133話 三方の分断戦 殺意
――アシュリーが覚悟を決める、少し前。
洞窟の中で、テナイアは再度手をかざす。
「【ライシャスガード】」
騎士隊の一員に結界が張り直された。
先からこの繰り返しだ。洞窟の外からシルフの攻撃で一方的に削られるばかりで、反撃の糸口がない。
(洞窟を出なければ、事態は好転しない。けれど)
テナイアは塞いだ入り口を見つめた。
あの先にまだ控えているであろう、『レイス』をなんとかしなければ。
「……やむをえません」
テナイアは覚悟を決め、騎士らを見回す。
「私が囮となって、レイスを引き離します」
「テナイア様!?」
村長代理を務めている騎士アロマが、目を剥く。
テナイアはそっと、懐から一つの錬金装飾を取り出した。騎士隊の錬金術師から預かっていた、精神攻撃を無効化する『吸邪の宝珠』。
「私がこれを装着して、レイスを洞窟の入り口から遠ざけます。皆様はその間に洞窟を出て反撃してください」
「そ、それならば私が囮になります!」
女性剣士の一人が名乗り出た。開拓村に常駐している騎士隊の一人だで、顔面蒼白になりながらも決意を秘めた目をしている。
しかしテナイアは首を横に振った。
「レイスを引き付けるために、前に出なければなりません。その間、精霊の攻撃にも晒されることになります」
「で、ですからそれをテナイア様が引き受ける必要は無いと!」
「精霊の攻撃は、結界で防げます。ですがレイスの攻撃を受けても消滅してしまいますから、私がレイスの攻撃を至近距離で受ける役目でなければなりません」
他の白魔導師達が悔しげに唇を噛んだ。
タイミングの腕前が必要なのだ。錬金装飾『吸邪の宝珠』によってレイスの攻撃のみ無視し、精霊の攻撃だけにタイミングを合わせて細かく結界を張らなければならない。王国直属騎士団の白魔導師副隊長であるテナイアの実力でなければ、そして彼女自身がレイスの至近距離でそれを目視しながらでなければ、不可能だ。
「私が、なんとしてでもレイスを誘導します。その間に皆様はシルフの処理を。よろしいですね?」
「……わかりました」
悔しそうにうなずく女性剣士。
安心させるように微笑み、テナイア。
「では、このかたを抱えて行って下さい。あとのことを、よろしく頼みます。【ライシャスガード】」
全員に、改めて結界を張る。
さらにテナイアは、いまだ恐怖に震えているボロボロの女性の背をそっと押す。女性剣士は彼女の指示に頷き、被害者女性をそっと抱え上げた。
――と、その時。
〈……マナヤ。あんた一人にだけ、辛い思いはさせないから……!〉
〈アシュリーさんっ! ダメ、やめてっ!!〉
「っ!?」
突然、頭の中に響き渡る声。
アシュリーとテオのものだ。
直後、なぜか頭の中に採石場と思しき場所の光景が浮かぶ。
大量の召喚獣。そしてトルーマンやヴァスケス、そのほか召喚師解放同盟のメンバーと思しき者たちが集まっていた。
対峙しているのは、覚悟を決めたような顔で剣を構えるアシュリー。それをテオが絶望的な表情で止めようとしている。
(これは一体……!? それに、まさかアシュリーさんは)
なぜ急に、このようなものが見えているのだろう。
だがその間にも映像は進んでいた。浮かんだイメージの中でアシュリーは、召喚師解放同盟の一員へと躊躇なく斬りかかっていく。その眼差しは、ぞっとするほど冷たい。
血を流した肩で握る剣の、その刀身がさらに翻った。狙いは、敵召喚師の首筋。
〈――【スワローフラップ】〉
いけない。
彼女は、殺す気だ。
「いけません、アシュリーさんっ!!」
◆◆◆
一方、ディロンと騎士隊本隊。
〈おやおや、どうなさいました? ディロン殿ともあろうお方が、ずいぶんと余裕がなさそうですねえ?〉
ボロを纏った霊体のような上級モンスター『レイス』を通して、煽るような言葉を吐いてくるダグロン。
「くっ……」
