241話 死に逃げ
シェラドが両腕を広げ、観念したと言わんばかりに目を閉じている。
「……お前」
マナヤは、じっとシェラドを見つめた。
(なるほど、な。そういうことか)
――シェラド、さん。
(あ? テオ、どうした)
納得したマナヤの頭の中で、テオがやたらと沈んだ声色で呟いていた。
妙に声が震えている。テオが、まるで何かに怯えるような、絶望的な雰囲気を纏っているのをマナヤも感じ取った。
だが……
――ご、めん。なんでもない。
テオは、誤魔化すような思念を伝えてくるのみ。
(そ、そうか?)
少し気にはなったが、マナヤはすぐにシェラドへと意識を戻す。
ちらりとディロンへも目をやった。彼も神妙な表情でこくりと頷きかけ、構える。マナヤもまたすぐに表情を引き締め、シェラドへと手のひらを掲げた。
「……いいさ。一瞬で終わらせてやるよ」
「ま、待ってください!」
だが突然、シャラが割り込んでくる。
「こ、このことを、聖国の人達にも証言してもらわなければいけないはずです! この人を拘束して、聖都へ――」
「やめておけ、シャラ」
「ディロンさん!?」
愕然とするシャラ。
ディロンは、あえて彼女に背を向けていた。前に進み出て、シャラを庇うように手で行く手を阻んでいる。
「召喚師はすぐにマナが回復し、いつでもモンスターを召喚できる。たとえ君でも、無害化したまま拘束し続けておくことはできないだろう」
「で、でも」
「かつて私も捕らえた召喚師解放同盟に反撃され、数多くの仲間を失った。二の舞はごめんだ」
そう言ってディロンは、より険しくなった目でシェラドを睨んでいた。
絶句するシャラ。何か言おうとしているが、言葉にならず口をぱくぱくとさせている。
「……そうだ」
シェラドもまた、顔を伏せながら低い声で呟いた。
「今でも私は、トルーマン様やヴァスケス様を殺した貴様らのことが許せん。私を連行したところで、道中に何をするかわからんぞ」
「そんな! せめて、ディロンさんとテナイアさんの『千里眼』で――」
「さらし者にされるのは御免だ」
シェラドは、怒気すら纏いながらシャラを睨んだ。
シャラは顔を青ざめさせてしまう。二、三歩後ずさったとに、くるりとマナヤの方へと振り向いた。
「テ、テオ」
助けを求めるような顔。
マナヤはすうっと目を細めて、テオに問いかけた。
(どうする、テオ)
――……それは。
テオも何も言えなさそうにしている。
マナヤは、冷ややかにシャラを見下ろした。
「テオは、なにも言うことはないってよ」
「そ、そんな」
シャラは崩れ落ちた。
ふう、と嘆息するマナヤ。
「シャラ。俺にも、わかるんだよ。こいつの気持ちが」
「え……」
「考えてもみろ。こいつは、共鳴の片割れを殺されたんだ」
ハッとシャラが息を呑んだ。
マナヤも少し顔をしかめ、目を逸らす。
「俺だって、アシュリーが死んじまったら後追いしたくもなる。……特に、俺と同じように『流血の純潔』を失ったなら、なおさらだ」
いついかなる時でも、身近な人間を殺すビジョンが見えてしまう。
四十六時中、そんな生活はまっぴらだ。唯一そのビジョンが見えないアシュリーが支えていてくれなければ、いつ気がくるってもおかしくはない。
ましてやシェラドは、自覚してしまっている。自分がやってきたことが、世界を追い詰める最大の要因になってしまったことを。
「死に逃げしたくなるのも、当然だよ」
それだけ言って、シェラドへと目を戻すマナヤ。
シェラドは自嘲気味に笑っていた。
「シェラド」
ディロンも進み出つつ、シェラドへ問いかける。
「最後に、何か言い残したいことはあるか」
「では……マナヤ」
シェラドは一旦目を開け、マナヤを正面から見据えた。
「お前たちだけで、召喚師の力と印象を変えることができたなどと思うな」
「なんだと?」
片眉を吊り上げるマナヤ。
シェラドは淡々と続けた。無表情のまま、しかしどこか嘲りが漂っていた。
「お前たちが、村人らと召喚師達のわだかまりを解けた理由は一つ。我々召喚師解放同盟という『共通の敵』がいたからだ」
「……てめえ」
