105話 急転
『――一人殺せば人殺しで、百万人殺せば英雄?』
以前と同じ、異世界の部屋の中。
(また、この夢だ。この間の続き?)
体は言うことを聞かず、勝手に動く。
以前と同じように視界が横に動き、フミヤが姿を現した。
『ああ、まあ戦争で人が当然のように殺されてることを揶揄した言葉だよ。昔の映画で使われたらしいな』
フミヤが困ったように笑いながら答える。
自分の手が、胸の前でポンと叩かれた。
『へー。てっきり、英雄になるにゃ何万人でも殺せるくらいの気概がなきゃダメって意味かと』
『そういう勘違いはよくされるらしいね。どこで聞いたんだい?』
『こないだ、プレイヤーに言われたんだよ。どっかのキャラをロールプレイしてるみてえな、面白い人だったけどよ』
霞がかかったような頭の中。しかし、自分の体と口は勝手に動いている。
『サモナーズ・コロセウムでランカーになれるくらい上手くなるにゃ、PCを百万人は倒さなきゃいかん、ってのは合ってるかもしんねえな』
『……ゲームと現実をごっちゃにするんじゃないぞ?』
『んなこたわかってるよ! それより史也兄ちゃん、ダブルスのラダー手伝ってくれよ!』
『はいはい、わかってるって。マナヤ』
視界が滑ってもっと大きな光る画面の前へと移る。
色とりどりに光っている、その大きな画面。自分の手から、なにやら複雑な形の機械を触っている感触が返ってきた。
(……『さもなーず・ころせうむ』だ)
今ではテオにも覚えがある、例の遊戯の画面。
自分が良く知っているモンスターを操り、自分のアバターが召喚戦をはじめた。
◆◆◆
「……う」
自分の目が開く。
体を起こせば、窓にかかっているカーテンの隙間から朝日が差し込んでいた。寝具には、慣れない感触の毛布とシーツが。
(……そうだった。昨日、王都に着いたんだった)
起き上がると同時に、すうっと記憶が戻ってくる。
王都で三人の男に絡まれたこと。なんとかしようとしていると、マナヤが強引に出てきたこと。テオが次に気付いた時には、すでに時刻は夜で宿の部屋に戻っていたこと。
辺りを見回し、いつもよりも綺麗な部屋の中であることを確認。
石造りの壁や天井ではなく、木製に白い塗料が塗られた部屋の中。夢の中で見た部屋の中と雰囲気がどことなく似ている。
(そうか、扉だ)
ちらりと寝室の扉が目に入り、思い至る。
村で暮らしていた時は、寝室に扉などついていなかった。建築士の石材を操る能力で造られた一般の家は、石では作れない『扉』は後付けするしかない。わざわざ木材で手作業で作成・取付することになる。だから扉は玄関と裏口にしかついていないのが普通だ。
寝室どころかほぼ全ての部屋をきっかり扉で区切り尽くされている、どことなく閉塞感を感じる間取り。そんなこの寝室の中が、あの異世界での生活に少し似ている。
「――あ、テオ。ごめん、起こしちゃった?」
と、扉が開きシャラが歩み寄ってくる。
そちらの部屋は作業場として使えるようになっていたはず。
「ううん、おはようシャラ。なにか作業してた? 錬金術師?」
「え? あ、うん。ちょっと」
急にもじもじしながら視線を泳がせるシャラ。
訊かれたくないのだろうか。そんな雰囲気を感じ、テオはそれ以上追及するのをやめた。
「シャラ、僕またマナヤさんの夢を見たよ」
話題を変えるつもりでそう切り出す。
けれどシャラは少し不安そうな表情になった。
「……ど、どんな?」
「え? えっと、昨日の続きみたいな。マナヤさんの親代わりになってたフミヤさんも出てきて――」
しかし『親代わり』という言葉の直後、かすかに鼻をすする音が。
「……シャラ」
見れば、シャラが俯いて肩を震わせている。
テオは寝具から降り、そっとシャラに寄り添った。
「テ、オ」
「だいじょうぶ?」
「……お義父さんとお義母さんの気配が、しないの。この部屋」
濡れた声で周囲を見回すシャラ。
「お父さんとお母さんの気配がした私の家も、ここにはないの」
「シャラ」
彼女は顔を青ざめさせ、震えもひどくなってきている。テオに抱き着いてくる腕が、少し冷たい。
(……父さん、母さん)
テオもふと思い出す。
母が時々、こうやって自分を抱きしめてきてくれたこと。
父がぽんぽんと頭を撫でてくれたこと。
母を困らせてしまい、父に諭されたこと。幼いころに友人と遊んで泥だらけになり、両親に怒られたこと。シャラの両親に夕食に誘われ、両家の親子六人そろって一緒に食事をとったこと。
シャラを抱き返す自分の腕にも、力がこもった。
――コンコン
「え?」
