102話 王都到着
(……あれ、ここは)
気づけばテオは、見慣れぬはずの部屋の中にいた。
白い壁。こげ茶の木製本棚、ガラス張のテーブル。金属の棒で土台が作られ、滑らかな布とふわふわとした毛布に覆われた寝具。押し入れの中には色とりどりの衣服が入っており、いくつかは椅子にも乱雑に放られている。
(また、この夢? マナヤさんの記憶の中?)
そんな部屋の中で自分は、文字と映像を映し出す横長の画面を見つめていた。大量のボタンが規則的に並んだ板が手元に置かれており、自分はそこに両手を置いてカタカタとそのボタンを操作しているらしい。
『――ひとり殺せば人殺しで、百万人殺せば英雄?』
自分の口から、そんな言葉が発せられた。
(えっ?)
テオは思わず息を呑んだ……つもりだったが、この世界での自分は妙に平然としている。
どうやら自分は、画面に書かれている文字を読み上げているようだ。やたら複雑な文字と、比較的単純な文字とが組み合わさった不思議な文字だが、自分はその文章をすらすらと読んでいる。
(あれ、視界が横に)
どうやら自分はどちらかの方向に振り向いたらしい。
移動した視線の先に居るのは、黒い短髪に黒い瞳の男性。
(あれはたしか、フミヤさん)
自分もかつては世話になり、マナヤにとっては兄のような存在。
優しそうな顔つきの彼は、困ったような笑みを作っている。
「――」
その男性が何事か口を開こうとした瞬間、急にテオの意識が遠のいた。
(待って、フミヤさん! 今、なんて――)
しかしテオの願い虚しく、視界は白く染まっていく。
フミヤの顔も見えなくなるほど眩しくなり、白い光に視界がすべて満たされ――
「――テオ、テオ!」
「……えっ? あ、あれ、シャラ?」
気づけばテオは、隣に座ったシャラに肩を揺すられていた。
寝ぼけ眼のまま慌ててきょろきょろと周囲を見回す。
(そう、か。王都ヴァルディオンに向かう馬車の中。僕、うたた寝しちゃってたんだ)
今日はすでに、セメイト村を発ってから三日目。
初日は騎士隊の駐屯地で一泊し、昨日は王都に直通の街道でつながっている南の町に泊まった。王都の東西南北に位置する一際大きな街の一つ、『南都ゾーナ』。駐屯地と同じく、木造建築が多い街だ。
そして今日、ようやく王都にたどり着くはず。
ようやく落ち着いたテオは、すぐ隣へ視線を戻した。
心配そうな顔が至近距離にあった。
「テオ、大丈夫? なんだかうなされてたけど」
「顔色の真っ青だったわよ。疲れが溜まった?」
隣のシャラ、続いて正面に座ったアシュリーも心配そうに自分を覗き込んできている。
「あ、うん。大丈夫だよシャラ、アシュリーさん。夢見が悪かっただけで、寝不足とかじゃないから」
安心させるように、二人へ笑顔を作ってみせる。
アシュリーが首をかしげる中、シャラは少し戸惑いがちに上目遣いで問いかけてくる。
「もしかして、またあの夢?」
「う、うん。前と違って、僕自身があの異世界にいたころの夢じゃなかった。たぶん、本当にマナヤさんの記憶だ」
少し前まで、両親のことばかり夢見ていた。
けれどもセメイト村を発ってからこの三日間、なぜかこの夢ばかり見る。今までは見ていなかったはずの、マナヤの記憶の夢。
「まあ、いいんじゃない? 今までマナヤだけ一方的にあんたの記憶を読んできてて、テオの方はマナヤの記憶を読めなかったんでしょ?」
アシュリーが苦笑するような形で肩をすくめている。テオもあいまいに頷いた。
「は、はい。まあ夢で勝手に見てるだけで、僕自身の意思でマナヤの記憶を見れるわけじゃないんですけど」
「あんたとマナヤが、平等になってきたってことでしょ。いいことよ。マナヤの戦術の記憶を見れなくて、テオだって困ってたんでしょ?」
「そう、ですね」
楽観的に笑うアシュリーだったが、テオの表情は優れなかった。
今回特に気になったのは、夢の中で自分が呟いた言葉。
(『ひとり殺せば人殺しで、百万人殺せば英雄』……どういうこと?)
