23話 異世界カルチャーショック
指導をやり始めてから、十五日目の朝。
いつも通り召喚師用の集会場へと向かう途中のマナヤ。召喚師たちの強い希望もあり、マナヤはまだ集会場での『討論』指導を続けていた。
(けど、一体誰がスタンピードを誘導したんだ)
ずっと心に引っ掛かっている問題。
何者かが、スタンピードを二手に分けさせた可能性がある。おそらく、二方向から襲って村を確実に滅ぼすために。
だが誰が、なんのために。
(まさか、この村の奴らか? ……いや、でも)
辺りを見回すマナヤ。
今まで見た限りでも、この村が嫌いだという住人には会ったことがない。もちろん全員と会ったわけでも、本心を知ったわけでもないのだが。
(単に、ザック召喚師長の妄想ってだけかもしれねえんだし)
だがそうなると、なぜ南の開拓村が無事なのか。なぜ救難信号が上がっていないのか。結局、その問題に行きつく。
「あ、あの、マナヤさん?」
「あ?」
考え込みながら歩いていた彼に、声をかけてきた女性が。
少しおどおどしたその少女には、覚えがある。
「あんた、たしかメロラさんとかいったか?」
「は、はい。覚えてくださってたんですね」
「まあな。ウィルも元気か?」
「はい、おかげさまで」
かつて助けた少年ウィルの姉。
先日の襲撃でも、マナヤが体を張って守った黒魔導師の少女だ。
「んで、今日はどうした?」
問えば、目が泳ぐ少女。
しかし彼女はすぐ、何か意を決したように顔を上げた。
そっとこちらへ手を伸ばすと、マナヤの右手を取り……
「……っ、あの」
それを、彼女自身の両手でキュッと包み込んでくる。
「!?」
その瞬間。
何かの光景が、頭にフラッシュする。
――私、テオ、の、お嫁さん……に、なりたかったん……だよ……――
死に際のシャラの姿。
テオの『最期の記憶』の中にあった光景だ。
「うおっ!?」
自身の叫び声。
直後、パシッという音と、手に伝わるかすかな衝撃。
何かと思えば、少女もびっくりしたような表情でこちらを見つめ返してくる。
「あ、ああいや、その」
彼女が何かしたのではない。したのは自分だ。
自分は突然、彼女の手を振り払ってしまったらしい。言い訳しようとするも、言葉にならないマナヤ。
「う……」
たちまち目に涙を溜めていく女性。
「え? いや、どうし」
「うぅっ……ご……ごめんなさいぃっ……!」
「は!?」
急に泣き出し、謝罪をして逃げ出してしまった女性。
「え、いや……何?」
その場に取り残されたマナヤは、茫然とその後ろ姿を見送ることしかできない。
「――驚いたわね」
「へ?」
突然、背後から声。
振り向けば、別の女性がびっくりした顔でこちらをじっと見つめていた。先ほど泣き去っていってしまったメロラという少女より、少し年上だろうか。
「マナヤさん、あなたがあの子にそこまでするなんて。ふーん」
「い、いや、何が? なんのことだ?」
「……じゃあ、わたしにもチャンスがあるのかな」
と、こちらへと歩み寄ってくる女性。
先ほどの少女と同じく、そっとマナヤの右手を取ってくる。
「っ!」
ふたたび、脳裏にシャラの死に際の姿が。
「わ、わりぃ! 先急いでんだ!」
「え? あ、ちょっと――」
女性がこちらの手を包み込もうとする前に、慌てて振り払う。
そしてそのまま、集会所へ向かって駆けだした。
最後にちらりと見えた、女性の表情。
彼女もまた、酷く傷ついたような顔をしていた。
◆◆◆
「いや、マジで何なんだよ、一体……」
女性を振り切ったマナヤは、ぶつくさと誰にともなく文句を。
なぜ、急に自分の手を包み込んで来ようとするのか。そして、なぜ振り払ったくらいで泣き叫んでしまったのか。
そして、手を振り払った時……
(なんで、シャラの顔が浮かぶんだよ)
がしがしと頭を乱暴に掻きながら、いつもどおり集会所への道を歩く。
「あ、マナヤじゃん」
「アシュリー?」
そこに声をかけられた。
恐らくは剣の手入れであろう。ベンチに腰かけ、砥石のようなもので剣を磨いているアシュリーだ。
「どうしたの? ビミョーな顔して」
「……お前まで、俺の手を包み込んでくるとか無いだろうな?」
思わず、後ずさってしまうマナヤ。
が、とたんにアシュリーの表情が変わった。
「そういうことを、こっちからやらせるように誘導する言い方って、卑怯じゃない?」
そう言って、なぜかジト目でマナヤの方を見てくる。
「は? 誘導? 卑怯?」
「だってそうでしょ。やるんなら自分からやりなさいよ。みっともない」