直後、どこかでノックの音が。
この部屋の表玄関だ。
「――失礼します、朝食をお持ちしました」
扉の向こうから声。宿の給仕の声だ。
二人は赤い目のまま、しばしきょとんとお互いの顔を見つめる。
「そ、そっか。朝食、自分たちで用意しなくていいんだね」
「そ、そうだね。ちょっと勝手が違ってびっくりしちゃった」
無理やりの笑顔を作る。
けれどシャラも自分で涙をぬぐい、同じようにはにかんだ。手をつないで表玄関へと向かう。
「ねえシャラ、今日はどうしよっか。王都を見て回る?」
「うん、そうだね。ごめんね、昨日はマナヤさんに譲っちゃって」
「大丈夫だよ。マナヤさん、頼りになるもんね」
シャラを安心させようとそう笑ったが、自分の胸は少し痛んだ。
(またマナヤさんに解決してもらっちゃった。僕は、なんにもできてない)
ぐ、と自分の右ひじを左の手で握る。
けれど、すぐに表玄関へとたどり着いた。テオは震える腕を押さえつけた後、密かに気合を入れながらノブへと手を伸ばした。
朝食をとった後。
「さてっと、まだ今日いっぱいは自由にできるのよね。召喚師に教導する準備とかはいいんだっけ?」
ことさら明るい声でそう言ってくるのは、先ほどテオが泊っている部屋におしかけてきたアシュリー。
「はい、アシュリーさん。召喚師候補生の皆さんが今どこまで教わっているのか、確認してからですね。じゃないと今後の教導方針も決まりませんから」
テーブルでシャラ、アシュリーと一緒にくつろぎながら、今日の予定を話し合う。
と、そこへ。
――コンコン
「あっ、はい」
再び扉をノックする音。テオが立ち上がり扉を開けに行く。
「テオ。シャラとアシュリーもそこにいるのか?」
「あ、ディロンさん。テナイアさんも。どうぞ」
扉の向こうに立っていたのは、ディロンとテナイア。今後の相談だろうか、そう判断し二人を部屋に招き入れる。
「申し訳ありませんが、テオさん。席を外しては頂けませんか?」
「え……」
すすめられた椅子に腰かけるな否や、テナイアはテオを見上げてそう言った。
どうして、と体が硬直してしまう。テナイアは少し目を伏せ、後ろめたそうに続ける。
「シャラさんとアシュリーさんの二人に、内密の話があるのです。テオさんに、というよりは、マナヤさんには知られたくない話が」
ちらりと、シャラとアシュリーに視線を移すテオ。
アシュリーは全く心当たりがないようで不思議そうな顔をしていたが、シャラの方は顔が強張っている。
「……わかりました。僕はロビーに待機していますね」
話の内容は気になったが、内密ということであれば出しゃばるべきではない。テオはそのまま、先ほど開けた表玄関へと足を運ぶ。
「その、ごめんねテオ」
「大丈夫だよ、シャラ。――話が終わったら呼んでください」
後半はディロンとテナイアへと伝えながら、テオは部屋を出て、後ろ手に扉を閉めた。
◆◆◆
「あの、話というのは? あたしが聞いても良い話なんでしょうか」
テオが去った部屋の中で、アシュリーが怖々とディロンに訊ねていた。
シャラは少し震えながらディロンらの様子を伺う。
(もしかしなくても、昨日相談した内容、かな)
テナイアの表情からしても、ただごとではなさそうだ。体が冷えるような感覚を覚えながらもシャラはテナイアの言葉を待つ。
「はい。シャラさんだけではなく、アシュリーさんにも伝えておくべき内容であると判断しました。……マナヤさんの事です」
テナイアが主導となって話を始める。
マナヤの、と聞いてアシュリーがさっと真剣な表情へと変化した。そのテナイアの目が、今度はシャラへと向けられる。
「シャラさん。もしやとは思いますが、今朝もですか?」
「は、はい。今朝もマナヤさんの記憶を夢に見たと言っていました」
深刻そうな雰囲気を感じて、シャラは口の中が乾いたような感覚に。
そうですか、とテナイアが少し視線を横に外した。
「昨晩、王宮の書庫に戻ってもう一度調べなおしてきました。恐れていた事態が、現実になり始めているのかもしれません」
「恐れていた事態、ですか?」
アシュリーがやや身を乗り出しながら訊ねた。その顔にも不安そうな表情が浮かんでいる。シャラも自身の心臓がばくばくいっているのを感じながらテナイアを見つめた。
「マナヤさんがテオさんの副人格である、と聞いた時から危惧はしていたのです。交代人格の夢を見るという件、二重人格に関する資料を改めてさらってきました」
「危惧……」
反芻するシャラの声が、掠れる。
迷うように目を閉じていたテナイアは、やがて目を開いてシャラとアシュリーの顔を直視しながら告げる。