ディロンは歯噛みするしかない。また別方向から現れた、その亡霊のようなモンスターを睨みつけた。
(ダグロンめ、モンスターを戻す度に位置取りを変えているのか)
召喚主の位置がつかめないのだ。
レイスが撤退していった先へと騎士たちを突撃させても、別の上級モンスターが跳躍爆風や時流加速で飛び込んでくる。騎士たちがそれを対処している間に、精神防御をかけ直されたレイスがまた接近してくるのだ。それも、撤退していった先とは明らかに違う方向から。
撤退させる度に位置を変えているのである。
一度攻撃を放った後、すぐにその場を移動する。弓術士や黒魔導師が対人戦をする際によくとる、敵に位置を悟られないように戦う戦術だ。ダグロンらはそれを召喚獣で応用している。
(このままでは、打開策が無いままダラダラとマナを浪費するだけだ)
敵の召喚獣は全く止む気配がない。敵は召喚師ばかりの部隊、こちらとはマナ回復力に差がありすぎるのだ。
一方、騎士隊の召喚師は……
「このっ……【封印】、【精神防御】!」
倒れたスカルガードの封印、敵レイスとフライング・ポリプから部隊を守るための囮の維持。彼らも手いっぱいだ。
数の差もあるが、モンスターの質の差はいかんともしがたい。上級モンスターを保有している者がいないのだ。
その上、スカルガードの群れだ。
全方位から絶えず、新たなスカルガードが次から次へと湧いてくる。普段ならば御しやすい下級モンスターだが、囲まれて群れで襲ってくるとなればそうもいかない。
ただでさえ木々の間隔が狭く、視界も通りづらい地形。これまでのように、騎馬を使った機動戦で対処することもできない。
適切な位置取りもうまくいかない。その都度、透明なフライング・ポリプが襲ってきて竜巻を放ってくる。迂闊に飛び込んでしまえばアウトだ。
そのフライング・ポリプを排除しようとしても、すぐ透明化されスカルガードの中に紛れていく。
「……こうなっては仕方がない。私が活路を開く」
ディロンは腹をくくった。
遠慮なく殺気を解放し、騎士隊の錬金術師に向かって命じる。
「こちらに『吸邪の宝珠』と『安定の海錨』を! 私がフライング・ポリプの懐に飛び込み、一体だけでも討ち取ってみせる!」
「ディロン様!?」
まず錬金術師が、数瞬遅れて他の騎士隊も何事かとディロンに目を向ける。
フライング・ポリプの攻撃は、極寒の真空で全てを吸い込む竜巻を作り上げ、対象を引き寄せると共にマナをも削るモンスターだ。懐に飛び込むなど、自殺行為でしかない。
しかしディロンは譲らなかった。
「連中はフライング・ポリプを含めて、モンスターが危なくなったら撤退させていた! そうなる前に、私が飛び込んで逃がす前に倒しきる!」
既に掌に、魔力で膨大な冷気の塊を作り出そうとしているディロン。
しかし剣士隊の者たちが口々に叫ぶ。
「し、しかし危険が過ぎますディロン様!」
「同じ捨て身で突撃するならば、我々がいきます! 単体への瞬間火力ならば剣士の管轄!」
それでもディロンはかぶりを振る。
「高速で逃げる敵を追い詰めるには、剣士では仕留めそこなう可能性が高い! その点、私ならば懐に飛び込みさせすれば、逃げられても中距離までは魔法攻撃が届く!」
もはや、それしかない。
自分の魔法攻撃力で、さらに白魔導師の『スペルアンプ』で増幅された最大火力の冷気魔法を撃ち込む。直撃させれば、仕留めきれるはず。近接特化の剣士では、時流加速の効果で逃げるフライング・ポリプには追いつけないだろう。
「活路を開き、フライング・ポリプの数を減らしてみせる! 一体でも減れば、敵の包囲陣に穴が空く!」
「ディロン様!」
「テナイアが洞窟で襲撃を受けているはず! 一刻も早く戻らねばならん! ……早く、錬金装飾を!」
より一層強く命じるディロン。
錬金術師が嘆くように目を瞑り、錬金装飾を投げつけた。
「【キャスティング】」
――【吸邪の宝珠】!
――【安定の海錨】!
