事の真相
胸くそです。ご注意ください。
――カトレアとのお茶会に向かう途中。
「少し遅れてしまった」
執務室を出て急いでカトレアが待つ庭園に向かおうとしていた私に、「リチャード殿下、お待ちになって」と派手なピンクのドレスを着たマーガレットが声をかけてきた。今は少しでも早くカトレアのもとに向かわなくてはならないというのに。
「マーガレット嬢、何をしにここへ?」
マーガレットに用意された部屋は南館にある。ここへは、私に呼ばれたとき以外来ることはないはずなのだが、彼女は何かといっては執務室までやってくる。
「実は、リチャード殿下にお願いがあって」
「すまないが、私はこれからカトレアとのお茶会がある。そのあとで君の話を聞くよ」
「お待ちください」
自身の横を通りぬけようとした私の腕を掴んだマーガレット。その瞳には涙が浮かんでいた。
「どうか、私のわがままを聞いてくださいませ」
「すまないが今は聞けない。私はカトレアのもとに向かわなくてはならないんだ」
「わかっております。リチャード殿下のお心がカトレア様にあることは」
「マーガレット嬢……」
「ですから、私のお願いを聞いてくださったら、私はお父様に言って婚約者候補を辞退しようと思っております」
「え?」
まさか、マーガレットがそんなことを言うとは思わなかった私は、お茶会のことを気にしつつも詳しく聞きたい気持ちになった。
「それは本気かい?」
「はい。私はリチャード殿下のお心を知りながら、婚約者候補に名乗りを上げました。しかし、三年たってもリチャード殿下のお心はカトレア様のもの。それにカトレア様はとても優秀です。次期王妃にふさわしい方ですわ」
「マーガレット嬢」
私は顔には出さないものの、心ではうれしくて跳びあがりたい気持ちだった。
「私も望みのない結婚に縋るより、新たに婚約者を決めるほうがいいということはわかっています。ですが、私は心から殿下を愛しています。……殿下、最後に私のわがままを聞いてくださいませ。それで私は諦めます」
「しかし」
「一度きりのお願いでございます」
一度きり? 今までもさんざん一度きりのお願いをされた気がするが。
「本当に侯爵に話をしてくれるのか?」
「もちろんです。でも、私のお願いを聞いてくださらないとだめですわよ」
マーガレットは潤んだ瞳で、かわいらしくおねだりをするように体を密着させてきた。普段なら、やめるように言うところだが、私は少し浮かれていたし、こんなわがままでも聞いておけば、円満に辞退してくれるかもしれないという打算があった。
そして、マーガレットに連れられるままに庭に出て、南館の少し人目につきにくい壁際まで行った。誰もいない所で話をしたいというから、護衛を離れた所で待機させて、マーガレットと二人きり。
「殿下、私に思い出をくださいませ」
「思い出?」
「一度でいいのです。私にくちづけを」
「なっ!」
私は驚いたがマーガレットは本気だった。
「私は殿下のことを心からお慕いしているのです。私のすべてを捧げるつもりでした。でも、殿下のお気持ちを無視するわけにはいきません。私は誰よりも殿下の幸せを願っていますから。ですから、私にリチャード殿下を諦めるための思い出をくださいませ。その思い出があれば、私は幸せを胸に生きていけますわ」
「マーガレット嬢……」
私は彼女の健気な思いに胸を打たれた。が、だからと言ってそんなことしていいはずはない。だから、それはできない、と断った。でもマーガレットは引かなかった。
「リチャード殿下。私、このままでは諦めきれずにここに居すわってしまいますわ。父が言っていました。殿下の地位を盤石にするためには、後ろ盾を確固たるものにしなくてはいけないと。私と結婚することが殿下にとって一番いいのだと。ですが、今となってはそれも叶わないでしょう。それでもいいのです。私はお慕いしている殿下のためなら、婚約者になれなくても、殿下を支えるように父にお願いをしようと思っています」
「君は本気なんだね?」
「はい、愛するリチャード殿下のためですもの」
「マーガレット嬢、君はなんて健気な女性なんだ」
私はすっかりマーガレットの言葉に浮かれてしまっていた。
「リチャード殿下……お慕いしています」
マーガレットは自身の体を私に押しつけ、潤んだ瞳で顔を寄せてきた。
あのとき、マーガレットの言葉を聞かずにカトレアに会いにいっていれば。そうすれば、こんなことにはならなかったのに。
それなのに、甘えるような声で「私に幸せを与えてくださいませ」と言って、マーガレットが瞳を閉じたとき、「いいじゃないか、一度くらい。彼女がそれを望んでいるんだ。べつに悪いことをしているわけじゃない」とささやくもう一人の自分がいた。
