理解できない彼
「お嬢様は恋する女の子ですね」
これまで、長くひりひりとした気持ちとつきあってきましたから、自分の脳内がピンク一色になっていることはよくわかっています。カリナの言葉に素直にうなずいてしまうくらい浮かれている私を見て、父が苦笑いをしたときは、こんなことではいけないわ! なんて、背すじを伸ばしたのですが、仕方がありません。私、幸せなのですもの。
「もう少しでルークスが来るわね」
今日は、ルークスと一緒にフェイザー公爵邸へ行くことになっています。とても大事な用事があるため、遅くなるわけにはいきません。それなのに。
先触れとほとんど同じタイミングで屋敷にやってきたのは、ルークスではなくリチャード殿下。
なぜ今になって? と思いましたが、実はこれまで、何度も当屋敷に来ていた王家の紋章入りの馬車は、リチャード殿下の使いだったのです。しかし、そのたびに父は手紙を受け取ることもなく追いかえしていました。
何が書かれているかなんて、見なくてもわかると言っていましたが、私と話がしたい、というような内容だったようです。
それを聞いて、なるほど、と合点がいきました。父がさんざんばかと呼んでいたのもリチャード殿下のこと。王族を相手になんてことを、と思わなくもないのですが、父の怒りを知る私には何も言えません。
父は、できることなら玄関を開けずお帰り願いたい、と思うほどリチャード殿下に対しても腹を立てていますが、来てしまったものはしかたがありません。まさか追いかえすわけにもいきません。
私の体調が悪い、なんて適当なことを言って会わない、という選択肢もありませんし。
「カトレア」
扉の前で待っていた私を見るなり、リチャード殿下は泣きそうな顔をされて、抱きつかんばかりに近づいてきました。
「殿下!」
警戒心をむき出しにした父が声をかけると、リチャード殿下ははっとして立ちどまられ、伸ばした手の行き場に困っていらっしゃいます。
「す、すまない。久しぶりにレアの顔を見たから……」
「体調を崩してしまい、ご婚約のお祝いのご挨拶に伺うこともかなわず、申し訳ございませんでした」
「いや、私こそ見舞いに来ることもできずに申し訳なかった」
リチャード殿下は本当に申し訳ないと思っていたのだと思います。少し青い顔をしてうつむかれました。
「殿下、ここで話をするわけにもまいりませんので、中にお入りください」
父に促されて応接室に向かった私たち。そのあいだ、落ち着きなく私のほうを見て、父を見て、を繰りかえすリチャード殿下は、ソファーに向かいあって座る私を正面から見ることができないのか、おずおずとしています。
殿下に人払いをお願いされ、仕方なく扉を開けたまま出ていった父とカリナ。
以前は殿下と二人きりになっても、弾むような楽しい気持ちにしかなったことがなかったのに、今では二人のあいだに気まずい空気が漂っていて、息苦しささえ感じます。
やはり、途中で投げだしてしまった私に怒っていらっしゃるのでしょうか? お顔を見る限り、そういうわけでもなさそうですが。
もしかして、体調を崩したことを心配していた、とか? それとも、私を婚約者に選ばなかったことを気にして、とか?
