彼女と私
婚約者教育を受けるために王宮に上がるとき、私以外の候補者と一緒に学ぶことはありません。同じ時間になったとしても、各々が割り当てられた部屋で勉強をするため、滅多に顔を合わせることはないのです。が、そのはずですが、なぜかマーガレット・アーバイン侯爵令嬢とはよくお会いします。
「あら」
「マーガレット様」
今日も、マーガレット様と王宮の廊下でお会いしました。私が挨拶をすると、マーガレット様は扇で口元をお隠しになり「ごきげんよう」と微笑まれました。
「今日もカトレア嬢のドレスはかわいらしいですわね」
「あ、ありがとうございます」
「幼児のお遊戯会の衣裳みたいですわ」
「え?」
今日の私は、タンポポのような黄色のドレスで、腰の部分にふんわりとしたシフォンを幾重にも重ねたデザインです。私のお気に入りのドレスでしたが、言われてみればとても幼く見えるかもしれません。
それに対してマーガレット様は、真っ赤なサテンに金糸の刺繍を施し、デコルテ部分が大きく開いた大胆なデザインのドレスで、豊満な胸の谷間がとても刺激的です。
(世の男性はきっとこんなドレスがお好きなのね。……私は幼児のお遊戯会の衣装……)
「でも、あなたにはそれがお似合いだわ。カトレア様はおいくつだったかしら?」
「……十四歳です」
「ふふふふふ、それじゃあ仕方がないわ。お子様のお守りをさせられるなんて、殿下もおかわいそう」
そう言ってマーガレット様はご自分の部屋に戻っていかれました。その背中を見おくる私は大きな溜息。
「今日もいい攻撃をいただいてしまいましたわ」
私はもう一度大きく溜息をついて、王宮の自分の部屋に向かいました。
「マーガレット様のお部屋へ行くのに、この廊下を通る必要なんてないのに……」
先日はリチャード殿下に、王都で一番人気のお店のクッキーを差しいれしたそうで、婚約者候補に順番に回ってくるお茶会とは別に、リチャード殿下と特別に時間を設けていただいて、楽しいティータイムを過したと、わざわざここまで来て教えてくださいました。
私なんて直前でお茶会をキャンセルされることもあるのに……。なんて落ちこんでしまったのは、最近の話です。
「私もクッキーを持っていったら、時間を作ってくださるかしら?」
なんて張りあおうとしてしまう私は本当に未熟です。きっとこんなとき、大人の女性なら笑ってかわすのでしょうね。私はもっと心を成長させなくてはいけませんね。
気を取りなおして自室に行き、授業の準備をしていると、マナーの指導を担当してくださっているエレラルド夫人がいらっしゃいました。
エレラルド夫人は、元は公爵家の出自ですが、大恋愛の末に両親の反対を押しきって、ガーネッシュ子爵と結婚されました。そのため、しばらくは社交界からも爪弾きにされていましたが、ガーネッシュ子爵とエレラルド夫人の努力の結果、数年後に社交界に復帰することができたのです。
そのエレラルド夫人は、社交界でもトップクラスの教養を身につけた、素晴らしい女性です。そのため、教育係として多くの令嬢の淑女教育に携わり、今ではこうして未来の王太子妃の教育係をしていらっしゃるのです。
「エレラルド夫人、本日もよろしくお願いいたします」
「はい、よろしくお願いいたします」
エレラルド夫人は話題も豊富で、マナーの授業というだけでは収まらないほど、沢山の知識を授けてくださいます。異国の文化にも触れ、マナーの違いを学び、その際にどうして違いがあるのかを教えてくださいます。
例えば、我がミズール王国の王族や貴族は貝類を食べません。それは食中毒を避けるためです。
しかし、海に囲まれたアリエルト王国では、王族が普段から貝類を口にします。国民も日常的に貝を食するため、貝の毒にある程度の免疫があります。また王族は、幼少期から薬でより強い耐性を付けているため、普通に食事をするぶんには毒にあたることはないそうです。
しかし、異国からの賓客はそうはいきません。そのため、会食の際に出された貝料理を食べなくても失礼にはあたらないそうです。
では、なぜ食べない賓客に貝料理を出すのか?
実はアリエルト王国は貝とは切っても切れない間柄なのです。
アリエルト王国は真珠を特産品としており、世界中から美しい真珠を求めて多くの人々が訪れます。真珠以外にも、貝殻で作られたネックレスや、貝殻で作った化粧品など、その種類は豊富で、人気の商品もたくさんあるそうです。
またアリエルト王国は、新鮮な海の幸の料理が食べられることでも有名で、貝料理の種類も豊富です。アリエルト王国に行ったら、必ず貝を食べろと言われるほど、おいしい料理がたくさんあるのです。
そのため、国賓にも慣例として貝料理を必ず出すのです。
「ですが、アリエルト王国のように、自国の文化を拒否されること前提に料理を出す国は少ないです。実際には国賓の文化に合わせるのが通例ですので」
「お肉や乳製品を食べられない方や、お酒を飲まれない方もいらっしゃいますね」
「そうです。宗教の違いも大きく関係しますので、食事はとても神経を使わなくてはならないおもてなしのひとつです」
エレラルド夫人のお話は本当に興味深く、時間がたつのを忘れてしまいます。
「つまり貝料理はアリエルト王国と切り離せないものなので、賓客が理解を示す必要があるのですね」
「そうですね。これはとても特殊なケースですが。そのため、ミズール王国の王族と貴族も貝料理を断る方法を身に付けています」
それが、貝を出される前にアンダープレートの上に、貝を食べるための特別な形をしたフォークを載せると言うもの。そうするとそのままお皿が下げられ、代わりに貝の出汁で作られたジュレが出されるのです。
「貝の出汁のジュレ……すごくおいしそうですね」
「ふふふふ。本当においしいのよ」
「夫人は食べたことがあるのですね?」
「ええ、私は若いころに外交官である父に、補佐役として連れていってもらいました。かなり無理やり頼みこんだのですけどね」
エレラルド夫人はクスリと笑いました。
「私が若いころに外国に行ったのは、その一度きりでしたが、とても素晴らしい経験をさせていただきました。それに、初めて食べる料理はどれもおいしくて、感激したものです」
「私もぜひ行ってみたいですわ」
「きっとあなたならその機会に恵まれるでしょう」
「そうでしょうか?」
「ええ、私はそう思いますよ」
エレラルド夫人はそう言って微笑んでいらっしゃいました。
「今日はここまでにいたしましょう」
「はい、ありがとうございました。とても楽しい時間でした」
「カトレア嬢は真面目でどんどん吸収していくから、あなたに教える時間はとても楽しいわ」
「しつこく色々聞くので嫌がられないか心配です」
「そんなことはありません。熱心なことはいいことです。それにあなたは……いえ、さぁ、私は失礼しますね」
「あ、はい、ありがとうございました」
エレラルド夫人は優雅に挨拶をして部屋を出ていかれました。
読んでくださりありがとうございます。