ああ、そういうことですか
少し胸くそあります。
「おお、オークウッド伯爵令嬢」
突然名前を呼ばれて、声のするほうを見ると財務部長官のアーバイン侯爵。
「アーバイン侯爵」
「捜しましたぞ、オークウッド伯爵令嬢」
「いかがされましたか?」
アーバイン侯爵が私を捜しているなんて何事でしょうか?
「実は、殿下があなたを捜しておりましてな」
「え? 殿下が、ですか?」
なんということでしょう! もしかして、私が席を立ったあとにいらっしゃったのでしょうか?
「そうでしたか。お手間を取らせて申し訳ございません。すぐに戻ります」
「いや」
踵を返して来た道を戻ろうとする私を、アーバイン侯爵が制しました。
「殿下はあちらの建物のほうにいらっしゃいます」
アーバイン侯爵が指示した方向は、南館のほうでした。
「わかりました。ありがとうございます」
わざわざ侯爵が捜しにくることなんてこれまでありませんでしたから、ほんの少しだけ引っかかるものを感じましたが、早く殿下にお会いしなくては、と少しはやる気持ちのほうがずっと大きく、侯爵がさし示したほうへを急ぎました。
殿下が私を捜してくださっている。
それだけで、さっきまでの悲しい気持ちがうそのように消えているのがわかります。
しかし、南館のほうということはわかりましたが、南館のどちらにいらっしゃるのかはわかりません。
「私ったら。うれしくてちゃんと聞かずに来てしまったわ」
アントンにそう言うと、アントンは少し困惑した顔で笑って首を傾げています。普段の私なら、アントン同様に首を傾げていたかもしれません。
ですが残念ながら、今日の私は少し変だったのです。だから、なぜ南館のほうにリチャード殿下がいらっしゃるのか? とまで考えが及びませんでした。
南館にはほとんど足を踏みいれたことがないため、園路から来てしまった私は少し迷ってしまいました。
「リチャード殿下はどこにいらっしゃるのかしら?」
「カトレア様。戻りましょう。もしかしたら、殿下も別の場所でカトレア様を捜していらっしゃるかもしれません」
「……そうね。アーバイン侯爵にもう一度聞いたほうがいいわね」
このまま、当てもなく捜すことが得策とは思えません。
私は、来た道を引きかえすことにしました。
「あら? どなたかの声が聞こえるわ」
かすかにですが、人の声が聞こえます。
「……そうでしょうか?」
アントンには聞こえていないようです。
「ほら? ちゃんと聞いてみて」
「……いえ、何も聞こえません」
アントンは明らかに声が聞こえるのに、聞こえないと言います。
「でも」
「あ、カトレア様。お待ちください」
私は、アントンの言葉を聞かずに声のするほうに向かっていきました。
「カトレア様、ほかの場所を捜しましょう」
アントンは声を僅かに潜め、私に言いました。いったいアントンはどうしてそんなことを言うのでしょうか。人がいるなら、リチャード殿下の居場所を知っているかもしれないのです。もしかしたら、この話し声がリチャード殿下のものかもしれないのです。
私はアントンの言葉を聞かずに声のするほうへと向かいました。
すると横から慌てた様子で私に近づいてくるリチャード殿下の護衛騎士たち。やっと私を見つけたという感じでしょうか。ご迷惑をおかけしてしまったようですね。
「殿下はどちらにいらっしゃるのかしら?」
「カトレア様」
リチャード殿下の護衛騎士が、声をひそめて私を呼びましたが、それより先に私はあたりを見まわしていました。すると、少し奥まった壁の死角にも見える場所で、男性の背中が。
「あれ、は……? 殿下?」
あの後ろ姿は間違いなくリチャード殿下。そしてその奥に見えるピンクのドレスは――。
「マーガレット、様……?」
細い腕が殿下の首に回り、お二人が抱きあっていて、わざわざ近づかなくても何をしているのかはわかります。角度を変え、顔を寄せあうお二人から、その艶めかしい音がここまで聞こえてきそうです。
身体が固まって動けなくなってしまった私は、お二人から目を離すことができませんでした。護衛騎士が何かを私に言っていましたが、何も耳に入りません。
私に気がついたマーガレット様と目があいましたが、私から目を逸らすことはなく。
リチャード殿下とくちづけをしながら私を見つめるその瞳は、まるで私の反応を楽しんでいるかのように笑っていました。
「リチャード殿下、愛しています。もっと、強く触れてくださいませ」
マーガレット様の少し乱れた声は、不思議なくらいに私の耳に届きました。
「マ、マーガレット嬢……」
リチャード殿下の声。
「ああ、リチャード殿下、うれしい……」
そして再びくちづけを交わす二人。
私は見ていることができずに踵を返しました。すると目の前にはアーバイン侯爵。
「おやおや、愛しあう若い二人には、周りのことなど何も見えていないようですな」
私を見ながらそうおっしゃいました。
愛しあう若い二人。それはリチャード殿下とマーガレット様。
私は、顔が赤くなるのを感じながら「失礼します」と走ってその場を離れました。
「カトレア様!」
アントンの声が聞こえましたが、私はその場から離れたくて離れたくて、止まろうとは思いませんでした。自分の努力が報われないことくらいわかっていました。でも、これはあんまりです。
もう何もかもどうでもよくて。でも、かなしくて悔しくて。
私とのお茶会をキャンセルしてでも、マーガレット様との時間を作りたかったのですね。
殿下には私との時間など煩わしかったのでしょう。私と無駄な時間を過ごすことも耐えがたいことだったのでしょう。
「それなら、最初からキャンセルしてくださればいいのに」
きっとリチャード殿下は、私に理解させたかったのだと思います。自分が大切にしているのはマーガレット様だと。だから、私にわざわざあんなところを見せたのです。
「そんなことしなくても、ちゃんと言ってくだされば、私は辞退したのに。……私は、ちゃんと……」
屋敷に着くまで、私は馬車の中で声を殺して泣きました。
自分は不相応であると理解したはずなのに、本当は全然理解なんてしていなかった。お二人の姿を見て涙が出てくるなんて、どこかで期待していた証拠。リチャード殿下を慕う気持ちなんて、持ってはいけなかったのに。
気がつけば持っていたはずの刺繍入りのハンカチが……。
「……ハンカチ、なくなっちゃった。なくなっちゃったぁ――……」
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