12話 指導の開始
※7/21、微改訂
窓から差し込む日の光と風に運ばれた土の匂いで、マナヤは目覚めた。
とたんに視界全体に広がる違和感。
「……う」
今しがたまで、日本で兄と一緒に暮らしていた夢を見ていた。胸の奥にもやもやしたものを感じつつ、むくりと起き上がる。
(……こっちが現実なのか)
見回せば、日本で暮らしていた頃とは全く違う部屋。亜麻色の石でできた壁にドーム状の天井。部屋中に、いや村の中じゅうに漂っていた濃い土の匂い。昨晩の出来事が現実だったことを、改めて実感してしまう。
(今、何時だ? あ、えーと、この世界の数字……朝の六時、か?)
時刻単位は、ほぼ地球と同じ。以前のマナヤならばまだ寝こけている時間だ。
(二度寝する気にもなれねぇ。しかたねえ、起きるか)
慣れない異世界で無駄に生活リズムを狂わされるよりは、早寝早起きの健康的な生活ができるに越したことはない。
マナヤは扉の付いていない自室を出て、水の錬金装飾を取りに行った。
(さてと。こっちの召喚師って、どんな訓練をしてるんだろうな?)
◆◆◆
テオの家族らと、やや気まずい朝食を終えた後。
マナヤは予定通り、この村にいる召喚師たちに指導することになったのだが……
「――で、監視っていうのがアンタ……あなたですか。テナイアさん、でしたっけ」
「はい。本日は私が担当させていただきます。よろしくお願いします、マナヤさん」
集会所へと向かう道中、白魔導師テナイアがこちらへ挨拶を。プラチナブロンドの長髪をなびかせ、胸に手を当てて一礼してくる。凝った紋章の刺繍が施されている白ローブが優雅に揺れた。
「あなたほどの人が、俺なんかに張り付いてていいんですか?」
昨日の様子から見ても、彼女は騎士隊長ノーランよりも立場が上のはずだ。忙しくはないのだろうか。
「召喚師の方々の未来を決める事柄ですからね。これも立派な私の職務です」
「はぁ……」
「それに、私個人も興味があります。貴方が、召喚師の方々にどのような指導をするのか」
何か、はぐらかされたような気が。
(まあ、騎士隊長とかあの黒魔導師が監視につくよりかは、ずっと気が楽だけどよ)
このテナイアという白魔導師は、昨日も比較的マナヤに対して寛容だった。ただ、理由もなく信用されていることへの得体の知れなさは拭いきれない。
とはいえ、問い詰めるのも面倒だ。諦めてマナヤは、彼女と並び集会場へ向かう。
村の中央辺りには、各『クラス』ごとに定められた集会所が用意されていた。召喚師用の集会所は一際小さめで、かつ集会所が密集している場所の一番端にある。
「ついた、ここです」
「そのようですね」
テナイアと二人して、召喚師用の集会所を見上げる。
外壁にところどころヒビが入ってはいるが、周囲の建物と同じく亜麻色の岩で作られた、丸いドーム状の屋根を持つ建築物。扉と床にあたる部分だけは木で作られている。
ほとんど使われたことがなかったのだろう、昨日訪れた時は外も中も埃だらけだった。なので、集会場の体裁を整えるのが大変だったのだ。
キイ、と音を立てて、木の匂いを強く感じる扉を開く。
既にそこには、このセメイト村に所属する十一名の召喚師が揃っていた。
このセメイト村は正十二角形の防壁に囲われており、その頂点それぞれに召喚師用の宿舎がある。マナヤがこの世界へ来た時に目覚めたのも、テオに割り当てられた宿舎の中だった。
千人もの人口が居るこのセメイト村に、マナヤ自身を含めてたった十二人しか召喚師がいない。
(気持ちはわからんでもねーが、どうにも納得がいかねぇな。こんな少ねえのは)
少ない原因は、『クラス』の選定法にあるようだ。
十四歳になり王都で〝成人の儀〟を執り行う際、神官の助けを借り『クラス』を取得することになる。この時、たいていは三、四ほど『クラス』の選択肢が候補として出るそうだ。その中から、クラスを授かる本人が選ぶことができる。
そう、選択権が与えられているからこそ、自ら召喚師になりたがるような者はいないのだ。
だが封印要員である召喚師がいなくなってしまうのも困る。ゆえに今いる召喚師たちは皆、召喚師を選ぶよう国から強制された者達だ。もちろん、テオも。
「……って、揃いも揃ってなんスかその顔は」
集会場に揃った、全員緑ローブの召喚師たち。その顔ぶれを見回して、マナヤは呆れてしまう。
ほぼ全員、恐ろしく暗い顔をして俯いていたからだ。まるで部屋全体が一段階と暗く、どんよりと空気すら重くなったように感じる気さえしてくる。
(ん?)