どういうことだ。
本気でこの世界は、一体どうなっているのだ。
「いや、その、すまん。さっき見ず知らずの女二人から急に、手を包まれちまったもんで」
「……へーえ? 自慢かなぁ?」
とりあえず弁解してみると、アシュリーは今度はニンマリとからかうような目で見てくる。
慌ててマナヤは首を振った。
「い、いや、自慢ってなんだよ。それに、急だったから振り払っちまったし――」
「はぁっ!?」
瞬間。
アシュリーが血相を変え、剣を放り出しマナヤに詰め寄ってきた。
「ちょっとあんた何やってんのよ! そこまですることないでしょ!」
「は!? いや、なんで俺が怒られんだよ!?」
「そんなにその子達のこと嫌だったの!? 可哀そうじゃない!」
「ちょ、ちょっ待て! ちょーーっと待て!」
ようやく一つの可能性に思い至ったマナヤ。
一旦手のひらを突き出し、アシュリーを制止する。
「つかぬ事をお聞きシマスが、〝人の手を両手で包み込む〟って、こっちの文化で何か意味があったりしますかねえ?」
とたんに、アシュリーの表情が凍り付いた。
「……え、なにそれ、ジョーク?」
「マジだよ!!」
真顔で訊き返され、半ギレになるマナヤ。
するとアシュリーは驚愕の表情へと変わる。
「嘘でしょ!? じゃ、あんたの世界じゃ、みんなどうやって求婚してんのよ!?」
「きゅうこ……は? 求婚!?」
想像の遥か斜め上の解答。思わず声が裏返ってしまう。
「いや待て、おかしいだろ! 両手を包み込む程度で求婚になんのかよ!? つーかそもそも、告白もすっ飛ばして『求婚』って何だよ!?」
「え、なにそれ、異世界ジョーク?」
「異世界マジだよ!!」
異世界ジョーク、と訊きたいのはこちらの方だ。
まじまじとこちらを見つめていたアシュリーは、眉を下げて頬を掻く。
「……えーとマナヤ、あんたまさか、本当に知らなかったの?」
「だから知らねえよ! なんか思い出を覗き見するみてぇだから、テオの記憶も最近は覗いてねーんだ!!」
するとアシュリーは項垂れ、大きくため息。
「……まじかー。うん、まあ、そうね。〝相手の手を自分の両掌で包み込む〟のは、れっきとした求婚の作法よ」
「そ、そんで? そういうのを受けた時は、どうするべきだったんだ?」
「それをされて、自分も相手の手を両掌で包み込み返したら、成立。相手の片方の手だけそっと外したら、保留。相手の両方の手を外したら、お断り。そんな感じ」
「……参考までに聞くが、〝手を振り払った〟場合は?」
一気にアシュリーの眉間にしわが寄った。
「『お前の顔なんかもう見たくもない』っていう感じの意思表示になるわね」
「なんじゃそりゃあッ!」
道理で女達が泣いて逃げたわけだ。
混乱で頭が真っ白になったマナヤは、言い訳のようにまくし立てる。
「つか、メロラってのはともかく、もう一人なんて名前も知らなきゃロクに話をしたことすらねえぞ!? それでなんで急に求婚してくんだよ!?」
「そりゃ、あんたは村の英雄だもん。求婚したくなる子だって出てくるでしょ。召喚師の印象も変わってきてるし」
「だからなんでいきなり求婚にすっ飛んでいくんだよ!?」
「え? だって、求婚しないで何するの?」
「いやだから、その……まず気持ちを告白するとかだな」
「だからそれが求婚じゃない」
「ぶっ飛びすぎだってんだよ!!」
まさか、この世界では人と『告白する』『付き合う』という感覚で『求婚』しているというのか。
「マジでそれがこの世界の普通なのか!?」
「……むしろ、マナヤの世界でそれが普通じゃないことに、あたしは今驚いてる」
「……」
頭を抱え、その場にしゃがみこんでしまうマナヤ。
「……だいだいよ、そもそもテオの記憶でもシャラに『お嫁さんになりたかった』みたいなこと言われてたが、手を包み込んでたりは――」
……が。
「あ」
テオの『最後の記憶』を思い出す。
先ほど女性らに手を包み込まれた時にも、フラッシュバックした光景。
『私、テオ、の、お嫁さん……に、なりたかったん……だよ……』
――死に際のシャラが、自分の手を掴んだ。
そして、両手でそれを包み込む。
テオがそれを自身の手で包み込み返した時、苦しそうなシャラの顔が、少し緩んで……
『……えへへ……ありが、とう……うれしい……』
(求婚……してたわ)
がっくりとマナヤは項垂れた。
◆◆◆
「うん、それはマナヤ君が悪いね」
「振り払われたなんて、その子たちが可哀そうだわ……」
その日の夕食。
