172話 川岸の遭遇戦 急変
商人ウォースに運搬テストの協力をしてもらった、三日後の昼。
「【跳躍爆風】!」
パトリシアが叫んだ。
彼女とマナヤを乗せたゲンブが、波を蹴立てて高速移動。川上に向かって一気に突き進んでいく。快晴の日をめいっぱい浴びている川面はキラキラと煌めき、この季節にしては暖かく爽やかな雰囲気を醸し出していた。
「次は……」
パトリシアはウェーブがかった緑髪を靡かせながら、川の流れをじっと真剣に見つめていた。
川が、カーブに差し掛かる。
「……こっち! 【跳躍爆風】!」
その瞬間、パトリシアはまた呪文を唱えた。
角度を変えて発動したその跳躍爆風で、ゲンブは曲がる川の流れに沿ってスムーズに滑っていく。ほとんど減速せず、カーブを曲がり切った。
「素直に巧いな、パトリシアさんよ」
パトリシアの後ろに同乗していたマナヤが、思わず感嘆混じりに褒める。
「ふふっ。マナヤさんが手放しに褒めてくださるのって、初めてですね」
嬉しそうに笑うパトリシア。生き生きとした目で前を見据えたまま言う彼女は、輝いているように見えた。いつだったかの、常に怯えていた彼女の姿が嘘のようだ。
マナヤは苦笑しながら頷いた。
「まぁな」
実際この手並みを見れば、さすがのマナヤも舌を巻かざるを得ない。
彼女は川のカーブに合わせて、ゲンブの慣性を感覚的に計算しながら滑らかに移動させている。先に練習ができていたはずのマナヤやテオよりも、ずっと巧い。
「けど、なんでこんなに巧いんだ?」
「え?」
首を傾げながらパトリシアが振り向く。
風になびく緑の髪。その先端がマナヤに掠めて、頬に少しこそばゆい感覚が残った。
「だってよ。あの集落の他の連中なんざ、めちゃくちゃおぼつかなかったんだぜ。なんでパトリシアさんだけこんな鮮やかなんだ?」
マナヤは……というよりテオは、あれから集落の者たちにもこの移動法を教えていた。
だが大半は、かなり下手だった。川べりに何度もゲンブやナイト・クラブをぶつけてしまい、その度に停止を繰り返してばかりだったのだ。
なのにパトリシアだけが、妙に巧い。
「え……い、いえその」
パトリシアは、急にどもりながら視線を泳がせていた。
自然とマナヤの目が鋭くなる。
――ここマで巧いノは不自然。今のうチに、花機SOL-19で焼き殺シてしマえ――
例のごとく浮かぶ『殺しのビジョン』。
その影響もあってか、マナヤの心に疑念が湧き始める。なにか企んでいるのではないかと。
(……ばかばかしい)
が、マナヤは自らかぶりを振った。
(やっとアシュリーがいなくても、殺意を制御できるようになってきたんじゃねえか。今さらこんなもんに踊らされるな、俺)
なんとか自分を落ち着けようとするマナヤ。
「じ、実は」
そこへ、おずおずとパトリシア口を開く。
「わたし、ずっと練習してたんです。この方法を教えてもらった日から」
「練習?」
「その、巧くやれるようになれれば、マナヤさんに褒めてもらえるかなって」
と、頬を染めながら前方へと顔を逸らしていた。
「お、おい――」
「それに」
思わず一言物申そうとしたマナヤに被せるように、パトリシアが付け加える。
「わたし自身、すっごく楽しいんです。わたしが、こんなに自由 に動き回れるのが」
「……」
今さら思い出した。彼女は、長いこと捕虜だったのだ。
どんな表情をして対応すれば良いか、マナヤは迷ってしまった。
「っと、まただいぶ川幅が広がってきてるんだな、この辺は」
胸の痛みをごまかすように、周囲を見回してそう言った。
パトリシアも頷く。
「そうですね。さっきからどんどん広くなってます。その分、流れも遅めですね」
地形も割と平坦になっているためか。先ほどから川の流れが遅くなり、そして反比例するように川幅はどんどん横に広くなっていた。
この辺りは既に、川幅が十メートルほど。対照的に水深はかなり浅瀬になっているようだ。
(……結局、こっち方面にも無かったな。『黒い神殿』)
周囲を見回しつつ、マナヤは内心嘆息していた。
黒い神殿を探す。それも、この移動練習の目的に含まれているのだ。
(ディロンたちも結局、まだ見つけられてねえみてーだし)