妙に物騒な言葉で、思わず体がすくんでしまう。
――コンコン
「あれ? テナイアさん?」
その時、走る馬車の左側の窓が叩かれた。
ちょうどそちらに座っていたシャラが、左窓を開ける。馬車内を覗き込んできたのは、自身の愛馬に跨って馬車の左側を並走しているテナイア。
「皆さん、そろそろ王都ヴァルディオンへ到着しますよ」
その言葉に、テオとシャラは左右の窓越しに前方を見つめた。向かいに座っているアシュリーも上体を捩り、左の窓から前方を無理やり覗き込む。
「……わぁ」
シャラが感嘆の声を上げていた。
馬車は、今まさに王都の巨大な南門前に近づき、堀の前にかかっている橋を渡らんとしているところだ。
純白に近い巨大な防壁は、セメイト村の防壁の倍近い高さがありそうだ。そんな防壁に備わっている門の周囲は、様々な動物を象った精巧な彫刻で飾られている。
長い門を抜け、馬車は王都内へと入り込んだ。
(やっぱり、にぎわってる)
窓から外を見たテオは、かつて成人の儀で訪れた時のことを思い出しつつ、人波を眺める。
建物はやはり木造建築が多い。一階のみが石造で、二階から上が木造になっている建築だ。
だが駐屯地や南都のそれと違い、石造の一階部分は故郷でも良く見る亜麻色の石ではない。王都を囲む防壁と同じ白い石でできているようだ。壁面にも彫刻が施されている壁が多く、駐屯地などで見た簡素な一階部分とは違って見目麗しい。
二階から上の部分は木造だが、壁面が建物ごとに違う色で塗り分けられていた。ただ一定のパターンがあるようで、青・赤・白・黒の四色に近い色が繰り返されるように立ち並んでいる。
馬車は今、白い石で舗装された中央の広い大通りを走っている。王国直属騎士団などが出撃する際にも通ることになる大通りだ。村などではこういった一直線の広い大通りは見かけないので、惚れ惚れと見回すテオ。
普段はこうやって馬車などの通り道になっているが、道の左右は様々な店で賑わっている。このあたりは食事処が多く、早くも夕食を摂ろうとしている客で活気にあふれていた。
「今日はこのまま、宿へと向かう。長旅で疲れただろうから、明日いっぱいまでゆっくりと寛ぐといい」
馬車の右で、騎馬で並走しているディロンが窓越しに説明した。アシュリーが意外そうに首を傾げる。
「つまり、今晩と明日は自由にしていいということですか?」
「そうだ。指導を始めるにあたって、君達にも準備があるだろう。明後日、セレスティ学園に挨拶をしに行く予定となっている」
「召喚師への教導を始める日程はその時、学園の方々と相談して決めると良いでしょう」
ディロンの説明をテナイアが補足。
アシュリーがにわかに目を輝かせて正面を向き、向かいに座っているシャラとテオへわくわくと話しかける。
「やった、明日は王都を見てまわれるわね! 昨日泊まった南都ゾーナなんて、ホントにただ泊まるだけで終わっちゃったもんなぁ」
「あ、アシュリーさん嬉しそうですね」
珍しく興奮した様子のアシュリーに、シャラがたじたじと訊ねる。
「そりゃそうよ、前に来たときは学園での訓練で忙しかったんだもの。王都でゆっくり観光する余裕なんてなかったし」
「あれ? アシュリーさん、学園に通ってた時は休日は何してたんですか?」
今度はテオが疑問を投げかける。
記憶の限り、学園での修練はハードスケジュールではあるが休日はちゃんと配分されていた。それは剣士科とて同じのはず。
「あー、あたしはそれこそ訓練一筋だったからかな。技能の使い方なんかは、師匠からも教えてもらったことなかったからね。休日だって自主勉強よ」
「アシュリーさん、村の人からも期待されてましたもんね」
シャラがくすりと笑みを浮かべる。久々のシャラの笑顔だ。
(……アシュリーさん、必死に明るく振舞おうとしてるんだ)
テオには、妙にほがらかなアシュリーの笑顔の裏に潜む陰が見えた。
マナヤが殺されてしまった件、彼を生き返らせるためにスコットとサマーが犠牲になった件。アシュリーも心の傷はあったはずだ。それを忘れようと、そして親を殺されてしまった自分やシャラを励まそうと、アシュリーは努めて明るく振舞おうとしている。
(僕も、ちゃんと気持ちを入れ替えないと)
そのためにここまで来たのだ。ぐ、と唇を引き絞るテオ。
そこでふとアシュリーが、名案と言わんばかりに指をスナップさせる。
