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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

森に潜むもの

作者: 神月大和

 ――森の中を、一人っきりの少女が彷徨(さまよ)っていました。


 どこから来たのか、ワンピースは磨り切れ、細い手足は擦り傷だらけ。もとはどうだったかもわからないような、痩せて汚れた枯れ木のようなありさまです。ですが彼女に差し出される手はなく、


 ホゥホゥ


 フクロウが鳴きます。


 おぉん


 獣が吠えます。


 肌寒い風に木々は囁き、葉の隙間から、瞬きのような星影が覗くだけ。フクロウの水晶のような瞳は、まるで彼女が死ぬ時を、今か今かと待ちわびているようでした。

 彼女はもう、どこをどうさ迷ったのかも覚えてはいないでしょう。

 まるで音のない影のように、ヒタヒタと死の手が、彼女の可哀想な頬に伸びて行くようでした。

 やがて少女は辿り着き、大きな樫の木の根元で、死に場所を見つけた猫のように丸くなりました。節くれだった樫の木は、まるで彼女をさらおうとする亡者の手のようで――しかし、彼女は自分を助けてくれるのなら、亡者でも良かったのかもしれません。助けてくれない神さまじゃなく、助けてくれるのなら、いっそ、悪魔でも……。

 彼女が本当に悪魔に願ったのか、それともやっぱり神さまに願っていたのか、それはわかりません。しかし、


 ポツリ


 と、彼女のくすんだガラス玉のような瞳には、一つの明かりが(とも)りました。

 それはまるで鬼火のようにゆらめいて、木々の隙間を抜けて、フラフラと少女に近づいて来ました。なんでしょうか? 鬼火、新しく加わる仲間を迎えに来た、死者の魂。それとも、獣の瞳……。それがなんであろうと、少女には関係なさそうでした。


 だって、動けないのですから。


 危ないものでも、万一助けてくれるものでも、逃れようもなく目前に横たわる運命のように、少女はただ、磨り切れて動けない身体で、それを見つめているしかありませんでした。


 ゆらゆら


 ゆらゆら


 やがてその明かりは近づいて、ガサガサと、茂みをかき分ける音。ぬっと現れた影。


「君……大丈夫かい?」


 それは優しげな声でした。眩しいカンテラの明かり。ボンヤリと薄靄のかかったような少女の瞳に、おぼろげな、おじさん、と言うにはまだ若い、青年の顔が映りました。優しげな顔。そんな彼女に青年は、

可哀想に。きっと親に捨てられたんだ。

 この森には口減らしと言って、貧しい家の子供、育てられない子供が、時折捨てられました。そんな子供たちを、青年は何人となく見て来ました。

 カンテラに照らされた彼女は酷く痩せていて、それでも、もとは可愛らしい顔つきの少女だったのではないかと青年は思いました。艶のない金髪はきっと、まるで清流のように滑らかで、今のこけた頬に大きな瞳は不気味ですが、頬っぺたがふっくらとすれば、まるで宝石の瞳を持つ人形のように愛らしいに違いありません。

 青年は彼女の姿にちょっと考えて。


「……君……うちに来るかい? よかったらだけど……」


 青年の家は決して裕福ではありません。それでも、声をかけずにはいられませんでした。ここで彼女を見捨てれば、明日にはもう、きっと彼女はいないでしょう。動けない女の子など、森の獣にとって、御馳走以外の何ものでもありません。

 青年の申し出に、少女はソッと頷き、


「お、おい、君……!」


 まるで糸の切れた操り人形のように倒れた彼女を、青年は慌てて支え、抱え上げました。触っても注意しなくてはわからないほどのか細い吐息。青年は大事そうに彼女を抱えると、そのまま家に向かいます。

