった体勢のまま、情けなさそうに苦笑した。
「……腰が抜ける、というものを、生まれて初めて体験しました。たはは」
一方。
「ぐ、うぅ」
カルは、ヘルハウンドに跨ってすべり台を降りながら、苦悶の表情を浮かべていた。
「くうう……っ、カル、しっかり!」
サフィアが、彼の胴体にしっかりしがみついたまま、彼に全力で治癒魔法を施していた。
「なに、考えてるの! ワイアームに衝撃転送を使うなんて!」
「い、てて……わ、悪い、けどこうでもしないと、凌げなかったんだ……」
なおも痛みに耐えながら、カルは呻いた。
先ほど、ランシックを狙ったブレスの数々。
その中のうち、最長射程を持つシャドウサーペントのブレスのみ、カルのワイアームに直撃してしまったのだ。
ここでワイアームを失うわけにはいかない。
そこでカルは、召喚獣が受けるダメージを全て召喚師に転送する魔法、『衝撃転送』をかけて凌いだのである。
サフィアも血相を変え、増幅付きの結界魔法連打で、なんとかカルのダメージを最小限に抑えた。それでも死にかけたので、今もこうして治癒魔法でなんとか持たせている。
「へ、へへ。けど、今のでだいぶマナは溜まった、ぞ」
「カル!!」
「わ、わかってるよ」
怒りに満ちたサフィアの声に、カルは表情を引き締め直した。
これが、最後のすべり台だ。
ここから上へと放り出された直後、ここが勝負となる。
「み、見えてきた! あれだ!」
競技場の陰から、先のクレーターが見えた。
一周してくる前と違い、びっしりと緑色のものが張り付いている。ジェシカ達がうまく準備を終えてくれたようだ。
「よし、サフィアいくぞ!」
「うん!」
ぎゅ、と強くしがみつくサフィア。
カルは高らかに吠えた。
「【跳躍爆風】!」
穴の上を目指し、ヘルハウンドを跳ねさせる。
大きく上へと舞い上がった。カルとサフィアは、空中でヘルハウンドからそっと離れる。
「【送還】、【ストラングラーヴァイン】召喚」
カルはヘルハウンドを消し去り、代わりに空中でさらに一体、ストラングラーヴァインを召喚した。
蔦の塊は、あっという間に落下していく。ストラングラーヴァインは衝撃には強いモンスターなので、落下ダメージで死んだりはしないだろう。
これで、七体のストラングラーヴァインがそろった。
カルはサフィアを抱きかかえ、背後へ振り向いた。
「ワイアーム!」
ぐんぐんとワイアームが追いついてくる。
先ほど自分達がヘルハウンドごと跳び上がったため、今は同じ高度だ。カルは手を伸ばし、ワイアームの翼の付け根あたりを掴んだ。
「く……」
サフィアを抱えたまま、腕一本でワイアームの翼にしがみつく。
ワイアームは穴の真上を旋回しはじめる。カルはそのまま、地上を一通り見渡した。
(ジェシカも、いる)
穴からはだいぶ離れた位置に、ジェシカが立っている。予定通りの位置だ。こちらに向かって大きく両腕を振っているのがなんとか見えた。
と、その時。
「うお!」
「きゃっ」
突然、真下からの眩い光。カルはあやうくサフィアの身体を手放してしまうところだった。
クレーターが、緑色の閃光を放ち始めたのだ。
中央から順に、閃光の粒がどんどん外側へと広がっていく。まるで、光る大きな口を開こうとしているかのように見えた。
(みんなが、ストラングラーヴァインに野生之力をかけてるんだ)
やがて閃光は、穴の淵まで達する。
下の準備は整った。
「き、きたよ、カル!」
サフィアが震える声で叫んだ。
言われるまでもない。カルがじっと見据えた先で、敵が猛スピードで追ってきていた。無数の竜の頭部がこちらを睨み据えてきている。
(もうすぐ、俺の強制誘引が解ける!)
