不出来な私に実らない努力
リチャード殿下とのお茶会の日がやってきました。
婚約者候補になってから、リチャード殿下とお会いする時間がずいぶんと減ってしまいました。
昔のようにはいきませんね。あのころは、ただ遊んでお話をして、本を読んでお菓子を食べて、何気なく過ごしていましたが、今はそれがどれほど貴重な時間だったと痛感しています。
「やぁ、レア。待たせてしまって申し訳なかったね」
リチャード殿下は素敵な笑顔でいらっしゃいました。
急に公務が入ってしまったとかで、予定の時間より二十分程遅れていらっしゃいましたが、先に側近のジャン様が遅れることを連絡してくださっていたので、私はゆっくりと庭の花を楽しみながら待っていました。
「いえ、殿下。お忙しい中、時間を作ってくださりありがとうございます」
「そんな堅苦しい言葉を使わないでおくれ。殿下と言うのも好きじゃない。いつも言っているだろう。リチャードと呼んでくれ」
そう言って笑うリチャード殿下は、少し息を切らしていて、急いて来てくださったことがわかります。それだけでも私はうれしいのです。でも、スッと鼻孔を擽った香りが、私の心をざわつかせました。
「とてもお忙しいのですね」
「ああ、大きな案件がみっつもあってね。でも、ひとつはもうすこしで片づきそうだから、もっと時間が取れるようになると思うんだ」
「そうですか。私が何かお役に立てたらいいのですが」
「レアは私の癒しだからね。こうして会えるだけでも十分私の役に立ってくれているよ」
リチャード殿下は、さらっとそのようなことをおっしゃいます。それなのに、私はつい顔を赤らめてしまって。わかっています。リチャード殿下のおっしゃる癒しとは、『妹』という意味だということくらい。
「それはうれしいですわ」
「あ、今日はあのバレッタを使ってくれているんだね」
リチャード殿下は私の髪で揺れる、花のバレッタに気がついてくださいました。
「はい。私のお気に入りですから」
「うれしいよ」
私の髪を華やかにしてくれている、ガラス細工の小さな花を散りばめたバレッタは、リチャード殿下が私の誕生日にプレゼントしてくださったものです。私の一番のお気に入りで、実は頻繁に着けているのですが、リチャード殿下とお会いする機会が少ないため、今日初めて気がついてくださったようです。
前のお茶会の席でも着けていたのですけどね。
あ、そういえばあの日は今日よりもっと遅れてお越しになり、短い時間でお茶会が終わってしまったのでしたわ。
「今日はなんの授業をしたんだい?」
「はい、本日はダンスと歴史の授業でした」
「そうか。早くレアとダンスを踊りたいな」
「まぁ、私たちはもう何度も踊っているではないですか」
「それは小さいころだろ? 大人の真似をして遊んでいただけだ。そうじゃなくて、君の社交界デビューの日のファーストダンスは、ぜひ私と踊ってほしいんだ」
「……はい」
ファーストダンスを殿下と……。
もし本当にそうなったらどんなに素敵でしょうか。私は想像するだけで心臓がどきどきと高鳴ってしまいます。
「そういえば、マーガレット嬢や、キャシー嬢のことをジャレット伯爵夫人がとても褒めていらっしゃったな」
「え?」
ジャレット伯爵夫人とはダンスの講師で、とても厳しいことで有名な方です。
「マーガレット嬢もキャシー嬢も、踊りが軽やかで美しく繊細だと、ジャレット伯爵夫人が褒めていらっしゃったのだ。時間がなくてレアのことを聞くことができなかったのが残念だよ」
私はそのお言葉を聞いて、さっと熱が下がっていくのを感じました。
私は、ジャレット伯爵夫人から褒められたことがありません。自分ではうまく踊れたと思っても、その程度で満足してはなりません、と常に高みを目指すように言われています。
「……申し訳ございません。私は、その、そのように言われたことはございません」
「……そうか。ごめんね、変なことを言ってしまって。でも気にしないで。レアには言わなくても夫人はレアのことを認めているよ」