私の背中に回したマーガレットの腕に力が入り、私も、くちづけでそれほどのものが手に入るなら、とその願いに応えてしまった。
「最初は触れるだけのものだったんだ! でも、次第にマーガレットが深く求めてきて」
いつの間にか私は夢中になってしまい、気がついたときには、マーガレットが自身の豊かな胸に私の手を押しあてていた。
「リチャード殿下、愛しています。もっと、強く触れてくださいませ」
「マ、マーガレット……」
そう言って私に吸いついてくるマーガレットは、妖艶な吐息を漏らし私の劣情を煽ってくる。
たぶん、いや、絶対に、私が本気で力を入れればその手を離すことできた。
それなのに、私は淫猥な己の欲に従ってマーガレットの体をまさぐっていた。
「ああ、リチャード殿下、うれしい……」
そう言ってマーガレットが再び顔を寄せ、私がそれに応えたとき。
「カトレア様!」
自分の背後から、そこにいるはずのない人物の名前が聞こえた。私は慌ててマーガレットから体を離し、声のするほうを見ると、遠くにカトレアと護衛のアントンの後ろ姿があった。
「カ、カトレア!」
私は慌ててカトレアを追いかけようとしたが、その前に立ちふさがったのはアーバイン侯爵。そして、必要以上に大きな声で話しはじめた。
「殿下。まさか二人がそのような関係だったとは」
「は……?」
「若い二人ですからな。たぎる気持ちを我慢できないことはもちろん理解しております」
「なんのことだ?」
「いやはや、あのように我が娘の唇を情熱的に貪って、あのように大胆に体を……。父親としては複雑な思いではありますがな。いやしかし、うむ……若いと周りが見えなくなるものですが、このような場所では感心しませんなぁ」
アーバイン侯爵は笑いながら、殿下もなかなか情熱的ですな、と大袈裟なくらいに首をすくめる。
「待ってくれ、侯爵」
「まさか、まったくその気もないのに私の最愛の娘に、あのような淫らなことをなさったわけではありますまい」
「いや、ちがっ」
私は否定しようとしたが、ふと目の端に、カトレアの兄で私の親友でもあるゲイルがいることに気がついた。
「ゲ、ゲイル……」
ゲイルは鋭く私を睨みつけ、さっと踵を返してその場を立ちさっていってしまった。
「ゲイル! 待ってくれ!」
私はゲイルに真実を話したかった。誤解されたままではいたくなかった。
しかし、アーバイン侯爵はそれをさせてはくれず、ゲイルを追おうとする私に畳みかけるように言った。
「殿下。早速陛下にご報告をいたしましょう」
「は? 何をだ」
「殿下がマーガレットをお選びになったということをです」
「何を言っているのだ!」
「まさか、あのように激しく恋情を交わしていたのが、遊びだというわけでもありますまい。周りもしっかりと二人を見ておりましたぞ」
「……え?」
私が再び周りを見れば、護衛と使用人、アーバイン侯爵の秘書官や従者など十人ほどがこちらを見て、祝福をしていたり、複雑な表情をしていたりしている。
いつの間にこんなに人が集まったのだ。
「さぁ、殿下。陛下のもとへ参りましょう」
「違う! 誤解だ! 私はマーガレットのことを――」
「まさか、殿下はマーガレットを弄んだとでも?」
「そうではない! マーガレットが――」
「お父様!」
私の言葉を遮るようにマーガレットが口を開いた。
「違うのです。私はリチャード殿下をお慕いしているとお伝えしただけです。殿下の幸せのために、力を尽くすと約束をしました。だから、殿下は私の思いに応えてくださったのです! それだけなのです。殿下は遊びで私にあのようなことをしたわけではないのです」
「マーガレット、なぜそんな言い方を……?」
マーガレットの言葉にはまったく説明がない。それでは、私がマーガレットを選んだように聞こえてしまう。なぜだ? なぜこんなことになったのだ? どうして?
結局その日のうちにマーガレットが婚約者に決まった。
父の苦々しい顔も、母の氷のように冷えきった視線もいまだに覚えている。
お二人はカトレアをとてもかわいがっていたのだ。そして当然のように、私がカトレアを選ぶものだと思っていた。お二人は私の気持ちを知っていたし、カトレアの成績は優秀で、家格に問題もない。それに財政の援助までしてくれていたのなら、カトレアでまったく問題はなかった。
内々にもすでにカトレアに決まっていて、あとは一か月後に控えた婚約者決定会議で、私がカトレアを指名すれば満場一致で決まっていたはずなのだ。
それなのに、何も知らなかった私は、鼻先につるされた甘美な言葉に踊らされてしまった。
結局、その日から一週間後に婚約発表があり、二年後には結婚することまで決まり、一気に周りが慌ただしくなっていった。そして忙しく時間が過ぎ、気がつけば何か月も過ぎてしまったのだ――
読んでくださりありがとうございます。