ウォースと共に、運搬法の実験をした日のこと。
あの後テオたちが集落に帰還すると、入れ違うようにディロンとテナイアも集落周辺の捜索へと向かった。だが、日が沈んでから二人が戻ってくると……
『くまなく探したが、やはりこの周辺には見当たらない。地理に明るい集落の者にも案内してもらったのだが』
そう、ディロンが悔しそうに語っていたのが印象的だった。
黒い神殿は、集落の近くにある。そう言いだしたのが誰あろうディロンだ。自責の念もあるのかもしれない。
(だとしたら、一体どこにあるってんだ? 『黒い神殿』ってのは)
苛立ちまぎれに、改めて草原のように見通しが良い周囲を見回しなおす。
そこへ、パトリシアが叫んだ。
「――あ、マナヤさん!」
「なんだ、何か見つけたか!?」
鬼気迫る様子で振り返るマナヤ。
が、パトリシアは妖艶な笑みを浮かべながらこちらを見つめていた。
「今、わたしとあなたで二人きりですよね!」
「……おい」
マナヤは、あからさまに顔をしかめた。
「まさか、約束を忘れちゃいないでしょうね? パトリシアさん」
「いいじゃないですか、求婚してるわけじゃないんですから」
と、わざとらしく体を後方へずらし、マナヤへとすり寄ってくる。
「あのな、あんたが真面目にやるっていうから、俺付き添いでの練習を許したんですよ」
「今ならアシュリーさんだって見てませんし、こんな時くらい、ね?」
「よし、俺ちょっと今すぐテオと交替して――」
「ま、待って待って! もう、なんでそんな意地悪するんですか!」
切り札を持ち出して、ようやくパトリシアは膨れっ面ながらマナヤから離れ、前方に集中する。
マナヤは大きくため息をつき、視線を逸らした。
「……あれ? あの、マナヤさん」
が、パトリシアが前方を見つめながらマナヤの肩を揺すってくる。
「あ!? 今度は何を企んでるんで?」
「ち、違いますって! アレです、何か向こうから上ってきます」
パトリシアが跳躍爆風の連射を中断し、前方を指さしている。
前方を向き直り、目を凝らすマナヤ。
「……あれは」
思わず目を細める。
銀色の何かが、川を上ってこちらに近づいてくるのが見えた。よく見覚えのあるシルエットだ。
「あの銀色……野良のナイト・クラブか? パトリシアさん、対応できるな?」
「えっと……マナヤさん。あのナイト・クラブ、誰かが乗ってます」
「なんだと?」
パトリシアの指摘に、もう一度目を凝らす。
確かに、人影がナイト・クラブの上に乗っていた。今自分達が乗っているゲンブと同様、瘴気を纏っていない。跳躍爆風で川面を滑らせるように移動しているのも同じようだ。
(この方面に、俺たち以外に練習してるチームはいなかったはず……まさか!)
険しい顔でその人影を睨みつけながら、マナヤはパトリシアにそっと囁いた。
「パトリシアさん、俺をその辺の岸に下ろして、集落に戻れ」
「え? で、でもマナヤさん?」
「急げ! もしかしたら、あいつは――」
この移動法を使う相手は、限られる。
居るとすれば、おそらくはマナヤ達よりも先にこの移動法を思いついたであろう、あの組織。
ようやく、顔を確認できる距離まで近づいた。
深緑のローブを羽織り、蒼い前髪を降ろしたその男は……
「……! 貴様、マナヤァッ!!」
「ヴァスケス!」
唐突といえば、あまりにも唐突。
だがマナヤとヴァスケス、お互いの目に一瞬にして殺気が満ちた。
「ちっ! パトリシアさん、とにかく早く戻れ!」
「で、でもマナヤさん!?」
「お前を守ってる余裕は無ぇ、邪魔だッ!」
戸惑うパトリシアを叱り飛ばす。
少なくとも、ここに来るまでの間には誰も出会わなかった。同じ道を通れば、他の敵に鉢合わせはしないだろう。仮に鉢合わせてしまっても、パトリシアの跳躍爆風の腕なら振り切れるはずだ。
それより、ヴァスケスにパトリシアを人質に取られる方が厄介なことになる。
ひらりと、強引にゲンブから飛び降りて左の岸に着地するマナヤ。
逡巡していたパトリシアだったが、いつになく険しいマナヤの横顔を見て、覚悟を決めたようだ。上流の方を向き、跳躍爆風で川を一気に上っていった。
――マナヤ、気をつけて!
