13.対面
【そんなに絶望的な表情をしなくてもいいんじゃないか、ハルモニア】
延時は襟を正して肩の紋章を隠すと、手製のデザートに手を付けた。
『それはそうですが……ラゼリードの尊さを知ると……』
【君はラゼリードが尊い存在だから諦められるのか? その程度の恋なら恋と呼ばない。好きになったんだろう? 彼女が欲しいのだろう?】
延時が畳み掛けると、ハルモニアは頬を林檎の様に赤く染めた。それだけでどれだけ彼がラゼリードを好きかなんて丸分かりだ。熱を持つ頬に気付いたのか、ハルモニアは誤魔化すようにケーキにフォークを突き立てて一口頬張った。
『好きじゃなきゃ、過去に来ていない。こんな昔まで迷い込んだのは事故だが』
行儀悪くフォークをくわえたままもごもごと呟くハルモニアを延時は咎めず、一言だけ返して微笑んだ。
【それが答えだ】
「まぁ! フィローリ、それは!?」
『ラゼリードの声だ! 見てくる!』
【あっ、ハルモニア……】
椅子から立ち上がったハルモニアが光の方へ駆け出すのを延時は止められなかった。
そしてハルモニアが一口だけ食べて残していった蜜柑のチーズケーキを見て嘆息するのであった。
◆◆◆
光を抜けると、ラゼリードの前でフィローリが跪いていた。
手には開いた箱に入った指輪。金色の台に緑の宝石が嵌っている。
ラゼリードは胸がいっぱいだと言わんばかりに胸の前で手を握り締めている。
「こんな指輪、今まで見た事無いわ……。金ではないわね。でも金属とも違うし、宝石もエメラルドに似ているけど、違うわ。エメラルドの硬度ではこんな複雑なカッティングは無理だもの。フィローリ、これはなぁに?」
首を傾げるラゼリードは相変わらずハルモニアの心を甘く痺れさせる。彼女が話しかけている相手は別だというのに。
「指輪は僕の髪を芯にして作った。宝石は風の元素を凝固させたもの。少し知り合いの土精霊に手伝ってもらっただけで、僕の手作りだよ。嫌かな」
「そんなわけないじゃない! 世界に一つしかない指輪よ!」
「では、僕と結婚していただけますか? 我が君、我が姫」
「──はい。喜んで」
……ハルモニアは「やってらんねー」と全力で顔に表した。
【だから見ない方が良いと言ったのに】
延時が空間を切り裂いて出てくる。
『延時、過去に出られたんだな』
【≪最初の七人≫の時の異能者を舐めないでくれるかい?】
『いつも声ばかりだったから、てっきりあの暗闇から出られないのかと思っていた。失礼しました』
【そろそろ出る時が来たんだ】
『え?』
【なんでもない】
掛け合いをする過去の闖入者二人の前で、フィローリはラゼリードの薬指に、手製の指輪を嵌めた。
ラゼリードは左手をまじまじと眺めてから心底から嬉しそうに微笑むと、フィローリの腕の中に収まった。
身長の高いラゼリードと、柱のように更に上背のあるフィローリはお似合いの二人に見えた。
ハルモニアの胸がツキンと痛む。
『……だから俺の指輪をあんなにも拒んだんだな』
ハルモニアは己が左手の中指に嵌っている紅玉の指輪を見て切なげに呟いた。
確かに拒まれたが、だからといってラゼリードの男性体であるエイオンは、3年前ヴァンティオンの御姉様方にお詫びの装飾品の1つとしてハルモニアの指輪を差し出しはしなかった。
横にそれを外せる張本人が居たにも関わらずだ。それはラゼリード──エイオンの優しさだろうか。
【ハルモニア、加速しよう】
『そうだな。次は何処へ?』
【話してくるといい】
『え?』
◆◆◆
「何? 1日だけルクラァンに行きたいと?」
「はい。……セオドラ陛下、実は……」
何やらコソコソと話すフィローリとセオドラ。セオドラは驚いた顔をしている。
「まさか……そんな事があっては……」
「ラゼリード様に次代を担ってもらいます。この3ヶ月の間に、殿下には知識と知恵を指南しました。あとは誓いさえあれば……」
なんだ? なんの話をしている?
