171話 速達の実演テスト
集落から少し北に登った山脈の中。
「【跳躍爆風】」
テオが手を下へ向け、唱える。
すると、川に浮かんでいる『ゲンブ』が、波を蹴立てる勢いで滑るように移動していった。
――へー、なるほどな。
頭の中で、感心するような声。
――浅い川でも、水陸両用モンスターに乗って行きゃあ荷運びができるってワケか。やるじゃねーかテオ。
(えへへ……。あ、そういえば、あっちの世界にあった遊戯だと、流水でモンスターは流れていったりしたの?)
――いや、『サモナーズ・コロセウム』にゃ、流水があるフィールド自体が無かったんだよ。だから、そんな挙動は俺も初耳だな。
そう呟くマナヤは、少し悔しそうだ。
照れくさくなったテオだが、すぐに目的に集中した。
(僕たちは、ディロンさんに言われた『五つ』のことが可能かどうか、確認しに来たんだ)
テオは、ゲンブの背に乗ったままくるりと振り向く。
「どうですかウォースさん、乗り心地は?」
「ええ。慣れれば、たいへん快適です」
同乗者は、笑顔で答えた。
テオと一緒にゲンブに乗っているのっは、シャラとアシュリー、そして以前助けた商人ウォースだ。ランシックの依頼を受け、いちはやく召喚獣を使った輸送の実験に付き合ってくれている。
ウォースの後ろには、大きな荷物も載せてあった。他所の町へ転売する予定の荷だ。
「『重い積荷を載せて高速移動を維持できるか』……ディロンさんに言われてた確認事項、まず一つ目はクリア、だね」
シャラがメモにチェックを入れる。
ウォースは、足元のゲンブを見つめながら苦笑いをしていた。
「最初に乗った時はこう、モンスターに乗るなど冗談ではないと内心思っていたのですがね。覚悟ができていれば、意外なほど安定していて驚いていますよ」
「あ、あはは……すみません、付き合わせてしまって」
気まずそうに目を逸らすテオ。
ウォースは、この依頼に逆らうことができなかったはず。なにせランシックの依頼だ。貴族であることを明かし、その上でこのような依頼を受けたら、一介の行商人が断れるようなものではないだろう。
だが、意外にもウォースは声を張り上げる。
「なにをおっしゃいます、私はむしろ光栄ですよ! 本心です!」
「え?」
「この国の商売を大きく変えるかもしれない、画期的な輸送法。それに、他のどの商人より先んじて手を出すことができるのです!」
力説するウォースに、シャラがくすりと笑みを漏らしていた。
「ふふ。商売人ですね、ウォースさん」
「もちろん! それにね、ランシック様の依頼状にも書いてあったのです。うまくいけば、この国を挙げての重要な行事になるのだと!」
「え?」
シャラのみならず、テオとアシュリーも驚いて振り向いた。
ウォースは胸を張っている。まさに夢見るような眼差しで、ゲンブが滑るように突き進む川の上流を見つめていた。
「私のような一介の行商人が、国家事業の先頭に立つ立場になるやもしれません。こんな機会に飛びつかずしてどうしますか!」
「そ、そうなんですか」
少し戸惑いながら、ゲンブに跳躍爆風をかける作業へと戻るテオ。
――……んー、けどよ。
そこへ、マナヤがぽつりと呟いた。
(どうしたの? マナヤ)
――いや。もしかしたら、召喚師解放同盟も同じ方法で移動してるんじゃねえかと思ったんだが……これだと、ちょっと遅いな。
そう言ってマナヤは、悔しそうな思念を伝えてきた。
まだ、拘っているのだろう。今からでも、召喚師解放同盟と同じ移動法を使って追いかけたいという衝動に。
(いや、そうでもないんじゃないかな)
しかしテオは彼に言い聞かせた。