 ゆれるカンテラはまるで鬼火のように、ふらふら、ふらふら、と。少女を抱いた青年の手に付き添いながら、夜闇の木々に瞬きます。


 びょう、


 と、


 強く吹いた風に、どよめきのような葉擦れが起こり、星影が、慌ただしく瞬く。光りを吸い込む、まるで水晶のような瞳の一羽のフクロウが一つ、


 ホゥ――――。



   /



 開いた少女の瞳に、赤く弾ける暖炉の火が映りました。

 粗末ながらも丁寧に作られた木のテーブルや椅子、別の部屋に続くドア。部屋の片隅にいくつか積み上げられた、小さなテーブルや椅子。

 ボンヤリとした少女の瞳が、まるで幻のようなそれらを追えば――、


「良かった。気がついたんだね」


 嬉しそうな声に、少しばかり、少女の瞳が焦点を結びました。徐々に、輪郭のぼやけていた、まるで朦朧とした夢のようだった光景が、まぎれもない現実の線を描きます。

 暖炉の前に横たえられ、毛布をかけられた自分の小さな体。

 自分の置かれた状況。そもそも、自分がどこの誰なのか。

 少女がなにを理解しなにを思ったのかはわかりません。助かった、と思えたのでしょうか?


「自分の名前は言える?」


 青年の問いかけに、彼女はかすかに首を振りました。それはそよ風を受ける葉擦れよりも小さなふるえ。わななこうとする唇は動かず、声を忘れた人形のように、彼女の声はふるえませんでした。


「君……声が……」彼女が声を出せないことを理解した青年は、それ以上聞くことを止め、「残り物で悪いけど……」


 と、申し訳なさそうに、火を通したスープを持ってきました。

 木の器に、少しばかりの野菜、小さな肉。他にはそのあたりで取れるきのこが煮込まれたスープでした。彼はそこに、見るからに固そうなパンを砕いて入れ、他の具材といっしょに、木の匙でたんねんに潰します。それを少女が虚ろな瞳で見つめます。

 長い間食べていなかったお腹に、急に形のある食べ物を入れると、むしろ驚いたお腹がこわれてしまうことがあります。青年は、それを知っていました。

 青年はドロドロになったスープを匙ですい、彼女の口へと運びます。


「食べて体力をつけてもらわないと。無理はしなくていいけれど、もしも食べられるなら……」


 ツツゥ


 と、かすかに開いてくれた少女の口にスープを注ぎ入れれば、彼女は細く今にも折れそうな咽喉を動かして、飲み込んでくれました。

 青年は軽く微笑むと、次の匙を掬って、せっせと彼女の口に運びます。まるで餌をもらうひな鳥のように、少女は少しずつ食べておりました。

 それから彼は、甲斐甲斐しく少女の世話をしました。服を脱がせて体の傷をていねいに拭き、すった薬草を傷口に塗ります。少女は顔をしかめましたが、呻き声一つあげず、彼に為されるがまま、青年のすることを興味深そうに見つめておりました。


 そうして青年と少女の生活は始まりました。


 彼は樵でした。昼間は樵の仕事に精を出し、夜は小さな家具を作ります。器用なもので、入ってすぐの部屋に作られた少女のベッドも、彼がすぐに作ってしまったのです。小さな椅子の中には、立派ななめした皮を張ったものもあって、動けない少女は、そうした家具を物珍しそうに眺めておりました。

 そうして泡のような感情が浮かんでは消えて行きます。


 青年の介抱で、彼女は徐々に回復していきました。歩けるようになりました。それでもまだ外に行けるほどではなく、彼女は留守番です。それに、やっぱり声は出ませんでした。

 彼女を残していく青年ですが、一つ、少女に念を押して言うことがありました。


「あのドアを開けてはいけないよ。色んな道具が置いてあって危ないからね」


 素直に頷く少女を、青年は満足そうに撫で、それからいつも樵仕事に出かけるのでした。

 やがて彼女は、痩せていた頬はふっくらと、擦り傷も綺麗に、見違えるほど愛らしくなりました。相変わらず声は出ませんでしたが、青年は何とはなしに、少女の言いたいことが分かるようになりました。


 元気になった彼女は、青年の樵仕事に一緒に行きたがりました。彼は彼女に好きなところへ出て行ってよいと言ってくれましたが、少女は青年から離れたがりませんでした。もしかしなくとも、これまで良い扱いは受けて来なかったのでしょう。初めて触れた優しさから、離れたくなかったに違いありません。