「違うか。スレシス村でも、海辺の開拓村でもそうだ。我々が介入していて、我々という必要悪があったからこそ、お前たちは村人とまとまれた。ブライアーウッド王国でもそうだ」
マナヤは苦々しい表情になる。
心の嘆きを吐き捨てるように、シェラドは続けて激昂した。
「召喚師解放同盟がいなければ、貴様らに召喚師を救うことなどできなかった。我々無き今、貴様だけで本当に召喚師を救えるというのか」
「……ッ」
「我々を犯罪者と呼ぼうが、道化と呼ぼうが結構! だが、我々がいなければ何も証明できなかった貴様に、ヴァスケス様との約束を本当に守れるというのか!」
思わず唇を噛んでしまうマナヤ。
だが――
「――それは違うわ」
今まで黙っていたアシュリーが、ゆっくり進み出た。
「あんたが今言った、コリンス王国の海辺にあった開拓村だけどね。あそこで村のみんながまとまったのは、あんたたちとは直接の関係は無かったわ」
「なんだと」
シェラドは憎々しげにアシュリーを見つめる。
が、彼女は落ち着いて彼を見つめ返した。穏やかな笑顔だ。その横顔を見て、マナヤの胸のモヤがスゥッと晴れていく。
「あの時」
アシュリーは、マナヤを庇うかのように前へ進み出た。
「あの、開拓村を襲ってきたシャドウサーペント。あれだけは、あんたたちの仕業じゃなかったんでしょ?」
今度は、シェラドが苦々しい表情になる番だった。
マナヤも後で聞いた話だ。マナヤやディロンらが開拓村から居なくなったタイミングで、偶然シャドウサーペントが襲ってきたらしい。それを撃退したのは、シャラの指示を受けた現地の召喚師、コリィだという。
「あんたたちとは関係ない。召喚師解放同盟なんて介入しなくても、あの開拓村のみんなは、ちゃんと心がまとまったのよ」
「……」
「あんた達に頼る必要なんてない。あんた達が居なくなったって、あたし達はちゃんと召喚師さんたちを助けていける」
くるり、とアシュリーがマナヤへと振り返った。
「できないことがあるなら、できるようになる。マナヤは、そういうヤツだもの」
屈託のない笑顔。
マナヤの心に、メラメラと炎が戻っていく。不敵な笑顔へと戻り、アシュリーの隣に並び立った。
「そういうこった。……心配しなくても、ちゃんと俺たちが全て解決してやる」
ぐ、と拳を握りしめながら、啖呵を切った。
シェラドは顔を伏せる。
「……そうか。ならば、もう何も言うことは無い」
と、地面に座り込んだまま、ヴァスケスの体を膝に抱えた。
満足そうな死に顔。シェラドもまた、どこか同じような表情をしているように見えた。
「召喚師の未来を、お前に託す。……あとは頼んだぞ、マナヤ。テオ」
「ああ、任された」
ヴァスケスからも託されたことだ。今さら言われるまでもない。
マナヤは、手をかざした。
(……なんなんだろうな)
ヴァスケスを殺した時といい、そして今といい。
両親の仇を取る。そのことを心に誓ったはずだ。だというのに、いざ全てが終わるとなると、なぜこれほど気が進まないのだろうか。
「……【狼機K-9】召喚、【行け】」
それでも、召喚紋を展開。
現れた狼型のロボットモンスターが、一直線にシェラドの元へと駆けていく。シャラドは、目を閉じながら天を仰ぎ――
「【次元固化】」
しかし、狼機K-9は直前で固まった。
思わず目を開けるシェラド。マナヤがかけた次元固化によって、狼機K-9は動きが封じ込まれたのだ。
ディロンが眉をひそめた。
「マナヤ?」
「ディロンさん、合わせてください。こいつを『自爆』させます」
「……わかった」
意図を察したディロンが、目を閉じ両腕を広げているシェラドへ腕を向ける。
シェラドも、すぐに気が付いた。フッと自嘲気味に笑う。
「お優しいことだ」
自爆。
マナヤは、狼機K-9に自爆指令をかけようとしているのだ。シェラドの至近距離でそれを自爆させ、さらにそれにディロンの攻撃魔法も合わせる。
せめて、シェラドが苦しませず一瞬で逝けるように。
テナイアが、悲しげに目を伏せながら……
「【スペルアンプ】」
ディロンに増幅魔法をかけた。
