2話 召喚師の降臨
突然、浮遊感がなくなり意識が浮上した。
「っ、とっ……どこだここ?」
思わず上体がふらつくが、転倒することはなかった。この体は、床に座りこんでいたらしい。
自分が、黄みがかったハイネックカーディガンに真っ白いインナー、黒いロングパンツを穿いていることを確認する。その上に、ゆったりとした緑一色のローブをも羽織っていた。
思ったより、服装が小綺麗だ。
(俺は、転生できたのか? ここが、異世界なのか)
体を起こし、キョロキョロと部屋の中を見回す。
滑らかな石造りの壁と、それとは対照的に塵だらけの板張りの床。部屋は薄暗く、なんとなく土のような匂いが立ち込めている。
部屋の中は最低限の家具、つまりベッドらしき寝具と戸棚、机、椅子が一つずつあるのみ。机の上には、この部屋の唯一の照明であるロウソクが一つ。いや、よく見るとロウソクではない。燃える葉っぱが一枚、棒の上端に突き刺さっているだけのものだ。
(……大丈夫だ、俺の名前は、思い出せる)
記憶喪失というわけではない。
だが今の自分は、この体の持ち主とは違う。
(この体の、記憶は――)
意識すれば、体の持ち主の記憶を覗けるようだ。
持ち主の名は『テオ』。今年で十六歳になる少年。どうやら暦や時間単位などは、地球と同じらしい。
そしてここはどうやら、テオが普段暮らしている宿舎の中。壊されてもいないし、外が騒がしい様子もない。
(ってことは、あの『神』とやらの言う通り時間が巻き戻ったのか。スタンピード――モンスター大襲撃の直前に)
――〝直前〟。
「ってやべぇじゃねーか!」
慌てて跳ね起きた。
すぐさま外へ飛び出す。不思議なほど違和感のない、ややウェーブがかった自分の短い金髪が視界の端で揺れた。
扉から出て、空を確認。
太陽はすでにかなり傾き、空が赤く染まり始めている。もう、時間がない。
(あんな記憶を、目の前で再現されんのはごめんだ!)
冬が明けたばかりで、夕刻になるとすぐに冷える季節。人がまばらにしか歩いていない通りを、全力で駆け抜けていく。
走りながらいくつかの角を曲がる。時折すれ違う人間からはギョッとしたような表情で振り返ったり、ビクッと引きそうになったりという失礼極まりない反応が返ってくる。
だが、そんなことはどうでもいい。
目的の家……『テオ』の実家にたどり着き、乱暴に扉を開いた。
『父さん、母さん!』
切羽詰まり、中にいる二人に呼び掛ける。
「テ、テオ!?」
「テオ! あなた……!」
記憶の通り、短い金髪の〝父さん〟と長い茶髪の〝母さん〟の二人が彼を驚きの目で見返してくる。
(っと、やべえ)
反射的に『日本語』で喋ってしまっていたようだ。慌ててテオの記憶からこの世界の言語を引き出す。
「と、〝父さん〟〝母さん〟」
二人をそう呼ぶことに、少し抵抗を感じる。
テオの両親は、二人とも白一色のインナーの上に灰色のカーディガンを羽織ったような服、そして黒いズボンを穿いていた。自分が着ている服と比べれば、ずいぶんとシンプルだ。
(ん?)
なぜか、やけに感極まったような表情でこちらを見てくるテオの両親。一瞬首を傾げるも、今はそれどころではない。
「二人とも、落ち着いて聞いてくれ! もうじき南西の門からモンスターの大襲撃……スタンピードが来る、すぐに避難するんだッ!」
この体はもっと丸い口調をしていた。しかし、今更そんな言葉遣いをするのも性に合わない。
「な……スタンピード? どういうことだ!?」
それを聞いた〝父さん〟が慌てて両肩を掴んでくる。
「俺はこの後、すぐ襲撃を抑えに向かう! 〝父さん〟は〝母さん〟を連れて避難してくれ!」
「ほ、本当にスタンピードが来るというのか? それなら、私も――」
「〝母さん〟を守れなくなるだろーが!」
そう言って〝母さん〟の方を見やる。
彼女は左腕が無かった。
「あなた……テオ」
母――サマーが心配げに、こちらと父さんのスコットを交互に見やる。スコットはぎゅ、と唇を噛んだ。
「……わかった。母さんのことは私に任せろ」
「ああ、それと〝シャラ〟のことも頼んだ」
シャラ。今年で十八歳になる、テオの幼馴染だ。
六年前にモンスターによって彼女の両親が殺されてしまい、その後はテオの一家が何かと彼女の面倒を見ていた。
「シャラちゃんは丁度今、南区画の錬金装飾の魔力充填に行ってるわ」
「すぐに探しにいかなければ……!」
焦るサマーの言葉を受け、スコットがすぐさま外を見やる。どうやら、シャラはすぐに見つかる場所にいるわけではないらしい。
