210話 交戦と出迎え
「よし!」
巨大な黒い肉塊を召喚したマナヤは、すぐに隣へと目を向けた。
「シャラ、俺に二番、騎士たちに十四番!」
「な、なにしてるんですかマナヤさん!」
「早くしろ!」
「えっ!? え、えっと、【キャスティング】!」
戸惑いながら、鞄から錬金装飾を取り出し投げるシャラ。
――【伸長の眼鏡】!
まずマナヤの右手首に、眼鏡のチャームがついたブレスレットが装着された。
――【吸邪の宝珠】!
続いて前線の騎士たち。
彼らの右手首にも、オレンジ色の宝珠がついたブレスレットが装着された。
マナヤはニッと笑う。
「【火炎防御】、【跳躍爆風】【跳躍爆風】!」
光の防御膜に覆われたショ・ゴスが、破裂音と共に跳び上がった。
跳躍爆風二連射で、あっという間に前線へと到着。どすんとモンスターの群れの背後へと落下した。前方を固めている騎士たちと併せて、群れを挟み撃ちにする形だ。
「よっしゃ、これで――」
「ってそうじゃありません! マナヤさん、いったいなにを!?」
ガッツポーズを取るマナヤの腕に、シャラが組み付いてきた。
やけに焦った顔をしている。
「は? いや、生物モンスターが多いならショ・ゴスが一番――」
「そうじゃなくて! ここ、もうデルガド聖国の領土ですよ!」
「……へ?」
マナヤの表情が凍り付いた。
「え、は? いや、だってテオが俺が出た方がいいって……」
「それはきっとアシュリーさんとの共鳴が必要って意味です!」
「……」
目をぱちくりとさせるマナヤ。そういえば、前線の騎士たちも妙に大げさに騒いでいる。
じきに彼は、ダラダラと冷や汗を流し始めた。
「やっべ……たしか、重罪なんだっけか?」
「はやく! 早く戻してください!」
「ンなこと言ったって! 跳躍爆風二連射しちまったから、すぐには戻せねえよ!」
ショ・ゴスがいるのは、はるか先の前線。
ここからでは送還は届かない。『戻れ』命令でこちらへ撤退させようにも、ショ・ゴスは移動速度が非常に遅い。砂地であればなおさらだ。
しかも、落下したのはモンスターの群れの裏側だ。マナヤが今から前線にたどり着いたところで、ショ・ゴスを補助魔法の射程圏に捕えるのは不可能。
「と、とにかくすぐ前線に向かいましょう! これを……」
「ちょっと、なにやってんのテオ!」
シャラが『俊足の連環』を取り出しながら言いかけたところで、別の慌てた声が近づいてきた。
アシュリーだ。その後ろには、ディロンとテナイアを乗せた騎馬もついてくる。
「テオ、なにをしている!」
「テオさん、この国で召喚獣は! それもよりによって上級モンスターを!」
「わ、わかってます! 俺の手違いだ!」
ディロンとテナイアに責められ、マナヤは蒼い顔で叫んだ。
二人とも、すぐにテオでないことに気付く。互いに顔を見合わせ、示し合わせたように同時に額を押さえた。
「――しかたないわね」
同様に頭を抱えていたアシュリーが、ふいに顔を上げる。
「マナヤ! とりあえず、『ドゥルガー』喚んで!」
「アシュリーさん!?」
テナイアが目を剥いた。
ディロンも厳しい視線でアシュリーを睨みつけるが、彼女は焦った顔で彼らを見上げた。
「こうなっちゃった以上、誰かに見られる前にモンスターを殲滅しちゃうしかないじゃないですか! お二人も手伝ってください!」
「……あの大技を使う気か」
ディロンが顔をしかめた。不快そうなものではなく、悩んでいるがゆえの表情だ。
「だが、おそらく我々がここで戦っていることは聖国にも気づかれている。罪の上塗りになりかねんぞ」
「だから先手を打つんです!」
