旅立ち
あれから。
アザミはウツギからボッコボコにされ、途中からスライムやらフェアリーやらミニゴブリンやらも参戦し、辺りはカオスを極めていたらしい。
らしい、というのは、僕が途中から失血で意識を失っていたので実際に見たわけではないからだ。これらの状況は、あとから体を引きづりつつ丘を上がってきた(らしい)グロリオから聞いた。
「いやあエグかったぜ…。大妖怪ウツギちゃんはともかく、雑魚モンスターたちがあんなに強いとはな~。マジ怖ぇ。これからは迂闊にスライム虐めねえようにしよ。」
僕に治癒魔法をかけながら、グロリオはおどけたような口調で報告を締めくくった。
待て。なんだ大妖怪ウツギちゃんって。そんな訳の分からない呼び名を定着させるな。
かくして、僕を殺そうとした帝国騎士アザミは、ウツギから返り討ちに遭って捕縛され、今こうして僕たちの前に転がされているわけだが。
「……ウツギ。流石にやり過ぎじゃないか?」
「ええ~。普通やん?」
アザミの体は、顔だけを残してぶっとい茨でぐるぐる巻きにされていた。簀巻きというのも生ぬるい感じで。抜かりなく、細い茨で猿轡まで施されている。
そこまでの厳重で過剰な拘束をされても、なお僕たちをキツく睨みつけているのは流石というかなんというか。さっきまで尋常じゃないぐらい怖かった彼女の睨みも、この格好ではギャグにしかならない。
「ウツギ。」
「なんや。こいつ殺すんか?」
「物騒だなあ返事が」
全くいつも通りの口調なのが怖い。
「いやさ、せめて猿轡は外してあげてよ。」
「え、なんで?なんかえげつい拷問でも思いついたん?」
「だから物騒だなあもう。」
「じゃあ、どうするん?情報吐かすだけ吐かして殺す感じ?」
「いや殺さないから。とりあえずその発想から離れて。」
こいつが僕の味方で本当によかった、なんて、こんなことで思いたくなかった。
「話を聞きたいんだ。殺す殺さないとか関係なく、僕は彼女と話したい。」
「え?コイツ、デルフィを殺そうとしたんやで?」
ウツギは本当に理解できない、という顔で僕を見上げてきた。なんとなくグロリオの方を見やると、グロリオは難しい顔をして、地面に転がるアザミをじっと見ていた。
「……グロリオ?」
「俺も、こいつの話を聞きたい。」
グロリオは顔をあげると、ウツギをまっすぐ見つめた。
「頼むわ、ウツギちゃん。」
ウツギは少したじろぐようにして、うちはさっさと殺した方がええと思うけどな、と呟いてから、アザミの猿轡を外した。
「えっと、アザミ……さん?」
「くっ……、殺せ!」
「いや、殺しませんけど。」
もしかして、僕の常識が間違っているのだろうか。
「えと。アザミさんは、僕を始末しに、この村に来た、んですよね?」
僕はその場にしゃがんで、おそるおそるアザミの顔をのぞき込む。
「どうして?」
「……、教えない。」
アザミは、芋虫のような状態のまま顔を上げて、よりキツく僕を睨みつける。
「こんな醜態を晒したとて、私は帝国騎士だ。そう易々と情報を渡したりしない。」
「そうですか。……困りましたね。」
本当に困った。急に命を狙われた理由も分からないまま、今まで通り平穏に暮らしていける訳がない。「退屈は悪」などという、数十分前の自分の発言を、僕は既に相当後悔していた。
退屈バンザイ!平和最高!!