他と比べればまだずいぶんと明るい表情をしている者が、ひとり。
緑髪のおかっぱ女性。先日のスタンピードの日に巻き込んでしまい、封印を手伝わせた女性召喚師だ。彼女もこちらに気づいたようで、僅かに表情をほころばせてきた。
(あの女は……あれ、こいつこんなに表情暗かったのか)
他よりはマシとはいえ、やはり澱んだ目をしている彼女。
スタンピードで見た時は、彼女の表情など気にしていられる状況ではなかった。マナヤが気づいていなかっただけで、あの時もこういった表情だったのだろうか。
「テオくん……いや、ええと。マナヤさん、でしたか」
と、そこで顔を上げてマナヤに話しかけてきた者が。白い髪をした中年の男性召喚師だ。
「私達に指導するとのことですが、今さら私たちに何を教えようと?」
皆を代表するように、しかし光のない死んだような目で問いかけてくる。
あの日救った少年のように、瞳から光の消えた、死人の目で。
(……まずい)
――思わず、思い浮かべてしまう。
この場にいる召喚師たちが、同じように戦いの中で死んでいく光景を。
(ダメだ。んな光景、現実になんかさせねえ)
それを防ぐために、自分はこの場にいるのだ。
思わず窓の外、南の方角をちらりと見やりつつ、マナヤは明るい笑顔を作って見せた。
「はじめまして。テオあらため、マナヤです。もう聞いてるかは知りませんが、別世界から転生してきました」
「……?」
澱んだ目のまま、皆が顔を見合わせていた。異世界からの転生という事実に驚いている、という様子ではない。
訝しむも、とりあえずは話を続けるマナヤ。
「もう知ってるでしょうが、俺は一昨日のスタンピードを抑えた功労者ってことになってましてね。せっかくなんで、召喚師の正しい戦い方を皆さんにも伝授しようかと」
「今さら戦い方もなにも、ないじゃないか」
ぽつりと文句を言ってきたのは、左奥にいた若い男性召喚師。少し不貞腐れたようにそっぽを向いている。
そこへ、先ほどの緑髪の女性が立ち上がった。
「か、カルさん、失礼ですよ! 私、このマナヤさんって人の戦い方を間近で見たんです!」
「どうせ、上級モンスターに頼っての戦いだろ?」
しかし憮然とした声色のまま、そう言い返す男性召喚師。
「ヴァルキリーを持ってるって話じゃないか。他の人が倒した上級モンスターを運よく封印して使役したなら、そりゃあどんな召喚師だって活躍できるさ」
「カルさん、違――」
「俺はあの時、ヴァルキリーどころか上級モンスターなんて一体も持ってませんでしたよ」
緑髪の女性の反論を、マナヤが遮った。
カル、と呼ばれた男性召喚師が振り向き「なんだって?」と片眉を吊り上げる。マナヤは言葉を続けた。
「あの時俺が使えたモンスターは、たぶんあんたがたとそう変わらなかったはずですよ。それでもスタンピードを抑え、単独でヴァルキリーを叩き潰せたんです」
「まさか……じゃあ、別世界の人間とやらが持つ特別な力か何かか?」
「いえ? なにも俺は、この世界の人間にゃできないようなことをやってたわけじゃありません。一つ違いがあったとすれば、ココですよ」
トントンと自分のこめかみを指先で叩いて見せるマナヤ。ムッ、とこの場にいる召喚師達の半数ほどが顔をしかめていた。
気に障ってしまっただろうか。取り繕うように笑顔を作り、一番に気になっていたことを訊ねてみる。
「あーまあ、とりあえず。まずは、皆さんが普段どんな訓練をしてるか、聞いてみてもいいですかね?」
「訓練、ですか」
反応したのは、最初に話しかけてきた白髪の中年召喚師。おそらく、彼がこの村の召喚師達をまとめているのだろう。澱んだ中にも少し苛立ちを込めた瞳でこちらを見つめてきた。