「そうだ、せっかくだからテオとシャラも付き合いなさいよ。どうせあんた達も、学園での休日は遊びになんて行ってなかったんでしょ?」
「あ、えっと……」
「……」
アシュリーの提案に、シャラが言葉を濁らせた。
テオも思わず黙りこくってしまう。そんな二人の反応に、アシュリーは戸惑うように二人の顔を交互に見比べていた。
「あ、あれ、どうしたの二人とも? 実はあんた達はちゃっかり休日を満喫してたとか?」
「……アシュリーさん、僕は出歩くわけにはいかないので、シャラと一緒に行ってきてください」
「そ、そんな、テオだけ置いてなんて行けないよ!」
沈んだテオの返答に、シャラが慌てたように彼の袖をそっと掴む。
テオは、召喚師だ。故郷のセメイト村ではだいぶ召喚師への当たりが軟らかくなっているが、王都でも召喚師が出歩けば疎まれることは間違いない。召喚師は緑ローブの装着も義務付けられているので、一目でわかってしまう。
あー、と察したように声を漏らしたアシュリーだが、すぐに悪戯を思いついたような笑みを浮かべた。
「だったら、ローブを脱いで行けばいいんじゃない? 前までならいざしらず、今のあんたなら〝顔つき〟で召喚師だってバレはしないと思うわよ? テオ」
「あ、アシュリーさん! ディロンさんとテナイアさんの前で、そんな堂々と……!」
シャラが慌ててアシュリーに振り返り、そして思わず馬車に並走しているディロンとテナイアを恐る恐る見やる。窓は開けっぱなしにしていたので、二人にも今の会話は聞こえてしまったはず。
しかしその二人は、意外にも優しげに目を閉じて唇に弧を描いていた。
「今の言葉は、聞かなかったことにしておいてやろう。騒ぎを起こしさえしなければ、ローブを脱いだとしても別に咎めはしない」
「今回のことは、貴方がたの気分転換も兼ねているのです。気持ちを入れ替えることができるのであれば歓迎すべきことです」
二人の優しい言葉に、テオは胸が詰まってしまう。しかし同時に、心の奥が少し痛んだ。
(父さんと母さんのこと、夢に見なくなっちゃった。……あんまり、涙も流れなくなってきてる気がする)
この三日間で、駐屯地に泊まったり久々に森の外に出たり、そして王都に戻ってきたりと目まぐるしく取り巻く環境が変わった。そのためか、両親を失った悲しみが薄れていく。それがどことなく寂しい。
「テオさん」
だがそれを察したかのように、テナイアが声をかけてきた。
「貴方自身も仰っていたではありませんか。ご両親は、貴方が悲しみ続けることを望んでいなかったと」
「……は、い」
「貴方はもう、亡くなった両親を十分に弔いました。悲しみを忘れることは、ご両親のことを忘れることとイコールではありません」
息を呑んだシャラの視線を感じて、そっと隣へと顔を向ける。シャラ自身も泣きそうな目になってテオを見つめ返していた。
ディロンも、テナイアの言葉に追随するように口を開く。
「それに、テオとマナヤ。お前たちはこれから召喚師達を教導する立場になる。沈んだままでいては困る」
「……そう、ですね」
「召喚師とは後ろ暗い『クラス』ではない。それを証明するのも君の仕事だ。ならば、そのような顔をするな。君は彼らに規範を示せ」
規範を、示す。
ぐ、と自然と腹に力が入った。
「わかりました。ありがとうございます、ディロンさん、テナイアさん」
馬車の左右にそう伝え、続いてシャラに目を戻す。彼女も涙が零れそうになる目を自分で拭い、決意に顔を引き締めていた。
「――まず当面あんたの心配は、周りの視線よ? テオ」
そこへ、妙にニヤニヤとした顔でアシュリーがこちらを覗き込んでくる。
「え、今でも僕、そんな顔してますか? それともやっぱりローブを着なきゃ――」
「そうじゃなくてさ」
アシュリーは自分自身を親指で差し、そしてシャラへも目を向ける。
「あたしとシャラ、二人の女を侍らせて遊びに行くんだもの。そりゃ注目を集めるわよ? 嫉妬で」
「は、侍ら――アシュリーさん!?」
シャラが顔を赤らめ、あたふたと両手を彷徨わせる。
テオもぎょっとなり思わず姿勢を正した。
「ちょっ……や、やっぱり僕は辞めときます! アシュリーさんとシャラで行ってきてください!」
「いいじゃないの。召喚師だってやればできる、って見せつけられるいい機会よ?」
「い、いや僕は召喚師であることを隠していくんですから! 今そんなのを見せつけたって意味ないですよ!」
「だから、覚悟の問題よ。ディロンさんだって言ってたでしょ? しゃきっとしなきゃって」
