ある日の昼下がり、婚約者が珍しく私の家へやって来ました。~過去には縛られない~
ある日の昼下がり。
珍しいことだが婚約者ロメンスが私の家にやって来た。
「明日さ、あの丘へ来てよ」
「分かったわ」
わざわざ来てくれるなんて珍しくて不思議には思ったけれど。
だからといって特に悪い想像なんてしてはいなくて。
「よろしく」
「オッケー。じゃ、また明日ね」
なんてことのない普通の約束だと思っていた。
――なのに。
「来てくれたんだね」
待ち合わせ場所へ行った時、待っていたロメンスは、刃物を手にしていて。
「は、刃物って……何それ、どういうこと!?」
「それはどうでもいいんだよ」
「ええっ。どうでもよくないわ。怖いわ」
「そういう話をするために呼んだんじゃないんだ」
「……な、なら、どういう話を?」
すると彼は微笑む。
「君との婚約、破棄することにしたから」
ロメンスはさらりとそんなことを言ってのけた。
「破棄……本気で言っているの?」
「うん」
「それを伝えるために私をここへ呼び出したということ?」
「そうだよ」
「本当にそれだけ?」
「うん」
「そう……。でも、いいの? 本当にそれで。せっかく婚約したのに、破棄だなんて。婚約も、婚約破棄も、人生において重要なことよ」
「いいんだ。というより、もう決めたことだし。決定を変える気はないよ」
「そうなのね」
刹那。
「だから死んでもらう!!」
ロメンスは手にしていた刃物を振り襲いかかってくる。
「ゃ――」
「死ねぇぇぇ!!」
ああ、そうか、ここで死ぬんだ私。
そんな風に諦めかけて。
抵抗する勇気さえも出せず。
両親の顔が脳内に浮かぶ――が、その直後、背後から椅子が飛んできて、それが刃物を持ったロメンスの額に激突した。
「ぐぎゃ!」
ロメンスはその場に倒れ込む。
「大丈夫!?」
「え……ロメンスのお母さん?」
そう、椅子を投げたのはロメンスの母親だったのだ。
ロメンスの母親とは一応知り合いだ。深く互いを知る仲、というほどではないけれど、それなりに言葉を交わしたことはある。その時は楽しかった記憶もあるので、その人について悪いイメージは抱いていない。
「ロメンスの行動がおかしいと思ってこっそり尾行してきたのよ」
「そ、そうだったんですか……」
「そうしたらこんなことになっていて。驚いたわ。まさか息子がこんなことをしているだなんて……信じられない、けれど、貴女が殺されるところを見てみぬふりはできなかった」
ロメンスはまだ気を失ったままだ。
土の匂いのする地面に倒れ込んで動かない。
「助けてくださってありがとうございます、ロメンスのお母さん」
「いいの。悪いのはロメンスよ。一体何がどうなってこんなことになったのか知らないけれど……少し、話を聞かせてくれる?」
もしかしたら彼は死んでしまったのでは? なんて思いながらも、実母に対してそんなことを言うわけにもいかないので私はそのことについては黙っておいた。
「はい」
「ありがとう」
その後私は一連の流れについてすべて明かした。
するとロメンスの両親は何度も謝ってくれた。
それから数日、ロメンスが亡くなっていたことが判明し、それによって私とロメンスの婚約はほぼ自動的に破棄となった。
また、こちらとしてはそういうことを求めるつもりはなかったのだが、ロメンスの両親は謝罪の気持ちということで慰謝料を支払ってくれたのだった。
ロメンスはああいう酷いことをする人となってしまったけれど、彼の両親は最後まできちんとした感性を持った良い人であった。
殺されかける経験なんてすることになるとは思わなかった。
それはとても辛い経験であった。
だがすべては解決した。
もう悪しき彼はこの世にいない。
私が憎むべき人はいない。
だから私はもう過去の出来事に縛られずに生きてゆこうと思う。
まだまだ若い。未来はある。苦痛さえ糧として、明日を切り拓いてゆこう。そうすればきっと幸せになれるだろう。なんせこちらに非はなかったのだから。私は何も悪いことはしていないのだから、幸せを掴む権利は確かに持っているはずだ。
必ず幸せになる。
そして、いつの日か、毒々しい過去さえも思い出に変えて。
私は幸せになれた!
――そう青空に向けて叫んでやるのだ。
◆終わり◆