サフィアを抱きかかえている手で、ポンと彼女の背を叩いた。
頷いたサフィア。下へと手をかざし、呪文を唱えた。
「【ライシャスガード】」
地上からこちらを見上げているジェシカに、白い結界が纏う。
合図代わりだ。
頷いたジェシカは、自分の脚元に手をかざした。
「【猫機FEL-9】召喚!」
青い猫型機械獣が召喚された。
ジェシカの立ち位置に……すなわち、塊とカル達の直線上、その遥か先に。
その瞬間、塊のターゲットがカル達から逸れた。
カルとサフィアが固唾をのんで見守る中、塊はずんずんと接近してくる。あの巨躯ゆえか、飛行高度はワイアームよりも低い。だが、やはりこちらを狙ってきてはいないようだ。
「――【行け】!」
同時に、地上からオルランの声。
穴の周囲から、八つの黄緑色の光が一気に群がってきた。オルランが強制隠密をかけて控えさせていた、ピクシーの群れだ。
(来た!)
ピクシーが、四方八方から混乱の音波を放つ。
塊の飛行が、止まった。カルが掴まっているワイアームの、ちょうど真下で。
このタイミングを、待っていた。
「今だ! 【行け】【野生之力】!!」
カルは、咆哮した。
一瞬で急降下に転じるワイアーム。緑の閃光を纏った牙を剥き、そのまま真上から瞬時に衝突した。
轟音。
柔らかいボールを潰すかのような感触が、ワイアームの翼を伝ってカルにも感じられた。ちょうどそこにあったサンダードラゴンの翼が消し飛び、さらに衝撃が塊を下へと押し込む。
塊は、隕石のように落下した。
「今よ! 【マッシヴアロー】!」
エメルの合図と共に、矢や魔法、投げつけられた召喚獣等が雨あられと塊へと降り注いでいく。
直後、塊は穴にぴったりと激突し――
――!!!
ストラングラーヴァインの群れの攻撃と、エメルらの攻撃が、同時に炸裂。
音にすらならない衝撃が広がった。
波動のように、砂が外側へと吹き荒れる。閃光と共に膨大な爆風が拡散し、全員が慌てて伏せるか目を庇うかしていた。
「く……」
ワイアームの翼に掴まっていたカルは、目をつぶることしかできなかった。
サフィアがしっかりしがみついている。真下からの爆風に揺らされ、耳がおかしくなるような振動を受けながら、二人はそれが通り過ぎるのをただただ耐え抜いた。
やがて、視界が戻ってくる。
カルはゆっくりと目を開けた。遥か地平線のあたりで、今なお衝撃波が砂埃を巻き上げながら外へ外へと広がっていくのが見て取れる。耳はまだキーンと麻痺しており、音が聞こえていないのか、本当に風の音しかしなくなっているのか、判別がつかない。
「……ル、カル!」
ポンポンと胸元を叩かれる。
サフィアだ。
「見て、カル!」
カルはさらに視線を下へと下げた。
地上の大穴は、真っ黒に染まっていた。
先ほどまで淵まで覆っていた緑の閃光は、影も形もない。だが、目を細めながらじっと見据えると、黒いのは焼け焦げた地面の跡だということがわかった。
塊の巨体は、もうどこにもない。
ただ、より深くなったクレーターの中央に、小さな黒い塊だけがコロンと転がっていた。しかし――
――ドウッ
「うお!?」
突然、その黒い塊が飛び上がってきた。
カルたちのすぐ脇をギリギリで通り過ぎる。そのままワイアームを掠めつつ、真南の空へと消えて行ってしまった。
しばし茫然としていた二人。
硬直した互いの顔を、至近距離で見つめあう。だがしかし、徐々に二人とも表情が緩み始めた。
「やっ……た……!」
ようやく実感がわいてくる。
地面や屋上でも、歓声が上がってくるのが聞こえてきた。サフィアが興奮した様子でカルを見つめ返し、抱き着いてくる。
「カル! やった、やったよ!」
「あ、ああ、そうだ、な……」
しかし、カルは意識が薄らいできた。
緊張が解けたからだろうか。身体の痛みもぶり返してきて、目も霞んでくる。