頭の中で声をかけてくるテオ。
(大丈夫だ! お前は、無関係な奴が現れて俺がそいつを攻撃しちまいそうになったら、すぐ俺を止めてくれ!)
――うん!
テオが待機する気配が伝わってくる。
今のマナヤでは、戦いの最中で敵味方を選別する余裕が持てないかもしれない。もし無関係の通行人が現れたら、テオに止めてもらわねばならない。
その頼もしさに安心感を抱きつつも、マナヤはすぐにヴァスケスへと意識を集中した。ナイト・クラブを、跳躍爆風で川岸へと寄せてきている。
(……やっぱり、召喚師解放同盟もこの移動法を)
十数メートルほど離れた位置で、ナイト・クラブを岸に着けたヴァスケスとにらみ合った。
二人の気迫で、空気が震えはじめる。
(勝負開始!)
頭を戦闘モードに切り替えた。しんとマナヤの心が沈み、溢れ出る『殺しのビジョン』に遠慮なく身をゆだねる。
先に静かに口を開いたのは、ヴァスケスの方だった。
「こんな所で、貴様と出会うとはな。マナヤ」
「……【スター・ヴァンパイア】召喚!」
すぐさまマナヤは召喚紋を目の前に展開。
冒涜系の上級モンスター、スター・ヴァンパイア。透明で姿は見えないが、今しがた召喚されこの場に佇んでいるはずだ。
ヴァスケスは、青く長い前髪の隙間から殺気の篭った目で睨みつけてきた。彼のナイト・クラブもその横に佇んでいる。
「貴様と戦うのはまだ時期尚早かとも思ったが、出会ってしまったならば是非もない! トルーマン様の仇、取らせてもらう!」
「こっちの台詞だ! 生きてやがったってんなら、今度こそ覚悟しやがれ! 父さんと母さんの仇、最後の一人まで取ってやらぁ! 【戻れ】!」
互いに啖呵を切り合い、マナヤは一旦スター・ヴァンパイアを撤退させる。
そのまま、マナヤ自身が駆けた。
ヴァスケスを目掛けて、一直線に突撃していく。ナイト・クラブを無視し、ヴァスケスを直接スター・ヴァンパイアで叩きに行く算段だ。
「甘い! 【鎚機SLOG-333】召喚!」
しかしヴァスケスも手をかざし、巨大な召喚紋を展開。
中から銀色の巨体が現れた。
樽のような金属製の胴体、その下部に車輪が生え、上端には半球の頭部を持つロボット……機甲系の最上級モンスター、鎚機SLOG-333だ。
(初手でいきなりか、わかってやがる!)
マナヤは一旦その場で立ち止まり、手をかざした。
「【グルーン・スラッグ】召喚! 【行け】!」
人間より二回り大きい、巨大なナメクジを召喚。
冒涜系の中級モンスター、『月桂の蛞蝓』。ぶよぶよとした肉体で打撃を受け付けず、強酸で攻撃できるモンスターだ。
ずるずると、雪が少し被っている黒い地面を這っていくグルーン・スラッグ。
対する鎚機SLOG-333は、鈍い振動音を立てはじめた。
胴体にくっつけていた三つの巨大な鉄槌が、宙に浮かびあがる。攻撃体勢だ。
「【電撃獣与】!」
途端、ヴァスケスが呪文を唱える。
鎚機SLOG-333の三つの鉄槌が、電撃が纏った。
そのまま鉄槌は、グルーン・スラッグへと飛びこんでいく。
「……」
電撃防御で対応できるタイミング。
が、マナヤはあえて何もしない。
――バヂヂヂィッ
一気に飛来した鉄槌が、三つ全てグルーン・スラッグに同時に直撃。
打撃自体は軟らかく受け止めたが、電撃は防げない。
グルーン・スラッグの肉体が一気に焦げる。
ヴァスケスが片眉を吊り上げた。マナヤが防御魔法を使わなかったのが予想外だったのだろう。
しかし、そこでようやくマナヤは手を差し出す。
「【電撃防御】!」
水色の防御膜が巨大ナメクジの全身を取り巻いた。
直後、グルーン・スラッグが頭部の触手から強酸を吐き出す。
それが、鎚機SLOG-333に振りかかった。ジュ、と溶けるような音を立て、金属の体が煙を吹きはじめる。
