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戴冠 ─蝶々姫第二章─  作者: 薄氷恋


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17/19

17.立太子式

その日、ラゼリードは19歳の誕生日を迎え、まず成人の儀を行う為に、立派な赤い馬車にヨルデンと共に乗り込んだ。

実はこの馬車、ハルモニアもこっそり乗り込んでラゼリードの横に座っている。

彼らには見えないので好き放題するハルモニアだった。


「もう一年経つのね、わたくしがフィローリの花嫁になってから」


ぽつりと漏れたラゼリードの呟きに、ヨルデンが労しいという目を向ける。


「僕の目にはお幸せそうに見えていましたよ、ラゼリード様」

「そうね、幸せだったわ」


過去形である。あんな短い婚姻期間と別れだ。心が沈むのも無理はないとハルモニアは思う。


「いい加減、立ち直らなくてはね」


静かに笑みを浮かべるラゼリードは、ふと馬車の外に目を向ける。ヨルデンが、滝ですね、と声をかけた。


「シルオンナートのシス滝です。大きな滝壺を持っています。高さがあるので見応え満点ですね」

「まあ、フィローリが昔見たと言っていた滝だわ! 確か冬は凍るのよね!」

「はい、美しいですよ。僕はラゼリード様のお付きになる前に此処を通って来たので凍った滝を見ました。いいでしょう」

『一言余計だな』


ハルモニアが呆れたようにヨルデンを見る。ところがラゼリードはヨルデンの自慢を意にも介さず、逆に質問をした。


「ヨルデン、お前の生家のディンナー伯爵領はここから遠いの?」

「いえ、ラゼリード様がこれからお巡りになる四神の神殿を全て回るよりは近いです。今日のご予定は地水火風、それぞれの神殿で神官長から祝福を受け、城に帰ってから翌日、朝から立太子式です」

「長帳場になりそうね」


ラゼリードの腹が、くぅ、と小さく鳴った。


「ラゼリード様、フルーツならありますよ。長旅になるので林檎でも如何ですか?」


ヨルデンが傍らに置いてあったバスケットからまたしても特徴的なシーリングワックスの捺された林檎を取り出した。


「シアリー先生からの差し入れです」

「まぁ、シャロから?」


ラゼリードが薄く微笑んだ。

微笑むどころではないのはハルモニアである。


『またエカミナ印の林檎かよ! ……ちくしょう、食べたい!』


ハルモニアは己の林檎好きをとことん嘆いた。

ヨルデンは器用に揺れる馬車の中で林檎を剥き、ラゼリードに渡した。

しゃり、と彼女が林檎を齧る音が響く。

ハルモニアが皮を剥かれた林檎を羨ましそうに眺めていたら、ラゼリードがふと横を向いてハルモニアを見た。


『えっ!?』

どきりとハルモニアの胸が高鳴る。

ラゼリードから真っ直ぐに視線を送られるのは、過去に来てから初めてのことだ。


「まあ、林檎を頬張るわたくしったらリスみたいね。いやだわ」

『あ、硝子窓に映った自分を見たのか……なんだ。心臓が飛び出るかと思ったぞ』


胸を押さえるハルモニアに、延時の声が掛かる。


【ハルモニア、エカミナ印の林檎をもいできたよ。食べにおいで】

『あ、うん。ありがとう、延時』


ハルモニアは嬉々として延時が開けた空間に入った。

ラゼリードはまだハルモニアの居た方を見ていた。


「どうなさいましたか?」

「いえ、何か隣に妖精でも座っていた様な気がしていたの。でももう居なくなったわ」

「正気ですか? ラゼリード様」

「お前こそ正気?」


ラゼリードはヨルデンをジロリとひと睨みすると、ハルモニアの手が触れていた微かに熱いクッションに手を触れ、また林檎を齧った。


◆◆◆


さて、ラゼリードにうっすらと存在を気付かれているとも知らず、ハルモニアは延時のテーブルで、ウサギの形に細工切りされた林檎を貪っていた。


『エカミナ印の林檎は皮が美味いんだよな。完全に剥いてしまうとはラゼリードは勿体ない事をする』

【確かに非常に美味しい林檎の成る樹を手元に置いてあるね、エカミナは。今の僕じゃ買い物出来ないから、不当にもいできたものだけど。代金を置いて商品を持って行ったらそれこそ幽霊か妖精のお買い物になってしまう】