テオの両親にも思いきりジト目で咎められた。
「し、仕方ねーだろ、そういう文化があるなんて確認してなかったんだよ」
そう言ってマナヤは、二人から目を逸らしながらステーキを乱暴に口に入れる。
しかし眉を下げながらサマーは続けた。
「とにかく明日、その子達に謝りに行った方がいいわ。じゃないと最悪、マナヤさんが村で孤立するかもしれないから」
「……あーはいはい、すんません」
「私に謝っても仕方がないし、敬礼しても意味がないと言ったでしょう? それに、やるならちゃんと胸に手を当てて」
小言を流すように適当に頭を下げれば、サマーに注意される。
「そもそも、なんでそんな文化になってんだよ」
半ばヤケになって、マナヤはそう問いかけてみる。
「そうは聞かれても……どうしてかしら」
「なッ」
サマーは困ったように苦笑いするのみ。理由もわからずに、そんな風習を続けているというのか。思わずマナヤは頭に血が昇る。
しかしそこでスコットが「ああ」と口を挟む。
「私には少しわかるぞ。サマーと結婚したからな」
「え?」
「あなた?」
驚いて聞き返すマナヤとサマー。
「サマー、お前に求婚した時は、危うくお前がモンスターの攻撃で窮地に陥りかけた後だった」
「そう、だったわね」
少し懐かしそうに、二人がお互いを見つめ合う。
「あの時、私は思ったんだ。いつ、サマーがモンスターにやられて居なくなってしまうか、わからないと」
「!」
スコットのその言葉を聞いて、マナヤもハッとなる。
「そう考えたら、居ても立ってもいられなくなってね。後悔する前に、サマーに求婚しなければならないと思ったのさ」
そういうことか。
この世界では、いつなんどきモンスターに大切な人を殺されてしまうかわからない。だからこそ、大切な人を娶るという文化が根付いたのかもしれない。まごまごしていなくなってしまう前に。
いなくなってしまってからでは、後悔するから。
いずれ殺されてしまったとしても、結婚したという思い出は残すことができるから。
結婚する前にいなくなってしまったら、そんな思い出すらも残せないから。
「……」
そう、いつの間にかいなくなってしまった、テオのように。
チラリと、俯いたままのシャラを見つめる。
(そういえば)
テオの『最後の記憶』では、シャラがテオに求婚していた。
しかし、今は……
「……」
彼女は特に、マナヤに対して求婚してくるような様子がない。
そも、『三人の女性に求婚された』というマナヤの話にも、動揺するような様子を全く見せていなかった。
(求婚したのはテオにであって、俺にじゃない、か。当然だが)
なぜ急に、そんな思いが自分の中から出てきたのか。
わからぬまま、マナヤは炎包みステーキを乱暴に食らった。
その日の夜。
寝室に戻ったマナヤは、寝具に思いっきり体を投げ出す。
「てか、なんで俺が謝らなきゃいけねーんだよ」
あえて日本語でつぶやく。
仰向けに寝転がったまま、毛布をきつく握りしめた。
「だいたい、この世界が」
首だけで、部屋の中を見回す。
すべて同じような味で、代わり映えのしない料理。
土の匂いが妙に鼻につく空気。
個室に扉もついておらず、プライバシーの欠片もない寝室。
電気が無く、夜間はピナの葉のロウソクもどきしかない照明。
娯楽らしい娯楽がなく、帰れば食べて寝るだけの家。
そして……
『私に謝っても仕方がないし、敬礼しても意味がないと言ったでしょう? それに、やるならちゃんと胸に手を当てて』
テオの家族に非難される、日本風の〝お辞儀〟。
(それに)
暗い窓の外にも意識が向く。
いつどこで、誰が襲われるかもわからない。夜もまるで安心できない生活。
「……大丈夫。大丈夫だ。俺がまだ、前世のことを覚えてる証拠だ」
慈しむように、思い出す。
元の世界の生活を。兄である史也とのやり取りを。
(子どもの頃のことは、もう何も思い出せねえ。せめて、今残ってる記憶だけは)
何度も、何度も思い返す。
脳に、しっかりと焼き付け直すように。
(……史也兄ちゃん)
せめて、夢の中でなら会えるだろうか。
マナヤは毛布をめくり、その中に体をうずめた。
――ドウッ
「だああクソッ! またかよ!」
救難信号の音だ。
すぐさま飛び起き、緑ローブを引っ掴んで家を飛び出した。
しかし、いざ駆けつけてみると。
「えーと、すまないね英雄どの。君が出てくるほどの襲撃じゃなかったよ」
「以前の襲撃の件がありましたからわかりますが、そんなに救難信号を信用できませんか?」
