初恋は実らないと言いますが
「ずいぶん物騒な言葉が聞こえたので驚きました」
そう言いながら私の横に座ったルークス。
「レーゼン伯爵子息。今は私がカトレアと話をしている。無粋なことをせず、さっさと立ちさりたまえ」
「それはできません」
「レーゼン伯爵子息!」
「カトレアは私の婚約者です。それなのに、殿下は彼女があたかも自分のことを愛していて、側妃になることが彼女の幸せであるかのようにおっしゃっている。あまりに荒唐無稽で、こちらとしてもただ聞いているわけにはいきませんよ」
「私の言うことは間違っていない。そもそも、彼女は私の婚約者だ。そして私は王太子で未来の国王だ。たかが伯爵子息などが口出ししていい話ではない」
婚約者ではなく婚約者候補です。今となっては候補でもありませんが。
「未来の国王……というわりには、殿下は知らないことが多いようですね」
「は?」
「私は、レーゼン伯爵子息ではなく、フェイザー公爵家の次期当主です」
「……は?」
リチャード殿下は思いもよらない言葉に、理解が追いついていらっしゃらないようです。
実は、ルークスはフェイザー公爵家に養子入りをし、当主を継ぐことになっているのです。
フェイザー公爵には男の子が生まれず、子どもは女の子が一人。本来なら一人娘である令嬢が婿を取り、入り婿が当主を継ぐことになるのですが、二年前に令嬢は大恋愛の末、他国のご子息のもとに嫁いでいかれました。
そこで、フェイザー公爵家と親戚関係にあるレーゼン伯爵家から、二人の息子のうちどちらかを養子に出すことになり、両家の話し合いでルークスがフェイザー公爵家に養子入りをして当主を継ぎ、弟のカークスがレーゼン伯爵家を継ぐことが決まったのです。
「殿下、現在フェイザー公爵家は王族派と貴族派に対して中立です。しかし、殿下の今後の行動によっては中立でいられなくなるかもしれません」
「き、君は私を脅すのか?」
「殿下が常識ある行動をしてくだされば、そのようなことはいたしませんが」
「――っ!」
「どうか冷静になってください。どう考えても、今の殿下の行動は常軌を逸しています」
殿下はルークスを睨みつけ、肩を震わせています。あんなに怒った殿下のお顔をこれまで見たこともありません。
「殿下はアーバイン侯爵令嬢を選んだのです。そして、カトレアは私を選んでくれました。この事実は変わりません」
ルークスの言葉に殿下はがっくりと肩を落とされました。
「私は……決して……」
「リチャード殿下」
私が口を開くと、顔を上げた殿下が縋るような目をして私を見つめました。
もう、そこには私が恋をした殿下のお姿など影も形もありません。取りみだし、受けいれられず、望むべくもないのにわずかに期待するその頼りなげな瞳にかつての堂々としたお姿など見る影もありません。
「私は殿下をお慕いしていました」
「カトレア――っ!」
「しかし、それはもう終わったことです。すでに私の心にはルークス様がいて、誰も入る余地がないほど満たされているのです。ですから、このお話は今このときをもって終わりにしてください。今後は、公爵夫人として殿下をお支えできればと思っております」
「カトレア……」
驚いて目を見ひらき、信じられないとでも言いたげに私を見つめる殿下には、これまでの私とは一致しない姿が映っているのでしょう。
自分の言葉に従順で、常に自分の様子をうかがって、自分の言葉に一喜一憂する扱いやすい私しか、殿下の中には存在していなかったのでしょう。
だから、私の言葉を受けいれることができなかったのではないかと思います。
しかし、ルークスの登場により、現実を直視できる程度に冷静になったとき、自分の思うような都合のいい世界は存在しないと気がついたのかもしれません。そのおかげか、私の言葉もようやく意味を伴ったようです。
「……君たちの言いたいことはわかった。……今日は、これで失礼させてもらう」
殿下はそう言って、顔を青くしたまま応接室を出ていかれました。
「お見送りを……」
そう言って立ちあがろうとした私を制した、父とルークス。
「君はここにいたほうがいい」
そう言って二人が殿下をお見送りするために応接室を出ていきました。
しばらくして戻ってきたのはルークス。
「お父様は?」
「外に出たついでに王宮に向かわれた」
「王宮に?」
「陛下に話をつけるそうだ」
「そう」
「心配はいらない。どちらかと言えば、心配なのは殿下のほうだ。あの調子だと、ひと波乱あるかもしれない」
ルークスの言葉のとおり、王宮に戻られた殿下は、私を側妃に迎えたいと陛下に談判され、その場の空気を一瞬にして凍らせるというとんでもない事態を引きおこされました。
そして、事の次第を知った人の口から、あっという間に人々に知れわたってしまったのです。
それにより、陛下や王妃殿下、私の父やアーバイン侯爵の怒りを買ったのはいうまでもありません。もちろんフェイザー公爵、レーゼン伯爵もかなりご立腹です。