「ふん」
だが、想定していたと言わんばかりに、ヴァスケスが鎚機SLOG-333へ手をかざした。
「ならば【精神獣――」
「【スター・ヴァンパイア】、【行け】!」
「なに!?」
しかし既に、マナヤはヴァスケスのナイト・クラブの元へとたどり着いていた。
ヴァスケスが瞠目。スター・ヴァンパイアの透明化が解除され醜悪な体を晒す。
「【火炎獣与】!」
その瞬間、マナヤはスター・ヴァンパイアが振り下ろそうとした鉤爪に炎を纏わせた。
紅い火炎が取り巻きながらナイト・クラブの甲羅を襲う鉤爪。
ナイト・クラブの強固が甲羅を、炎の鉤爪が焼き斬った。
裂けた甲殻から飛び散る、青い鮮血。それが、スター・ヴァンパイア全身に生えたウツボのような突起に吸い込まれていった。
「ちっ、【火炎防御】」
舌打ちしたヴァスケスの防御魔法。
鎚機SLOG-333を橙色の光膜が取り巻いた。ナイト・クラブは切り捨てるつもりだ。
(やっぱりコイツ、判断は良い)
ヴァスケスの適格な判断に、マナヤは舌を巻く。
どうせナイト・クラブを守ろうとしたところで、スター・ヴァンパイアに押し切られる。ヴァスケスはそう判断し、鎚機SLOG-333の保身を優先したのだろう。残り少ないマナの使いどころをわきまえたのだ。
スター・ヴァンパイアの鉤爪数撃で、ヴァスケスのナイト・クラブは倒され消滅。
マナヤは鎚機SLOG-333へと振り向く。
「次はお前だ、SLOG-333! 食らえッ――」
「……【戻れ】」
「!」
ヴァスケスの命令に、マナヤはたたらを踏んだ。
鎚機SLOG-333が、すぐさまヴァスケスの元へと移動を始める。先ほどまで戦っていたグルーン・スラッグは置き去りだ。
マナヤは目を細めた。
(なるほど)
ヴァスケスの狙いが読めた。
そうこうしている間に、ヴァスケスは川岸から離れるように走り始める。その方向にいるのは、今はまだ透明化しているスター・ヴァンパイアだ。
(やっぱりか! こいつ、鎚機SLOG-333で俺のスター・ヴァンパイアを直接叩くつもりだ)
召喚獣に『戻れ』命令を使い、そのまま召喚師が自ら狙いの敵モンスターへと突撃させる手法。
マナヤが教本にも書いた、『任意の敵を狙わせる』テクニックだ。
さしものスター・ヴァンパイアも、単身で最上級モンスターである鎚機SLOG-333と戦うのは厳しい。ましてや、敵の血を吸うことでHPを維持できるスター・ヴァンパイアにとって、血肉を持たない機械モンスターは相性最悪だ。
「【行け】!」
じゅうぶん近づいたヴァスケスは、改めて鎚機SLOG-333に攻撃命令を下しなおす。
……が。
「な、なに!?」
ヴァスケスが狼狽える。
鎚機SLOG-333は、すぐ近くにいるはずのスター・ヴァンパイアをスルーした。反転し、離れた位置にいるグルーン・スラッグへと突撃していく。
(狙いは悪くなかったよ。だが、経験が足りねえ)
マナヤは心の中でほくそ笑んだ。
たしかに召喚獣は、原則として一番近い敵を狙うようになっている。
が、それは敵のHPに格差が少ない場合の話だ。
片方の敵のHPが極端に低い場合、召喚獣はそちらの敵を優先的に狙うようになる。そうなると、召喚獣をHPが高い方の敵にいくら近寄せようとも、HPが低い敵へと流れて行ってしまうのだ。
そのためにマナヤは、先ほどグルーン・スラッグへの防御魔法を遅らせたのだ。HPをあえて限界まで減らし、囮にし続けるために。
(これでこっちは、スター・ヴァンパイアとグルーン・スラッグの二体がかりだ)
鎚機SLOG-333は、打撃耐性を持つグルーン・スラッグばかり殴ろうとするだろう。スター・ヴァンパイアの安全を確保しつつ、二対一に持ち込める。
「ちっ、ならば【精神獣与】」
