208話 ヴァスケスとシェラド
「無事か、シェラド」
オレンジ色の岩肌に囲まれる中、様々な色合いの緑が斑に混ざりあっているローブを纏った二人。
「っ……問題、ありません。ご迷惑をおかけしました、ヴァスケス様」
黒髪で極めて短い短髪の男が、負傷した脚を押さえながら言った。
背にもひどい火傷を負っている。青髪の男は彼を仰向けに横たえ、手当てしていた。止血ができる粉薬を脚の傷口にかけ、その上から包帯代わりに布を巻きつけていく。
背中にも、炎症を抑える薬を塗った。ブライアーウッド王国で町から奪い取った薬の残りだ。
「迷惑なものか。お前が囮になってくれたからこそ、確実にあれらを倒せたのだ」
青髪の男――ヴァスケスは、安堵のため息を吐きながら言う。
「まさか、模擬戦中にフロストドラゴンとサンダードラゴンに襲われるとはな」
ここは、デルガド聖国南部の大峡谷。
ダグロンが所持していた『核』の方角を目指し、たどり着いた先だ。
赤い岩によって作られた美麗な地形が特徴であるこの地は、周囲にほとんど人影がなく、秘密の特訓をするにも都合がいい。
だがこの一帯だけ、異様な光景となった。
赤いはずの大地は、黒い焼け焦げ跡と無数の氷の刃によって覆われてしまっている。先の戦闘の影響だ。
「この地域にモンスターが増えているという話だったが、伊達ではなかったようだ。野良で、最上級モンスターが二体も湧いていたとはな」
「しかし」
そこへ、横たわっていた男――シェラドが笑顔を見せる。
「やりましたね、ヴァスケス様」
「なんだと?」
「これでヴァスケス様も、最上級モンスターがあらかた揃いました」
シェラドは、額に脂汗を滲ませながらも、気丈に上半身を起こした。
「ダグロンとマナヤの戦いの最中に、最上級モンスターをいくつか封印し奪ったのでしょう?」
「ああ。フレアドラゴンにサンダードラゴン。ドゥルガー、鎚機SLOG-333、ワイアーム、ダーク・ヤング。計六種もの最上級をな。SLOG-333とサンダードラゴンにいたっては、どちらも二体目をも確保できた」
ダグロンの最期の時だ。
アシュリーという女剣士が、物理攻撃型の最上級モンスターを四種、まとめて倒した時。ダグロンが死んでしまう前に封印しておいた。マナヤ達は疲労困憊で封印には手が回らなかったようだ。
「これで、シャドウサーペント以外の最上級が揃いました」
シェラドは、希望に満ちた目でヴァスケスを見上げた。
「今のヴァスケス様であれば、マナヤとも良い勝負ができるでしょう」
「……」
「マナヤはシャドウサーペントを持っているやもしれませんが、ヴァスケス様は奴には無い鎚機SLOG-333をお持ちです。モンスターの質でいえばヴァスケス様の有利には違いありません」
「……そうだな」
だが手当を終えたヴァスケスは、沈んだ声で一言呟いたのち、目を逸らした。
長い前髪で目が全て隠され、表情も見えなくなる。シェラドが眉をひそめた。
「ヴァスケス様?」
「……シェラド。ひとつ、訊ねておきたいことがある」
「はい。なんなりと」
真摯な目で見つめるシェラド。
ヴァスケスは、顔を上げぬままぽつりと問いを発した。
「なぜ、今なお私に付き従おうとする」
「……おっしゃる意味がわかりません。私はこれでも、ヴァスケス様の右腕を自負しているつもりですが」
ヴァスケスは、ため息をついた。
「シェラド。お前は以前、マナヤの村を襲撃した部隊を指揮していたな」
「はい。村人ごときに不覚を取り、申し開きの一つもございません」
「そのことを責めているのではない」
ヴァスケスは、そこでやっと顔を上げた。
目は相変わらず髪に隠れている。
「あの時、お前は私に言ったな。『誇り高き我らが部隊が、マナヤが指導した村人に敗北するなどあってはならぬこと』と」
「はい」
「その理屈で言えば、私こそマナヤに連戦連敗している。そんな私にお前がついてくる理由はないはずだ」
シェラドは、心外とばかりに片眉を吊り上げた。
「なにをおっしゃいます。私は今なお、ヴァスケス様ほどの使い手を知りません」
「だが、ダグロンはマナヤに一度は勝った」
「彼についていけというのですか。申し上げたはずです、私は――」
痛みをこらえながらも、語気を激しくするシェラド。
が、ヴァスケスは手を掲げて遮った。
「言った通り、私はマナヤに何度も敗北するという失態を犯している。失態を晒す不届き者……お前が、一番嫌う人種であったはずだ。違うか?」
シェラドは言葉に詰まった。