一秒の時間も惜しい、と言わんばかりに早口で答えるアシュリー。
「あたしのペンタクルなら、マナヤのドゥルガーの力と合わせてあいつらを瞬殺できます! 誰かが来る前に終わらせちゃえば!」
「召喚獣を武器にすることもあるまい。私の付与魔法をかけた一撃で――」
「それじゃショ・ゴスを倒すのが間に合いません!」
「ショ・ゴスを? ……まさか」
ディロンはまじまじとアシュリーを見つめた。
マナヤもようやく察する。
(そうか。アシュリーの一撃で、俺のショ・ゴスごと粉砕しちまえば)
今から送還するには、距離が開きすぎている。
ここからショ・ゴスを野良モンスターごと消し飛ばし、魔紋へと還してしまえばいい。魔紋も瘴気紋と同様、数分で勝手に消えて、召喚師の封印空間へと戻る。もちろん、誰かに封印されなければの話だが。
「わかった、やろうアシュリー!」
マナヤは腹をくくって言った。
アシュリーも厳しい顔で頷く。ディロンとテナイアは少し考え込んでいたものの、時間が惜しいことに気付いたか、しぶしぶといった様子で頷いた。
「いいだろう。私は部隊に指示する。衝撃魔法を使わせ、モンスターの群れを後方へ押し下げる」
「お願いします!」
アシュリーがディロンを見上げ、剣を納めた。
ディロンはすぐに騎馬を走らせる。前線へと戻るのだろう。
「よし、やるぞ! シャラ!」
マナヤはシャラへと振り返った。
彼女は迷うように目を泳がせていたが、すぐに諦めたような顔へと変わる。鞄を漁り、取り出したのは一本のブレスレット。
「【キャスティング】」
――【増幅の書物】!
マナヤの『伸長の眼鏡』が外れ、入れ替わるように本のようなチャームがついたブレスレットが装着される。
魔法の効果を増幅する錬金装飾だ。さらにアシュリー、そして騎馬で離れていくディロンの手にも同じものが着けられた。
「! テナイアさん!」
と、アシュリーが上を見上げ、声を張り上げた。
マナヤもその目線を追う。空中から、なにか小さな影がこちらへとまっすぐ飛んでくるのが見えた。
「シャガイ・インセクト!」
冒涜系の中級モンスターだ。
空中から火炎弾を吐いてくる飛行型。弓術士や黒魔導師の攻撃をかいくぐってきたのだろうか。
(まずい!)
ここには、空中へ攻撃できる者がいない。
しいて言えばアシュリーだ。彼女は覚悟を決めたように、再度剣を引き抜いた。
「仕留めてくるわ! 【ライジング――」
「いえ、待ってください!」
が、それをテナイアが鋭く止めた。
何事かと振り返るアシュリー。しかしテナイアは、黙って懐から紐のような何かを取り出した。黒い玉のようなものが二つついている紐の束だ。
彼女はその紐を掴み、頭上で黒い玉を振り回し始める。
「はっ!」
気合と共に、それを空へと投擲した。
両端に黒い玉が繋がった紐が、飛んでいく。空中のシャガイ・インセクトに絡み付き、トンボのような羽ごと封じ込めてしまった。飛行力を失い、きりもみ降下していく。
(ボーラ、ってやつか?)
敵に絡み付いて動きを封じる投擲武器だ。
テナイアはすぐに騎馬を駆けさせた。同時に仕込み杖を取り出し、それをシャキンと延長させる。
「【イフィシェントアタック】」
仕込み杖が光った。
同時に、堕ちたシャガイ・インセクトのもとへとたどり着き、馬上から杖を突き下ろす。羽虫のようなそのモンスターは破裂し、瘴気紋へと還った。
彼女はすぐにこちらへと振り返る。
「アシュリーさん、早く準備を!」
「は、はい! マナヤ!」
アシュリーはまた納刀し、こちらへと手を差し出した。
すぐさま駆けつけるマナヤ。アシュリーと手を繋ぎ、逸る思いで目を閉じる。
(思いをシンクロ……!)
