すっぽかされたお茶会
「お嬢様」
私室でうたた寝をしていた私を起こしたのは侍女のカリナ。
「あ、私ったら」
本を読んでいる途中で寝てしまったようです。
「お嬢様はお疲れですね」
「すこし寝不足ぎみなの」
勉強の時間を増やしたので、毎日の睡眠時間が四時間程度になってしまい、昼間に強い眠気に襲われることがあります。これでは本末転倒ですわ。
「もう少ししたらレーゼン様がお見えになりますよ」
「あ、そうだったわ」
ルークスと一緒に、ティータイムを過ごす約束をしていていたのを忘れていました。
おいしいクッキーが手に入ったから、とわざわざ届けてくれるそうで、それなら一緒にお茶を飲みながらいただきましょう、という話になったのは数日前。
最近私の顔色が悪いと言って、頻繁にやってくるルークスはとても心配症で、大丈夫、と言う私の言葉はまったく信じていないようです。
とはいえ、もう少し健康的な生活をしなくてはなりませんね。父や、兄からも、私の体を心配して、無理をしないようにと再三言われていますから。
私が身支度を整えて少しするとルークスがやってきました。その手には、北のヴィルラヘル領で人気の贅沢なクッキー。
さくっと軽い口当たりのクッキーの中に、たっぷりと練りこまれているのは大粒のチョコレートチップ! クッキー一枚で、紅茶が三杯は飲めると言われている激甘テイスト!
なんて、なんで素晴らしい組み合わせでしょう!
クッキーだけでもおいしいのに、チョコレートを混ぜこんだら二倍、いえ、三倍はおいしさが増してしまいますわね。
「このクッキーなら何枚でも食べられるわ!」
その分紅茶も進みますけど!
思わず興奮してしまった私を見て、ルークスがぷっと吹きだしました。
「レアなら絶対喜んでくれると思ったよ」
「私でなくても喜ぶわ。……でも、普段はそんなにはしたなくないのよ?」
おいしいクッキーに瞳を輝かせたり、練りこまれたチョコチップの数をそっと数えてみたり、そんなこと王宮では許されませんから。
「わかっているよ」
ルークスは「そんなこと気にしないで、たくさん食べろ」と言ってくれました。
なんだか久しぶりに穏やかな気持ちです。
「勉強、大変そうだな」
「……私がお二人より遅れているから仕方がないわ。まだ、足りないくらいよ」
「そうか。でも、辛くなったら休めよ。レアが倒れたら元も子もないぞ」
「うん。ありがとう」
そうは言ったものの、お二人に追いつく自信なんてまったくありません。
これまで、学院ではそれなりにいい成績を収めてきましたし、お勉強は私の得意分野といってもいいくらい自信がありました。王太子妃教育の勉強も怠ったつもりはありません。
それでも、お二人には追いつかないし、リチャード殿下を失望させていて、私を王太子妃候補に選んでくださった方にまで申し訳ない気持ちになります。
「レアは十分頑張っているし、同じ年のどの子より優秀だ」
「でも、それとこれとは違うわ」
「頑張ってだめだとしても、お前の価値は変わらないし……王太子妃に絶対なりたいわけではないんだろう?」
「……」
できることなら、リチャード殿下のお側に。
「……それなら体を壊さない程度に頑張れ。愚痴くらいいつでも聞いてやるぞ」
ルークスがそう言って眩しい笑顔を見せてくれました。
「うん。ありがとう」
ルークスの優しさが、私に大きな力をくれました。だから、ルークスが少し寂しそうな顔をしたことに、私は気がつくこともできませんでした。
本日はリチャード殿下とのお茶会の日ですが、約束の時間を過ぎてもリチャード殿下はいらっしゃっていません。遅れるときには、側近のジャン様がその旨を伝えに来てくださるのですが、そうではないということは、もうすぐいらっしゃるのだと思うのですが。
最近はリチャード殿下とあまりお会いできませんでしたし、お会いしてもリチャード殿下のお心を煩わすことしかできず。それに、何度かお茶会をキャンセルされてしまいましたから、少し心配で。
でもそれ以上に、殿下のことを思いながら刺した刺繍入りのハンカチを渡したくて、今日のお茶会を楽しみにしていました。
それなのに約束の時間から十分が過ぎ、二十分が過ぎ、三十分が過ぎ。
もう、なんだか泣きたくなってきました。お茶の準備をして控えていた侍女も、うつむいて居た堪れない顔をしています。そんな顔を見てしまうと、申し訳ないやら情けないやらで、私までうつむいてしまいました。