それぞれ、ディロンの両手首に装着される。
確認し頷いたディロンは、腰を落とし身構えた。
「あとのことは、頼んだぞ! ……白魔導師隊!」
背後から襲ってきたフライング・ポリプへ向かい、全力で突撃。
白魔導師隊が「【スペルアンプ】」と唱えた。ディロンが手のひらに込めた冷気の塊が増幅され、巨大化する。竜巻の中に突っ込み、その中心にいるフライング・ポリプへ向けてかざした。
――その時。
〈……マナヤ。あんた一人にだけ、辛い思いはさせないから……!〉
〈アシュリーさんっ! ダメ、やめてっ!!〉
「な、にっ!?」
突然、頭の中に別の場所の光景が映った。
森に面している、採石場。そこで、アシュリーが覚悟を決めた顔でテオを見つめている。そして、召喚師解放同盟の者達へと突っ込んでいく光景。
「待て、早まるなアシュリー!」
思わずディロンもそう叫んでいた。
しかし当然、声は届かない。肩から血を流したアシュリーは、空中から敵召喚師の一人へと飛び込み、剣を容赦なく叩きつける。冷たい憎悪を燃やした目で、敵を睨み据えていた。
〈――【スワローフラップ】〉
剣が翻る。狙いは、相手の首筋。
「やめろ、アシュリーッ!!」
◆◆◆
「マナヤ。あんた一人にだけ、辛い思いはさせないから……!」
そうテオに言い残し、トルーマンらを睨んだアシュリー。
彼女は懐から、オレンジ色の宝珠がはまったブレスレットを取り出し、それを右手首にはめる。
――【吸邪の宝珠】
オレンジ色の防御膜に包まれた。
精神攻撃を無効化する錬金装飾、シャラから持たされたものの一つだ。それをはめたアシュリーは、敵陣に突撃していく。
「待って、アシュリーさんっ!!」
慌ててテオは、その背に声をかける。
彼女の感情が、憎悪と恐怖が、伝わってきてしまった。彼女は、『流血の純潔』を手放す気だ。
「【ライジング・フラップ】」
突然、アシュリーの姿が消える。
前方に急加速し、一瞬でトルーマンの懐へと飛び込んだ彼女は、下からすくい上げるような一閃。
「――ぐァッ!? き、貴様ッ……!」
トルーマンの胸元から血が舞った。
逆袈裟斬りを放ったアシュリーは、あえてトルーマンら敵召喚師が密集している位置に着地。レイスが接近し、黒いモヤを吐き出す。
「ぐうッ」
「うああああっ」
「く、くそぉっ!」
アシュリーに放たれたモヤは、敵召喚師らも巻き込んでいた。
トルーマン、そして彼の周囲にいた何人かの召喚師らが苦悶しながら距離を取ろうとする。アシュリー自身は『吸邪の宝珠』のおかげで影響はない。
アシュリーは最初から、レイスの攻撃を敵へ誤爆させることを狙っていたのだ。
ヴァスケスが叫んだ。
「トルーマン様、レイスを『戻し』てください! 【精神防御】、ギュスターヴ【行け】!」
さらに彼は、巨大なワニ『ギュスターヴ』へ突撃命令を下す。
ギュスターヴはアシュリーへと肉薄。レイスのモヤを受けるが、精神攻撃を防ぐ紫の防御膜によってそれを弾いていた。アシュリーの懐まで入り込んできたギュスターヴは、下顎に生えた牙を振り上げる。
「ふっ!」
しかし、再びアシュリーの姿が消えた。
振り上げられたギュスターヴの牙を、再び『ライジング・フラップ』で回避したのだ。勢いのまま、彼女は逆方向にいた召喚師へと斬りかかる。
「ぎゃあっ!? こ、このッ! 【行け】!」
悲鳴を上げた召喚師は、目を血走らせ命令。
突如、アシュリーは竜巻に呑まれた。
「く、【ライジング――あぐっ!?」
