閑話 ケルヴィン・オールガー
7話と8話の間の一幕です。
オールガー侯爵家第二子、そして我が国の第二殿下・セルシス様の護衛騎士。
それが俺、ケルヴィン・オールガーの肩書である。
セルシス殿下に仕える事となったのは、つい一年前のことだ。それまでは、国の騎士団に所属し戦地へ赴く隊へ従じていた。きっかけは、セルシス殿下に長く仕えていた護衛騎士が、なんと隣国の姫君に見初められ婿養子になったからである。
彼は最後まで殿下に仕える身だからと受け入れをかわしていたのだが、彼女はなかなかアグレッシブな姫君だった。こちらへ留学までして、彼とその周りを懐柔してかかったのだ。もともと優秀で賢い姫君で、今まで国のためと自分のことをおざなりにしていた彼女の突然の熱意に、陛下まで押されてしまったらしい。もちろん、友好関係を重んじたという点もあるが。
セルシス殿下も、『君がどこにいようともその忠義は確かなものだろう』と説得し、結局彼自身も姫君に絆されてしまった。
何度か訓練で一緒になった彼は、セルシス殿下に仕えるにふさわしい忠誠心と実力を持ち合わせていたので、そのように『恋情』に動かされるのは当時衝撃だった。そして何かと目をかけてくれていた彼からの推薦で、俺がセルシス殿下の護衛騎士へと配置されたのである。
「ミュレイ嬢とは、思いのほか打ち解けたようだね」
何度目かの城での逢瀬―何も知らないリザーヌ嬢と、セルシス殿下のだが―も終わり、二人を乗せた馬車を見送った後そう言われた。
「……不可解なことをおっしゃらないで頂きたいのですが」
「おや、違ったか?ずいぶん仲が良いようだと、私は何度か言われているのだが。二人で親し気に談笑していたと」
「会話の内容は、常にリザーヌ嬢を称賛するものですがね」
リザーヌ嬢は、妹の緊張がかなり解けたと思ったのか、タイミングをみて彼女と二人にしようとしてくる。元々、緊張などなにもしていない、ミュレイ嬢の演技の賜物なのだが。確かに打ち解けてはいるだろう。……二人になった途端に、姉がいかに美しく神がかった存在であるのか息継ぐ間もなく話し始めるくらいには。
「リザーヌ嬢の悪評ばかりが耳に入り、妹の方は真面目だという話が世では流れていますが、あれは認識間違いですね。彼女の方が性質が悪い。あれならば姉の方が常識もあるように見えます」
「遠くから見ていると、君も楽しんでいたようだが」
「知識は豊富でした。聞けば返してくれるので」
「質問するほどには興味があると」
なにやら揚げ足を取られているような気分だ。
そう、ミュレイ嬢は質問には律儀に答えてくる。逆に聞かなければそのすべては姉の事に関わるので、それを逃れるために質問をするというのが正しい。
ツェンネル家の家訓は『やりたいことはまずやってみる』というものらしく、彼女自身、乗馬や弓矢を嗜むと言っていた。姉のようにご令嬢らしいことはあまり興味がなく、それでも母が溜息交じりに自分を見るので、慌てて裁縫道具を取り出すだとか、刺繍をあしらったハンカチを父にプレゼントするだとか。ここでまた姉の刺繡の技術がいかに素晴らしいかと説明し始めたので、普段は何をしているのか聞いて誤魔化す。つまり、それの繰り返しで、談笑しているように見えるのだろう。
最初こそ、なんと分別のない女だと思っていたのだが、姉のことさえ関わらなければ―そこが一番重要だ―彼女は普通の令嬢だった。いや、普通ではないのかもしれない。
侯爵家の子息である自分も、それなりに夜会に参加することはあった。そこにいるご令嬢たちは、自分を着飾り、女同士の蹴り落としを行い、そして媚を売る。だがミュレイ嬢は、そういったことには首をつっみたくないらしい。
『わたしが着飾ってどうなるというの?宝石ばかりじゃらじゃらつけたイヤリングなんて、耳たぶが伸びてしまいそうだけれど、みんな大丈夫なのかしら?もしかして、そういう鍛え方をしているのかしらね?』
自分の言い草がおかしかったのか、彼女は笑いながら片手でみみたぶを摘まんでみせた。その彼女の頭には、先日贈った髪飾りがある。
形式上、贈り物は考えていたのだが、仕方なしに買ったような流れになってしまったことは悔いていた。気持ち的に面白くはないだろう、と。なのにその意図すら気づかずに、返却をすると言われた時には、さすがに呆れかえった。伯爵家のご令嬢ならば、今までだって装飾品の贈答はあっただろう。それを毎回返しているはずもないのだから、受け取ってしまえばいいのだ。贈る側とて、それが当然だと思っている。
だが、髪飾りを贈った時の彼女の表情は、初めて見るものだった。