(ほら、コリィ君がいた海辺の開拓村だと、海の上をすごいスピードで移動できたでしょ? たぶん、馬の三倍くらいの速度は優に出てたと思うよ)
――そりゃ、あん時はだだっ広い海の上で、遠慮なく直進できたからだろ? でもこの川は曲がりくねってるじゃねえか。
言いながらマナヤは、川の様子に注意を向けているようだ。
テオは再度呪文を唱える。
「【跳躍爆風】」
ゲンブが、川の上流へと滑るように移動。
が、ちょうど川が急カーブしていた。そこへ差し掛かったゲンブは――
――ガツン
カーブした川の岸にぶつかる。
が、陸に乗り上げることはなかった。水上を跳躍爆風で滑っている最中は、水から出ることはできなくなる。そういう挙動らしい。
だが、減速はしてしまった。
――ほらな。これじゃ、川が曲がったとこに差し掛かるたびに速度が落ちる。せいぜい馬の二倍くらいが限度だろ。
(いや、たぶんやり方の問題なんだと思うんだ)
懐疑的なマナヤだが、テオはむしろ手ごたえを感じていた。
すでに次のカーブが見えてきている。テオは、今度は慎重に角度を定めた。
「【跳躍爆風】」
やや内側よりを狙って、再度ゲンブを滑らせる。
カーブの内側に当たった。が、今度はほとんど減速せず、川の流れに沿って曲がり切ることに成功。ぶつかる角度が浅くなったためだ。
(ほらね。要は、いくつかコツがあるんだ。そのコツを掴みさえすれば、かなり速度を維持できるはずだよ)
――なるほど。要するに、この移動法に習熟しねえと召喚師解放同盟を追うこともできねえってワケか。
(そういう意味じゃなかったんだけど……でも、そうだね)
テオも少し心が沈む。
召喚師解放同盟を止めに行けない。それにもどかしさを感じているのは、テオとて同じだ。
「ねえ、テオ。今思ったんだけど」
そこへアシュリーが問いかけてくる。怪訝そうな顔だ。
「なんですか? アシュリーさん」
「こんな風に移動するんだったらさ。いっそ、跳躍爆風を空中で連射して飛んでいったほうがいいんじゃない?」
そう訊ねるアシュリーのサイドテールが、風を受けてふわりと揺れる。白い息も、風に流れて後方へと溶けていった。
地上での跳躍爆風の連射。
滞空中に二連射することで、飛距離を伸ばすという方法だ。マナヤもよくやっていた空中移動法である。
「いえ、それだと着地の衝撃が強すぎるんですよ」
「でもさ。マナヤだってよくやってたじゃない、半重力床とかいう魔法で、ふんわり着地を……」
「半重力床をかけたら、跳躍爆風が使えなくなるんです」
テオはかぶりを振ってそう言った。
跳躍爆風は、地面に足をつけて移動するモンスターにしか使用できない。半重力床は召喚獣を一時的に地面から浮かせる魔法……つまり、『浮遊移動』化するものだ。半重力床の効果が切れる三十秒後を待たない限り、跳躍爆風は使用できなくなる。
「あー……でもさ。だったら着地しないまま何回でも連射して、ずっと滞空し続けてればいいんじゃない?」
「あ……」
テオは間抜けな声を漏らしてしまう。
言われてようやく、その手があったかと気が付いた。が。
――いや。二連射か、せいぜい三連射するのが限度だろうな。
マナヤがダメ出しをしてくる。
(どうして?)
――お前も知ってるだろ? 跳躍爆風は、かけた召喚獣の慣性が乗るってことをよ。
(う、うん)
前方へと移動中の召喚獣に、後押しするような方向に跳躍爆風をかければ、飛距離を伸ばすことができる。マナヤが言っている『慣性』とはそのことだ。
――跳躍爆風を二連射する時、二発目をかける時にゃ、すでに下降に転じちまってるんだ。つまり下向きの慣性が働いてるから、二回目をかけた時にはそれ以上上昇できねえんだよ。
(う、うん……?)
