突然婚約破棄されました。しかし家への帰り道に溺れていた一人の男性を助け、そこから人生は大きく変わってゆくこととなったのでした。
「お前なんてなぁ! いいとこねぇんだよ! てことで、婚約は破棄だ! ……二度と俺の前に現れるな、その顔を見せるなよ」
共に未来へと歩めると信じていた婚約者オーディアスからある日突然そんなことを言われて婚約破棄されてしまった。
言いたいことはたくさんあった。言い返してやりたいことは山盛りで。けれども彼からの圧は凄まじいものだったので、どうしても、その場で言い返すことはできなかった。
こちらに非があるわけではないので本当は言い返してやったって良かったのだろう。
でもその時の私にはそこまでの勇気はなくて。
「そうですか、分かりました」
反撃はせずに去る――ただそれだけしかできなかった。
だがその帰り道に事件は起きた。
実家へ戻る道を歩いていたところ、池にはまって溺れそうになっている男性を発見したのだ。
「大丈夫ですか!?」
「た、たたた、助けてぇぇぇぇぇ!」
この辺では見かけない顔だ。
でもどこかで見たことがあるような……?
だが今は呑気にそんなことを考えている場合ではない。
それよりも早く彼を救助しなくては。
「待っていてください! 今浮き輪に使えそうなものを投げますから! それにつかまってください!」
――何とか救助には成功。
「はぁ、はぁ……」
「大丈夫ですか?」
「う、ううっ……死ぬかと思った……。ありがとう、助けてくれて」
やはりどこかで見たことがある気がする。
……でも、どこで?
「助けてくださってありがとうございました。ラッセルと申します。お忍びで街をうろうろするのが趣味なのですが、うっかり池に落ちてしまいまして。いろんないみで危ないところでした」
ラッセル、って……まさか。
「王家のラッセルさんですか!?」
「あ、ああはい。そうです。こんな情けない人間ではありますが、これでも一応、王子という位にある人間です」
「やっぱり!」
だとしたら、見たことがある気がするのも間違いではないだろう。
王子という人はたびたび民に顔を晒すものだ。
仕事とか新聞でとか形式は色々だけれど。
国の頂点に近い人、特別な存在、だからこそ民らに顔を知られているというのはいたって普通のことである。
「それで見たことがある気がしたのですね」
納得して、思わず口から出してしまう。
「あ、そうでしたか」
ラッセルは濡れた服の裾を絞りながら穏やかな表情を見せる。
きっとこれが彼の本来の表情であり姿なのだろう。
どこまでも穏やかなある種の神のような雰囲気をまとった人だ。
「はい。実は少し気になっていたのです。どこかでお見かけしたことがあるような、と」
そう言えば。
「はは、それはそれは。覚えていてくださってありがとうございます」
彼は軽やかに笑った。
それから少しして、彼は真剣な表情になる。
「この恩、近く、必ず返させてください」
その声は真っ直ぐで堂々としたものであった。
「え、いいですよそんなの。困っている方がいれば助ける、それは当たり前のことですし」
ラッセルはどこまでも真っ直ぐさを感じさせてくれる人だ。
きっと彼は誠実なのだろう。
だからこそここまで真っ直ぐな生き方を見せられるのだろう。
「ですが……何もお返し無しというのは、少々気になってしまいます」
「殿下にお返しさせるなんて申し訳ないです」
「いえ! 僕とて一人の人間ですから! 申し訳ない、なんて仰らないでください」
「でも……」
「分かりました。では、お返しではなく自身からの想いとして、お礼をさせていただくこととします。それならば少しは気にならないのではないですか? あくまで普通のやり取りですし」
こうして私とラッセルの関わりは始まったのだった。
◆
あれから数年、驚きかもしれないが私はラッセルと結婚した。
かつては平民と王子。
しかし今では国からも正式に認められた夫婦である。
王城での暮らしにもすっかり慣れた。
私は既にここで国のために生きると心を決めている。
だから何があっても迷わない。
良いことも悪いこともすべてひっくるめて人生と思って生きてゆく覚悟だ。
ちなみにオーディアスはというと、あの後良家の令嬢と結婚したそうだがその令嬢は非常に扱いにくい性格の持ち主だったようで今は当たり散らされこき使われる毎日だそうだ。
今やオーディアスに人権はない。
奴隷のように扱われても。
人として見てもらえなくても。
心など無視で罵倒されても。
それでも彼は彼女の言うことを聞いて生きるしかないというような状況なのだとか。
◆終わり◆