 少女は彼に着いて行っては、森の虫や動物を探したり、彼が木を切るのをジィッと見ておりました。まるで子リスようだ、と青年は笑いました。


 青年と少女は、まるで仲の良い兄妹のようでした。彼らは朝も昼も夜も一緒でした。朝ごはんを食べては一緒に樵仕事に出かけ、夕方帰って来て、晩御飯を食べ、眠る時には、少女は青年のベッドにもぐりこみます。そうして青年に話をねだるのです。それが彼らの一日の締めくくりでした。

 お話は青年が親から聞いた話だったり、森の動物たちの話、魔女や幽霊といった、森の不思議な話だったりします。それを少女は夢中になって聞くのです。しかし年相応の少女のように、手をふって、声を上げたりしてはしゃぎはせず、ただジィっと、布団の中、彼の横で丸くなって、物思わしげに聞いておりました。

 しかし花の下に隠れていた妖精の話には目を輝かせ、熊に追いかけられた話には心配そうな顔をしますから、話し甲斐のある、聞き上手には違いありません。そして崖から落ちた鹿がおいしかった話には、涎を垂らしそうな顔をしました。


「今すぐは駄目だけど、今度君にその毛皮を見せてあげよう」


 青年は笑います。

 森をさ迷う幽霊の話には、


「だから僕は初め、君がお化けじゃないのか、って思ったんだ」


 震える彼女はふくれっ面で頬を背けます。


「でも、こんな可愛い女の子だったら、お化けでも大歓迎だ」


 と言えば、すぐに抱きついて胸に顔を埋めてきました。

 お話が終われば少女は寝てしまいます。その後で青年も眠ります。


 しかし少女は知っていました。


 自分が寝静まった後、彼はこっそりベッドを抜け出すときがあることを。外に行くらしい。もしかしたら、彼は少女のような子供がいないか、見回りに出ているのかも知れませんでした。でも、彼が子供を連れて帰ってくることは、一度としてありません。



   /



「じゃあ出かけてくるよ。遅くなると思うから、先に寝ていてね」


 今日は青年が街に薪や家具を売りに行く日です。それに少女はしぶしぶ頷きます。

青年は少女が街についてくるのを、許しませんでした。

 少女は青年の元から去るつもりはありませんでしたが、街にいるかも知れない両親に会えば、彼らは少女を取り戻して、人買いに売るかも知れないと説得されました。彼女は今や、他とは比べようもないほどに可愛らしい少女となっておりました。

 それは喜ばしいことでした。しかし同時に、なにやら最近、青年には物憂い影のようなものが兆すことがありました。少女を見ては、その影が兆すのです。見送る少女に向ける瞳には、その影が、まるであの時の樫の木のような色で、少女には映ります。

 そうして青年は、


「あのドアを決して開けてはいけないよ」


 という言葉を残して、街へと出かけて行きました。


 しかし少女はそのドアを開けてしまいます。


 ワザとではありません。

 寄りかかった拍子に、ドアが開いてしまったのです。そのドアには鍵がついておりましたが、今日に限っては開いておりました。彼は鍵を閉め忘れたらしい。最近彼に兆すその影が、うっかりをもたらしたのでしょうか。


 しかし開いてしまった部屋の扉。

 彼女は彼のその影の秘密が、その部屋にあると感じたのかもしれません。


 ソッと、その部屋に入りました。


 暗い部屋。壁はぴっちりと隙間が埋められ、窓はありません。少女が入ってきたドアからだけ光は差し込み、部屋に入って行くのは、まるで奈落の底に落ちこんで行く気さえしました。

 見えない部屋に困った少女は、思いついたように部屋を出て行くと、暖炉の燃えさしを持ってきました。それを松明のように使って  


 ……、……、……。


 バタン!