――要するによ。連射しても高度は保てず、逆にどんどん落ちていくんだ。二連射か、跳躍高度が高いタイプのモンスターでなら三連射がギリギリできるだろうけど、着地せず四連射以上続けるのはまず無理だよ。ゲームでもそうだったしな。
「……って、マナヤが言ってます」
マナヤの言葉を、ほぼそのまま繰り返す形でテオは説明した。
アシュリーが眉をひそめる。
「うーん……よくわかんなかったけど、まあつまり『無理』ってことなのね?」
「は、はい。結局、川を使うこの方法しかないんですよ」
頭を掻くアシュリーに、どもりながら頷くテオ。
「……あ、テオ!」
その時、テオの肩に掴まっているシャラが声を上げた。
「左前方、モンスターの気配! たぶん、野良のケンタウロスだよ」
「わかった。ちょうどよさそうだね」
緊張の面持ちでテオは頷いた。
これも、今回の移動実験で確認しなければならない事項の一つだ。足元のゲンブへと手をかざす。
「【竜巻防御】」
旋風が、テオたちごとゲンブを取り巻いた。
途端に矢がこちらへ向かってくる。が、その旋風によって逸らされ、川辺の地面に突き立った。
「ひっ」
「ウォースさん、大丈夫ですか?」
「え、ええ。大丈夫です」
気丈に微笑みながら、しかしテオの服を掴む力は増している。
「ウォースさんもしっかり掴まっててください。振り切れるかどうか、試します!」
「は、はい!」
がっしりとしがみついてくる。
ゲンブは、矢が飛んできた方向へ向きつつあった。迎撃のために近づこうとしているのだろう。
テオは手をかざした。
「【跳躍爆風】」
破裂音と共に、ゲンブが川の上を滑っていく。
そのまま、何度か跳躍爆風を繰り返した。ケンタウロスのもとへと向かおうとするゲンブだが、強引に前方へと滑り飛ばされ続ける。
やがて、ゲンブは視線を前方に戻すようになった。
すぐにそれに気づいたテオ。跳躍爆風の連射を止め、振り返る。
「どう? シャラ」
「うん、大丈夫。ケンタウロスも諦めたみたい」
目を開いて、微笑みながら頷いてくるシャラ。さっそくメモ帳を取り出していた。
「二つ目の確認事項、『射撃モンスターを振り切れるかどうか』……これも成功、だね」
二つ目のチェックを入れる。
テオも内心、胸をなでおろした。
(よかった。これが一番心配だったんだ)
普通に召喚獣に乗って移動するという方法には、この『最大の欠点』があった。
射撃モンスターの射程圏内に入った時点で、召喚獣はそちらへの突撃を優先してしまうのだ。
が、今回テオは跳躍爆風で強引に振り切った。
水上で使えば、川に沿って滑るように移動するのみ。順路をズレることなく、射撃モンスターの射程圏外へ逃げ出すことが可能となる。
陸上でモンスターに乗って移動手段とするときの問題点が、川を跳躍爆風で移動する形なら解消できる。それが確認できたのは大収穫だ。
「あ、そういえば」
そこへ突然、アシュリーがウォースへと振り向いた。
「ウォースさん。ケンタウロスって馬と同じくらいの速度で追いかけてくるはずですけど、行商の時に遭遇したらどうしてたんですか?」
「え? ああ、そのために弓術士と黒魔導師の護衛を雇っているんです」
少し不安そうに後方を見ていたウォースだが、すぐ我に返ってそう答えた。
アシュリーが首を傾げる。
「やっぱり倒すんですか?」
「いえ。弓術士の『ブレイクアロー』や、黒魔導師の『スタンクラッシュ』で後方へ吹き飛ばすんです。何度か繰り返せば、荷馬車から距離を離して振り切れますからね」
意外と強引に振り切っていたようだ。
テオはクスリと笑いつつ、後方へと振り返る。
「さてと。それじゃ、さっきのケンタウロスを倒しに戻ろっか。シャラ、アシュリーさん、準備を」
「うん」
「りょーかいっ」
頷くシャラとアシュリー。
が、ウォースだけが目を剥いた。
「えっ? せ、せっかく振り切れたというのに、戻られるのですか?」
「そりゃそうですよ。ちゃんと倒さなきゃ」
当然と言わんばかりに口を尖らせるアシュリー。
テオが彼女を宥めながらウォースへと言った。
「すみません。この国では、モンスターを倒すのは騎士だけの仕事なのでしょうけど。これが僕たちのやり方なんです。モンスターは、見つけ次第一体でも減らさなきゃ」
「……なるほど」
「じゃ、戻りますね」
神妙な顔で呟くウォースを尻目に、テオは跳躍爆風でゲンブを後戻りさせた。
◆◆◆
難なくケンタウロスを倒し、さらに先に進んだ後。
「……で、どうすんのよ。コレ」
アシュリーが、目の前の『滝』を見上げながら肩を落とす。
テオもため息をつき、手元の地図を見つめた。
「地図には描いてなかったけど……やっぱり、あったかぁ。滝」
川の源流は、もうすこし先のはず。しかし、さすがに滝を跳躍爆風で登っていくなどということは不可能だ。
かといって、迂回路も見当たらない。
――いや。登る方法ならあるぞ。
が、マナヤが頭の中でそんなことを言い始める。
(え、どうやって?)