支払いを済ませている間にちらりと振り向くと、困ったように、あるいは戸惑っているかのように俯き、指先でそれにそっと触れていた。鍬のかわりに上等な剣を渡された農民のような、突然金貨を渡された花売りの少女のように、まるで自分には不釣り合いな物を渡されたかのような顔をしていた。
それは一度見てしまうと、また見たくなるような表情で。
「来た時にはしていない腕輪をしていたようだが」
「私が好いて城に呼んでいるという事になっているのです。それが本気だという姿を周りに見せた方がいいでしょう」
「それはすまなかった。その分は後でこちらから返金しよう」
「……結構です。侯爵家より証明書を発行していますので」
「そうか。君が個人で贈ったという証拠が残ってしまうな?」
おかしそうに笑いを堪える主を、不敬にならない程度にじろりと一瞥する。
「私が最近ツェンネル家の姉妹と関わりを持っていると、陛下の耳に入ったらしい。将来の正妃候補であるリザーヌ嬢の妹君にも、王家を通して縁談の話が入ってきているようだ」
「わざわざ言う事ですか」
「陛下の采配だよ。初耳だが、ミュレイ嬢はずいぶんと恥ずかしがり屋な一面を持っているらしいな。それを考慮して、君自ら婚約を申し込むまで時間を頂きたいと、両家のご当主にも許可をもらったそうじゃないか。本当に初耳だ」
「……ご存知なら、最初からおっしゃってください」
取り繕っていた意味がない。殿下のからかうような視線にはもう諦めて、俺は薄く笑みを向ける。
「 彼女は、一緒にいて飽きませんね。会話の八割が姉のことだというのは、色々と問題点でしょうが」
「上手く逃れる方便だと思っていたのだが」
「そのつもりではありましたが、少々考えが変わりました」
姉のことには自信に満ちて答える癖に、彼女は自分の事となると逆になる。偽りであっても、侯爵家からの婚約の打診が上がっている話はいずれ他の者の耳にも入るだろう。彼女は、この一件が終わればその関係を無に返すと言っていた。しかし身分はこちらが高い。彼女に何か問題があり、侯爵家から見限られたと下世話な者たちは考えるに違いなかった。
その事についてどうするのか聞くと、「気にしなくて結構よ」と言う。
『わたしは元々、異性からそういう対象に見られる人間だとは思ってないもの。お姉さまさえ幸せになれば満足よ。そのうち、父にでも相手を見つけていただくわ。それも叶わないのなら、教会に入ることも考えているし』
『あまりに極端すぎないか』
『そうかしら?自慢ではないけれど、わたしはあまり外見に恵まれてないわ。加えてそういう噂がついたとしたら、それでもいいという男性はなかなかいないもの。でもわたしは伯爵家の娘だし、政略結婚なら家のためになるから少しは望めると思うんだけど』
彼女の基準が『姉』であることが問題だ。
リザーヌ嬢は確かに社交界では色々と言われているが、その美貌で打ち消している部分は確かにあるだろう。比べてしまえば、他の令嬢たちだって敵わないと言える。一番身近にいる妹が、比較対象とされるのも仕方のない話なのかもしれない。
だが一般的に見て――ごく一般的なもので個人の趣味ではないと信じたいが――ミュレイ嬢は十分に可愛らしい。
無意識なのか、いじけたように指先をもじつかせ、ふっくらとした唇をすぼませている。伏せた睫が長いことも、彼女は自分で知らないのだろうか。
『 君の自慢の姉上殿には遠く及ばないかもしれないが、その特殊な性癖でもいいと思う者も、世界のどこかに一人くらいはいるだろう……たぶん』
『特殊な性癖って失礼ね!』
ついて出たのはいつも通りの憎まれ口であったが、彼女は気分を害するわけでもなく―姉の事は別として―眉を顰めたかと思うと破顔する。淡い緑色の瞳を輝かせ、本当に楽し気に。
その笑顔が俺にどう映っているのかも、彼女は知りもしないのだろう。
「いじめすぎて嫌われぬようにな」
「逃げられぬよう策は練っております故、ご心配なく」
「……彼女も大概いい性格だと思ってはいたが、君もなかなかなだったな」
不憫そうな表情を浮かべる殿下の言葉は聞こえなかったことにしよう。
仕掛けたことを知った時、彼女はどのような反応を返してくるだろうか。
怒りで睨んでくるかもしれないし、または呆れかえるかもしれない。どちらにせよ、嬉しそうな反応は確実に返ってこないだろう。それすら見てみたいと考えている自分は、彼女のことを言えないくらいは変わり者かもしれない。
次に会ったときは、『ミュレイ』と呼んでみよう。
あの美しい瞳が驚きで見開かれるのだけは、容易に想像がついた。