184話 還
アシュリーは、暗い領都をとぼとぼと歩いていた。
「……」
冬の冷たい空気が、彼女のサイドテールをなびかせる。それでも、顔を上げる気にはなれず、地面に視線を合わせたまま、どこへともなくゆっくりと歩き続けた。
思い起こすのは、先ほどまで聞き込みしていた領民の話。
『ブライトン? ……ええ、あの男は私の従姉妹一家を皆殺しにしたのよ。どうして、あの子達が死になきゃいけなかったのかしら……』
『亡き父は、ブライトンの凶行から私達を救うために、命を落とした。嗤いながら父を惨殺していたあの男の表情……今でも、許せる気がせんよ』
『あの男はかつて、儂の妹を……すまん。お前を守ってやれなくて、本当にすまん……』
ブライトンのことを、誰に聞いても同じだ。
出てくる言葉は、その男への恨み言ばかり。
(……言えなかった。まさかその男が、あたしの父親だなんて)
あからさまな、ブライトンへの嫌悪。
それを見せつけられたアシュリーは、今さら彼の娘だなどと告白することはできなかった。
(何やってたんだろ、あたし……)
星が瞬き始めた空を仰いで、目を細める。
(あたしに、マナヤを責める資格、無いじゃない……)
ずきり、と胸の痛みが増す。
風でサイドテールが揺れた。視界に、その結び目につけている髪留めが映る。マナヤから貰った、五芒星の髪飾りだ。
その髪飾りを触れようとして……その手前で、手を引っ込めてしまった。
『貴女の夢は、英雄のお父君に追いつくことだった。ならば、貴女をそう育てた父親は殺人鬼ブライトンではなく、「英雄ブライトン」です』
先程のランシックの言葉を思い出す。
(そんなこと、言ったって)
けれど、そんなことは無責任ではないのか。
父のしでかしたことを、自分もどうにか贖わなければならないのではないか。
責任から目を逸らして、本当にいいのだろうか。
(……あれ)
ふと、気付いた。
ランシックの台詞と同じような言葉を、つい最近聞いた覚えがある。
『アシュリーさんは、本当にそれでいいんですか?』
『アシュリーさんのお父さんは、英雄だったはずです』
「!」
思い出した。
召喚師の集落を出る前に、シャラが口にした言葉だ。
(……シャラ)
今さら気付いた。
あれは、そういう意味だったのだ。マナヤが殺した『ブライトン』と、アシュリーが信じる英雄の父親は、別の存在だと。
ランシックと同じことを、彼女は言いたかったのではないか。
英雄の父を目指したいなら、目指してもいいんだと。
重罪人を父と信じたくないなら、信じなくてもいいんだと。
「……っ」
俯いたまま、さらに強く髪飾りを握りしめる。
冷たい風が吹き抜けた。
「――お、おい? あんた、大丈夫か?」
側面から、男性が声をかけてきた。
顔を上げれば、ややウェーブがかった金色の短髪を持った男性が、心配そうにこちらを見ている。歳はアシュリーと同じくらいだろうか。背丈も、自分よりもほんの少しだけ高い。
(マナヤと、同じ髪色……)
茫然と、そんなことを考える。
が、当のその男性は、アシュリーの顔を見てハッと息を呑んでいた。
「あ、アシュリーさん!? ここ、こんなところで、何を!? 奇遇ですね!」
と、ほのかに頬を染め、若干裏返り気味な声で話しかけてくる。
(……?)
なぜか、内心首を傾げげてしまうアシュリー。
おかしい。
なぜ自分は、こんなに落胆したのだろう。
マナヤと髪が似ていて、けれど別人だったからだろうか。それとも、『マナヤが来てくれた』とぬか喜びしたからだろうか。
(……違う。そういうのじゃない)
声をかけてきた時と違って、妙に丁寧な口調になってしまった男性を見上げる。
彼は、不安そうに問いかけてきた。
「あの、大丈夫ですかアシュリーさん? その、何か気分でも?」
「あ……いえ、問題ないわ。心配かけたわね」
なんとか気丈に笑顔を浮かべてみせる。
ほおっと安堵の息を吐いた男は、唐突に顔を引き締めてアシュリーに歩み寄ってきた。
「その、アシュリーさん」
ゆっくりとした動作で、彼はそっとアシュリーの右手を取る。
「先ほどのアシュリーさんの雄姿に……惚れました。俺の、嫁になってはもらえませんか」
男は緊張の面持ちでアシュリーの手を取り、そっと自身の両手で包み込んできた。
求婚の作法。こちらの国でも、その作法は同じなようだ。
「……!」
その時。
アシュリーは、先ほど落胆した感情の正体に、ようやく気が付いた。
(……マナヤ!)
ぎゅ、と空いた自身の左手で服の端を握りしめる。
――ドウッ
「えっ!?」
「な、なんだ!?」
その時、突然背後から救難信号の音がした。
慌ててそちらへと向き直る。目の前の男も、思わず包んでいた両手を解いて同じ方向へ振り返っていた。
(あ、白……何かの合図、か)
アシュリーはすぐに警戒を解き、踏み出しかけた足を止める。
――チャラッ
「?」
その時、自分の懐から何か音がした。
防寒具のポケットからだ。ここに何か入れたような記憶はないのだが。
「な、なんだ人騒がせな……あ、あの? アシュリーさん?」
「……」
安堵し再び手を取ろうとした男を放置し、アシュリーはポケットの中身を探って取り出す。
そこから出てきたのは……
(……『俊足の連環』に、『跳躍の宝玉』?)
