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失恋の痛み

 いつ屋敷に着いたのか、気がついたら馬車のドアが開き、真っ蒼な顔をしたアントンが私を抱きあげていました。きっと私のあとを馬で追ってきてくれたのですね。


 そのまま私の寝室まで運んでくれたのは覚えていますが、それ以降のことはほとんど記憶にありません。母が、涙ぐみながら私の頭をなでてくださっていることと、ドアの向こうから父の大きな声が聞こえていたことはなんとなく覚えているのですが。


 結局私はそれから三日間寝こんでしまいました。そんな私を心配した両親はさらに二週間ベッドから出ることを許してくれませんでした。


「これまでずっと頑張ってきたんだ。今はゆっくりと休みなさい。何も心配することはない」


 父はそう言うと、しばらく屋敷に戻ってきませんでした。


 母は、「お父様がちゃんと話をしてきてくださるから、カトレアは何も心配することはないのよ」と言って、私を抱きしめ「ごめんなさいね」と何度も私に謝っていました。


「なぜ、お母様が謝るのです? 悪いのは私です」

「いいえ。母が悪いのです。婚約者候補のお話をお受けしましょう、とお父様を説得したのは私だもの」


 そんなことを言わなければ、あなたがこんなつらい思いをすることはなかったのだから、と母は涙を流されました。


 決して母が悪いなんてことはありません。私だって、このお話を聞いたとき、本当にうれしかったのです。そして身の程も知らずに、リチャード殿下に恋をしてしまったのです。


 その日は、二人してたくさん泣きました。私も母も、体の水分を全部出してしまったのではないかと思うほど泣いて、二人して目を腫らしてしまいました。


 リチャード殿下とマーガレット様の婚約が決まったと聞いたのは、お二人が抱きあっている姿を見た日から一週間後のことでした。その一週間のあいだ、王宮はとても慌ただしく落ち着かない状態だったそうです。

 そして、私が寝こんで王太子妃教育をお休みしているあいだに、王太子妃教育が終了しました。




「レア、大丈夫か?」


 今日はルークスが私のお見舞いに来てくれています。私の大好きなチーズケーキを持って。


「心配をかけてごめんね」

「謝るな。でも食事はちゃんと取らないとだめだぞ」

「うん」


 王太子妃教育が終了したことを聞いた私は、それからもしばらくベッドを出ることができずにいました。お医者様の話では、王太子妃教育を受けるようになって、常に緊張状態にいたことや、睡眠不足、そして目の前で起こった出来事がショックで、心と体が悲鳴を上げているのではないかということでした。


 それに、私が目にしたことをアントンが両親に説明したと聞きました。もちろんそんなことをしてしまえば、王族に仕えるアントンの立場が悪くなるのですが、隠しておくことはできないと、隠すことなくこれまで見てきたことをそのまま報告したそうです。


 実は、両親は私が何度もお茶会をキャンセルされていることを知りませんでした。そのため、その話を聞いたとき、父は真っ赤な顔をして立ちあがり、「あの小僧! 殺してやる!」と喚いたそうです。その場にいた兄ゲイルもそれは同じ。真っ赤な顔をして体を震わせ、王宮に殴りこみにでも行かんばかりだったそうで。


 父は、「もっと早く打ち明けてくれていれば、さっさと婚約者候補を辞退させたものを」と悔しそうに顔をゆがめていました。こんな顔をさせてしまうなんて。私は親不孝者です。


 私は自分が選ばれるはずはないと口では言いながらも、心のどこかで期待をしていたのです。リチャード殿下の優しさを、自分のものだと勘違いしていたのですから。だから、お茶会に来てくださらなくても、すべて都合のいいように解釈をして、蔑ろにされているなんて信じることができなかったのです。

 でもやっと私は、婚約者になどなれないことを、理解することができました。あの優しい笑顔がすべて偽りだったのだと。


「私、ちょっと疲れちゃったみたい」

「そうだな。お前は頑張り過ぎだ。だから今日はだらだら過ごすぞ」

「ふふふ、私はここ最近ずっと寝ているのよ。十分だらだらしているわ」

「まだまだ足りない。何年も忙しかったんだから、その分だらだらしろ」

「わかったわ。だらだらする」

「よし」


 時間を見つけてはお見舞いに来て、慌ててベッドから起きあがろうとした私を制し、「寝てろ」と優しく私の頭を撫でるルークス。その手はとても大きくて、今頃になって、ルークスが男の人であることに気がつきました。


「今度、どこかに出かけるか」


 ルークスが唐突にそんなことを言いました。私を元気づけてくれるつもりなのでしょう。


「私なんかと出かけたら、いろいろと言われるわよ」

「べつに何を言われたって構わないよ」


 素っ気ない口調なのに、私にはその言葉がとても優しく聞こえ、温かくて思わず涙がこみ上げてきました。


「え? なんで? おい、どうした?」

「ごめんなさい。なんだか、安心しちゃって」

「……そうか。痛いとかじゃないならいいよ」


 痛いです。体は痛くなくても、心がとても痛いです。

 傷が癒えないままさらに傷を作って、ずっと長いあいだ癒えないまま。時間がたってもいまだに生々しく思いだしてしまういろいろなことが、さらに傷を作っていき、このまま私は二度と立ちなおれないのではないか、とさえ思えてしまいます。


 忘れればいい。すべて忘れてしまえ。


 周りの人たちは私にそう言います。私も忘れてしまいたいと思っています。私は無知で、幼稚で、世間知らずで。自分に不相応な立場に憧れを抱くこと自体が間違いだったのに、それもわからずに必死になって。本当に苦しい時間ばかりが思いだされるのに、それでも私には大切だったのです。


 だから、かなしくて情けなくて、悔しくて。


 嫌い、嫌い! 全部嫌い! 殿下なんて大嫌い! あぁ、誰もいない所に消えてしまいたい……。


 ぐちゃぐちゃとした支離滅裂な感情が体中を駆けめぐって、堪えきれずに声を上げて泣きはじめてしまった私。きっと、ルークスは困ったことでしょう。それでも、私の涙が枯れるまでつきあってくれました。その優しさが今の私にはありがたくて、でも申し訳なくて。


 私はどうしてしまったのかしら。自分の心が自分のものじゃないみたい。


読んでくださりありがとうございます。

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