「なあ、あんた。」
僕がいかに平和的に口を割らせるか考え始めたとき、黙っていたグロリオが口を開いた。
「なんでこいつを殺そうとした?」
「……」
「おい。答えろよ。」
「……さっき言っただろう。こんなでも、私は帝国騎」
バキッと、軽くて鈍い音がした。地面に伏せたままのアザミの体は、グロリオに蹴られた衝撃でくの字に曲がり、ほんの一瞬地面から浮かんだあと、再び地面に転がった。
激しく咳き込むアザミを、グロリオは冷たい目で見つめていた。
「ぐ、グロリオ。なにやって」
「デルフィは黙ってろ。」
いやに冷たい声だった。
ヤバい、珍しく激怒してる。こうなったグロリオは何をしでかすか分からない。早く止めないと、と思っても、背中から漂うどす黒い怒りのオーラに圧倒されて動けない。
「………、暴力は感心しないな。勇者様。」
アザミは挑発するように言う。
「人の親友殺そうとした野郎が何言ってやがる。」
グロリオは不気味なほど平淡な声色で応じる。
「さっさと答えろよ。俺だってこんなことしたくない。勇者様だからな。」
「断る。いくらここが中立国アーマイゼでも、君たちが我が国の敵、例えばアルカンシエル公国などに情報を漏らさないとも限らない。」
「へえ。ところでさ、帝国騎士って、拷問の訓練受けてたりすんの?」
「……」
「俺さ、拷問とか詳しくないけど、簡単なのなら知ってんだぜ。例えば、」
グロリオは懐から短剣を取り出し、見せつけるように鞘から抜く。
「指を一本一本切り落とすやつとか、全身の肉をちょっとずつ削いでくやつとか、山羊に足の裏舐めさせ続けるやつとか。」
まあ、全身の間接外すやつとかみっちり針のついた棺桶っぽいのに突っ込むやつとかは器具無いと難しいけどな、と、グロリオは真顔でまくしたてる。それでもアザミは表情を変えず、じっとグロリオを見つめていた。
どんどん物騒な方に話が進んでいる。呆気に取られていた僕は我に返ると、慌ててグロリオの肩を叩き、こちらに注意を向かせる。
「お、落ち着けって、グロリオ。」
「なんだよデルフィ。」
「物騒なんだよさっきから。もっと、平和的な感じで」
「じゃあ、絵面的に一番マシな指で行くか?」
「行かないでお願いだから」
「安心しろ。殺さねえから」
「殺さなかったら傷つけてもOKなわけじゃないからね!?」
てかさっきから怖いんだよ顔が!
「てか、お前被害者だろ?殺されかけてんじゃん。なんでコイツ庇うわけ?」
「いや、だからさ、もっと平和的な手段が……」
「たとえばどんなのがあるってんだよ!その“平和的な手段”に!!」
グロリオが怒鳴る。一日で色々ありすぎて大分混乱状態だった僕の脳味噌は、初めて自分に向けられた親友の怒鳴り声で完全にキャパオーバーした。
それで、どうしたかというと。
いや、自分でも本当に意味が分からないんだが、僕は何故か、そこらへんを跳ね回っていたスライムを一匹拾い上げると、それをおもむろにアザミの上に置いた。
「は?デルフィ、お前なにやってん」
「ぎゃあああああああああああああああ!!!!!!」
絹を裂くような悲鳴が轟いた。悲鳴の主であるアザミは、真っ青な顔で激しく身を捩らせると、誰にともなく懇願するように叫んだ。
「と、とって。これ、とってえええええ!!!」
「なんでですか。スライムかわいいでしょう?」
僕はそう言って、二匹目を乗せる。黄色と青が混ざって、なんだか毒々しい色だなあと思った。
「わ、私、私は、スライムが苦手なんだ…!あの、触感が、生理的に……!」
「そうですか。では、この機会に慣れてしまいましょう。」
三匹目を乗せる。が、三匹目の赤スライムはアザミの体から滑り落ちてしまった。べちょん、と音を立ててアザミの顔の近くに落ちる。
「ひっ、……!」
「うふふ、スライムかわいい。」
四匹目、五匹目、
「この緑の子は、一際弱い代わりに自身を自動で回復させるスキルを持ってるんです。この黒い子は防御力が高い。弾力があって抱き心地バツグンですよ。」
六匹目、七匹目、
「一番よく見る青い子は、一時的に巨大化できるんですよ。赤い子は火属性の魔法が得意。ちょっと暖かいでしょう?うふ、ぷにぷに。」
八匹目、九匹目
「この紫の子は毒を持ってます。あ、この金色の子は凄いですよ?なんと、お金が生成できるんです!少額ですがね。」
十匹目…
「この黄色の子は…」
「わ、分かった!なんでも話す!!話すから、助けてくれぇ!!」
「え、まじですか。」
やったあ!と僕は、十匹目の黄色スライムを高い高いするように上へ投げ上げる。宙へ舞ったスライムは、びちゃっと音を立ててアザミの顔面に落下した。
「ーーーーーーーーーー~~~!!!!!」
アザミは声にならない悲鳴をあげると、そのままことんと気絶してしまった。
「え、アザミさん?しっかりしてください!アザミさーーーーん!!」
「……エグいことすんなあ、デルフィ。」
「ほんまやで。うちらのこと散々物騒だ物騒だってゆうといて、一番エグい拷問しとるやないの。」
「虫とかでアレされると考えたら、正直殺される方がマシだと思うよ。」
「な。は虫類を大量に上に乗せられるぐらいなら、うちは舌噛み千切って自害するわ。」
「それな」
と、とんでもなく引かれてる!?