くすくすと笑っているアシュリーだが、ふと何か思いついたかのように半眼でテオを見つめる。
「あ、それともあたしはお邪魔だった? テオはシャラと二人きりの方が良かったかしら?」
「そ、そういうことじゃなくて……」
「そもそも、王都の往来はしっかり気を張っておかないと物騒よ? あんたとシャラ、押しに弱そうな二人だけでちゃんとできるの?」
ぐ、とテオは思わず言葉に詰まる。
王都は村と違い、浮浪者のような者たちが多いことはテオも知っている。何かそういう者たちに絡まれた時、自分とシャラだけでちゃんと対処できるかと言われると、怪しい。
それを察したか、アシュリーが前のめりになって横からテオの顔を覗き込んできた。
「ま、そういうことよテオ。これも召喚師の立場を上げるために必要なことなんだから。あたしがお手本見せたげるから、ここで一発『度胸』を身に着けなさい!」
◆◆◆
宿をとった後。
「これの換金、お願いします」
一度〝取引所〟に寄り、アシュリーが代表して換金し通貨を手に入れる。
換金するのは村から持ち込んだピナの葉十数束、そしてシャラの作った錬金装飾だ。
「はい。ピナの葉と……おや、これは戦闘用の錬金装飾、それもマナ充填済みのものですか。よろしいので?」
受付の男が品を確認し、嬉しそうに顔をほころばせる。
村では自給自足の生活をするため、基本的には貨幣を使わない。皆が助け合い、作物や家畜、獲物などを分け合うようにして暮らしていた。急に個人で必要なものが出てきた場合も、基本的には物々交換、あるいは労働力で返すのが主だ。
だが『町』ではそうはいかない。そのため町に来るときは、村の特産品などを持ち込んで換金するのだ。セメイト村では主にピナの葉がそれにあたる。町ではピナの葉が燃料や冷却材として使われることは少なく、むしろ香辛料としての需要が高い。
「はい。換金額はこちらになります」
受付の男が、満面の笑顔で革袋をアシュリーへと手渡す。
「うっひゃあ……合計で三三一六spかぁ。だいぶいい値段になったけど、ちょっと半端ね」
「えっと、三人で分配するなら、一人一一〇五spと余り一spってところでしょうか」
革袋の中身をアシュリーが確認し、金額からテオがすぐに一人分を計算。
spというのは、シルバーピース(銀貨)という通貨だ。一spが小銀貨一枚に相当する。硬貨には大銀貨や中銀貨、そして各種金貨なども存在するが、単位は全てspだ。
なお一spよりも価値の低い銅貨も存在するが、そちらはcpと呼ばれている。百cpがちょうど一spに相当する。
「あ……そうだ。その、アシュリーさん言いにくいんですけど」
「ん? どうしたのテオ」
「できれば、四等分にして頂いても構いませんか」
「ああ、マナヤの分ってコトね?」
テオの提案に、すぐにアシュリーも察してくれたようだ。
マナヤは王都そのものが初めてだろう。せっかく来たのだから、彼にも自由になるお金を渡してあげたい。
「その、ごめんなさい。僕一人で二人分使うみたいになっちゃって」
「全然平気よ。えーっと、じゃあ丁度四で割り切って、八二九spってとこかしら?」
頭の中でさっと計算し、頷くアシュリー。
「これだけあれば自由に使う分には十分ですね」
「うん。ありがとねシャラ、シャラの錬金装飾使わせてもらっちゃって。シャラの取り分多くしようか?」
シャラも笑顔で革袋を覗き込み、テオはそんなシャラに気遣う。
マナの篭った錬金装飾、特に戦闘用のそれはそれだけ価値が高い。有用な物が多い反面、マナを込める錬金術師自体が不足しているのも理由の一つだ。
おそらくシャラが提供してくれた錬金装飾だけでも、二五〇〇sp分ほどの価値があっただろう。五spから十spほどあれば、ここ王都でも平均的な量の昼食を注文できる金額。それを考えると相当量だ。
「ううん、大丈夫だよテオ。私自身はそんなに買うものはないから。それよりアシュリーさんはお土産、たくさん必要なんじゃありませんか?」
「あー、わかる? 孤児院のみんなの分もお土産買ってあげたいと思ってたのよ」
シャラの指摘に、アシュリーがぺろっと舌を出した。
「じゃ、こんなところじゃ何ですから食事処に入ってから分配しましょう」
テオはアシュリーから革袋をいったん受け取る。
それをおもむろに懐へとしまいながら、取引所の扉を内側から開いた。
「ちょ、テオ! 待った待った!」