焦った割には、すぐにシンクロできた。
二人の体が虹色の光を放ち始める。ピチュン、と脳内で波紋が広がるような感覚が続いた。
せわしなく、言葉を紡ぐ。
「【共鳴】――【魂の雫】!」
一気に光量が増した虹色のオーラ。
マナヤとアシュリーの全身から、マナが滾々と湧き出してくる。二人はすぐにパッと手を離し、それぞれの位置についた。
「【ドゥルガー】召喚!」
召喚紋が発生。
その中から、白虎に跨ったエスニックな甲冑の女戦士が姿を現した。背からは無数の腕が生えており、そのそれぞれに大小様々の剣が握られている。
伝承系の最上級モンスターだ。
「!」
マナヤは、野良モンスターの気配が一気に後退するのを感じた。
黒魔導師隊がやってくれたのだろう。同時に、砂煙を巻き上げながら騎馬が一頭、こちらへと舞い戻ってくる。ディロンだ。
「――やれ!」
馬上で叫んだ彼は、手をこちらへと差し伸べている。
マナヤもすぐさまドゥルガーへと手を向けた。すでにアシュリーが、ドゥルガーの持つ一番大きな剣に飛びついている。
「【火炎獣与】【電撃獣与】【秩序獣与】!」
マナヤの獣与魔法連発。
ドゥルガーの剣が、炎と電撃、神聖光を帯びる。
さらにテナイアがディロンへ手をかざした。
「【スペルアンプ】」
「【インスティル・サンダー】」
増幅魔法込みで、ディロンが付与魔法をアシュリーへ。
ドゥルガーの剣にさらに電撃が重ねられ、周囲に青紫の閃光が激しくスパーク。その弾ける電撃の只中で、アシュリーは前方をキッと睨みつけていた。
――1st――
――2nd――
――3rd――
――4th――
「【跳躍爆風】!」
即、マナヤは正拳で砂の地面を殴りつけた。
破裂音。
ドゥルガーが、アシュリーを背負ったまま上空へと跳び上がる。
彼女の視界が開けた。青い双眸が、騎馬たちの向こうにいるモンスターの群れを捉える。
――――FINAL!!
「【ペンタクル・ラクシャーサ】!!」
アシュリーが、ドゥルガーの大剣を振り回した。
蛇のようにうねる衝撃波が発生。炎、神聖光、そしてひときわ目立つ稲妻をまとった剣圧が、上空からモンスターの群れへと降り注いでいく。
途中で、枝分かれした。
団子状にまとまっている野良モンスターのグループに、個別に落下していく。着弾と同時に熱気と電撃が弾け、モンスターらを消し飛ばしていった。
マナヤのショ・ゴスも例外ではない。一瞬で焼き尽くされ、禍々しいその身は霧と消えていった。
着弾地点に吹き荒れる、暴風。
砂嵐と化し、衝撃波と共に地上を駆け抜けていった。騎士たちの馬がいななき、吹き飛ばされぬよう踏ん張っている。
――やがて、暴風がやみ視界が戻る。
モンスターの群れは一体残らず消え去っていた。あとに残ったのは無数の瘴気紋と、波打った焦土だけだ。
「【送還】!」
すぐさま空へ手を向けたマナヤ。
ドゥルガーの体が、黒いカーテンのようなもので覆われる。それは瞬く間にその全身を飲み込み、そのまま虚空へと吸い込まれるように丸ごと消えていった。
「わ、ちょっ」
空中に、アシュリーだけが取り残された。
突然足場を失い、ばたばたと手足を振り回しながら落下を始める。マナヤの顔が一瞬で青ざめた。
「あ、やべ」
「【キャスティング】」
が、シャラが即座に錬金装飾を投げた。
――【妖精の羽衣】!