「カ、カル!?」
慌てているサフィアの声。
カルもとうとう限界がきた。視界が暗くなりながら、ワイアームの翼から手を離し、二人は落下していってしまった。
「う……?」
「カル!!」
目を開けると、サフィアの顔が飛び込んでくる。
「サフィ、ア……? みんな」
自分は、なにか柔らかいものの上に寝かされているようだ。
眼を瞬かせ、視界を巡らせた。
嗚咽を上げてすがりついているサフィアと、目の端に涙を浮かべているジェシカの顔が見えた。オルランやニスティ、エメルもこちらを覗き込んできている。
「よかった、気が付いたかい」
ニスティが、安堵したかのように大きく息をついた。
「急に、ワイアームから落っこちちまってたからさ。あたいら、カルが死んじまったかと思ったよ」
「う、受け止めるのが間に合って、良かった……!」
と、ジェシカも何度も目を擦りながら言った。
カルは、なんとか体を起こした。幸いもう身体はどこも痛くない。サフィアや白魔導師たちがしっかり治癒してくれたのだろう。
「あ……わ、悪い。危ねえとこだったな」
「カル!!」
サフィアが、泣きはらした目でカルの顔を覗き込んでくる。
「あんな無茶いっぱいして! 自分の身体をなんだと思ってるの!?」
「わ、悪かった、悪かったって」
「う、うぅ……」
「ちゃんと、俺を守ってくれたんだな。ありがとな、サフィア。お前の言う通り、お前がついてくれてなきゃ、俺は死んじまってた」
サフィアは、それ以上は言葉にならず、カルの胸元で泣き崩れてしまった。
「まったく、心配かけさせるわね」
エメルが、少し赤くなった目を逸らしながら言い捨てた。カルはポリポリと頭を掻く。
「す、すまねえ。けど、これで全部終わったんだな。マナヤさん達はどうなった?」
「……それがな」
と、言いにくそうにしているのは、オルラン。
カルは首を傾げた。
「な、なんだよ、オルランさん」
「……戦いは、まだ続いている」
「!?」
カルは一気に目が醒めた。
どういうことかと皆を見回す。エメルが「あー」とやや言い淀みながら、口を開いた。
「あんたが心配だから、見てたんだけどさ。……大峡谷の中から、また野良モンスターの群れがあふれ出したの」
「な……ま、まさかまた!?」
「あ、ううん、さっきみたいな塊がまた出たってわけじゃないわよ。まあ、普通のモンスターのスタンピードね。今、この村のみんなが食い止めてくれてるわ」
と、エメルはくいっと明るい方角を目指した。
言われてやっと気付いた。自分が今寝かされているのは、競技場の中にある長椅子だ。手に体重を預ければ、敷かれていたクッションが凹んだ。
(モンスターのスタンピードが、また再開してる……)
つまり、まだまだ戦いは終わっていないということだ。
「だったら俺たちも戦いに戻らなきゃ!」
「カル!?」
跳ね起きようとすると、サフィアが目を剥いた。
だがカルは穏やかに微笑んでみせる。
「心配すんな、もう俺は大丈夫だから」
「で、でも」
「村の防壁は、塊のあの初撃で崩れかけてたんだ。ちゃんとした防衛をしないと守り通せない。そうだろ!?」
と、カルは皆を見回した。
五人とも、やや戸惑い気味にお互いの顔を見合っている。カルは、ぐっと拳を握った。
「マナヤさん達だって、頑張ってるんだ! 俺たちも最後までここを守り切らなきゃいけないだろうが!」
「カル、でも」
なおも心配そうなサフィア。
しかしカルは、ポンと彼女の肩を叩いた。
「大丈夫だ。もう、無茶はしない。俺だって拾った命は惜しいからさ」
「……ほん、と?」
「ああ」
ようやく、サフィアの表情が緩んだ。
「よし。行こう、みんな」
カルは力強く言い放ち、立ち上がった。
サフィアが涙を拭いながら、表情を引き締める。他四人もようやく頷き、全員揃って出口へと駆け出した。