ならば。
「とにかく、俺はもう門へ行く! 〝父さん〟と〝母さん〟も、周りの人たちに警告してくれ!」
自分がモンスターどもをここに入れなければいい。それだけのことだ。
「ま、待ってテオ!」
が、飛び出そうとする彼をサマーが呼び止める。
振り向けば、サマーはややひきつった顔で。
「あなた、本当にテオなの!?」
一瞬。
彼の全身が、ビクリと震えた。唇が白くなる。
「……説明は後だ!」
歯ぎしりしながら、誤魔化すように駆け出した。
(〝テオ〟じゃねえ。今の俺の、名前は)
彼は身を翻し、家を飛び出して南西の門へと向かう。
とにかくテオの両親らは村の中央に避難してくれれば安全だ。第二波に巻き込まれることもない。
息が切れるのも構わず、走り続けた。
◆◆◆
――この世界は一体どうなっているのか。
走る彼は、テオの記憶を読む。
この世界に伝わっている召喚師の戦い方を。
『召喚したモンスターには、必ずすぐに【行け】の命令を下しなさい。戦闘中は、【待て】や【戻れ】の命令は必要ありません』
『遠距離攻撃モンスターを呼んだら、なるべく召喚師はその傍を離れないように。いざという時に後衛である我々召喚師の盾にもなります』
『戦いは質より量です。大軍なら多少の相性は無視して敵を圧倒できますし、仲間や召喚師自身の〝盾〟が増えて安全を確保できます』
『召喚師は召喚獣を〝補助魔法〟で援護できますが、手駒が増えるわけではありませんし制限時間もあるので、あまり意味がありません。マナは魔法よりも召喚に費やしなさい』
王都の学園で、テオが教官から教わったという内容の数々だ。
(なんじゃこりゃ。ゲーム初心者がやらかしそうなミスを網羅してんじゃねーか!)
この世界での召喚師がロクに戦力になっていないのも当然だ。
そんなことだけで、この世界は召喚師が蔑まれているというのか。よりにもよって、大好きな召喚師が。
そして、彼はようやく南門に到着。
「ちィッ」
そのころには既に、モンスター達が襲撃を始めていた。門と周辺の防壁は崩壊。門を警備していた衛兵がモンスターの大軍への対処に当たっている。
だが敵の後続はまだまだ多い。ここが完全に突破されてしまうのも時間の問題だ。
――ドウッ、という鈍い轟き。
すぐ近くで、巨大な赤い光の柱が天高く立ち昇っていった。魔法の救難信号だ。
周囲が真紅に照らし出され、モンスターたちの姿が闇夜に不気味に浮かび上がる。ぞくり、と背筋に冷たいものが走った。
(本当に、ゲーム通りの戦い方で大丈夫なのか?)
ここはもはやゲームではなく、現実だ。
もし、神の言っていたことが間違いだったら?
もしモンスターの挙動が、彼が知っている戦闘システムが、この世界では通用しなかったら?
「だああクソッ! もし間違ってたら、神のやつ絶対しばく!」
彼は、腹をくくった。
「召喚、【猫機FEL-9】!」
手を目の前にかざし、金色の紋様を発生させる。その中から、小さな青い猫が姿を現した。
普通の猫ではない。姿かたちこそ猫そのものだが、青い金属で造られた精巧なロボットだ。猫機FEL-9、下級モンスターのひとつである。
ピクリ、と押し寄せてきているモンスター達が反応。
「ここまではゲーム通り。いくぜ!」
足元で佇むその青い猫ロボットを見下ろし、一つ頷く。
その猫ロボットを置き去りにし、彼は駆け出す。突っ込む先は、門を破壊し侵入してきているモンスターの群れ、そのただなかだ。
「【戻れ】」
走りながら、彼はそう命令を下す。
すると、猫機FEL-9は彼の方へと駆け寄り始めた。素晴らしいスピードで、あっという間に追いつく。
(よし、システムも一緒だ。感覚としては、VRスタジアムでのプレイと同じ。なら、いける!)
猫機FEL-9の動きに、彼は満足。
猫ロボットは追いついた後、走り続けるこちらの足元をくるくると反時計回りに周回しはじめる。
『召喚したモンスターには、必ずすぐに【行け】の命令を下しなさい。戦闘中は、【待て】や【戻れ】の命令は必要ありません』
テオの記憶では、教官がそう教えていた。が、前世で兄が言っていたことは、全く違う。
『【行け】【待て】【戻れ】の三つの命令は、状況で使い分けるのが基本だぞ。要らない命令なんて無いんだ』
(まず、敵を分断する)
自分の足元を周回する猫機FEL-9を引き連れたまま、モンスターの群れへと突っ込んでいく。
その大軍に到達する寸前で――
(――今だ!)