――いいから、俺の言う通りにやってみろ。
(う、うん)
こういう時のマナヤは、信用した方がいい。
テオはゲンブに手をかざした。
「【半重力床】【重量軽減】」
「え、テオ?」
シャラがびっくりしたような声を出す。
ゲンブが、浮かび上がった。水を滴らせながら水面を離れ、ふわふわと宙を浮かびながら崖へと突撃していく。
「ちょっ、テオ!?」
アシュリーが焦ったような声を上げた。
が、テオは冷静だ。目を閉じたまま、彼女へと語り掛けた。
「大丈夫です、アシュリーさん。マナヤを信じてください」
「え?」
ゲンブは宙に浮かんだまま、絶壁に近い崖へと頭から突っ込んでいく。
ウォースも荷にしがみつきながら慌てた。
「テ、テオさん!?」
あわや、ゲンブが頭から崖にぶつかりそうになった、その瞬間。
ゲンブは、直前でかくんと急激に上昇。
ほぼ垂直に近い斜面を、浮かびながらいともたやすく登っていく。前足だけで崖を器用によじ登り、後ろ脚は半重力床による光の床だけで支えられていた。
おかげで、ゲンブの体勢は水平を保っている。テオらも、ウォースの背後に積んである荷物も、甲羅からズリ落ちることはない。
「……は? え?」
間抜けな声を出しながらゲンブと下とを交互に見下ろすアシュリー。ウォースも、言葉にならぬまま恐々と舌を見下ろしていた。
「『三角蹴り』……って言われてるらしいです」
目を閉じたまま、テオがマナヤの説明をオウム返しした。
モンスターの体重を減らす『重量軽減』は、ゲーム的には『段差・斜面を超える能力を高める』という効果だったらしい。
ただそれだけでは、さすがに切り立った崖を登ることなどできない。が、そこにモンスターを浮かせる『反重力床』も加わると話は変わる。地面から少し浮いた状態で『重量軽減』の効果も乗ると、僅かな傾斜さえあればこうやって崖に近い斜面も登っていけるという。
「あ、そっか。『妖精の羽衣』と――」
シャラがポンと手を叩く。
が、彼女の言葉が続く前にウォースが身を乗り出してきた。
「なるほど! 『妖精の羽衣』と『減重の聖杯』を組み合わせた時と同じですね!」
「え?」
シャラが思わずウォースの方を見つめていた。
テオとアシュリーも振り返る。驚きの表情でウォースを見つめていると、彼は「いやはや」と話を始めた。
「以前、崖に荷馬車ごと落ちてしまったことがありましてね。その時、持てるだけの荷物を持って、その二つの錬金装飾を装備して、何往復もしながら荷を断崖絶壁の上へと運びなおしたのです。いやあ、あれは大変でした」
「ウォースさん、錬金術師だったんですか?」
シャラが目を丸くしながら問いかけた。
ウォースは「ええ」と頷き、懐から何かを取り出してみせる。盃のようなチャームがついたブレスレットだ。
「このように、『減重の聖杯』も持っております。これを使えば、荷の積み込みや積み下ろしが楽になりますからね」
「そう、なんだ……錬金術師って、行商にも役立つんですね」
感心した様子で目を輝かせるシャラ。
この『減重の聖杯』という錬金装飾は、装着者とその人物が身につけている物の重量を軽くするという効果を持つ。確かに荷運びには最適だ。
ウォースはウォースで、興奮した様子でテオへ視線を戻した。
「しかし、こんな方法もあったとは! あの時もこうやってゲンブに荷を載せていれば、苦労して何往復もしなくても荷を崖の上へと戻せたのですね!」
「そ、そうかもしれませんね」
「いやあ、私は今までずいぶん損をしていたようだ! これは、通常の馬車ルートでも召喚師を雇うことを考慮してもいいかもしれません」