不穏な雲行きにハルモニアの顔が曇る。延時は……居ない。
「……分かった。許そう。ルクラァンへ行ってくるがいい。……ゴホッゴホッ」
「陛下!?」
セオドラが不意に咳き込んだ。フィローリが慌てて彼の背を摩る。
「少し前から体調が優れんのだ。病を得たかも知れぬ。後でデセールに診てもらうとする。君は急ぎなさい、フィローリ。もう、時間が無いのだろう?」
「──はい」
『まさか……』
ハルモニアは眉間に皺を寄せて、フィローリの動向を見守った。
玉座の間を退出するフィローリに付いて歩き、彼の私室へいつも通りにくっ付いて入り込んだ。
フィローリは少ない荷物をトランクに纏めると、最後に本棚に近寄り分厚い辞書を手に取って布製のカバーを外す。
するとその下から現れたのは───
──ルクラァンの始祖の紋章・ラゼリードの背中の翼を表紙に冠した見た目にも古い本だった。
「あっ」
『!』
その本は、するっとフィローリの手から滑り、床にドサリと落ちて中を覗かせる。
その本は魔法の産物らしく、緑色のインクがふわりと浮き上がるとクルクルと宙に浮かんで回転しては本に吸い込まれていった。
フィローリはその様を嘆息しながら見やると拾おうとしたが──
彼の手は、本をすり抜けた。
見ればフィローリの手は透けている。
『フィローリ!?』
「やあ、ラゼリードの守護たる小さな焔の精霊くん。良ければその本を拾ってくれないかい?」
フィローリは間違いなくハルモニアの瞳を見て、彼に話しかけていた。
『俺の事が見えるのか?』
「うん。最初は火が少年の形を取ってるだけだけに見えたけど、今は朧気に顔かたちも髪色も見えるよ。ラゼリードの身が危険にさらされた時は助けてくれたね。ありがとう。君の名は?」
『ハルモニア。ハルモニア・ラ・ルクラァン』
「エルディ……ルクラァンのエルダナ陛下の子か。何故、君が此処にいるか伺っても?」
『話せば長くなるんだが……』
ハルモニアが掻い摘んで話すと、フィローリは頷いた。
「そういう事か……」
『フィローリ、手が透けている。魔力がもう無いのか……?』
「ああ、寿命だよ。それよりその忌々しい本を拾ってトランクに詰めてくれないかな?」
ハルモニアは言われた通りに本を拾って、その重さにびっくりしながらフィローリのトランクに詰めた。
『何故この本にルクラァンの始祖の紋章があるんだ?』
「始祖の紋章……やはりあれは朧様か」
『会ったのか!?』
フィローリはハルモニアの目線に合わせて屈むと、彼に頭に触れるように促す。
「君なら見えるかもしれない」
──────
温室だろうか? 花の咲き乱れる部屋の中でフィローリとアーキアが花を選んでいる。
「フィローリ、この所、桃色の瞳をした猫がわたしに付き纏っているのよ。時々、人の姿を取って……アイシテイル……と呟くの。わたし、怖くて…」
パチン、と花切り鋏でフィローリは花の茎を切った。
「アーキア様、そのような猫など……」
フィローリが花をアーキアに手渡したその時。
【居ないと、言い切れるか? 空の末裔よ】
長毛種の白い猫が長い尾を翻し、フィローリの前に座った。
──────
そして気が付けばフィローリは温室の中で倒れていた。何をされたのかも分からなかったに違いない。痛む身体を制して、ただ首だけをもたげて猫を見る。
【それでも空の末裔か。弱いな。弱い弱い。空も悲しかろう?】
嘲笑いながら猫はぐにゃりと歪み、人型を取った。
長い青銀の髪に蒼い瞳の女性だった。黒いドレスを着ている。
女性は倒れ伏したままのフィローリを見て悲しそうな顔をするとフワリと宙に溶け、また姿を変える。
短い銀色の髪に桃色の瞳、紫色と黒色を交互に織ったセーターに、延時が履いているようなダメージジーンズを纏った男性の姿を取った猫だったナニカはアーキアの前に立ち……。
狂気を孕んだ目で【アイシテイル】と呟いた。
アーキアが悲鳴を上げる。
【ほぅ、腹に子がおるのか。ならば我の子にしてやろう。光栄な事だぞ、人間】
男性はアーキアをやすやすと捕まえるとまだ膨らんでもいないその腹に手を当て、そのまま黒い蝶の群れに身を変えると胎の中へと吸い込まれていった。
そのおぞましい光景の後には倒れたアーキアと、一冊の古い本が遺されていた。
その本は紛れもなくフィローリが隠すように持っていた本だった。
─────
消えた映像に、ハッとハルモニアは目を見開く。
今の男性が朧様……。しかし、冷たい印象と傲慢な態度が透けて見える男だった。
あれが自分たちの血のルーツだと考えたくない程に。
「見えたかい?」
『ああ』
「朧様……いや、朧は狂っている。あの忌々しい本は朧の日記らしいのだけど、古代語で書かれているから僕には少ししか読めなかった。これを故郷の親友に託そうと思う」
『シャロアンスだな?』
「……君は何でも知っているんだね」
フィローリはふ、と笑った。
『なんでもという程ではない。知らない事だらけで教師に叱られてばかりだ』
「ねぇ、ハルモニア王子」
『なんだ?』
「出来るなら、この先のラゼリードを護ってもらえないかな。多分、僕はもう長くない。僕が死んだ後、この城にずっと残される彼女の孤独を癒してくれる存在になってほしい」
死ぬ……。そう、彼は現実では4年前に死んでいるのだ。ひょっとしたらもう4年前かもしれない。
けれどハルモニアは寂しいと感じた。最初はあんなにいけ好かない奴だったのに。
言葉を交わしてしまった今、ずっと自分の存在に気づいていてくれていた彼を、もうハルモニアは疎ましく思う事なんて出来そうになくなってしまった。
『俺は過去から現実世界へ脱出する。だが、ラゼリードとはすでに面識もあるし……その、お前には言いづらいが』
「ラゼリードの事が好きなんだね。だから君に頼んでいるんだ。どうか同じ精霊として長く見守ってほしい。ラゼリード次第だけど、彼女が君を好きになる日が来たらその時は」
『待った。その先を言わせる程、俺は無粋じゃない』
「そう。君はいい男だね。ありがとう。最後に君にまみえて良かった。じゃあね」
フィローリはにこりと微笑み、立ち上がるとようやく感覚の戻った手でトランクを閉めると、取っ手を掴んで部屋を出た。
ハルモニアは苦い顔でその後ろ姿を見送った。