側方に跳んで逃れようとしたアシュリーだが、突如咳き込む。
白い塊が、背中に着弾していた。背後にいたオレンジ色の人間サイズの蜘蛛、『レンの蜘蛛』の攻撃だ。アシュリーの背に当たった塊は蜘蛛糸に分解し、彼女にまとわりつく。
膝をついてしまうアシュリー。
竜巻は容赦なく彼女を巻き上げ、さらに他の射撃型召喚獣も続々とアシュリーへと射かけていく。アシュリーは、旋風の中でお手玉のように狙い撃ちされた。
「アシュリーさんっ! 【猫機FEL-9】召喚、【行け】っ!」
慌ててテオは、猫型の機械モンスターを召喚し突撃させた。
直後、竜巻は消え去る。フライング・ポリプの狙いが、囮となる能力を持つ猫機FEL-9へと逸れたのだ。それ以外の敵のモンスターも攻撃の矛先を変えていく。
竜巻から解放されたアシュリーは、なんとか着地。
しかし、敵の何体かはいまだアシュリーを狙ったままだ。
「この……あぐっ!」
体にへばりつく蜘蛛糸を断ち切ろうとしたアシュリーだが、側面からヘルハウンドが飛び掛かってくる。
咄嗟に彼女は体をねじった。が、蜘蛛糸のせいで反応が遅れ、鉤爪で肩口を切り裂かれてしまう。
「アシュリーさ――あっ!」
駆け寄ろうとするテオだが、モンスターの消滅音に振り返る。
猫機FEL-9が魔紋に還った。敵の集中砲火を受け、早々に倒されてしまったのだ。
敵が、再度アシュリーを付け狙う。
「そ、それなら! 【ダーク・ヤング】召喚っ!」
テオは再度手をかざす。
おそろしく巨大な召喚紋が浮かび上がり、中から巨木にも見えなくはない大きな影が現れた。
深緑の太い幹のような胴体。しかし体表は気味の悪いヒダ状になっており、そのところどころに禍々しく巨大な口がいくつか開いている。
根にあたる部分には三本の太い脚が生えており、ズンとその巨体を支える。枝葉があるはずの頭頂部には、代わりに何本かの極太の触手が突き出し蠢いていた。
冒涜系の最上級モンスター『ダーク・ヤング』。
テオが持つ、もう一体の物理攻撃型最上級モンスターだ。
テオはすぐに命令を下す。
「【行け】! アシュリーさんを助けて!」
「――今だ、ギュスターヴ! 【時流加速】」
が、直後ヴァスケスの声。
彼の傍らに佇むギュスターヴが、下顎の牙を向けながらダーク・ヤングへと這いながら突撃してきた。さらに時計のような魔法陣がギュスターヴに吸い込まれ、突進が加速。
(しまった、またさっきのを!)
先ほど、鎚機SLOG-333を倒されてしまった時と同じだ。
ヴァスケスは手のひらを構えている。接近してきたら、すぐに野生之力を使用し、一撃でダーク・ヤングを屠るつもりだろう。
(なにか囮を召喚――っ、アシュリーさん!?)
駆けだそうとしたテオだが、途中でアシュリーの姿が目に入った。
正面から来た召喚獣に剣を振るっていて、背後の影に気付いていない。毒の棘を発射してくる『スポーン・スコルピオ』だ。
「アシュリーさん、危ないっ!」
ダーク・ヤングの援護よりも、アシュリーが先だ。
テオは無我夢中で駆け、彼女の方へと手をかざす。もう、下級モンスター一体召喚分くらいのマナしか無い。
「【ガルウルフ】召喚、【跳躍爆風】!」
灰色の狼が現れ、跳ぶ。
アシュリーとスポーン・スコルピオの間に割り込むように着地した。
直後、毒の棘が発射される。ガルウルフがそれを受け止め、灰色の毛皮にじわじわと紫色の腫れが広がっていった。
(ダーク・ヤングは!?)