慌てた国王夫妻は、殿下とマーガレット様との良好な関係を印象付けようと、まだ婚約者であるにもかかわらず、マーガレット様の誕生日パーティーを王宮の一番上等な広間で行いました。
そして、王妃殿下自らが選んだネックレスをプレゼントして、嫁姑関係も良好であるとアピールするなどされましたが、リチャード殿下はマーガレット様を遠ざけ、パーティーで一緒に過ごすこともなく、お二人の不仲が噂される事態となり、王家に対する不信感がじわりじわりと広がってしまいました。
そして、リチャード殿下がマーガレット様との婚約を解消し、私と婚約をしなおすとまで言いだされたとき、庇いきれないと判断した陛下はリチャード殿下を廃嫡されたのです。
しかし、マーガレット様との婚約を解消することは許されず、いずれはご結婚されることになるとか。
殿下はそれを不服として陛下に何度も訴えていらっしゃいましたが、経緯はどうであれ、殿下のマーガレット様に対する行為は責任をとって然るべきことですし、マーガレット様も完全に失ってしまった殿下の信用を取りもどす努力をしなくてはなりません。
どのみち、お二人は王命により婚約解消も離婚もできないのです。それならば互いに背を向けるより、分かつときまで人生を共に過ごすパートナーとして、しっかり向き合い、一から二人の関係を見つめなおすほうが、お二人のためにもいいでしょう。
そして近いうちに、第二王子であらせられるギャビン様が立太子されるご予定だそうです。
フェイザー公爵邸の自慢の中庭にテーブルと椅子を出して、私とルークスは午後のティータイムを楽しんでいます。
「ギャビン殿下の立太子も終わって一段落だな」
「お疲れさまでした」
ルークスはレモンを浮かべた紅茶に口をつけ、ほっと息を吐きました。
王太子となられたギャビン殿下は今年十三歳とお若く、これから本格的に王太子教育を受けていかれることになりますが、リチャード様を反面教師と称するなど、年のわりにとてもしっかりとされていらっしゃるご様子で、周囲の人たちは苦笑いをしつつもどこかほっとされているようです。
リチャード様は臣籍降下され公爵となられましたが、与えられた土地は西の乾燥地帯で、農業に適していないため穀倉が満たされることはなく、特産と呼べるようなものもないため経済的に発展もしておらず、領地全体に元気がないなど問題が山積みの地域です。
とても王子に与えるような土地ではないでしょうが、きっと陛下なりのお考えがあるのでしょう。この土地を発展させれば、リチャード様の汚名をそそぐことができる、と思っていらっしゃるのかもしれません。
いずれにせよ、リチャード様は目の前の現実としっかり向きあわなくてはならないのです。
「それにしても」
「ん?」
「思えばリチャード様は、私の初恋なのよね」
「なんだよ。何か思うことがあるのか?」
「ううん。ただ、初恋は実らないって本当だなと思って」
誰が言ったのかわからないけど、誰もが知っている定説。そして、もれなく私もあてはまってしまいました。
「そうは言うけど……俺は実ったぞ」
「え?」
「初恋。俺は実ったから、それは絶対ではない」
ルークスがそんなことをまじめな顔をして言いますが。
「ルークスの初恋って……私?」
「ああ。そうだな」
なんて、ひょうひょうと答えるので恥ずかしさとかそういう感情など感じないまま、思わず笑ってしまいました。
「まぁ、初恋なんて執着と同じようなもんだ。こんなに長い時間一人を思いつづけるなんて、よく考えれば結構怖いぞ」
「あなた、それ自分のことよ?」
私も人のことは言えませんが。
「そうさ。俺なんてずっと片思いなんだからさ。正直、俺の執着もなかなかのものだと思っているんだよ。彼に負けず劣らず、な」
「ふふふ、確かにそうね」
「だからレアは諦めてくれ」
「なにを?」
「君は俺から逃れることはできない」
私だけを見てくれるなら、執着も大歓迎だわ、なんて恥ずかしくて言葉にはできないけど。
「あなたこそ、これから先私よりずっと素敵な人が現れても、絶対に離してあげないからね」
「最高の殺し文句だな」
きっとリチャード様にはこんなことも言えなかったと思います。リチャード様の隣に立って恥ずかしくないように、と一生懸命いい子になっていたかもしれません。
もしあんなことがなかったら、今も無理を続けていたかもしれません。もしかしたら病に伏していたかも。それくらい、あのころの私は限界を超えて必死でした。
「初恋でも、そうじゃなくても実るものは実るし、実らないものは実らない。それだけだよ。大事なのは誠意だ。あ、あとタイミングな。タイミングが一番大切だ」
なんて、ルークスはまじめな顔をしていますが……。
初恋は実らないと言いますが、実ることもあるようです。
でも、私は初恋が実らなくてよかったなって思っています。だって私いま、初恋よりずっと素敵な恋をしていますから。
本作はこれにて完結となります。
またほかの作品でお付き合いいただけると嬉しいです。
最後まで読んでくださりありがとうございます。