が、アシュリーにぐいっと襟首を掴まれ、取引所の中へと引っ張り込まれる。
「ア、アシュリーさん? どうしたんですか」
「どうしたもの何も! 換金した大金を懐にしまうところ、取引所の入口開けてそんな堂々と見せびらかしてどうするの!」
「……あ」
アシュリーに小声で説明され、ようやく思い至るテオ。
取引所は、いわば貨幣発行の中心だ。よからぬ輩が金を掠め取ろうと待ち構えていることも多い、とどこかで耳に挟んだことがある。
「ご、ごめんなさい。僕、その、以前王都に来た時は――」
「あー……うん、あたしこそごめん。そうね、あんたは王都の往来を出歩く経験なんてしてないでしょうし」
縮こまるテオを見て気まずくなったか、アシュリーもしゅんと肩を落として頬を掻く。
「ま、とにかくやっちゃったものは仕方ないわ。これから注意して。それと、不埒なやつらが来ないよう目を光らせて」
「は、はい」
今度はアシュリーがそっと取引所の出口を開いた。シャラが続き、お金をすべて抱えたテオが最後尾になる形でなるべく静かに取引所を出る。
(……なんだか僕、駄目だな。自分の判断に自信がなくなりそう)
両親の死を引きずってしまった。シャラを元気づけることも、アシュリーに先取りされてしまった。挙句、こうやって取引所でさっそくミスを犯してしまっている。
しかし落ち込んでもいられない。なるべく堂々とするように気を付けながら、アシュリーとシャラの後に続き表通りを目指して歩き続けた。
「――おい、そこの三人ちょっと待ちな」
不意に三人は、背後から声をかけられる。
振り向くとそこには、下卑た笑みを浮かべた三人の男が。テオとシャラの表情が強張った。
「何? あんた達、何か用?」
アシュリーがやや大きめの声で、男たちに向かって強気に問い詰める。その声に釣られて、周囲の通行人たちもこちらに注目し始めた。
(そうか。アシュリーさん、周りの人に助けてもらいやすいように、わざと大きな声で)
アシュリーの基点に舌を巻くテオ。
三人のガラが悪そうな男たちは、一斉にテオに視線を集中。テオが思わず硬直する中、中央の男が一歩前に進み出てくる。
「いやなに? 人の女を盗った上、こんなに堂々と二股をかけてる男を見かけたもんで、ちょいと注意をなぁ?」
彼もまた大声で、野次馬に聞かせるように言い放った。
それと同時に周囲の者がひそひそ話をしはじめる。
「なに、痴話喧嘩?」
「衛兵に連絡……する必要はなさそうか? 二股かけてたっていうならまあ、自業自得だし」
「か、関わらないようにしましょ」
人だかりはそさくさと離れようとしたり、どちらに味方すべきか迷ったりしている。チッ、と横でアシュリーが舌打ちし、正面の男を睨み据えた。
「なんの話よ。あたし達はあんた達なんて知らないわよ」
「はっ、乗り換えたらもう昔の男は用済み、ってか?」
と、作ったような怒りの表情を見せながら文句を言ってくる男。
(しまった、そういうことか)
テオも、アシュリーが舌打ちをした理由に気が付いた。
やはり先ほど、取引所でテオが大金を懐にしまうところをこの男たちに見られてしまったのだろう。シャラとアシュリーという二人の女性を連れていることに目を付けられ、痴情のもつれという〝設定〟にして絡んできたのだ。男女のもつれに首を突っ込みたがる野次馬は、そうそういない。
「ちょいとお灸をすえてやらにゃならねえからよ。ツラ貸しな」
そう言って中央の男は、くいっと薄暗い裏通りを親指で指さす。
(なるべく人目につかないように、僕からお金を巻き上げる気だ)
顔を青ざめさせるテオ。
自分の失態で、面倒なことになってしまった。ここで下手に抵抗して騒ぎを大きくすれば、いやでも衛兵に気付かれる。自分が召喚師であり、義務付けられているローブを着用していないことを知られてしまうかもしれない。
(どうすれば、いいの)
自分の失態だ。自分でなんとかしなければ。
そうは思っているも、頭が真っ白になって何も思い浮かばない。
(――え? あっ……)
ふいに、視界が掠れる。
自分の意識が、深く沈んでいくのがわかった。見かねて、マナヤが助けに出てきたのだろうか。
(マナ、ヤ? 待って、僕が自分でなんとかしなきゃ。僕がしっかりしなきゃ――)
なんとか懇願しようとするも、否応もなく意識は沈んでいく。
代わりにもう一人の自分が浮上してくるのを感じながら、テオは意識を強引に押し込められた。