「いわゆる訓練と言えることなど、何もしていませんよ」
「は?」
思わず目を剥くマナヤ。
「ちょっと待て。じゃあ、あんたがたは普段、出撃がない時は何やってるってんです?」
「そりゃ、宿舎に篭ってじっとしているんですよ。せいぜい、モンスターの特徴を資料で再確認するくらいですか。下手に外に出ても、住民に迷惑がられるだけですからね」
暗い表情のまま、まるで他人事のように語る白髪の中年召喚師。思わずマナヤは机をダァンと叩いて憤慨する。
「ちょっと、冗談でしょう! 命が懸かった実戦だってあるってのに、何の備えもしてないってんですか!」
「ならば聞きますがね!!」
ところが、中年が突然マナヤよりも大きな声を張り上げて反論。
「訓練などと言っても! 一体何をどう訓練しろというのですか!」
◆◆◆
「――【行け】! このっ、【行け】っての!」
南門から出てすぐの森の中。
マナヤは、目の前に召喚した自分のミノタウロスに向かい何度も怒鳴っていた。
「だから言ったではありませんか、模擬戦などできないと」
「……マジかよ」
白髪の中年召喚師の呆れるような呟き。マナヤも、目の前の結果に茫然としてしまった。
今マナヤは、テナイアと召喚師たちを連れて南門のすぐ外に来ていた。この中年召喚師が言っていたことを確かめるためだ。
南門を背に、マナヤと中年召喚師はお互いに向かい合っていた。双方、斧を肩に担いだ牛頭の巨漢……中級モンスター『ミノタウロス』を召喚した状態で。
つまりは、模擬戦をしてみようとしたのだ。
が、ミノタウロス達はまったく動かない。
何度『行け』と命じても、斧を肩に担いだままこちらをじっと見下ろしてくるのみ。『倒すべき敵はいない』ということを示す挙動だ。
(話が違ぇぞ神サマ、ゲームと違うじゃねえか!)
頭をバリバリとかきむしるマナヤ。
(いやまあ、召喚獣が『仲間割れしない』ってのはある意味ゲーム通りなんだろうけどよ! 三種類しかない命令も!)
そもそも召喚師は、召喚獣を直接操作したり細かな動きを指示したりできるわけではない。
下せる命令は、たった三種類。
『行け』は、一定範囲内で最も近い位置に居る敵を感知して、攻撃しに行く。
『待て』は、その場で待機する。その間、敵の攻撃射程圏に入った場合、もしくは自分の攻撃射程圏に敵が入り込んだ場合のみ攻撃する。
『戻れ』は、一切の攻撃をやめて召喚師の元へと集合する。
ただし、召喚獣が何を『敵』と認定するかは、たった一つの基準で判断される。
〝殺意〟だ。
召喚主が相手に殺意を抱くか、あるいは相手が召喚師に殺意を向けるか。そうでなければ、召喚獣は敵とはみなさない。
しかし、たかが模擬戦で本気の殺意など、簡単に抱けるはずもない。
(模擬戦できねえってことは、モンスターをぶつけ合って性能を細かく確かめたりとか、補助魔法の実験とかも気軽にゃできねえ。それこそ実戦の中でしかその機会は無えってことになる)
この世界の召喚師、その質が悪い理由の一端が見えてしまった。
また、先ほどの幻影が頭に浮かんでしまう。スタンピード第二波で、この召喚師たちが他の村人もろとも皆殺しにされてしまう幻影が。
「……ふう。よし、わかった。【待て】」
が、すぐに気分を入れ替えたマナヤ。パンと手を叩きつつ、ミノタウロスに指示を下す。そして、おもむろに持ってきた袋から紙束を取り出した。
(落ち着け。なんのこたぁねえ、史也兄ちゃんと同じ指導をやりゃいいだけだ)
この村が滅んだテオの記憶、そしてこの召喚師たちが死んでしまう幻影を、頭を振ってかき消す。
「ここで指導をはじめる。みんな、座るなりなんなり楽にしてください」