「テオさんとマナヤさん。二人の人格の『統合』が、始まっている兆候と思われます」
自分の顔から血の気が引いていく。隣で身を乗り出しているアシュリーも、息を呑んでいた。
「と、統合、というのは……」
顔を引き攣らせ、絶望するような懇願するような複雑な表情で、アシュリーが訊ねている。ディロンが腕を組み、重苦しい表情で目を閉じているのが目に入った。
テナイアが軽く息を吐き、再び口を開く。
「言葉の通りです。テオさんの人格から、一度分離して独立したのがマナヤさんの人格。そのマナヤさんの人格が、再びテオさんの人格一つに戻ろうとしているのです」
ひゅっ、とアシュリーの口から不自然に息が漏れる音。テナイアが気遣うようにアシュリーへと顔を向け、詳しい説明を始めた。
「元々多重人格というのは、主人格……すなわちテオさんが過酷な環境による多大なストレス、もしくは受け入れがたい現実などに直面した際に起こりやすい現象です。主人格の心が壊れてしまわないように、自分の中に別の人格を作り上げる。辛い状況をその別人格に肩代わりしてもらうことで、主人格の精神の崩壊を避ける。そういった心の防衛反応です」
テナイアは一度息継ぎし、努めて淡々と語り続ける。
「もっとも、通常は多重人格などそう簡単に発生することではありません。ただ、感情の解放が何らかの形で抑圧されている場合、多重人格を発症しやすいと言われています」
「感情の……解放、というのは?」
震える声で、シャラが恐る恐るそう訊ねた。テナイアの顔が険しくなる。
「人は辛い現実を目の当たりにした時、何らかの方法で悪感情を解放しようとします。怒りの言葉を放ったり、涙を流し続けたり。多くの場合、それらを人前で行うことで初めて感情を解放することができると言われています」
一旦言葉を切ったテナイアは、ふっと表情を陰らせる。
「ですがテオさんは、言語が通じない異世界へと渡ってしまった。その当時、テオさんがどこまで異世界の言語を操れていたかは計りかねますが……おそらく、その感情解放できるだけの言語知識が無かったのではないでしょうか。だから感情を溜め込み続け、吐き出すことができなくなり……ゆえに、交代人格の形成に至った。それが私の推測です」
その場に居る全員が、押し黙ってしまった。宿の外から響く喧噪や足音、鳥の鳴き声が妙にはっきりと聞こえる。自身の息遣いすら煩わしく感じた。
(テオ)
シャラは両腕で自分の身を抱きしめる。
風土が違い、文化が違い、食事が違う。言葉すらロクに通じない人と一緒に過ごすしかなく、不満があってもそれを吐き出すことができない。そんなテオの苦しみを思い浮かべてしまった。
しばしの沈黙の後、テナイアが再び話しはじめた。
「本来は専用の心理療法を行わねばならないはずなのですが、主人格の精神が安定すると共に、自然と元に戻っていくケースも稀にあるのです。人格が消滅するか、あるいは統合されるか」
「しょ、消滅!?」
急にがたりと立ち上がるアシュリー。両手をテーブルについてわなわなと震えている。テナイアがそちらに目を向けた。
「はい。消滅の場合は、その交代人格の記憶がもろとも消えることが多い。統合の場合は、記憶も全て主人格へと引き継がれることが多いのです」
「……ま、マナヤは」
「テオさんがマナヤさんの記憶を夢に見ている。これは記憶がテオさんに移っていっている……つまり、消滅ではなく統合の可能性が高いと考えて良いでしょう」
「でも! 統合されたら、マナヤはどうなってしまうんですか!」
絶望するような形相で、アシュリーが悲鳴のように訊ねる。テナイアは僅かに顔を伏せた。
「交代人格の性格は、主人格が普段は理性で抑制している側面が表に出たものだと言われています」
「つ、つまり……?」
「マナヤさんの人格がテオさんに統合された場合、『マナヤさんらしさ』は再び抑制され……無くなります。そういう意味では、残酷ですがマナヤさんは『いなくなる』にも等しい、とも言えるでしょう」
「そ、そんな!」
――その時。
「っ、誰!?」
アシュリーが突然何に気づいて、扉の方を睨みつけた。扉がキィ、と軋むような音を立て、ゆっくり開いていく。
「――テオ? じゃ、ない、マナヤ!?」
「マナヤさん!?」
アシュリーに続き、シャラも驚いてがたりと椅子を鳴らしてしまう。
背を扉にもたれるような形で姿を現したのは、ややウェーブがかった短い金髪。その目つきは軟らかいテオの物ではない、鋭いもの。
その目が、底知れぬ冷たさを宿していた。