リングがいくつも連なったチャームがついたブレスレットと、玉を抱えた兎のようなチャームがついたブレスレット。
足を速くする錬金装飾と、ジャンプ力を大きく高める錬金装飾だ。
(もしかして、あの時?)
昨晩、アシュリーが召喚師の集落を飛び出した時。
去り際に、何かの光が自分の後をついてきたような気がした。あの時は気のせいかと思ったのだが。
錬金術師の、『キャスティング』。
錬金装飾を離れた場所へと送る、錬金術師の魔法だったのだろう。
――いつでも、戻ってきていいんですよ――
受け入れるように、優しく両腕を広げながら……
そう、暖かい笑顔で告げるシャラの姿が、見えた気がした。
「……っ!」
その錬金装飾二つを、握りしめる。
「あ、あのアシュリーさん。さきほどの続きですが――」
「ごめんなさい!」
改めて手を差し出そうとしてきた男を、アシュリーは謝罪して遮った。
「え? へ……?」
「あたし、もう心に決めた人がいるから! あなたの気持ちには応えられないわ!」
そう言って、アシュリーは彼の傍らを全速力で走り抜ける。
目指すは、北の門。森を抜けた先にある、召喚師の集落。
マナヤのいる、あの集落へ。
「ごめんね、ありがとう! 使わせてもらうね、シャラ!」
アシュリーは、二つの錬金装飾を両手の手首に装着した。
――【俊足の連環】
――【跳躍の宝玉】
途端に、体が一気に軽くなる。
思いきり地を蹴ったアシュリーは、門の上をひとっ跳びで飛び越えた。
(そうだったんだ。あたしが、マナヤのことを好きになったのは……!)
森の中を跳び、駆け抜けながらアシュリーは心の中で独り言ちる。
あの時からずっと、マナヤへの恋心を偽物だと考えようとしていた。
自分の父親を殺したマナヤのことを、憎もうとする気持ちを捨てられなくて。
だから、自分に言い訳していた。自分がマナヤのことを好きになったのは、シャラの言葉のせいなのだと。
けれど、そうではなかった。
先ほどの求婚で、ようやくそのことに気付いた。
(セメイト村でも、何度か求婚されたことがあった。でも!)
成人の儀を受け、村に戻ってきたアシュリーは、すでに随一の剣士としての腕前を持っていた。
無論、それだけで終わるアシュリーではない。本格的にヴィダの指導を受けてからは、さらにそれが伸びていった。
いつしか、ヴィダ以外にアシュリーに勝てそうな村人は、いなくなっていた。
そのためか、アシュリーと年代の近い者達は、男女問わずアシュリーを尊敬するようになった。以前はもっと気楽な感じで会話していた者達も含めて。
『おっアシュリー! 今度また、模擬戦やろうぜ!』
そんな風に話しかけてきていた、アシュリーと同年代の村人。
それが、アシュリーが力をつけてきた後は……
『凄かったッスね、アシュリーさん! 今度、稽古つけてくれませんか!』
目上のように扱われて、悪い気がしなかったわけではない。
頑張った自分の実力が認められたようで、誇らしくすらあった。英雄と呼ばれた父親に近づけたようで嬉しかった。
けれども……
そんな男たちに求婚されても、なぜか受け入れる気になれなかった。
今なら、その理由がわかる。
(海辺の開拓村で出会った、コリィのお兄さんのデレック。彼も、そうだった)
『なんだ、そっちの人達は生魚がダメなんだ? だらしねー』
最初に会った時は、そんな風に接していた彼。
けれどアシュリーが召喚獣を投げる指導をするようになった後は……
『は、はい! あのアシュリーさん、ありがとうございました!』
『も、もしよかったら、うちで暮らしませんか!』
皆、自分に遠慮するように話しかけてくる。
自分の隣ではなく、後ろをついてくる。
そんな者達に求婚されても、受ける気になれなかった。生涯を共にできる気がしなかった。
(みんな、みんな……あたしの隣から、離れていく)
……そんな中。
一人だけ、例外が現れた。アシュリーと同じ思いを抱えていた者が。
『お前にまで遠慮されちまったら、俺はどうすりゃいいんだよ?』
一度この世界から去ってしまったと思っていて、それでも戻ってきてくれた彼。
そんな彼が、気を遣おうとする自分に対して言ってきた言葉だ。
どんなにアシュリーが自身の力を見せつけても、軽口を叩き続けられる相手。
自分よりも年下でありながら、自分よりもスケールの大きなことを平然と行う召喚師。
それでも、アシュリーの前でも後ろでもなく、『隣』を選び続けてくれた人。
(だから、あたしはマナヤのことが……!)
自分の気持ちは……シャラに焚きつけられてなど、いなかった。
(ランシック様の言う通りだった。大事なのは、『価値観』なんだ!)
もう、二度と彼を疑わない。自分の気持ちに嘘などつかない。
やっと、見つけたのだから。自分の後ろをついてくるのではなく、『隣』を一緒に歩いてくれる人が。
それが、アシュリーが最も優先する『価値観』だ。
会ったことすらない実の父親よりも、大切にしてきていたものだ。これまでも、そしてこれからも。
――ドウッ
「えっ!?」
突然、視線の先に橙色の救難信号が上がる。
ちょうど例の集落がある位置だ。
「まさか、とうとうあいつらが襲撃してきたの!?」
さらに加速する赤い疾風。丘を一気に跳び越え、太い木の枝を足場に木々の間を駆け抜ける。
急げ。
召喚獣のコントロールを奪取できる敵がいる今、対抗することができるのは自分しかいない。
(ごめんね、こんな時に勝手なことしちゃって! 今戻るから!)
ひたすらに、ひたむきに、アシュリーは集落へと駆け続けた。