ディロンが放つ次の魔法、その威力が数倍に増幅されることになる。ディロンは頷き、他の皆へ警告した。
「みんな、下がれ」
爆発の範囲外へ皆を退避させるつもりだ。
皆、少しずつ後ずさり距離を取る。シャラのみ躊躇していたが、テナイアに促され引っ張られるように下がっていった。後ろ髪を引かれるような表情だ。
最後に、ディロンとマナヤが距離をとった。
「……行きますよ、ディロンさん。【自爆指令】」
前方へ手をかざすマナヤ。
狼機K-9が、赤く光りはじめる。動きを止めたまま、バチバチと危険そうな火花を上げ始めた。
――5。
「……」
ディロンも手をかざす。
その手のひらの上に、青い炎と蒼い稲妻の円盤が出現し、それが目の前で合成された。
――4。
シャラは口元を押さえ、顔を背けた。
アシュリーは目を逸らさず、じっとシェラドの様子を見据えている。が、その目元は、どこか痛々しい。
――3。
ディロンを心配そうに見上げるテナイア。
だが、ディロンの顔に躊躇はない。いよいよ呪文を放つべく、白く光る炎雷の塊を振りかぶっていた。
――2。
「……ヴァスケス様」
祈るように天を仰ぐシェラド。
閉じられたままの瞼の隙間から、一筋の雫が零れ落ちていた。
――1。
「――ディロンさんッ!」
マナヤが吼える。
ディロンが手を前方へ突き出した。
――ゼロ。
「【ギャラクシーバーニング】」
膨大な熱と電撃を宿した塊が、シェラドへと迫る。
同時に、彼の足元にいる狼機K-9が、赤熱し――
――大爆発と共に、強烈な閃光と爆風が満ちた。
暴風を受け、シャラが腕で顔を覆った。アシュリーも目を腕で庇いながら、それでもなんとか前方を見つめている。
テナイアは無念そうに目を閉じ、マナヤとディロンは冷たい目線で眩い閃光をただただ正面から受け止めた。
やがて、閃光と爆風が収まる。
そこに残っていたのは、赤熱する溶岩溜まりのみ。シェラドとヴァスケスの姿は、跡形も残っていなかった。
「……これで、良かったのかな」
アシュリーが、静かに呟く。
自問自答するように言った彼女は、切なげに溶岩溜まりを見つめていた。
「彼は」
テナイアが、そっとアシュリーの肩に手を置いた。
「ヴァスケスと同じく、召喚師解放同盟の中核を担う人物です。今はどうあれ、重罪人には違いありません」
「テナイアさん」
アシュリーが振り向く。
テナイアは彼女の肩から手を離し、溶岩溜まりを見つめて祈るように両手を組んだ。
「仮に連行できたとして……聖国の法であれば、彼らには長く苦しむ惨たらしい処刑が待っていたでしょう」
「……」
「それは、コリンス王国で捕えられたとしても同じ。それに比べればいくぶんか安らかで、誇りある最期であったのかもしれません」
「そう、なんでしょうか」
小さく呟くと、アシュリーも目を閉じて同じく祈りを捧げる。
そのまま、皆が押し黙った。溶岩が風に晒されて冷えはじめ、周囲から徐々に黒く固まっていく。
「――みなさん、急ぎましょう。やるべきことが増えました」
祈りをささげた後、テナイアがそう切り出した。
頷くディロン。そのまま、後方の丘へと振り返る。シャラの鎖により口をふさがれている聖騎士二人がいる場所だ。
「時間をかけすぎた。レヴィラ殿を救うためにも、一刻も早く瘴気を纏っている聖騎士の姿を聖都の者達に見せねばならん。聖王陛下らに納得していただいたのち、急ぎ邪神の器と戦う準備をせねば」
「そう、ですね」
暗い声で、シャラが呟いた。
思わず全員が彼女を凝視する。俯いたシャラの顔はよく見えないが、動きは緩慢でどこか投げやりな様子が見られた。
「私も、この錬金装飾の作成に取りかからないといけません」
と、手にした書類の束を握る。
端の方が、すでに皺だらけになっている。皆が言葉を失う中、シャラは俯いたままディロンの方へ足を運んだ。
「ディロンさん」
「……どうした、シャラ。大丈夫か」
「この錬金装飾が完成したら、私も突入のメンバーに加えてください」
――シャラ!?
シャラの言葉に、突然テオが慌てだした。
(お、おいテオどうした?)
