思わぬ訪問者
この世界には、恩恵“ギフト”という概念がある。
人類に生まれつき備わった自分だけの特別な能力。君たちでいうユニークスキルみたいなものだ。君たちのそれと決定的に違うことは、恩恵は生まれた時から使える訳じゃないってとこぐらいだね。
もはや、この世界の人間ならみんな知ってるようなことだけど、意外と原理とかは解明されてないみたいだ。力の代償的なものも確認されていない。詳細不明って恐ろしいよね。それに、タダより高いものは無いってよく言うし。
まあ、かくゆう僕も特になんの疑問無く恩恵を享受してるけどさ。
そういうものってよくあるよね。
話を戻そう。
僕たち人間は大抵、8才ぐらいに教会で洗礼を受けるんだ。そのときに、ついでに自分の恩恵を教えてもらえる。少なくとも、この村ではそうだ。大抵はその後、自分の恩恵にあった職につくみたいだよ。僕みたいなのは珍しいんだってさ。
なあ、君ら聞いてんの?……うわ、すっごく興味なさそう。
「当たり前じゃよ。そんな人間の事情とかうちらは興味ないわ」
隣に座った少女が、欠伸をかみ殺しながら不思議な口調で言う。そのまま、まるで猫のように伸びをすると、頭の両端でまとめられた栗色の髪の中から、丸っこい獣耳が二つぴょこんとあらわれる。
眠そうに背を丸める少女から目を離して、僕は目の前のスライムたちに向き直る。青赤黄色と色鮮やかなスライムたちは、みな目をくりくりさせ、不思議そうに僕を見つめていた。
「っかしいな…。おいウツギ。本当にモンスターって人の言葉を理解してんだよな?」
「多分そのハズだったはずやで。うちの記憶が正しければな。」
「めちゃくちゃに保険かけるじゃん」
なんだったんだよこの時間と肩を落とす僕に、ウツギという少女はくふふと笑いかけた。
かくして、モンスターたちに人間の常識を教えようという目論見は、あえなく失敗に終わったのだった。
ここはアーマイゼ国。このだだっ広いグロッサ大陸の中心あたりに、ぽつんと存在している小国である。周りを大国ばかりに囲まれ、農業とちょっとした観光資源で国を成り立たせている永年中立国。そんな小さな国の、さらに小さな村、エンデ村。その村の外れの小高い丘にたつ魔物の住む館、通称「魔物屋敷」に、僕たちは住んでいる。
僕の名前はデルフィ。魔物使いだ。
「に、しても。今日も今日とて平和だなあ。」
「いいことやないの。」
「いいや退屈は悪だよ。ウツギ。なにか面白い話をしてみてよ。」
「あいにくうちは忙しいんよ。」
「とかいって、いつもいつもぐうたらと惰眠を貪ってるだけじゃないか。」
「なっ、これは瞑想や!精神統一しとるんや!!」
ウツギはそう言ってそっぽを向き、拗ねたように大きな尻尾を振った。
ウツギは見ての通り、獣人のモンスターだ。本人曰わく「狸」らしいが、僕はそもそも「狸」という生き物を知らないため、真偽のほどは定かではない。彼女の言うことの四分の一は嘘、残りはテキトーである。
僕が物心つく前からそばにいる、両親がいない僕の親代わりのような存在。しかしそのテキトーな性格のせいで、育ての親だという気も恩も全くおきない、不思議な少女である。身長も僕より低いし。
「身長は関係ないやろ…」
ウツギが半ば呆れたように睨みつけてくるので、僕はなんとなく目をそらした。
ともあれ、今日もなんの事件もなく、平和に過ぎそうだ。僕はそのことになんとなく絶望して、今日も畑へ向かう。
「行ってくるよ、ウツギ。」
「おう。留守はこのウツギに任せときぃ。」
ウツギは欠伸をしながら家の中へ入っていく。どうせ今日も一日寝てるんだろうな。それで僕の三倍もご飯を食べるのだから、いつも備蓄がたまらなくて冬に苦労するんだ。僕が。
そんなことを鬱々考えているうちに、あっという間に畑に到着した。丘の上から見える畑に比べると恥ずかしくなるぐらい小さな畑だが、豊穣の力を持つ妖精系のみんなが協力してくれているので、上質な作物がたくさん穫れる。
「ーーーー」
「ああ、おはようみんな。いつもありがとね。」
「ーーーー♪」
ひらひらと出迎えてくれたピンクフェアリーのみんなに、いつものように挨拶をすると、彼女たちは鈴の音のような笑い声をあげながら舞うように頭上を飛び回り始めた。その羽から舞い落ちた金の粉が地面に触れると、畑の土が仄かに輝いた。