ふわり、とアシュリーが減速する。
地上すれすれ辺りで、真下にクッションでもあるかのように柔らかく浮き上がった。腹ばい状態で叩きつけられる直前だったアシュリーは、ほおっと安堵の息をついた。
「シャラ、ありがと。ちょっとマナヤ!?」
「す、すまん! さっさとドゥルガー送還しなきゃと思って、つい!」
せめて、半重力床で着地までは面倒をみればよかった。
地面すれすれで、うつ伏せ状態で浮かんでいるアシュリー。おもむろにため息をつくと、浮いたまま器用に姿勢を整え、地面と垂直に起き上がる。いつの間にやら共鳴のオーラも消えていた。
「うん、でもとりあえず何とかなったわね。マナヤ」
「ああ。【封印】」
マナヤは、近場にあった魔紋を封印した。
先ほどテナイアが倒した『シャガイ・インセクト』のものだ。そのまま、大量の魔紋が残っているであろう前線の方を仰ぎ見る。
「よし。前線のモンスターどもは、召喚師の騎士たちが封印してくれるだろ。あとは――」
「――なるほど。大したものだな」
突然、背後から聞きなれぬ声。
マナヤはバッと振り返った。
いつの間にか、騎馬隊がすぐ後ろに並んでいた。
コリンス王国のものに比べ、一回り大きめな馬に乗っている。先ほどの発言は、その最前列中央にいる馬に乗った女性のものだ。
彼らの衣類もまた、特異なものだった。
十センチ四方ほどの真四角の白布を、何枚も縫い合わせて繋いだような丈長の衣服。布の縫い目は、風を通しやすくするためか少し間隔が空いていて、下に浅黒い肌が見え隠れしている。
その縫い目それぞれから、動物のものと思しき細い毛も無数に結われ、垂らされていた。開いている縫い目を日差しから保護するようになっているのだろうか。
縫い合わせている糸は青、赤、緑と色とりどり。それが、真っ白でシンプルな布とコントラストを形成し、華やかな雰囲気に仕上げている。
全員頭部にヴェールのようなものを被っていて、顔は確認できない。
さらに中央の女性は、その布一枚一枚に複雑な金刺繍まで施されていた。
地球で言う牧師が被るような、筒状の帽子をかぶっている。その帽子にも細かく金刺繍が縫い込まれ、いかにも手間とお金がかかっていそうな逸品だ。
胸のあたりに膨らみが確認でき、それで女性だとわかった。
(……もしかして、こっちの国の騎士たち、か?)
背に嫌な汗を感じる。
ふと横を見ると、自分達が乗っていた馬車からランシックが降りていて、この一団に向かって跪いていた。彼の父、ヴェルノン侯爵も少し離れた場所で同じように膝をついている。
「――聖王陛下。ご機嫌麗しゅう」
ヴェルノン侯爵が首を垂れたまま、通る声で言った。
ぎょっと身を強張らせるマナヤ。
並んだ一団の先頭にいた女性が、騎馬をそちらへと振り向かせた。
「ヴェルノン侯爵、つい先日ぶりだな。よもや、これほど早い再会になるとはあの日の余も思わなんだ」
「は。事前に早馬で御報じました通り、早急に舞い戻ってまいりました」
さらに深く首を垂れるヴェルノン侯爵。
珍しく、声が強張っている。見れば、ディロンとテナイアもいつの間にか馬から降り、同じように跪いていた。
(聖王、陛下……)
アシュリーとシャラと顔を見合わせる。
一瞬の硬直ののち、すぐさま三人して膝をついた。ちゃんと作法通りの跪き方ができているだろうか。
(今代の聖王が女性、ってのは聞いてたが)
予想していたより、はるかに威厳と威圧感の籠った声だった。
まさか、こんなところに。
聖王ともあろう者が、こんな街道の真ん中を出歩いてもよいものなのだろうか。
緊張に、地面についている右手が汗ばみ、砂に吸われていくのがわかった。
「さて」
と、聖王らしき女性の声が、こちらへと向き直るのがわかった。
ビクリと肩を震わせるマナヤ。砂の地面を見つめたまま、頭上から降ってくる声に耐え続けた。『殺しのビジョン』を見ている余裕すらもない。
もし、自分が召喚獣を呼んでいたところが、この国のトップに見られていたとしたら……
「まさか封印師が、我が国の領土内で堂々とモンスターを召喚するとはな。それも、上級モンスターと最上級モンスターを」
――ばっちり見られていた。
マナヤは、だらだらと全身から冷や汗が流れ出してくるのを感じた。