 大急ぎでドアを閉めました。

 燃えさしを片付け、ベッドに入って蒲団を頭からすっぽりとかぶって丸くなります。

 少女はなにを見たのか。

 少女はなににそんな、ふるえているのか。

 青年が帰って来る頃まで、彼女はそうして、穴倉に潜む獣のようになって、布団にくるまっておりました。



   /



 帰って来た青年は、普段通りに少女と話しをして、家具が上手いこと売れたこと、貧しくとも生きていくぶんには安心だ、そんなことを語りました。

 そうして少女が寝静まった後、ソッとベッドを抜け出して、彼女に開けてはいけないと言っていた部屋。彼女が見てしまった部屋を開けます。

 火のついたランタンに照らし出された部屋の中には、幾つもの動物の剥製に囲まれた、人間の子供の剥製が、今にも動きそうな様子で並べられていたのでした――。



   /



 ――青年は、いわゆる死体愛好家(ネクロフィリア)というものでした。


 しかし昔っから子供を剥製にしていたわけではありません。

 初めは動物でした。動物を剥製にして、満足していました。

 子供は好きでしたが、どうして子供は大人になってしまうのだろう。いつまでも子供のままの、愛らしい姿でいればいいのに。

 そう思っているくらいでした。


 それが変わってしまったのは、この森で口減らしの子供の死体を見てからでした。その時見た子供は、獣に襲われることなく、綺麗な愛らしい姿のままで、樫の木に背を預けて死んでいました。痩せてもおらず、ふっくらとして。もしかすると、空腹に毒草でも食べたのかもしれません。それは不思議な綺麗さでした。本当は幻だったのかもしれません。両親が亡くなり、助けた少女のように、ふらふらと森を彷徨(さまよ)っていたときのような気もします。まるで透き通るような幼い死の結晶。彼は、それに魅入られたのでした。


 その死体をどうしたかは覚えてはいません。


 腐るまで見ていた気もするし、持って帰って剥製にしたかもしれません。綺麗にできたかも、失敗してしまったかも知れません。


 まるで夢を見ていたような記憶でした。


 それから彼は森で口減らしの子供を探すようになりました。しかし見つける死体は森の獣に喰われて綺麗とはほど遠い姿でした。それに、見つけた子供の多くは痩せていて、愛らしかったことは想像できても、今の状態を愛らしいとは言えませんでした。

 だから彼は一度子供を助けて愛らしい姿を取り戻させてから殺しました。しかし彼のお眼鏡に適う子はほとんどおりませんでした。ほとんどの子の皮は家具の材料になりました。

 彼はそれを街で売っていました。もしかすると、その子の親がその家具を買ったかもしれません。青年はそれらの家具を、とても安い値段で売りました。


 それなら今家に置いている少女は――。

 彼女は、申し分ありません。


 今まで作った剥製が失敗作だったと思えるくらい。いえ、彼女の剥製を作るための練習材料でしかなかったと思えるほど。青年は少女にウットリとしていました。そろそろいいだろう。そろそろいいだろう。青年は愛らしくなって行く少女にそう思いました。

 しかし彼女の愛らしさは日に日に増して、今日よりも明日、明日よりも明後日。少女が子供としての愛らしさの頂点に辿り着いた時に剥製にしてやろう。そうも思いました。


 でも、それだけではありませんでした。


 青年はこの愛らしい少女を、殺すことを躊躇うようにもなっておりました。

 それが青年に兆した物憂い影でした。

 この少女を剥製にしたい。しかし彼女との生活を楽しく思いはじめている。しかし少女はいずれ大人になる。大人になった少女はもはや少女ではない。この少女を少女のまま剥製にしたい――。