「ふ、二人とも。これ、どうしよう……?」
「とりあえず、スライムらをのければええんとちゃいますか。デルフィ様。」
「そうですデルフィ様。自分らも手伝うので。そのあと叩き起こしましょうです。」
「なんで敬語なの二人とも。」
スライムを用いた“平和的”な尋問は、こうして僕らに変な距離感を残して終了した。
○●○●○●○●○●
「で、話してくれるんですよね?」
体の上からスライムを撤去され、グロリオに文字通り叩き起こされたアザミは、ウツギの茨により無理矢理座らされて、僕ら三人と対峙していた。アザミは、しばらく黙って僕たちを睨んだあと、しぶしぶといった感じで口を開く。
「……私の、主のもとに、『アーマイゼと我が国の国境近くに、伝説の魔獣を操る大魔導士が住んでいる』という情報が入った。だから私に、魔導士の捕獲もしくは殺害の命が下った。」
「大魔導士?僕がですか?」
「ああ。主のご判断だ。」
「どうして?」
「言えない。」
一瞬身を乗り出したグロリオを制止して、僕は質問を続ける。
「でも、下った命令は『捕獲もしくは殺害』。つまり、もし僕が無害な存在だったら、僕を生かして連れ帰れ、って命令だったんですよね?」
「ああ、そういうことになるな。」
「じゃあ、なんでアザミさんは僕を殺そうとしたんですか?自分で言うのもなんですが、多分僕、大魔導士どころか、この小さな村の中でも一番弱いですよ?」
アザミが少し回答に詰まった。少し考えるような表情をしたが、僕の目をまっすぐ見て、きっぱりと言う。
「村人たちが、『この丘の上にとんでもないテイマーが住み着いて迷惑だ』と言っていたから、悪い魔導士だと判断した。」
「はあ??」
なんだその理由。そんなことで殺されかけたのか、僕。
つくづく村人に嫌われてるんだな、と実感した。特に何もしてないはずなんだけど…。
「なるほど、村の奴らか。」
「グロリオ。本音が漏れてる。」
「いやその、彼らが君のことを相当ボロクソに言うものだから、てっきり極悪人なのだと…」
「随分テキトーだな」
「落ち着いてグロリオ。」
アザミがはあ、とため息をつく。
「随分と血気の多い勇者だな。まあ、まだ子供なら仕方ない。」
「ああ?」
「グロリオ!!」
一瞬腰の剣に手をかけたグロリオは、僕の顔を見て、舌打ちの後剣から手を離す。
「とにかく、事情は分かりました。全く納得できませんが、まあ分かったことにします。」
僕は、ずっと後ろで傍観していたウツギを見やる。
「ウツギ。なんかない?」
「なんかってなんや。雑なフリしてくんな。」
ウツギはめんどくさそうに頭を掻く。
「まあ、アンタが狙われとるんは分かった。刺客まで来とるってことは居場所も周知されとると思ってええ。この先、ここで今まで通り住むんはムズいやろな。」
「そっか…」
「うちとしては、さっさとこいつ殺して、新しい住処探すんがええと思うで。」
念押しのように付け加えて、ウツギはふわあ、と欠伸を漏らす。
僕はアザミに視線を戻して、静かに言った。
「ウツギ。この拘束を外してくれ。」
「は!?アンタうちの話聞ぃとった?」
ウツギが驚いたように僕の腕を掴む。グロリオも驚いたような顔で僕の顔を覗きこんだ。
「聞いてたよ。別に、アザミさんを解放する訳じゃない。」
「じゃあ、どうして…」
「帝国が僕の殺害命令と同時に捕獲命令を出した。それはつまり、帝国は、僕に何らかの利用価値があるかもしれないって考えたってことだ。…でも、僕はごく普通のテイマーだ。テイマー自体、そこまで珍しいギフトじゃないらしいし。」
「それがどうしたんや?話の繋がりがイマイチ分からんで。」
「……おいデルフィ。お前まさか、」
僕は、グロリオへ向いて頷く。
「帝国に直接乗り込んで、事情を聞きたい。なんで僕が『大魔導士』なんて呼ばれてるのか、知りたい。」
「な……!」
絶句するウツギを後目に、僕は改めてアザミへ向き直る。
「いいですか、アザミさん。」
アザミは、僕の心中を探るような、疑わしげな目をする。
「………私が断るとは、考えないのか?」
「考えません。だって、僕を帝国へ連れ帰ることで、貴女の任務は達成されるでしょう?」
「ああ、それもそうだ。……それなら、私に断る理由もないな。」
ここで初めて、アザミは微笑んだ。挑発するような強気な笑みだったが、僕は素直に微笑み返す。
「ありがとう」
「デルフィ、本気なんか?」
ウツギは不安そうに僕を見上げてくる。
「大丈夫だよ。拘束を解いて。」