そうであるなら、気にしないでほしいとお伝えしなくてはなりません。体調はすでに全快していますし、婚約者は一人しか選べないのですから、リチャード殿下のことを責める気はまったくありません、と。
それに私はまだお祝いの言葉を伝えていませんし、途中で王太子妃教育を投げだしてしまった非礼を詫びなくてはなりません。
ですが、殿下のお言葉は想像の斜め上を行くものでした。
「カトレア。君が婚約したと聞いたのだが、本当かい?」
怒っているわけではなさそうですが、殿下の瞳の奥に何とも言えない感情が見え隠れしていて、私の心を不安にさせます。
「……はい、本当です」
「なぜだ?」
「え?」
「なぜ、婚約なんて」
私はリチャード殿下が何をおっしゃっているのかよく理解できずに「はぁ?」と間抜けな声を出してしまいました。
「どういうことでしょうか?」
「なぜ、婚約なんてしたんだ!」
「え?」
「レアは、私のことが好きではなかったのか?」
「……?」
もう意味がわかりません。
確かに、以前は殿下のことをお慕いしておりました。でもそれは婚約者候補だったときの話です。
「殿下が何をおっしゃりたいのか、私にはわかりません」
「殿下と呼ばないでくれと言っているではないか!」
「……失礼いたしました、リチャード様」
「……」
「本日は、こちらにどのような用件でいらっしゃったのでしょうか?」
とにかく用件を聞かないことには、殿下の言いたいことも理解できません。
「……レアが婚約したと聞いて、事実を確認したくて」
「はい。このたび、レーゼン伯爵家のルークス様と御縁をいただきまして、結婚する運びとなりました」
「なぜ……なぜ、そんなばかなことを」
「リチャード様、先ほどからなぜそのようなことをおっしゃっているのでしょうか? 喜んではくださらないのですか?」
「なぜ喜ばなくてはならないんだ!」
「え?」
「私は、私はレアを、側妃に迎えようと思っていたのに!!」
「…………は?」
「レアは、私の側妃になるはずだったんだ」
「……」
もう、本当に何をおっしゃっているのかわからなくなりました。まだご結婚もされていないのに側妃? 私が? なぜ?
「カトレアは私を愛しているだろう? だから、私の側妃に迎えようと思っていたんだ。だから、無理をして愛のない結婚なんてしなくていいんだ。今からでも遅くない。レーゼン伯爵子息との婚約を解消しよう。そうすれば、私がちゃんと話を進めるから」
なぜわたしが側妃になると思っていらっしゃるのでしょうか?
「カトレア」
私は何を言ったらいいのかわからず、黙りこんでしまいました。
「ああ、うれしくて言葉も出ないんだね。レアが倒れたと聞いて本当に私はつらかったんだ。レアにかなしい思いをさせてしまった自分は、なんて酷い人間なんだろうって後悔したよ。でも、あのときはしかたがなかった。本当は側妃なんかじゃなく正妃にしてあげたいけど、もうマーガレットに決まってしまったからそれは無理なんだ。でも大丈夫だよ。私の側妃となってずっとそばにいてくれ。絶対に幸せにする」
そう言って立ちあがり、手を伸ばして私に近づこうとするリチャード殿下。私は驚いて「きゃ」と声をあげてしまいました。
「殿下!!」
声と同時に突然部屋に入ってきたのは父。それはそれは真っ赤な顔をして。それだけで、どれほど怒っているのかよくわかります。
「いったい、いったい何をおっしゃっているのですか!」
「ああ、オークウッド伯爵。立ち聞きしていたのかい? 娘を心配する気持ちはわかるが、少々行儀が悪いな」
リチャード殿下は、ちょっとおどけたような顔をして、父の怒りにまったく気がついていないようです。
「行儀が悪いとはなんですか! 行儀が悪いのはあなたです!」
「なに?」
「カトレアの婚約はすでに決まっています。それにあなたの側妃にする気など毛頭ありません!」
父がそう言うと、リチャード殿下は一気にお顔を赤くされました。
「何を言うんだ。カトレアだって喜んでいるじゃないか! いくら父親だからといって、娘の幸せを無視して政略結婚をさせるなんて酷いだろ! だいたい、私は国王になるんだぞ! なんの不満があるんだ」
まるで当然のように言いはなつリチャード殿下を見ていると、恐怖すら覚えます。私の気持ちを勝手に決めつけて、確認をする気もないその姿からは、私の知る殿下など想像もできず、別人なのではないかと疑いたくなるほどです。
いえ、もしかしたらこれが殿下の本当のお姿なのかもしれません。
読んでくださりありがとうございます。