方向転換。
左に曲がり、まだ健在な防壁沿いに走り抜けていく。猫機FEL-9もついてきた。
防壁の上で攻撃していた弓術士の一人が、ぎょっとこちらを見下ろす。
「き、君! 一体何を……えっ?」
だがちょうどその時、モンスター群の半数ほどが彼……正確には、その足元を周る猫機FEL-9へ殺到。モンスターたちはそのまま、崩れかけた防壁の内側沿いに走り抜ける彼を、追いかけてくる。
計算通りだ。
駆けながら彼は、防壁の上にいる弓術士を見上げた。
「釣ったこの団体は、俺が引き受けます! そっちは頼んだッスよ!」
「お、おいっ!?」
呼び止める声を背に、駆け続ける。
防壁のすぐ内側を沿うように走れば、モンスターたちもちゃんとこちらを追いかけてきた。
「ひ、ひぃっ……」
「なに!?」
が、前方に地面にへたりこんでいる、緑髪おかっぱ女性の姿が。突撃してくるモンスターの群れを見て、腰を抜かしてしまったのか。
このままでは、彼女が轢かれかねない。
「ッチ、来い!」
「えっ? あ、きゃっ」
彼女の腕を掴み、強引に立ち上がらせる。
そのまま腕を引っ張り、駆け続けた。
なかば引きずられるように引っ張られる彼女は、後方を見て顔をひきつらせている。
「なな、なんでこんなたくさんのモンスターが追ってくるんですかあ!?」
「いいから走れ!」
足をもつれさせながらも、なんとか彼女はついてくる。
村の南側を目指し、防壁沿いに少し走り続けたところで……
「あ、あの! どうしてFEL-9を『戻れ』命令にしてるんです!?」
「あ!?」
多少は落ち着いたか、引っ張られている緑髪の女性が必死に問いかけてくる。
そこでようやく気づいた。彼女は、自分と同じ緑ローブを纏っている。
「そうか、あんた俺と同じ召喚師か!」
「は、はい! どうして『戻れ』命令に!? 召喚獣は、『行け』命令で敵に突っ込ませるのが鉄則じゃ!?」
「ッ、まずいこっちだ!」
「きゃっ」
彼は急に右へと大きくサイドステップ。
女性もグイっとそちらへ引っ張られる。
釣られたかのように、猫機FEL-9も右へ急制動をかけた。
直後、ドスドスと地面に突き立つ矢や糸塊。
ついさっきまで猫機FEL-9がいた位置だ。追ってくるモンスターたちが放ってきた射撃攻撃である。
(よし、今んとこ何もかもゲーム通りだ!)
駆け続けながら、バクバクと鳴っていた胸を内心撫でおろす。
一方、首だけ後ろに向けた女性が、引っ張られながらも目を見張っていた。
「え? 召喚獣は、敵の攻撃を避けたりしないはずじゃ……」
「『猫バリア』戦法だ!」
「ね、ねこばりあ?」
前方に向き直り駆け続けながら、彼は説明しはじめる。
「『戻れ』命令を下した召喚獣は、召喚師の近くに寄ってくる! 近くまで戻ったら、以後は召喚師の周囲を周り始める! それは知ってるな!?」
「は、はいっ」
「猫機FEL-9にゃ、『敵モンスターの標的になりやすい』って特性がある! だから敵の攻撃は俺の周りを回ってるFEL-9の方にだけ集中するんだ! そのぶん、逆に俺自身は安全になるんだよ!」
猫機FEL-9は、ただでさえ機動力が高い。サイズも小さく、狙いをつけにくい。
それが召喚師の周囲を高速でぐるぐる周ることで、さらに攻撃が当たりづらくなる。
「その上で、俺自身もこうやって不規則に動き続ける! そうすることで――」
言いながら彼は、走り方を蛇行するような軌道に変更。
猫機FEL-9は、より複雑な軌道で動き回る。
蛇行するマナヤの動きに加え、猫機FEL-9はそれを追従しつつ彼の足元でさらにくるくると周回し続けているためだ。
次々と射かけられてくるモンスターらの射撃。しかしFEL-9は結果的にそれらをことごとく避けていた。
「――より攻撃が当たりにくくなって、さらに時間稼ぎができる! これが『猫バリア』だ!」
「よ、よくわからないんですけど!」
「今はわからなくていい、とにかくこのままピッタリついてこい!」
「あ、あの! どうしてこんなことを知ってるんですか!? あなた確か、テオくんですよね!?」
必死についてきながら、緑髪おかっぱの女性召喚師の問い。
彼の背筋に、寒気が走った。
『あなた、本当にテオなの!?』
先刻のサマーの問いと被る。
だが払うように頭を振り、彼は顔を上げた。
「テオじゃねえ、俺の名前は――」
ザ、と彼は足を止め、背後のモンスター達を睨み据える。
「俺は河間真也……いや、召喚師マナヤ! 勝負開始!!」
――史也兄ちゃんと『サモナーズ・コロセウム』で培った、召喚師の戦い方を見せてやる!