これが彼女たちのユニークスキル、「豊穣」である。
ユニークスキルは一種族に一つある特殊能力である。剣術や魔術などは鍛錬次第で誰でも(魔物でも)極められるが、他種族のユニークスキルだけは絶対に習得できない。これもまた原理は不明だが、世界は何の疑問も無く受け入れていることだった。
彼女たち「ピンクフェアリー」のスキル「豊穣」は、文字通り植物の品質を少しだけ上げるという大変ありがたい能力だ。だが戦闘向きのスキルではないため、「雑魚モンスター」として新人剣士たちやちょっと勇敢な村の少年の腕試しとして標的にされやすいらしい。魔物側としては迷惑極まりない話である。
ここで突然、本当に突然、人間の恩恵もユニークスキルの一種なのではないか、という雷のような閃きが訪れた。僕、天才かもしれない。
自分の閃きに対ししきりに頷いていると、ふと、丘を登ってくる一つの人影を見つける。この丘をわざわざ登ってくる村人は一人しかいないため、特に気に留めることもなく作業を開始させた。
「おっはーデルフィ。今日も忙しそうだな!」
「おはようグロリオ。君は忙しくないの?」
屈託のない笑顔を浮かべながら元気に駆け寄ってきた少年・グロリオは、有り余った体力を発散させるように、短い金髪を揺らして無意味に一回転してみせた。縦にである。
結構なレア“恩恵”「勇者」を授かり、「剣士」の職のついた僕の幼なじみさま。剣の稽古だ村の警護だと忙しいはずなのに、毎日時間を見つけてはこの魔物屋敷にやってくる変人である。
「そういえばさ、この村に珍しく旅人が来たとかで、村中大騒ぎだぜ。おもてなしだーなんだーって。」
畑のそばにしゃがみこんだグロリオは、なんでもないように雑談を始めた。どうやら、その混乱に乗じてしれっと仕事から抜けてきたらしい。そんな勤務態度では、いくら勇者様でもいつかはクビになると思う。
「…お前、ここにいていいの?大方『勇者』であるお前に会いに来たんじゃないのか?」
「知らん。だって、なんかおっかない感じだったし。こええ感じの姉ちゃんでな、おもてなしを受けても全くの無表情。周りに威圧感を振りまきまくってんの。たとえ俺に用事でも逃げるぜ、俺は。」
聞いてもないことをベラベラと教えてくれる。こいつのこういうところは嫌いじゃないが、たまにちょっと鬱陶しくなる。
「へええ。ま、よほどの変人じゃないかぎりこの丘を登ってきたりしないでしょ。会いたくないなら匿ってあげてもいいよ。」
「おう、頼りにしてるぜ、親友。」
グロリオの快活な笑顔を見届けてから、中断していた作業を再開させる。グロリオは、僕の作業の邪魔にならないように畑の脇でフェアリーたちと戯れていたが、しばらくしたら飽きたようで、僕に「家お邪魔するぜ」と一言かけて、丘をさらに登り始めた。フェアリーたちがつまらなそうに僕の周りをくるくる飛び回る。
それからたいして経たないうちに、グロリオがやや慌てた様子でこちらへ駆けてきた。
「どしたの?」
「お、丘に誰か、登ってきてるぜ…!」
グロリオの言葉を受けて、丘のふもとをみやると、確かに丘を登っている人影が見えた。
「誰だろう。珍しいこともあるもんだ。」
「あ、あれ、あれは」
グロリオが不自然なくらい慌てた様子で言う。
「あの、旅人だぜ。この村に来てた…!」
「失礼。君は、デルフィ・フラワーガードだろうか。」
鎧を身に纏った旅人は、有無を言わせない口調でグロリオに問う。それを聞いたグロリオは、僕をかばうような位置に移動して、下からぬめつけるように旅人を睨む。
「違ぇけど。お前何者だよ?」
「私はルフト・カイザラルックの帝国騎士。アザミ・ファミジアという。」
旅人ーーアザミは、短く答えて、グロリオを威圧するように見下ろす。この一触即発の空気におびえたフェアリーたちは、ちりじりに木の陰や草の陰に隠れてしまい、心配そうに様子をうかがっていた。
ルフト・カイザラルックはたしか、この国に隣接する大国の一つだ。そこの騎士さんが、どうしてこんな小国の片田舎に…。
「ああ、君はもしかしてグロリオ・フェスターか?『勇者』の。」
「だったらなんだよ。」