テオはすぐに視線を戻す。
まさに、ギュスターヴとダーク・ヤングが激突しようとしていた。ダーク・ヤングは初動がかなり遅い方で、ギュスターヴに先手を取られる。
ヴァスケスが呪文を。
「――【野生之力】」
「【送還】!」
が、テオは即座にダーク・ヤングを消し去った。
黒いカーテンに飲み込まれ消滅したダーク・ヤング。緑の閃光に包まれたギュスターヴの牙は、その黒いカーテンをむなしく散らすだけに終わった。
「ちっ」
ヴァスケスの舌打ち。
テオは安堵の息をつく。ダーク・ヤングを奪われることだけは、なんとか防ぐことができた。だが、ダーク・ヤングの召喚とマナ消費は完全に無駄になってしまった。
その時、側面から別の敵召喚師の声が。
「【電撃獣与】、【時流加速】」
「くうっ!?」
アシュリーの悲鳴が続く。
振り向けば、人間の頭ほどの大きさを持つ黄色い甲虫が、アシュリーの肩に突っ込んでいた。中級モンスター『イス・ビートル』だ。電撃を纏った角で、凄まじい速度で突撃していったのだろう。
テオの近くへ突き飛ばされ、倒れこむアシュリー。肩からは血が滲み始めている。
だが、イス・ビートルは止まらない。容赦なく高速でアシュリーへと間を詰め、電撃をまとった角を振り上げていた。
「だめっ!」
テオは慌てて割って入った。
召喚するマナはない。テオはアシュリーを庇うように立ちはだかり、正面からイス・ビートルの角を受ける。
「か、はっ……」
衝撃、そして電撃。
苦痛が腹から背中まで突き抜け、テオは後方へと倒れこみながら咳き込む。
が、そこへアシュリーが動いた。
「【シフト・スマッシュ】!」
剣のオーラが斧状に変化。『打撃』へと変換された剣の横凪ぎが、『イス・ビートル』を一撃で粉砕した。
その間に顔を上げるテオ。
(……いけない、またスポーン・スコルピオが!)
先ほどのサソリが、こちらへ狙いを定めているのが視界に入った。
(囮を召喚……動け、動いて僕の腕!)
両腕が、自分の体の下敷きになってしまっている。
なんとか腕を上げようとするテオ。しかし、電撃を受けたばかりで体がうまく動かない。
スポーン・スコルピオが、尾を構える。
だめだ。
そう覚悟した瞬間。
――ギャオオオオオンッ
突如、開拓村の方角から咆哮が。
「な、なに今の!?」
体勢を整えたアシュリーが、そちらを見上げる。
直後、召喚獣たちの動きが変わった。
「なに!?」
「な、なんだ、何をしている!?」
「どこへ行く、【戻れ】!」
召喚師解放同盟の者たちも狼狽える。
彼らの召喚獣は皆、先の咆哮が聞こえてきた方角へと突進していったのだ。慌てて数名が『戻れ』命令で呼び戻している。
(ど、どういうこと?)
テオも狼狽えながら見回した。
先ほど自分達を狙っていたスポーン・スコルピオも、今はそっぽを向いている。こちらが全く眼中にないといった様子だ。
「――あれはまさか、竜之咆哮?」
ぽつりと、ヴァスケスの呟き。
トルーマンがいら立った様子で問いただす。
「どういうことだ、何が起こっているヴァスケス!」
「お、おそらく開拓村の者たちが、あの水龍を倒して封印したのです。竜族でしょうから、竜之咆哮を使用可能だったのでしょう」
テオはハッと思い出した。
(そうか、あらゆる敵モンスターの注意を完全に引き付ける魔法、竜之咆哮!)
このモンスター達は、その影響を受けてそちらへ向かおうとしているのだ。
水龍ということは、おそらくは伝承系の最上級モンスター『シャドウサーペント』だろう。この海域にいると、以前説明を受けたことがある。
「シャラとみんなが、シャドウサーペントを倒して使役してるんだ!」
「じゃ、じゃああの橙の救難信号も、水龍が現れたからってこと!?」
テオの叫びにアシュリーも反応し、思わず顔を見合わせた。
シャドウサーペントを倒した。それはつまり、開拓村だけであの救難信号の状況をどうにかできたということ。
「……なら、いましかない!」
突然、アシュリーの声色が変わった。
狼狽える召喚師解放同盟の者たちを睨みつけている。テオには背を向けていて、表情は見えない。
悪寒にテオは慌てて問いかけた。
「アシュリーさん!?」
「テオ、あんたはみんなを集めてて!」
直後、アシュリーは翔けた。
肩口から血を流しながらも、表情を険しくして再び刀身にオーラを展開する。