「わたしたちがロクに戦えないとでも思ってるの? 気分悪い」
結局、マナヤの睡眠時間がさらに減るだけに終わった。
◆◆◆
決定的なことが起こったのは、次の日の朝。
「――ちょっと! いつまで寝てるの!」
「うお!?」
突然、大きな叫び声。
ようやく寝付いていたマナヤは、跳ね起きてしまう。
「って、なんだ! なんだ!?」
寝具から上体だけ起こし、周囲を見回して混乱してしまう。
自分がいるのは、いつも通りのテオの部屋。だが寝具のそばに三人の女性が立って、マナヤを見下ろしていた。
「な、なんだお前ら、勝手に人の部屋に――」
「あんたがマナヤさんね! 聞いたわよ、メロラとステイシーの求婚を酷く振ったって!」
中央の女性がそう言って、仁王立ちでマナヤを睨みつけた。
「は? え、あ、いや」
「どうして、よりによってあんな断り方したのよ! あの子たち、泣いてたじゃない!」
「酷すぎます! いくら英雄だからって、そんなに邪険にしなくったって、いいじゃないですか!」
「ちゃんと、あの子たちに謝ってきてよ! じゃないと、あたしはアンタを絶対に許さないからね!」
戸惑うマナヤに、三人とも容赦なく非難の言葉を投げつけてくる。
寝不足で、まだ頭が回り切らない。マナヤは、とりあえずまずは謝ろうと頭を下げる。
「わ、わかった。悪かったから――」
「なによ、それ! なんで敬礼なんかしてるの、しかもそんなだらしないやり方で!」
しまった。
またクセで、頭を下げてしまった。
「謝る気なんて、ないじゃないですか!」
「あたし達をバカにしてるの!?」
他ふたりも、そんなこちらを軽蔑するような目で睨んでくる。
おもわずマナヤはカッとなりかかった。
「お、おい! そもそもあんたらこそ何なんだよ! 人が寝てる部屋に、勝手に入ってきて! プライバシーの侵害だろうが!」
そう叫んだ途端、三人の女性はさらに目つきが険しくなった。
「なに言ってるの! 寝てようが寝てまいが、部屋に入ることがなんでプライバシーの問題になるわけ!?」
「ごまかさないでください!」
「な――」
まさか、またか。
また、この異世界の風習か。
(なんなんだよ……)
なおも、容赦ない言葉の刃を叩きつけてくる三人の女性。
(なら、何ならしても良いんだよ。何をしたら、いけないんだよ)
自分の手が、震えるのがわかった。
頭の中が真っ白になったあと、シンと痺れる。
(――なんで、俺ばっかこっちの風習に振り回されなきゃ)
ギリ、という自分の歯ぎしりの音。そして――
「――出ていけェッ!」
気づけば、怒号を発していた。
「マナヤくん、落ち着いたかい?」
スコットの声。
あの後、三人の女性はスコットとサマーに宥められ、いったん帰されたのだ。
「……なんで、あいつらを俺の部屋に入れた」
居間のテーブルに座らされたマナヤ。
そう問えば、向かいに座っているスコットとサマーが困惑の目で見つめてくる。
「そうは言っても、君に会いたがっている人がいるなら、会わせるのは当然だろう?」
「村で孤立してしまうかもしれない、と言ったでしょう? ここで会わせるのを断ったりしたら、もっと大変なことになってたわ」
「そうじゃねえよ!!」
拳でテーブルを叩く。
「なんで俺に断りもなく部屋に入れた!? まだ俺も寝てたってのに、プライバシーはどうした!?」
「いや、未婚の男性の部屋に入ることは、別にプライバシーの侵害でもなんでもないだろう。それを禁じたら、誰も夜這いができなくなる」
「よば……ッ!?」
スコットの返事に愕然とする。
「夜這いってなんだよ! まさか、ンなもんが認められてんのか!?」
「き、君の世界ではそうじゃないのか? 求婚する際に夜這いすることは、よくあることだろう」
「冗談じゃねえ! もし夜這いした奴が、相手の意に反して襲ったりしたらどうすんだ!?」
「その時は家族がすぐ駆け付けられるだろう? 騒げば、声は同居している者達の耳に届くんだから」
「な……」
そういえば、寝室にも扉はついていなかった。
まさか、そのために? 騒いでいる音が、隣室の者達の耳にすぐ届くように?
「……ふざけんな。んなもん、野蛮人じゃねえか。俺の世界じゃ夜這いなんざ犯罪だ」
「……マナヤくん」
苦々しいマナヤの言葉に、スコットが俯いてため息。
そして、意を決したように再び顔を上げる。
「君の世界のことは、もう忘れたほうがいい」
「――なん、だと」
スコットの言葉に、マナヤは愕然とした。