『え、俺が前に食べた料理の材料は何処から……』

【あちこちから少しずつ拝借した】

『泥棒じゃないか』

【まぁ、固い事は言わないで。ついでだからケーキも食べていくかい?】


そのケーキの材料も……と言おうとしたが、賢明なハルモニアは止めておいた。

肉体を持たない以上、延時自身にもどうする事も出来ないのだ。

ハルモニアは出されたみずみずしい白桃が乗ったケーキを頬張りながら、どうしたら延時が幸せになれるかを考えた。

せめて婚約者だという時編む姫に会わせる事は叶わないのか?


【難しい顔をしているね。白桃は嫌いだった?】

『いや、美味しい。そうじゃなくて、俺が現世に戻ったら延時はどうなるのだろうって考えていた。せめて時編む姫に会わせられたら……』

【君は優しい子だな。心配はいらないよ】


延時はテーブルの向かい側から長い腕を伸ばしてハルモニアのツンツンと跳ねた髪を撫でた。

過去の中でしか実体を持てない延時。

しかしその手は決して冷たくはなく、まるで生きているようだった。


ハルモニアは今、彼の人生で一番大事な事を学んでいた。

それは、総てのひとを幸せに出来ないか、という王族にとっては大事な想い。


三年前に敵を無惨に斬り捨てたハルモニアはもう居なかった。

此処に居るのは立派な王の卵。

足りないのは実務経験だけ。

それも何年かエルダナがハルモニアに経験を積ませれば事足りる。

玉座が終身制のカテュリアとは違い、ルクラァンは生前退位が認められている。

ハルモニアが白の王冠を頭上に戴くのは、あと何年後だろう?

思考するのに夢中なハルモニアを延時は優しい眼差しで眺めた。


◆◆◆


林檎とケーキを食べ終えて過去のカテュリアに戻ってきたハルモニアは、ちょうど風の神殿に到着した馬車からラゼリードとヨルデンが降りる姿を目撃した。

周りは成人する王女ラゼリードを一目見ようという群衆でいっぱいである。


「きれいな髪のおひめさま!」

「風のフィローリ様に娶られたんだって」

「我らの守護、ラゼリード様!」

「姫様! 風の姫様! ご誕生おめでとうございます!」


口々にラゼリードを讃える言葉に、ラゼリードは手を振り、そっと群衆に風の魔法を与えた。

透き通った緑色の風が吹いて、人々に守護が行き渡る。

動揺する人々にラゼリードは静かに言葉を紡いだ。


「今使った魔法は加護です。一年間、災難から逃れられるようにとの祈りです。今のわたくしにはこの程度の魔法しか使えませんが、わたくしはカテュリアの民を守りたい。民たちよ、わたくしの魔法を信じてくれますね?」