「いえ」
私がお二人より劣っているのはわかっています。あんなに素晴らしい方々ですもの。私がもっと練習しなくては追いつけるはずがないのです。
「ジャレット様に認めてもらえるように頑張ります」
「ああ! そうだね。もっと頑張って認めてもらおう!」
リチャード殿下は美しい笑顔でそうおっしゃいました。
私はリチャード殿下の期待に応えなくてはなりません。これからは、屋敷での練習を二時間増やすことにします。
「歴史はどこまで進んだんだい?」
「はい。シャンバーグ帝国の建国までを学びました」
「……そうか」
「あ……」
私の言葉を聞いたリチャード殿下が、少し残念そうな顔をされたことを私は見のがしませんでした。
私はここでも、お二人には追いついていないのですね。リチャード殿下の期待に、まったく応えることができていないなんて……。ぜんぜん努力が足りていないようです。
「申し訳ございません」
先日もマーガレット様とキャシー様よりずいぶん遅れているようだ、とリチャード殿下から言われました。そのため、歴史の自習時間を一時間増やして、先生にももっと早く進めてください、とお願いをしたのです。
それに対して先生は、これ以上早く進める必要はないと言ってくださいましたが、きっと、それ以上早くしても私にはついていけないとの判断なのでしょう。残念ですが、私もそれは十分に理解しています。
今以上に早く進めれば、きっと内容に漏れが生じ、理解度も低くなってしまうでしょう。
それに私は授業中によく質問をしてしまうのですが、それも授業の進行を遅らせている原因のひとつなのだと思います。
……なんて納得している場合ではありませんね。これ以上殿下に失望されるわけにはいきませんので、予習する時間を作ろうと思います。これ以上お二人に後れを取るわけにはいきませんもの。
経済の勉強も一時間増やしたので、最近は睡眠時間がかなり少なくなってしまいましたが、これ以上殿下のお顔を曇らせないためにも頑張るしかないのです。
「レア。頑張ってくれるのはうれしいけど、無理はしないでおくれ。身体を壊すようなことがあってはいけないからね」
「はい。ご心配くださりありがとうございます。でも大丈夫です。私は元気なことが取柄ですから」
私は、リチャード殿下の婚約者候補に相応しくありません。わかっています。でも、努力をすれば婚約者に選ばれなくも、私の人生の糧にはなると思うのです。だから、精一杯頑張ろうと思うのです。少しの無理くらいなんてことありません。
「期待しているよ」
「はい」
殿下のそのお言葉だけで、私は頑張れます。
「ああ、いけない。もう時間だ」
「あ……」
殿下と過ごした時間はおよそ四十分。約束は一時間ですが、お仕事が忙しいので仕方がありません。
「すまない。今度埋め合わせをするよ」
「いえ、お気になさらないでください」
私に気を遣って、お仕事が滞り、ストレスを溜めこむようなことになってはいけません。殿下には健やかに過ごしていただきたいですから。
「ありがとう。じゃ、僕は行くよ」
リチャード殿下はいつものように私の額にくちづけをして、それからニコッと微笑んで庭園をあとにされました。
「でも、寂しいのですよ……」
リチャード殿下の背中を見おくりながら、そんな言葉が口をついてしまいましたわ。
「……」
さきほど、リチャード殿下から甘い香りがしました。あれは、マーガレット様がいつもお使いになっている香水と同じ香りです。なぜ、その香りが殿下から……?
「やめましょう、そんなくだらないことを考えるのは。殿下がマーガレット様と……」
会っていたから遅くなった、なんて。
今日の授業は全て終了しているのであとは帰るだけです。帰ったらまた勉強です。ダンスや刺繍もしなくてはなりません。マーガレット様やキャシー様より遅れている分、追いつけるように頑張らなくては。
読んでくださりありがとうございます。