僕の頑とした命令に、ウツギは不満げに頬を膨らませ、「うちはもうしらんけんな」とアザミの拘束を解いた。
○●○●○●○●○●
数分後、僕が旅の準備を整えていると、慌ただしく家の中へ飛び込んでくる人影があった。
「よお、デルフィ。」
「ああ、グロリオ。家に帰ったんじゃなかったの?」
「違ぇよ。……この家も随分とすっきりしちまったな。」
「ああ、」
僕はがらんとした自宅を見回す。あれだけごちゃごちゃしていた家の中がものの数分でここまで綺麗になるものか、と感心してしまう。
グロリオが床にあぐらをかいて座ったので、僕もその隣に腰をおろす。
「なんていうか、人って案外、背中に背負えるだけの荷物でもなんとか生きてけるんだなって。」
「はは、悟ったようなこと言ってんね。似合わねえ」
「まあ、ほとんどウツギの物だったから。僕の物なんてほんと、背負えるだけの量も無かったよ。逆に。」
「マジか!じゃあ、あの謎の植物とか、変な汁が滲んでる鉱石とかは全部、ウツギちゃんの私物だったのか…!」
「え、あの謎コレクション僕のだと思ってたの?ショックなんだけど?」
そんな他愛のない話で盛り上がっていると、不意にグロリオは寂しそうな顔をする。
「ほんと、寂しくなっちまうな。」
「そうだよ。正直勢いで言っちゃった感じもあったし、ここに来て撤回したくなってきちゃった。」
「マジかよ!?」
「冗談だよ。まあ、寂しいのは事実だけどね。」
努めていつもの調子を保つ僕の冗談に、グロリオは笑って僕の肩をたたく。
「外へ出ても、きっとお前は変わんねえよな。俺は多分、激変するだろうけどよ。」
「ああ、そうだね、グロリオなら。」
僕は、グロリオに笑いかけて、肘でグロリオをつつく。
「…もう、出るよ。グロリオ。見送りありがとう。元気で」
「はあ?何言ってんだお前?」
別れの挨拶を切り出した僕を遮って、グロリオが素っ頓狂な声を上げる。どこか演技じみたその声の主は、にやにやと笑っていた。
「俺も行くに決まってんだろ?」
「何言ってんのお前!?」
「だって、お前、仕事…」
「辞めてきた。もともと真面目にしてなかったからな。あっさり辞められたぜ。」
戸惑う僕をよそに、グロリオは目を細めて、窓から見える青空を眺める。
「元々、こういう冒険に憧れてたんだよ、俺。まあ、帝都に行くだけだが、それでも冒険には変わらねえ。せっかく勇者としてこの世界に生まれたんだ。俺は勇者っぽいことして生きるぜ!」
力強く子供っぽいことを言うグロリオに、僕は呆れたように笑う。
「全く…グロリオらしいや。」
「ん?やっぱ迷惑か?」
「いや、心強いよ。ありがとう。」
とぼけたことを言って肩をすくめるグロリオに手を差しだし、握手を求める。
「これからよろしくな。」
「これからも、だろ?相棒。」
「僕はいつ親友から相棒になったのさ。」
「いいじゃん、親友も相棒もそんな変わんねえよ。」
グロリオはいつもの快活な笑顔で、僕の手を握り返した。
「おいアンタら。準備終わったんならもう出るで。」
玄関の方から、ウツギの声がする。無表情を装っているが、微かに声が跳ねている。背に背負った大きなリュックの下では、尚更大きなしっぽがパタパタとせわしなく揺れていた。
「ごめんごめん、もう終わったよ。出発しよう。」
僕とグロリオが慌てて玄関をくぐり抜けると、少し離れた場所からアザミが声をかけてきた。
「準備と、覚悟は万全か?なら……デルフィ・フラワーガード。君を帝国に連行する。」
「はい、大丈夫です。よろしくお願いします。」
棒読みっぽく言ったアザミは、僕の返事を聞くと、村の反対側の方へ歩き出す。
アザミの先導により僕らは、どんどん丘を下りて、森の方へ向かっていた。目の前の森の巨大さに、僕は息を呑む。
「……わあ。」
「デルフィ、どしたよ?」
「いや、何気に僕、丘のこっち側へ降りるの初めてなんだ。中央平原どころか、森に入ったこともないや。…なんだかどきどきしてきた。」
「おいおい、そんなんで大丈夫か?これから俺たちは、もっともっと広い場所へ出て行くんだぜ?」
「そうやでデルフィ。そのドキドキはあとにとっとき。」
呆れたように言う二人のお陰で、旅の緊張が少しほぐれた気がした。
これから僕は、今まで知らなかった大きな世界へ飛び出す。
小さな村のちっぽけな少年がただ旅立つ、それだけのことなのに、なぜだか、このことで世界の運命が大きく変わったような。森への道を歩みながら、僕はそんな錯覚を覚えていた。