淑女の鑑は刺繍より乗馬がお好きなようで
「あら?」
馬車の乗降車口に向かう廊下で、キャシー・マレイ・オースチン侯爵令嬢とお会いしました。
黒髪が美しいキャシー様は、とても上品な佇まいと洗練された所作で、淑女の鑑と言われている令嬢です。
「キャシー様、ごきげんよう」
「カトレア嬢、ごきげんよう」
キャシー様はそう言って私のことをじっと見つめています。
「あ、あの?」
「ふふ」
戸惑っている私を見て微笑まれたキャシー様。
「お勉強は進んでいるかしら?」
キャシー様はとてもお優しく、こうしてときどきしか会わない私をいろいろと気にかけてくださいます。
「はい……」
そう返事をしましたが、まったくお二人に追いついていないことは言えませんでした。
「……そう」
キャシー様は少し首を傾げてから、小さく笑っています。
「大丈夫よ、あなたはとても頑張っているわ」
「え?」
なぜキャシー様はそんなことをおっしゃるのでしょうか?
「ねぇ、カトレア嬢」
「はい?」
「あなたは、リチャード殿下のこと、どう思っているの?」
「え?」
「お慕いしているのかしら?」
キャシー様のストレートな質問に、私は思わず顔を赤くしてしまいました。
「あ、あの……」
「ふふ、いいのよ、答えなくても」
そのお顔はいつもと変わらず優しい笑みを浮かべ、しかし、その胸の内はよくわからない、そんな鉄壁の笑顔です。ただ、私から答えを求めていないことはわかります。それ以上何かを聞かれることはありませんでしたから。
「私はね、あなたが殿下の婚約者に選ばれればいいと思っているの」
「え? なぜですか?」
「なぜ? 変なことを聞くのね」
「私よりキャシー様やマーガレット様のほうがふさわしいに決まっています」
私がそう言うと、キャシー様は美しい笑みを浮かべられました。
「そうね、王太子妃というなら私が一番ふさわしいと思うわ」
そう言って私を見つめるキャシー様は、自信に満ち溢れていらっしゃいます。
「……はい、おっしゃるとおりです」
キャシー様を前にすれば、私がどう頑張ってもリチャード殿下にふさわしくないことを実感せずにはいられません。背すじを伸ばし堂々としていらっしゃるキャシー様は眩しく、私のようにすべてにおいて劣っている者に太刀打ちできるはずもないのです。
それをまざまざと見せつけられて、私はうつむいてしまいました。しかし、そんな私の耳元にお顔を寄せたキャシー様は、耳を疑うようなことをささやかれました。
「でも、私、リチャード殿下と結婚なんてしたくないわ」
「え?」
驚いて顔を上げた私を見て、微笑まれたキャシー様。
「なぜですか?」
「そうね。まずお顔が好みではないし、性格も今ひとつね。体格だって私の好みではないわ」
「キャ、キャシー様、そのようなことをおっしゃっては――!」
私が慌てているのに対して、キャシー様は平然とされています。
「べつに、誰も聞いていないわ」
そんなことはありません。王宮では誰が聞いているからわからないから、余計なことをしゃべってはいけないというのは、当然の認識です。
「大丈夫よ。私ね、人の気配には敏感なの」
「そういう問題では」
「真面目ね、カトレア嬢は」
「キャシー様!」
冗談を言っている場合ではないというのに。
「で、でも、殿下と結婚をしたくない……というのは?」
誰かに聞かれるかも、と心配をしながらもキャシーの言葉の真意を知りたいと思ってしまうのはしかたがありませんよね。
「あら、ふふふ。私はね、美しい面立ちの男性より、強面のほうが好きよ。顔で人が殺せるくらいだと素敵ね。それに、体は筋肉質がいいわね。性格は寡黙が一番だと思うの。おしゃべりな男性はあまり好きではないわ」
キャシー様はとても楽しそうに笑っておられますが、顔で人が殺せるって、どんなお顔でしょうか?
しかし次に「カトレア嬢」と言って、私の顔を見たキャシー様はまったく笑ってはいませんでした。
「私が婚約者になることはないわ」
「え?」
「本当よ。私、お勉強は適当にやっているし、ダンスなんて、パートナーの足を一曲で五回は踏むようにしているの」
「え……それは」
パートナーがかわいそうですわ。
「でも、リチャード殿下は、キャシー様が優秀であることをとてもほめていらっしゃいました」
「そんなはずはないわ。私、本当に手を抜いているんだから」
キャシー様はとても面白い話をしているかのように、ころころと笑っていらっしゃいます。
いったいどういうことなのでしょうか? ああ、なるほど。キャシー様は適当にこなしても完璧、ということなのですね。
わかります。キャシー様はすべてにおいてかんぺきですから。
でも、ここはキャシー様のお言葉にあわせておくべきなのだと思います。
「なぜ、そのようなことをなさるのか、うかがってもよろしいでしょうか?」
貴族として生まれた以上、国のため、家のための結婚は避けられません。それを知らないキャシー様ではないはずです。
「ふふふ。そんなの簡単。私にはやりたいことがあるのよ」
「やりたいこと?」
「ええ」
キャシー様は、騎士になりたくて剣の腕を磨いていたそうです。
「……私が思うキャシー様とは全然違うのですね……」
「あら。私はどんなイメージなのかしら?」
「キャシー様はお淑やかで美しくて上品で……」
「本当の私とはずいぶん違うわ」
「そんなこと……!」
「本当よ。実際の私はとてもお転婆だし、刺繍より乗馬のほうが好きなの」
信じられません。キャシー様がそんなお人柄だったなんて。
「それにね、私、カトレア嬢とリチャード殿下はとてもお似合いだと思うわよ。もちろん嫌味じゃないわよ」
「そ、そんなこと……」
「私は本気で言っているの。だから、カトレア嬢には頑張ってもらいたいわ。大変なことばかりだと思うけど、あなたならやり遂げると思うから」
「キャシー様……」
まさかキャシー様からそのようなお言葉いただけるだなんて。
「では、そろそろ失礼するわ。カトレア嬢、ごきげんよう」
「は、はい。キャシー様、ごきげんよう」
そう言うと、キャシー様はさっと馬車に乗りこみ、王宮をあとにされました。
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