ヴァスケスは、鎚機SLOG-333に精神攻撃力を付加した。
電撃を纏っていた三つの鉄槌が、黒いエネルギーに上書きされる。電撃獣与と精神獣与の組み合わせ、『精雷コンボ』である。
黒い雷を纏う鉄鎚が、グルーン・スラッグを直撃。
一撃で魔紋へと還ってしまった。精神攻撃により、グルーン・スラッグ自身のマナが一撃でゼロにされたのだ。
しかし、マナヤはほくそ笑む。
「【精神防御】!」
すぐさま、スター・ヴァンパイアに精神攻撃を防御する補助魔法をかける。
(これで詰みだ)
精神防御で守られた今、鎚機SLOG-333にかかっている精神獣与は意味がない。
逆属性である電撃獣与をかけることも不可能。
「――かかったな」
しかし、今度はヴァスケスがほくそ笑む番だった。
突然目を閉じ、そして高らかに叫ぶ。
「【リミットブレイク】!」
「なっ!?」
思わず目を見開いたマナヤは、慌てて飛び退いて距離を取った。が、次の瞬間。
「ぎ……ッ!」
閃光、そして放出される強烈な電撃。
鉄鎚をスター・ヴァンパイアに叩きつけようとしていた鎚機SLOG-333が、周囲に放電したのだ。
飛びのくのが間に合わず、電撃をいくばくか食らってしまうマナヤ。全身が痺れ、皮膚が焼かれる。
(ぐッ、俺のスター・ヴァンパイアも……!)
そしてマナヤのスター・ヴァンパイアも、電撃に焼かれその体が崩れかけていた。
スター・ヴァンパイアは元々、電撃には耐性がある。が、精神防御をかけたことにより、電撃耐性は精神耐性に反転していた。電撃は逆に弱点属性となってしまっている。
(こいつ、どうしてリミットブレイクを知ってやがる!?)
リミットブレイク。
物理攻撃を行うタイプの最上級モンスターが持つ、特殊な攻撃法だ。攻撃モーション中に、召喚師がその最上級モンスターへ視点変更し、『リミットブレイク』と念じることで発動する。
鎚機SLOG-333の場合は、先ほど見せた周囲への放電だ。絶大な威力を持つ電撃を、通常攻撃と同時に一定範囲内にばらまくことができる。
(確かに一度、テオがヴァスケスらの前でリミットブレイクを披露したことはあったが……!)
自分が『流血の純潔』を散らし、表に出ることを拒否していた間の戦いでのことだ。
しかしあの時、テオはそれを発声はしていなかった。ヴァスケスが『リミットブレイク』という発動キーワードを知るはずがない。
――そう、マナヤが書いた教本を読むでもしない限りは。
(……まさか、こいつ!)
しかし訝しんでいる暇はない。
幸い、ダメージを受けたことでマナも回復した。ヴァスケスを睨みつけながら、後方へさらに飛びのく。
(もしこいつが俺の教本を読んでるとすれば……)
マナヤは、何事かを考え込む。
が、すぐに覚悟を決めたように顔を上げ、懐を探った。目当ての錬金装飾を取り出し握り込む。そのまま手をかざした。
「【魔命転換】!」
まずは、スター・ヴァンパイアの治癒。
魔命転換、『亜空』モンスターを治癒出来る魔法だ。
「悪あがきを! 【秩序獣与】」
ヴァスケスは、鎚機SLOG-333に神聖属性の攻撃力を付加。
青白い神聖な光が、宙に浮く三つの鉄槌を取り巻いた。秩序獣与は、亜空モンスターであるスター・ヴァンパイアの天敵だ。
(いいぞ、そのままマナを消費しろ)
しかし、マナヤはまったく慌てない。
スター・ヴァンパイアが、炎を纏った鉤爪を一閃させた。鎚機SLOG-333の金属の身体を、赤い軌跡が引き裂く。が、火炎ダメージは先ほどヴァスケスがかけた火炎防御により、まったく効いていない。
お返しとばかりに、鎚機SLOG-333が次撃を放った。
神聖な光と、黒いエネルギー。それを同時に纏った三つの鉄槌が、スター・ヴァンパイアへと飛来してゆき――