戸惑いながら頷くテオに、ウォースは何か納得したように笑顔でゲンブをペチペチと叩いていた。
やがてゲンブは、滝の上へと到達した。
「わあ……綺麗」
背後を見下ろしたシャラが、感嘆の声を上げている。
アシュリーも釣られて振り返った。目を見開きながら、ゲンブの上からひらりと降りる。
「わ、ちょっとココ、結構雰囲気あるじゃない」
テオも背後を見つめ、言葉にならず息だけが漏れた。
いつの間にか、かなり長いこと川を上ってきていたらしい。集落があった場所までもが一望できる。
黒く見える木々の枝に積もっている真っ白い雪が、地面にも積もっている雪と合わせてコントラストを形成。また、ここまで上ってきた川の流れや、集落のずっと奥に見える真っ白い山々の光景は、息を呑むような美しさだ。
――へえ。こりゃ絶景だな。観光地としてもやっていけるんじゃねえか?
マナヤもそう声を上げている。
テオは頷いた。
「そっか。ちゃんと防壁も作って、運搬業をやる人たちの憩いの場にしてもいいかもね。ウォースさん、どう思いますか?」
と、ウォースへ振る。
しかし彼は、景色を見つめてはいなかった。滝の下の辺りを覗き込みながら、その土の状態を真剣な表情で確認している。
テオが問いなおした。
「ウォースさん?」
「……この場所、最近崖崩れでも起こったのですかね?」
「え?」
目をぱちくりとさせるテオ。
ウォースは川上へと向き直り、川岸の石を一つ取り上げた。
「見てください。川の石は、このように角が取れて丸まっています。こうなるのが普通なのですよ。流水などの長年の風化による影響です」
「そうですね。それがなにか……?」
首を傾げるテオだが、ウォースは厳かに崖際へと歩いた。
「ですが、見てください。この滝の流れ道になっている岩は、いずれも角ばっています。先ほどまで我々が進んでいた川岸の石もそうでした」
「……?」
「つまり、ほとんど風化していない。あちこちを行商する際にときおり見かける、崖崩れの現場にそっくりなのですよ。崖の岩に、草も苔も生えていませんでしたしね」
つい最近、地上へ露出したばかりの岩ということだ。
それが、この滝から下の川にもゴロゴロとあった。最近この崖が崩れ、その時の岩がここから川下に残っていたということだろう。
アシュリーがハッと顔を上げる。
「ちょ、ちょっと待って。こんな場所で、また崖崩れが起きでもしたら!」
そう言って崖の下を見やる。
テオもすぐに気付いた。先ほどの風景を見ていた時、このずっと真下に見えていたものは……
「あの集落が! みんなで作った、召喚師さんたちの集落が、埋もれちゃう!」
一気に血の気が引いた。
既にここは一度、崩れているらしい。となると、もう一度崩れたとしてもおかしくはないだろう。
「……いえ、それはありませんな」
が、ウォースが冷静に言った。
見ると彼は、地面に手をついてなにか集中している。
「ここの地盤はかなりしっかりしています。崖を作っていた岩も、かなり頑健な種類のものだ」
「……あ、本当ですね」
シャラも同じく崖際の岩に手をついて集中していた。
成分を調べる、錬金術師の能力だ。ウォースも神妙にシャラへと問いかけた。
「わかりますか、シャラさん」
「はい。ヒビが入っているのも、崖際に露出している面だけ……簡単に崩れるような土地じゃありませんね。もっと奥の岩はわかりませんけど」
テオは胸をなでおろす。アシュリーもホッと息をついていた。