どっ、と群衆が湧いた。ラゼリードを賞賛する声でハルモニアは耳が痛くなりそうだった。

その間に迎え出て来た神官長に案内されてラゼリードはヨルデンを伴って神殿に入っていく。


「ラゼリード様、この度はおいでくださりありがとうございます。先程の風の守護魔法、フィローリ様のものと寸分違わぬお出来でした」

「フィローリも此処で加護を与えたのですか?」

「はい、毎年来て下さいました」

「では、わたくしも毎年参りましょう。フィローリが愛したこの地へ」


風の神殿に参拝した後、ラゼリードは成人の証として髪を結い上げる儀式を受けた。

すっきりと結い上げたうなじは美しかった。

そして立太子式で使うローブを受け取った。


「ラゼリード様、お急ぎかと思われますが、書庫にお立ち寄り頂けますか? 先代守護フィローリ様の遺した文献がございます」

「是非、拝見したいわ!」


書庫でラゼリードは懐かしい字体に出会う。

もういない、フィローリの文字。


涙が出そうなのを堪えて、ラゼリードは頁を繰る。

文献を読み耽りそうなラゼリードに神官長が声を掛けた。


「いつでもお持ちください」

「ありがとう。ではお借りします」


何冊もある文献のうち、手にした一冊をヨルデンに預け、ラゼリードは風の神殿を後にした。


その調子でラゼリードは他の三属性の神殿を巡った。

火の神殿では彼女の為だけの立太子冠を貰い受け、地の神殿では大地を意味するオーブを渡され、水の神殿では錫杖を借り受けた。

また、ラゼリードは各神殿に集まってきた群衆に加護を忘れなかった。


◆◆◆


流石に加護の掛けすぎで疲れきったラゼリードは帰りの馬車では眠気を感じた。

結い上げられた髪が崩れないように、ラゼリードは簡易机に伏せて、両腕を枕に眠った。


ヨルデンは各神殿で借り受けた宝物の番人をしているので、眠らなかった。

馬車は中からカーテンを閉めている。

ヨルデンは主の眠りを妨げないようにしながら、静かに時を過ごした。

カテュリアの精鋭近衛部隊が守護する馬車は賊に襲われる事もなく、夕方に王城へ帰り着いた。


役目を果たして帰城した、髪を結い上げたラゼリードにセオドラはアーキアの面影を見た。


(立派に育ってくれた。アーキア、見ているか? そなたの子だ)


セオドラは耳朶に下がる紫黄水晶の耳飾りにそっと触れた。16歳でアーキアと婚姻を結んだ際に彼女に貰ったそれは彼の第二の宝物だった。

一番の宝物は言うまでもなく、愛娘──愛息子だ。


誰にとっても感慨深い夜だった。


翌日はいよいよラゼリードの立太子式である。

本来、男子が代々継いできたカテュリア王家。

書面上は女性のラゼリードが立太子するに当たって、セオドラは様々な段階を踏んできていた。

先ずは立太子冠の新造。王冠よりもひと周り小さいそれは、ラゼリードの小さな頭の大きさに合わせて彼女の為だけに作られていた。

次に貴族達の説得。風のフィローリが「女王」を指名したという言葉は多くの貴族の賛同を得た。

中にはラゼリードに息子を嫁がせたいという貴族も多く居たが、老いて病を得ても、なお光を増したセオドラの瞳と「守護神の花嫁を汚す事は断じて許さん」という言葉にすごすごと引き下がった。


◆◆◆


ラゼリードは朝早くから禊をし、新調したドレスを身に纏い、その上から儀礼用の袖無しローブを着た。

風の神殿で借り受けたものだ。

ラゼリードのドレスは紫色で、胸元に花の刺繍が細かく施されていて美しかった。

刺繍の花びらの枚数は四枚で、カティとは違ったが、その代わりに国章であるカティの紋の入ったサッシュが左肩から掛けられた。


多くの貴族、そしてハルモニアが見守る中、ラゼリードは父の手によって錫杖とオーブ、そして立太子冠を授かった。

ぐいぐいと容赦なく立太子冠を被せてくる父に、ラゼリードは内心で


(お、重い。首が痛いわ、お父様)


と呟いたが、顔にはおくびにも出さなかった。


そしてバルコニーにて、詰めかけた民衆の前でラゼリードとセオドラはスピーチを行う。


「此度は王女ラゼリードが正式に立太子した。王女は風のフィローリの寿命を察した神により、引き継ぐように守護の力を授けられた。この日を記念して儂の詩集を配る。上質の紙だ。燃やして暖を取るなり、絵を描くなり、字の勉強をするなりしておくれ、愛する民たちよ」


民衆は後半を聞いて笑い転げた。

セオドラの詩集は好評なのだ。

なにせ詩は1頁に一遍、真ん中に薄く印刷されているだけで、端が大きく取られている。

下手な詩に目をつぶれば、格好の書き物帳になる。

その為、カテュリアの識字率は極めて高い。

愛する王の詩を誰もが一度は興味を持って読もうとするからだ。


その事を知らないハルモニアは首を傾げたが、次にラゼリードがスピーチをするというので慌てて背筋を伸ばした。


「わたくしは、風のフィローリの跡継ぎであり、この国の跡を継ぐ者です。私はあなたがた民を誰よりも愛し、この大地に身を捧げましょう。《守護》ラゼリード・エル・グランデル・カテュリアの名に於いて、いまここに誓います」


立太子冠の重さで顔を上げる事も下げる事もままならない。民もうっすらとしか見えない。でも、彼女は心から誓った。


ハルモニアを含む、皆の拍手が大地を震わせた。

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