『――ひいては、これまで以上に厳しく部隊を指導して頂きたいのです。今後二度と、あのような失態を晒すような不届きものを出さぬためにも』
セメイト村の急襲に失敗した時。ほかならぬ、シェラドが言ったことだ。
ヴァスケスはさらに沈んだ声になる。
「ダグロンについていけばよかった、とは言わん。だが私についてくる必要もなかった。お前はお前の道を行くこともできたはずだ。私とは違う方法で、マナヤを倒す方法を探ることも」
じっと黙りこくるシェラド。
風が吹き抜ける音だけが響く。ヴァスケスは、耐えかねたように顔を完全に背けた。
「……実際、不思議なものです」
ぽつりと、シェラドが独り言のように呟く。
「たしかに、言われてみればその通りです。私は、ヴァスケス様に付き従う必要はなかった」
「……」
「ですが、おかげで一つ気付いたことがあります」
思わず振り向くヴァスケス。
シェラドは、まっすぐに彼を見つめ返していた。
「私は今、これまでの人生で一番、充実している実感があります」
「なんだと?」
「これまで私の心には、たった二つのものしかありませんでした。召喚師ならぬ者たちが大きな顔をしている怒り。そして、そんな連中をモンスターで滅ぼしてやる喜び。それだけです」
ふ、とシェラドは穏やかに笑った。
ヴァスケスは瞠目する。これまで、自身の右腕がこれほど爽やかな笑顔を浮かべたところを、見たことがない。
「なのに、あのガントレットの日。ヴァスケス様が死してしまったかと、悲しみに暮れました」
「……シェラド」
「そして正直、今は怖れてすらいます。我々二人だけになってしまった今、召喚師のためになにもできることは無くなったのではないかと」
ヴァスケスはふと、語り続けるシェラドの手元に気がついた。
震えている。
だというのに、彼は穏やかな笑顔を湛えている。無理に作った笑顔には見えない。
「不愉快な感情であるはず、だというのに。なのに私は今、生きている実感がわいています」
「……」
「そして、気付きました。いかに私が心を失っていたかと」
「心を失っていた?」
頷いたシェラド。
「私は、セメイト村襲撃に失敗した彼らに厳しすぎた。同盟のために懸命に戦った彼らを、もっと悼んでやるべきだったのでしょう」
「!」
「今なおヴァスケス様に付き従いたい理由も、まさにそれです。私は、功績や失態などを越えて、ヴァスケス様個人のことが気に入っているのでしょう」
ヴァスケスの前髪から、瞳が覗く。
驚きに見開かれていた。だがその後、その目元が神妙そうに細められる。
「シェラド。マナヤが……いや、もう一つの人格、テオといったか」
「はい」
「奴が言った言葉を覚えているか」
シェラドもまた、顔を引き締めた。
『――夢を見て、何が悪いんだ!!』
『夢こそが、人の心を救う! 夢っていう理想や目標があるからこそ、人々は希望を持って生きていける!』
『だから、僕達はあがき続けているんだ! ゆっくりでも、一歩ずつでも! 夢物語を、現実にするために!!』
ダグロンとテオらが対峙した際、テオが叫んでいた言葉だ。
「シェラド、今のお前に訊きたい。我々の理想は、我々が願っていた夢は、正しいのか?」
「……それは」
「召喚師と他『クラス』の者達が共存などできない。だからこそ、召喚師だけの理想的な世の中を作る。それこそが我々の目指すべき理想であると、そのトルーマン様の信念をずっと信じてきた」
テオのあの言葉。
あれを聞いて、ヴァスケスは内心、衝撃を受けた。
テオは、諦めていなかった。召喚師と他『クラス』の共存。トルーマンやヴァスケスらが棄てたその大前提を、あの少年は諦めずに拘り続けたのだ。
(そういう思想を持っていた者は、召喚師でない者にもいた)
以前の出来事に、思いを馳せる。
コリンス王国の海辺の開拓村のこと。
そこに住んでいた剣士の少年に、ヴァスケスは手厚く看護された。その少年にこう言われたのだ。
『だからさ、オレは召喚師だからって無条件に悪い奴だなんて、思わない。召喚師だって報われるべきなんだ、って信じてるんだ』
ヴァスケスは、また顔を伏せた。
「我々は理想をはき違えていたのではないか。我々の信念は、ただの『逃げ』だったのではないか。そんな思いが、頭から離れん」
「……」
「それに、あの『核』だ」
シェラドを見上げたのち、目線を上に向ける。
空が、どこまでも青い。地上に見渡す限り広がる赤い岩肌とは正反対だ。