 葛藤は青年の心を縛りつけて悶えさせました。


 しかしそれも今日で終わりです。


 なぜなら少女が、入っては駄目だと言われていた部屋に入ってしまったからです。青年は、ランタンで照らされた剥製たちの並ぶ部屋に、少女の美しい金髪を見つけました。



   /



 青年はその部屋の地下に作られた秘密の作業場に、手足を縛られた少女を横たえました。しっかりと台に固定された彼女に抜け出すことはできません。

 しかし彼女は横たえられたまま、身じろぎも泣き叫びもしませんでした。ただ青年に兆した物憂い影のような、それを張りつけたかのような表情をしていました。

 青年が、


「今から僕は君を剥製にする」


 そう言っても、それは変わりありませんでした。


 気味が悪い。


 いいえ、青年はそうは思いませんでした。


「美しい」


 青年はその少女の様子を、そう捉えていました。

 青年は少女の服をナイフで裂きました。

 蝋燭の明かりが舐めるように彼女の陰影を浮かび上がらせます。


 女ではない少女の肢体。もう大人にはなれない子供の肉体。蛹にもなれない、まるですでに時が止まっているかのような体躯に、物憂い泉にたゆたうような表情が浮かんでいれば、まだ生きていると言うのに、まるで人形じみた、いいえ、生命の残り香を宿す、青年の求めていた、死を孕んでいる存在、そんな印象を彼は受けました。

 この肢体はもうなんども隅々まで拭いてやって、甲斐甲斐しく世話をしてやった身体です。最近でも、ともに水浴びをするときになんども見ています。しかし今の様子は――。


「美しい」


 再び、彼は恍惚(うっとり)として言いました。


 ――死の美しさ。


 そう形容することが正しそうでした。

 青年は時も忘れて、その美しさに魅入っておりました。

 彼は少女の肉体を触りました。隅から隅まで。ウットリと、清めるように、愛撫して、貶めるように。しかしすべてを触り抜いても、少女は感覚が抜け落ちてしまっているかのように、ただ、物憂い泉に浮かんでおりました。


 彼は穢すことのできない少女の肢体に、ふるふるとふるえました。


 それは歓喜だったのでしょう。樵の青年はまるで神に生贄をささげる古代の神官じみて、少女の台の傍らに佇んでいました。

 そして彼は少女の口に、毒草を煎じたモノを飲ませました。これを使うと、まるで内側からすぅっと、生物の身体が氷に置き換わって行くように、血の気が引き、白く、透明に死んで行くのです。

 生死の境界を越えた彼女に、彼は見入り、そして同時に魅入られておりました。


「素晴らしい」


 と、声がしました。それは――青年の声ではありませんでした。


 しわがれた老婆のような声。まるでなんどもなんども叫び続け泣き続け、それでもかろうじて意味の通じる人の声が紡がれているような……。青年はビックリして辺りを見回しますが、その声の主は一人しかおりません。青年の頬が、ひくりひくりと痙攣しました。

 一糸まとわぬ少女の唇が、三日月のように吊り上りました。それはゾッとする艶めかしさと妖しさで、やはり、


 ――美しくありました。


「素晴らしく穢れた魂じゃ。お主こそ、妾の使い魔とするに相応しい」


 そう言った途端、少女を縛りつけた縄が、まるで蛇のように動きだし、ひとりでに解けてしまいました。

 幾年も叫び続け、肉体は摩耗して、心も枯れ尽くしたような声。少女は、死んだはずなのに。しかし彼女の唇は、まるで冥界の花がほころぶように、言葉を紡ぎます。


「妾はお主を探しておった。お主のような穢れた魂を」


 起き上がった彼女は、まるで少女とは思えない妖艶な笑みを浮かべました。


「どうして――」青年はなんとか言葉を搾り出しました。


「生きておるのか、とは言わんでもらいたいのう」


 くく、と彼女は嗤いました。


「それは――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「魔女――」


 青年は尻もちをついてガタガタとふるえだし、後じさりました。彼女は面白そうに目を細めます。可愛らしい少女でも、それは、まるで肉食獣が舌舐めずりをしているようでした。


「そう怖がらんでもらいたいのぅ。これから未来永劫、我らはともにあるのじゃから。“怨みよ、嘆きを果たせ”」


 彼女は指を鳴らしました。すると驚くことに、上の部屋に並べられていたはずの剥製の動物たちが現れ、動いておりました。

 鹿、狐、ウサギ、イタチ、ネズミ……。動物たちだけではなく、フクロウ、カラス、ツグミ、コマドリ……、鳥の剥製たちまで。そして、子供の剥製たちも――。


「うわぁあああッ!」青年はあらん限りの声で叫び、逃げ出そうとしましたが、剥製たちに群がられ、床に押し付けられてしまいました。


 青年の瞳は恐怖に見開かれておりました。しかし同時に、この動く剥製と言う、死して肉体の時が止まってもなお動く彼らを、美しい、羨ましいと思う心が、片隅に芽吹いておりました。