そこへべつの侍女がやってきて、控えていた侍女に耳打ちをし、耳打ちをされた侍女は目を見ひらいて私をちらっと見ました。
私と目が合うと侍女は慌てて目を逸らします。それだけで、今の状況が理解できてしまい、空しさで体中の力が抜けてしまいました。
リチャード殿下はいらっしゃらないのだわ。
そう私が理解したのと同じタイミングで、控えていた侍女が申し訳なさそうな顔をして、私の横までやってきました。
「カトレア様。申し訳ございません。殿下は急な用事ができたため、今日のお茶会にお越しになるのは難しいそうです」
「そう」
つまり、今日もお茶会をキャンセルされたということです。
「こんなに準備をしてくれたのに、申し訳ないわね」
「いえ、とんでもないことでございます」
「あなたの淹れる紅茶は、とても香りが良くておいしかったわ」
ずっと待っている私の体が冷えることを心配して、殿下がいらっしゃっていないにもかかわらず、紅茶を淹れてくれた優しい侍女は、本当に申し訳なさそうな顔をしています。彼女のせいではないというのに。
「ありがとう」
「恐れ入ります」
侍女は深く頭を下げたまま。
私は、笑ってその場をあとにしました。早くその場を離れないと涙がこぼれてしまいそうで。私は、少し早足で歩いて人目を避けるように木の陰に入りました。
「カトレア様」
護衛のアントンが心配そうに私に声をかけてきました。
「大丈夫です。少し、落ちつきたいので待っていてもらえますか?」
「はい。もちろんです」
そう言って、心得たようにアントンも少し人目を避けたところで、私の気持ちが落ちつくのを待ってくれました。
リチャード殿下はお忙しいのだもの。お茶会をキャンセルすることだって当然あるわよ。……でも、ちょっと惨めだわ。遅れると連絡をいただけなかったうえに、キャンセルだもの。
マーガレット様やキャシー様とのお茶会は、一度もキャンセルされたことがないと聞いたわ。……私と顔をあわせるのが嫌なのかもしれない。私がほかのご令嬢より勉強が遅れているうえに、子どもっぽすぎてうんざりしているのかもしれない。
だから、何度もお茶会をキャンセルされてしまうのよ。だいたい、身の丈に合ったお話ではなかったのだから、欲張ってはいけなかったのよ。
あー、ますます泣けてくる。
でも、お茶会にいらしてくださったときには、必ずキャンセルされたことを何度も謝ってくださるし、昔と変わらない笑顔を向けてくださるわ。
別れの際には必ず額にくちづけをしてくださるし……。
あれこれ考えては悲観して、どうにか自分を励まして、でもやっぱり落ちこんで。
そしてふと、ルークスが「俺は好きな子にしかくちづけはしないよ。髪でも額でも。当たり前だろ。だって家族以外の女の子へのくちづけは特別なんだから」と、少し赤い顔をして言っていたことを思いだしました。
私はその言葉を聞いて、ありもしないことを期待してしまったのです。もしかしたら、リチャード殿下も、私のことを特別と思ってくださっているのかしら? なんて。
「都合のいいことなんて考えて。本当に私はばかだわ」
ただの婚約者候補なのに。自分が特別だなんて思ってはいけないのに。
そう思えば諦めもつきました。もっと早くにそうしなくてはいけなかったのに。
「最初からわかっていたことじゃない。私には不相応なお話だということは。殿下に愛されたいなんて、身の程知らずなことを考えるからこんなことになるのよ。私は殿下には釣りあわないんだから、むだな期待なんてしてはいけないのよ」
少しして私が木陰から出ると、アントンがすっと姿を現しました。
「お待たせしてしまいましたね、アントン」
「とんでもないことでございます」
アントンは至っていつもどおりで、私に同情の目を向けることもなく、ただ私の護衛としてそばにいてくれます。それはとてもありがたいことです。もし、今心配なんてされてしまったら、私はますます惨めな気持ちになっていたでしょう。
「自室に戻ります」
今日はまだダンスの練習が残っているので、先生がいらっしゃる前に準備をしなくてはなりません。
私は気持ちを切りかえて歩きだしました。
殿下にプレゼントしようと思って用意した刺繍入りのハンカチは……また、今度。
読んでくださりありがとうございます。