「トルーマン様は、仰っていた。『核』に人の魂を吸わせることで、召喚師は自らも戦う力を得る。完全な存在になれると」
「はい」
「だがシェラド。あの『核』に頼ることは、本当に……召喚師のために、世界のためになると思うか?」
今までもずっと、心のどこかで引っ掛かっていたことだ。
あの結晶の禍々しさ。人の魂を吸うという特性。人に瘴気を纏わせ、凶悪な戦闘能力を与える力。
しかも『核』の力を、通常以上に引き出すことができる者達もいた。だが、そんな者達のことを思い返せば……
(瘴気を纏う戦闘能力を通常以上に引き出した、ジェルク)
まず、スレシス村で工作させていた『ジェルク』という男。
召喚師自身の身体能力を高め、瘴気のバリアを張るという『核』の能力。彼はその能力に才覚があった。普通よりも遥かに高い出力で発揮することができていて、その際にこれまでの実験ではありえない速度で『核』の力を消費していたことも判明した。
(モンスターを意のままに操る能力を発揮した、ダグロン)
そして、ダグロン。
彼は、『核』を通してあらゆるモンスターを手足のように使役する能力を得ていた。トルーマンからは聞いたことがない能力。未知の『核』の能力をダグロンは引き出し、自在に操っていたようだ。
「『核』の力を、通常以上に引き出せる者達は……外道ばかりだ」
ジェルクは使命よりも苛立ちを他者にぶつけることを優先し、他者をねじ伏せようとすることを好む男だった。
その点では、ダグロンも同じ。他者を精神的にいたぶることを好み、村人を必要以上に苦しめ、救いに来た騎士団を陥れることを是としていた。マナヤらとの戦いでも、彼らの仲を引っ掻き回しアシュリーが離反することを促していたほどだ。
「そんな『核』の力に頼って、我々は本当に世界を正すことなどできるのか?」
理想的な世の中。野良モンスターを確実に封印し、平和な世界を作る。
だが、あの禍々しい『核』に、その未来を託すというのか。
ヴァスケスは、空を見上げたままこぶしを握り締めた。
「しかし、ヴァスケス様」
しばし考え込んでいたシェラドが、口を開く。
「トルーマン様は、我々にとって……」
「わかっている」
シェラドの声が震えている。
ヴァスケスも視線を落とし、彼と同じ表情になった。
トルーマンは、自分達にとって父親も同然だった。
親に捨てられ、家族に捨てられ、村に捨てられた。ヴァスケスもシェラドも、そしてかつての召喚師解放同盟の中心人物らも、ほとんどがそういう境遇の者達。そんなヴァスケスらを、皆を救ってきたのは、まぎれもなくトルーマンだったのだ。
そのトルーマンを、マナヤは殺した。
「トルーマン様の仇を討つ。そのために、マナヤを殺す。それは変わらん」
「……ヴァスケス様」
「だが、我々は真実を知りたい。我々がやってきたこととは、何だったのか。『核』に頼って力をつけることは正しかったのか。それを突き止めたい」
それを伝えると、シェラドも力強い瞳を向けてくる。
「それは私も同じです、ヴァスケス様」
「シェラド?」
「今でもトルーマン様には感謝しておりますし、マナヤのことは憎い。ですが、考え方を偏らせ、『核』の力に溺れていく危険性に、最近気づきました」
自分達が、召喚師解放同盟を追われた際の話をしているのだろう。
ぎり、とシェラドは右拳を強く握りしめていた。その拳に掴まれているヴァスケスの服も、わずかに引っ張られる。
「私達は見極めねばなりません。これまでの行いの、どこまでが正しかったのか。これまで為してきたことに、どのような意味があったのか」
「そう。それが我々の責任だ。我々がやってきたことの行く末を、見届けねばならん」
ヴァスケスは、自身の服を掴んでいるシェラドの拳にそっと手を当てる。
「そのために――」
自然と、二人の言葉が重なっていた。
「――真実を知りたい」
――ピチュ……ン
突如、頭の中に波紋が広がった。
「!」
その感覚にヴァスケスは震える。
心の中の静かな池に、雫が一つ滴り落ちたかのような感覚。
それが波紋を広げ、その波紋をシェラドと共有していることが、ありありとわかる。見れば、シェラドも同様に頭を押さえ震えていた。
「これ、は……ヴァスケス様」
「まさか」
二人は、自分の両手を見つめる。
その両腕に、自分達の体に、虹色のオーラが揺らめいていた。
(まさか、私達が……)
シェラドと目を合わせる。
互いに頷き合い、心の中に浮かんだ言葉をそのまま口に出した。
「【共鳴】」
二人の虹色のオーラが、輝きを増す。
――【真実の瞳】