マナヤが問いただすも、テオは答えない。
その間にも、シャラはディロンへと低い声で言い放つ。
「錬金術師の私なら、きっと力になれます。『邪神の器』が何をしてくるかわからない以上、錬金装飾の付け替えができる錬金術師は必要ですよね」
「……そうだな。君の『キャスティング』は実に的確だ。君が来てくれるならばありがたいのは確かだが」
「私も、今までずっと皆さんと戦ってきました。最後までやらせてください」
「本当にいいのか、シャラ」
「はい。決して、お邪魔にはなりません」
顔を上げたシャラの声は、はっきりとしていた。
ポン、と横から彼女の肩が叩かれる。
「シャラ」
アシュリーだ。
シャラがおずおずと見上げると、アシュリーはフッと切なげな笑みを浮かべた。
「ありがとね。頼りにしてるわよ」
「はい。ありがとうございます、アシュリーさん」
そう言って曖昧にほほ笑むシャラ。
テナイアも、やや眉を下げながらもそれを見守っている。だが……
「――シャラ! なにもシャラが行くことないじゃない!」
突然、テオがマナヤを押し退け、表に出てきた。
アシュリーが思わず振り向く。
「えっ、な、なに、テオ――」
だが戸惑うアシュリーの傍らを横切り、テオはシャラの背へと叫んだ。
「これはすごく危険なんだよ! シャラが死んじゃうかもしれないし、いつまで戦うことになるかもわからないのに!」
――お、おいテオ! どうしちまったんだよ、いきなり!
マナヤも、宥めるように頭の中でテオに問いかける。
様子がおかしい。
だが止める間もなく、テオは後ろからシャラの肩を掴んだ。
「戦うのは、マナヤ達や聖騎士さんたちに任せて! シャラは無理に戦うことはないんだから、村で――」
「――テオは黙っててっ!」
シャラの鋭い一喝。
テオは言葉を遮られた。いまだ俯いたままのシャラが、テオに向き直りもせず悲鳴に近い声で続ける。
「テオだって、一騎討ちで死んじゃうかもしれないのに危険に晒されにいったじゃない! 私が同じことして何が悪いの!?」
突き放すような言い口。
テオは、背筋が凍りついた。彼女の肩に置いた手を離し、数歩後ずさってしまう
「シャ、ラ……」
「だいたい、どうしてテオは今の戦いを止めてくれなかったの!? どうしてシェラドさんが死ぬことまで容認したの!?」
「……っ」
「テオなら、この人たちの思いを汲んで、この人たちに生きる希望を与えることだって、できたはずじゃない!」
顔を上げたシャラの目は、涙に濡れていた。
だが、その表情は険しい。目尻が上がり、テオが今までに見たことがないほど鋭い視線で睨みつけてきていた。
「どうして、こんな時だけ何もしてくれなかったの!? どうしてこの人達を助ける言葉をかけてくれなかったの!?」
「……シャラ」
「テオを、信じてたのに……っ」
湿った声で言い捨てたのち、彼女はテオの脇を走り抜けた。
そのまま、ひとりスロープを登って行ってしまう。テオは彼女を目で追うことすらできず、立ち尽くしていた。
「ちょ、ちょっとシャラ!」
慌ててシャラを追いかけるアシュリー。
テナイアとディロンは、不安げに互いの目を見合わせた。そして、テオは……
(ごめん)
立ったまま俯き、だらりと手をぶら下げた。
――テオ。お前、今さらなんでシャラを? 急にどうしちまったんだよ?
マナヤが問いかけるのが聞こえる。
だが、テオは答えなかった。ただただ手足の感覚がなくなり、岩の匂いや夕日の暖かさも霞んでいく。
――おい、テオ! 聞いてんのか!?
(ごめんね、シャラ)
マナヤの声を、どこか遠い場所で聞きながら……
テオは、意識を沈めた。
「――ッ! ったく、なんなんだよテオのやつ!」
表に戻ったマナヤが、毒づく。
テナイアが一歩、マナヤへと近づいてきた。
「マナヤさん。テオさんに、なにが?」
「わ、わかりません。急に意識を沈めて……」
マナヤも、戸惑いっぱなしで自分の両手を見つめた。
テオがあそこまでシャラの言い分を否定するのは、初めてだ。思えば、シェラドを殺す直前あたりから、彼は急に怯えだした様子を見せていた。
テオに、なにがあったのだろう。
わけがわからず、マナヤはガリガリと頭を掻いた。