「なら、すぐにそこをどきたまえ。私は君と戦う気も、傷つけるつもりもない。」
「やだよ。なんでどかなきゃなんねぇんだ。」
「私が用があるのは君のうしろで震えている少年だ。彼がデルフィ・フラワーガードなのだろう。」
「…こいつに何の用だよ。」
「君には関係ない。できれば今すぐこの丘を降りて、デルフィ・フラワーガードのことなど忘れて、『勇者』として活躍して欲しい。」
「それって…」
あんたがこいつを始末するって意味か?というグロリオの質問に、アザミは答えなかった。ただ、腰に提げられた剣の柄に手を掛け、腰を深く落とした。
「な、お前…」
「許せ少年。」
短く告げて、アザミは一足でグロリオまでの間合いを詰める。
「え、早」
ズン、と鈍い音が響く。グロリオは腰の剣を抜く間も無く、一刀の元に切り倒された。彼が倒れる様が、スローモーションのように見えた。
「……え、」
「手加減した。峰打ちだし。たいした傷じゃないはずだよ。しばらくは動けないだろうけどね。」
アザミは淡々と言うと、はじめてデルフィの目をまっすぐ見据える。
「さて、デルフィ・フラワーガード。君自身に何か恨みがあるわけではないが、死んでもらうよ。」
真っ向から叩きつけられるような殺意。逃げなきゃいけないと理解していても、足がすくんで動かない。
「大丈夫。痛みも感じないうちに殺してあげるから。」
呟くように言って、さっきと同じように腰を深く落とすアザミを見ても、体どころか声も出ない。体中から変な汗が出ている。すっかり混乱した思考は、ぐ、と右足により体重をかけたアザミの様子で、急激に醒める。
死ぬ。
「じゃあね。また、どこかで会えたらいいな。」
アザミが地面を蹴った。
そして、グロリオに躓いた。
いや、躓いたんじゃない。グロリオが、踏み出したアザミの足にしがみついていた。
「ぐ、ぐろり」
「何やってる!早く逃げろ!!」
必死の形相のグロリオを見て、ようやく僕の足は強く地面を蹴った。
「な、少年、君は…!」
後ろからのアザミの声が聞こえない。僕は無我夢中に丘を駆け上がった。我が家がどんどん近づいてくる。真っ白な思考は、一人の少女を映していた。
「ウツギ…!」
僕は何をしたいのだろう。彼女にどうして欲しいのだろう。
助けてほしいのか、彼女だけでも逃げて欲しいのか、はたまた一緒に遠くまで逃げて欲しいのか。
分からなかった。
家にたどり着き、玄関のドアに手を掛けた刹那。
「あぐ!?」
突然右肩に衝撃を感じた。バランスを崩して倒れ込むと、歩いて近づいてくるアザミが見えた。
動けない。右肩に何かが刺さっているようで、どくどくと血が溢れているのが見なくても分かる。
「そっちに逃げても無駄じゃない?」
アザミが無表情で淡々と言う。
逃げようとしても、不自然に手足に力が入らない。全身から変な汗が止まらない。
「な、ん」
「ああ、痺れ薬。あんまりもがかないほうがいいよ。楽に死ねないから。」
アザミは剣が一振りして、剣身についた赤い何かを払う。赤い…血?
「ぐ、グロ」
「少年は、殺してないよ、多分。ちょっと刺して大人しくさせただけ。」
もういいでしょ、とアザミはうんざりしたような表情で、剣を振り上げた。彼女がはじめて見せた表情がこれだなんて、と、僕は場違いなことを考えた。
「…!」
「ばいばい。君にはもう会いたくないかも。」
「なにやっとるんや、あんた」
聞き慣れた声がした。ほぼ同時にドアが吹き飛び、中から変に増長した茨のようなものが伸びて、アザミを突き飛ばす。
「う、わあ!」
間抜けな声を出して、アザミは勢いよくひっくり返る。いや、受け身を取っていたようで、すぐに体勢を整えて悠々と家から出てくる獣人の少女を睨む。少女は心底楽しそうに笑って、僕の前に立つ。
「なんだ、お前は!!」
アザミの叫びを無視して、少女は悠々とアザミに近づく。白いワンピースを翻し、巨大な茨を手足のように扱いながらアザミの眼前まで迫ると、少女はアザミを見下ろしくふふと笑う。
「うちのご主人に手ぇ出すとか、いい度胸やなあ。ま、うちのこと知らんかったならしゃあないか。」
この大妖怪ウツギ様をなあ!と意味不明なことを宣いながら、ウツギは無い胸を張ってみせた。