「なんだ、脅かさないでよ」
「すみませんな。ただ、いずれは建築士さんを呼んでちゃんと調べた方が良いでしょう」
ウォースは立ち上がりながらアシュリーへとそう告げた。
「崖崩れが起きそうもない土地で、なぜか崖崩れが起こったということは事実ですので」
「でも、とりあえずすぐには何も起こらないんでしょ? じゃ、とりあえず今は進みましょうよ。シャラ、あとやることって何だっけ?」
楽観的に笑ったアシュリーは、シャラへと話を振る。
慌てて立ち上がるシャラ。ポケットからメモ帳を取り出し、ページをめくる。
「え、ええと。三つ目は源泉まで辿り着けるかの確認。四つ目が、実際に他の町まで移動できるかの確認で……」
「じゃ、三つ目の方は達成したわね。ほら」
と、アシュリーは上流を指さし、そちらへ歩き出す。
その先は、目的の源泉がある場所だ。アシュリーを追いかけ近づいていくと、さわさわとした爽やかな音を立てている、かなり大きな泉が広がっている。地下水が湧きだしているようだ。
「わー、こうして見るとかなり広い泉ね?」
アシュリーが達成感の籠った声で感嘆した。
半ば湖のように、水が溜まっている。そこから枝分かれし、坂を下りるような形でいくつもの支流が派生しているのも見て取れた。
テオは地図を広げる。
「ここまで来たら、北に隣接してる別の領地との領境なんだっけ」
「うん。だから右の、あっちの支流を下れば北領の町近くに降りれるはずだよ」
シャラも地図を覗き込みながら、右の方へと指さす。支流の一つだ。
さらに彼女は、懐から時計の魔道具を取り出した。
「朝に出発して、今はまだお昼過ぎ……やっぱり、だいぶ早く移動できるね」
通常、北の領地へ馬車移動であれば、領境を超えるまででも日が暮れかけるくらいにはなるらしい。
ゲンブに乗れば、半分以下。慣れれば、計算通り三分の一以下の速度で来れるかもしれない。
「では、ここからいよいよ町への移動ですね」
ウォースが明るく言った。
先ほどの神妙な雰囲気はどこへやら、うきうきとしながらゲンブの背に乗せた荷を見つめている。あれを転売するのが彼の目的だ。
「他領の町へついたら、この荷を売りさばいたあと、またこちらの領都へ送り届けて頂けるのですよね?」
「はい。この領都から他領の町まで、無事に往復できるか。これが最後の確認事項ですから」
テオも苦笑しながら答える。
そこまでやれば、速達の実演テストは成功だ。召喚師による運搬業の準備が整うといってもいいだろう。
「じゃ、三人とも乗って。出発するよ」
テオはゲンブのもとへと戻り、甲羅の上に登る。
皆も乗り込んだのを確認し、跳躍爆風で進み始めた。
「……」
が、シャラが神妙な顔で黙り込んでいるのに気付いた。
「どうしたの? シャラ」
問いかけてみると、彼女は首をかしげながら返事をした。
「その。さっきの崖の岩。なにか覚えがあって」
「覚えがある?」
「どこかで、おんなじ組成の岩を調べたことがあるような気がするの。どこだったかな……」
もどかしそうに眉をひそめているシャラ。
なおも問いかけようとテオが口を開いた時、ウォースが声をかけてきた。
「あ、テオ殿。隣領の町についたら、少しお時間を戴いても?」
「え?」
「せっかくなのであちらの領の特産も購入し、復路で稼がせて頂きたいので」
と、堪えきれない笑みを浮かべながら提案してきた。
(さっき、崖の様子を見てた時はあんなに頼もしかったのに)
ちゃっかりとしている辺りは、やはり商人なのだろう。
テオは、小さく苦笑した。