 その青年の心を、幼い容貌の魔女はわかっていました。そして抑えられる彼の傍らにしゃがみこみ、その顎に指をかけました。それは、まるでしゃれこうべを抜くような手つきでした。


「よい恰好じゃ。その歪んだ性根、悪辣な魂、そしてそなたの甲斐甲斐しい献身。まさに我が従者として相応しい。

 お主の魂、もらいうける」


 魔女のほっそりとした少女の指が、彼の頬をなぞりました。

 青年は恐怖を感じました。しかしそれと同時に、このまま彼女に身を委ねてしまいたいと言う、陶然とする心持ちにもなっておりました。


 ふ、と彼女は嗤います。妖艶に、凄絶に。


「妾はそなたを我が使い魔としたい。もしもそなたがそれを受けるのなら、そなたの身体は子供となり、我の従者として永劫、妾に傅くことになる。そなた、子供が好きなのじゃろう? 妾は見ての通り、身体は子供じゃ。老いることも成長することもない、時の止まった身体。妾とお主。子供同士でずぅっと生きるのじゃ。そなたにとっては魅力的な誘いではないのか、(のう)?」


 それはたしかに、青年にとって魅力的な誘いでした。彼は紅い炎のような舌で唇を舐めると、顎をゆっくり……。


「契約、成立じゃな」


 満足そうな魔女は契約の呪文を唱え出しました。それで彼の魂を縛るのです。自分の(しもべ)として、そして彼に蹂躙された怨嗟の声を、彼に宿します。魔女の使い魔としては、そのくらいの箔が必要です。

 それは夜風に囁く木々のようで、瞬く星影を朽ちさせるような、しゃがれた音声(おんじょう)でした。



「その魂は我が手の中に。

 その身体は怨みと嘆きで作られよ。

 汝、死すことなく我に仕え、

 汝、死すことない我に従え。

 その穢れ、その罪、その痛みのすべてを我に捧げよ」



 邪悪な魔力が渦巻き、彼の魂に契約の楔が刻まれると、青年を押さえつけていた剥製たちは、彼を生きたまま引き裂きました。しかし彼は魔女の眷属として生まれ変わることに笑みさえ浮かべ、その痛みを受けます。やがてボロボロになった彼と、同じようにボロボロになった剥製たちから濃密な闇が湧き起こりました。

 それを裸の魔女が見ています。


 影よりも濃く、闇よりも深い呪いの渦。

 濃密な呪いの気配はやがて彼女の前に跪く、少年の姿となりました。少女と同じほどの年端の少年。


「我が主人(マイマスター)、僕の尽きせぬ残りの生を、あなたの無限の生へと捧げます」

「善し赦そう。ただし、妾より先に死ぬのは許さぬ」


 誓約を述べる魔女の表情は不敵で、しかし少年はその中に、一抹の寂しさのようなものを感じ取りました。そして彼は彼だけの誓約を心の中で告げました。



 僕が死ぬときは必ず、あなたの死を見届けてから。

 未来永劫、尽きせぬ(とき)を、あなたのお傍で。

 我が最愛の、永遠(とわ)に無垢なる幼き君――。



 森の樵の家を焼き払い、明々(あかあか)と夜の森を照らす炎を後にすれば、二つの幼い影を木々と風のささやきが見送ります。チラつく星々は覗き込むように木の葉の隙間で瞬き、彼女と彼が出会った樫の木にとまったフクロウの、水晶の瞳には、ひっそりと寄り添う、まるで幼い兄妹のような彼らの姿が、闇から隠れるように映りました。


 ホウ――、


 空々しい響きが、夜に消えます。


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