「【ライジング・アサルト】」
一気にアシュリーは空中へと跳び上がった。
召喚獣を戻してまごついている召喚師へと、空中で狙いを定める。
「【ドロップ・エアレイド】!」
一転、急降下。
上から召喚師へと斬りかかる。相手は召喚獣を『戻れ』命令にしていたが、空中から攻撃されては盾にしようもない。
「が、フっ」
地面に叩きつけられ、血を吐く召喚師。
しかし、まだ生きている。肩の骨を砕かれるような衝撃にも関わらず、頑丈な召喚師である彼は起き上がった。至近距離に立つアシュリーに、掌を向けようとする。
そんな召喚師の様子を見つめるアシュリーの目は……
底知れぬほど、冷たい。
「アシュリーさんっ! ダメ、やめてっ!!」
何をするつもりか、テオにもわかってしまった。慌てて止めようと声を振り絞る。
しかし、彼女の動きは、止まらない。
剣士の代名詞とも言うべき技能……一度攻撃した相手を、慣性や物理法則を無視して再び斬りつける技を放つ。
「――【スワローフラップ】」
振りぬいた剣が生き物のように翻り、吸い込まれていく。
召喚師の、喉元へと。
「アシュリーさんっ!!」
テオの叫び。
しかし剣筋は全く緩まず、一気に召喚師の喉を――
〈いけません、アシュリーさんっ!!〉
〈やめろ、アシュリーッ!!〉
幻聴だろうか。
頭の中に、テナイアとディロンの必死な叫び声が響いた。
次の瞬間――
――ドシュウッ
召喚師が、血を吹きながら吹き飛ばされた。
「……え?」
茫然とするアシュリー。
彼女の剣は、召喚師へは届いていない。その直前に勝手に召喚師が横へと吹き飛んだのだ。
息絶える召喚師。
そのわき腹に、氷の槍が突き刺さっていた。
◆◆◆
「……な、に?」
森の中。
ディロンは思わずつぶやき、前方に突き出した自身の手を茫然と見つめた。
彼はとっさにアイスジャベリンを放ち、アシュリーが殺そうとしていた召喚師を、先手を打って刺殺したのだ。
(そんなばかな)
なぜ自分は、テオやアシュリーの状況がわかった?
なぜ自分は、彼らの場所を把握できた?
なぜ自分は、届きもしないはずのアイスジャベリンを放った?
そして何より……
届くはずがないアイスジャベリンが、なぜ、アシュリーが斬りかからんとした召喚師に届いた?
ディロンが自問していたのは、ほんの一瞬の間に過ぎない。
が、その一瞬の後。
――ピチュ……ン
頭の中に、波紋が広がった。
水面に雫が落ちたような感覚があり、その雫から広がった波紋が、一気に自分の意識全体へと行き届いていく。
そして、すぐ近くに感じた。
ずっと離れた洞窟にいるはずの、テナイアを。
「……テナイア?」
◆◆◆
――ピチュ……ン
「これ、は?」
頭の中で、アシュリーが斬りかからんとした男に氷の槍が突き刺さった光景を見たテナイア。
ディロンのアイスジャベリンだ。直観的に確信したテナイアは、頭の中に波紋が広がるのを感じていた。
一滴の雫、それが水面に落ちたような感覚。
そこから広がった波紋を通して、自身がディロンと『繋がっている』こと。
そして、遠く離れているはずのディロンが、自分と全く同じ感覚を味わっていることがわかる。
――……テナイア?
心の中で、彼の声が。
「ディロン」
それに呼応するように答え、そして確信する。
今の自分達ならば、できると。
テナイアは洞窟の天井を仰ぎ、叫んだ。
「――【共鳴】!」
◆◆◆
「――【共鳴】!」
遠く離れたテナイアと呼応するように、ディロンも叫び放つ。
虹色の閃光。
ディロンの全身から放たれた光が、森の中を一瞬で染め上げる。
「ディロン様!?」
「まさか!?」
彼の部下たちが驚きと期待に満ちた目で彼を見やった。
美しい虹色の閃光、そしてディロンの発した言葉。
共鳴。真に心を通じ合わせた二人の人間が発動させることができると言われる、今では伝承となった力。
ディロンとテナイアの心が、繋がる。
お互いの場所、そして状況が手に取るようにわかった。
いや、お互いだけではない。遠く離れた場所にいるテオとアシュリー、果てにはシャラの状態までありありと『観る』ことができる。
そして、『観えた』場所であれば、どんなに遠く離れている場所にも、自分達の魔法が届くだろうことにも気づいた。
二人は確信する。この能力の、名は――
「――【千里眼】!」
離れた位置で、二人は同時に叫んだ。