「【次元固化】!」
――着弾する直前、マナヤは手をかざした。
スター・ヴァンパイアの動きがピタリと止まる。その醜悪な肉体は、三角錐状の黄色い障壁に閉じ込められた。
三つの鉄槌は、その三角錐の障壁に弾かれた。
次元固化――モンスターを一時的に攻撃不可かつ移動不可にする代わりに、無敵化するという魔法だ。
「ふん、だが今度は逃さん!」
それを確認したヴァスケスは、マナヤを睨み据えて叫ぶ。
鎚機SLOG-333が、車輪から土煙を上げてマナヤへと突撃していく。マナヤには今、自身を守ってくれる召喚獣が、いない。
「っ!」
その時、マナヤは握り込んでいた錬金装飾を左手首に装着。
ブレスレットについている、玉を抱えた兎のようなチャームが光った。
――【跳躍の宝玉】
「だあッ!」
その直後、一気に地を蹴った。
大きく宙を舞うマナヤ。幅十メートルほどの川を一息に跳び越え、反対側の岸へと華麗に着地した。
途端に、鎚機SLOG-333がたたらを踏む。
機械モンスターである鎚機SLOG-333は、水に入れない。無理に入るとショートして機能不全に陥るためだ。
「逃がさんと言ったはずだ! 【跳躍爆風】!」
が、ヴァスケスはすぐさま鎚機SLOG-333を跳ばす。
宙を舞う金属の塊。そのまま鎚機SLOG-333はマナヤのいる反対側の岸へと着地し、轟音を立て周囲に積もった雪を舞いあげた。
「――せいッ!」
しかしマナヤは、再び跳躍。
「な、にっ!?」
驚くヴァスケスが、自身の元へと戻ってくるマナヤを目で追う。
「想定通りの動きをしてくれてありがとよ」
もとの場所に舞い戻ってきたマナヤは、めてヴァスケスと対峙。不敵な笑みを浮かべる。
「馬鹿正直に、鎚機SLOG-333とやり合う必要なんか無ぇからな」
川を背に、マナヤは自身の背後に親指を指した。その先では、川の対岸で鎚機SLOG-333が右往左往している。水に入れないため、こちら側へ戻ってこれなくなったのだ。
(やっぱりだ。この野郎、俺が教本に書いた『対野良モンスター戦』の動きをしてやがる)
敵が川の対岸にいるなら、召喚獣を跳躍爆風で跳ばし、送り込む。確かに基本だ。
しかしそれは、あくまでも敵が『野良モンスター』であった場合の話。
対人戦では大抵、補助魔法合戦となる。一瞬の補助魔法をかけ損ないが、敗北につながる世界だ。ゆえに、召喚獣を自身の補助魔法の射程圏外へと迂闊に跳ばすのは厳禁。
だからこそマナヤは、罠にかけた。
ヴァスケスが教本通りに動くならば、その裏をかいてやればいい。
「チッ、この――」
ヴァスケスが横へと走る。
対岸へ渡り、鎚機SLOG-333の元へ向かうつもりだ。
「おおっと、そうはいくかよ! 【ショ・ゴス】召喚ッ!」
その行く手を遮るような形で、マナヤは川を背にして手をかざした。
召喚紋の中から現れたのは、直径三メートルほどの巨大な黒い肉の塊。真っ黒な細胞が無数に集まったかのような醜悪な塊が、じゅくじゅくと気味の悪い音を立てながら蠢いている。
冒涜系の上級モンスター、奉仕種族。
周囲にマナを削る精神攻撃を放つモンスターだ。
「く、おのれ……ッ」
ヴァスケスは慌てて後退する。
マナを削ることができるモンスターがいるとなると、迂闊には近づけない。しかもショ・ゴスの攻撃には、マナを持続的に削る『魔叫』という状態異常まで付加されている。食らえば、大幅な不利は必至だ。
す、とマナヤがショ・ゴスへ手をかざす。
ヴァスケスは反射的に後退しようとするが、踏みとどまり足を彷徨わせた。
「……ッ」
「おっと、【戻れ】」
横へと回り込もうとするヴァスケスの動きに合わせ、マナヤも同じ方向へと移動。
ショ・ゴスも近くへと寄せる。いつでも跳躍爆風で跳ばせるよう、牽制だ。
「貴様」
ヴァスケスが歯噛みし、足を止めた。
マナヤはふんと鼻息をたてる。
「あんたもさすがだな。お前の立ち位置、ショ・ゴスの攻撃の射程外で、しかも跳躍爆風で接敵されもしねえ。絶妙な位置だ」
皮肉を込めて言うが、ヴァスケスは沈黙を保ったまま。マナヤは肝心の質問に入った。
「今のうちに、一つ聞いとくぞ。お前、俺の教本を読んだな? でなけりゃ、リミットブレイクってキーワードを知ってるはずがねえ」
「……」
「まあ、おかげで俺はSLOG-333を無力化できたんだけどよ」
以前の反応から考えても、リミットブレイクの存在を彼らは知らなかったはず。キーワードを知らぬ以上、簡単に発見できるとも思えない。
「答えろ。いつ、どこで俺の教本を読んだ? どの町で奪いやがった」
「……ふん」
ヴァスケスは、脂汗を流しながらも鼻を鳴らす。答える気はないということか。
マナヤは覚悟を消め、殺気を高めた。
「……ま、いいさ。どの道、もう関係ねえよ」
何も答えないなら、トドメを刺すまで。
中級モンスター召喚か上位の補助魔法を使えるだけのマナは回復した。ヴァスケスが何をしようが、もう詰みだ。
マナヤがヴァスケスへと手をかざした、その刹那。
「召喚――ッ!?」
視界の隅に、なにかが映った。
空に、何か巨大な青いものが浮かんでいる。一対の大きな翼を生やした、翼竜のような影。
(なっ!?)
悪寒。
反射的に体が動いた。全身に鳥肌を立たせつつも、ショ・ゴスの背後に回りこみ隠れる。
――直後、眩い稲妻が落ちた。
「くっ!」
閃光と轟音に、思わず目を腕で覆うマナヤ。
ショ・ゴスが稲妻の直撃を受け、その真っ黒い身体がぐらりと崩れかける。マナヤはすぐさま空を見上げた。
凄まじい風圧が、二人の間を駆け抜ける。
空から飛来してきたのは、翼を広げた巨大な紺碧のシルエットだ。
遠目だが、翌長は十数メートルほどか。蝙蝠のような、しかしエメラルド色に煌めく膜翼を大きく羽ばたかせ、空を舞ってまっすぐこちらへと飛んでくる。
翼の持ち主は、首が長く前足が小さい蜥蜴のような姿。その全身は青空よりも深い青一色で、太く長い尻尾を揺らしながら空中でバランスを取っていた。
頭部はワニのようでもあったが、目の後ろから生えている短い円錐状の二本の角は、まったく別の生き物だ。
「――サンダードラゴン!?」
ゲームでも見覚えのあるシルエットに、マナヤが瞠目する。
伝承系の最上級モンスター、四竜の一角である『サンダードラゴン』。
唯一空を飛べる竜であり、その口から凶悪な威力の稲妻を吐くことができる。他の竜のように範囲攻撃はできないが、そのぶん稲妻のブレスは距離に関わらず凄まじい破壊力を誇る。
そして、あの空飛ぶ雷竜は、瘴気を纏っていない。
召喚獣だ。
「ちっ、お前の差し金かよ、ヴァスケ――」
悪態をつくマナヤだが、ヴァスケスの表情に気付き口をつぐんだ。
「な、なんだ、あれは……」
ヴァスケス自身も、茫然とサンダードラゴンを見上げていた。
知らなかったということか。
(どういうことだ、最上級モンスターを従える召喚師なんて、そうそういねえはず!)
この国の騎士だろうか。
マナヤは再度上を見上げ、目を凝らす。すると……
(――誰かが、背に乗ってる!?)
サンダードラゴンの翼と翼の間に、人影があった。
ここからではまだ遠目だが、深緑のローブを着込んでいるのが見て取れる。かすかに覗いている頭部に、赤い髪が靡いていることが確認できた。
そこへ――
「――おや、ヴァスケス殿。手をお貸ししましょうか?」
その人影が、声をかけてくる。
人を小馬鹿にするような、嫌味ったらしい声だ。ヴァスケスがハッと息を呑む。
「――き、貴様、ダグロン!?」




