8 立ちはだかる現実
お茶会の後、わたしは理由を付けてお姉さまをセルシスさまと会わせることに成功していた。今まで甘えたことのないわたしに、お姉さまも気を許していたのだろう。だが、城で会う場合、お姉さまは『サーシュ殿下の正妃候補』なので、二人きりにしてあげることが出来ない。なのでセルシスさまは何度かお忍びで、城下町の散策に付き合ってもらった。
「いまさらだけど、護衛が離れてよかったのかしら」
「本来、俺は休暇中だからな。二人ほど、後をついて回っている」
休暇とはいえ主がいるのだからと、ケルヴィンも離れるつもりはなかったのだが、何の気を回したのか他の護衛騎士たちが、自分たちが見ているからわたしをエスコートしなさい、と言ってきたとか。いえ、わたしたちが二人で歩くためではなく、セルシスさまとお姉さまを二人にする作戦が故ですよ。
お姉さまもさすがに、こう何度も二人きりになるのは気にするかと思ったけれど、なんだかんだセルシスさまと打ち解けているらしく―セルシスさまはお姉さまの買い物にも文句を言わず付き合うこともあり―今は別れて行動しているというところだ。
「ねえ、どう思う?」
「なにがだ?」
「二人のことよ。どうなの?護衛騎士として見る限り、二人に進展はあった?」
「護衛騎士だからといって主の恋心に足を突っ込む気はないのだが」
そういいながらも、「手紙のやりとりはしているな」とこぼす。
「内容は知らん」
「そう、そうね。そこまで詮索するのは、野暮というものね」
「ミュレイ」
わたしが呼び捨てだからだろう、最近になって彼も私から『嬢』を抜いて呼びかけてくる。少し声を落として続けた。
「城内が、やや立て込んでいる。しばらく君は城に来ない方がいい。もちろん、リザーヌ嬢もだ」
「汚職でも見つかったのかしら」
「その方がましだったが……いや、箝口令が敷かれている。さすがに俺も易々と口にはできない」
「ふぅん……無理には聞かないわよ。政のことは、わたしもよくわからないし。あなたは大丈夫なの?その厄介ごとに巻き込まれているのではなくて?」
「城に勤めていれば、ほとんどの者があらゆる事に巻き込まれているだろうな」
肯定も否定もしない。
事が静まれば、そのうち上位貴族の耳には入ってくるだろう。
「――そういえば、わたしへの縁談の話がやけに少なくなったんだけど、あなた何か知ってるんじゃない?」
「ようやく周りが君の悪質性に気付いたのでは?」
「花の適齢期である令嬢に何を言うのかしら!」
真面目に言うケルヴィンの背を強めに叩くと「あと凶暴性も」と付け加える。
「変だと思ったのよ。ここまであなたと会っているのなら、侯爵家から縁談の話が来てもいい頃なのに、それもないし。お父さまもそのことに対して別に焦った様子はないし」
「何だ、申し込みをした方がよかったのか」
「されたらまずいから言っているんでしょう」
時が来れば解消される仲なのだ。変につながりを持ってしまっても、あとあと面倒なことになる。まあ、今の状態でも面倒に変わりないが。
ケルヴィンは少し眉を寄せたが、諦めたようにわたしのエスコートを続ける。
「安心しろ。父が早々に婚約の申し込みをしようとしていたが、こう言ってやった。『ミュレイ嬢は奥ゆかしくかわいらしい考え方をする女性なので、できれば彼女の気持ちを汲み、政略結婚という形ではなく、お互いが通じ合ったときに私から婚約を申し出たい』と」
「ちょっと、私がまるで脳内お花畑のメルヘンご令嬢みたいじゃない!」
「良かったな、黙ってれば大人しいご令嬢に見えて。両親は納得していた」
この様子だと、わたしの両親にもそう説明され、いわばキープ状態。ほぼ確定された婚約者がいるので……と下級貴族からの縁談は爪はじきされているのだろう。なんてことだ。
「公にはなっていないことだ。君の言う、『全てが片付いた時』が来たとしても、内々にもみ消せば問題はないだろう」
それはそうなのだが。
さほど気にすることでもないというように、ケルヴィンは私が手にした店頭に並ぶイヤリングを見ると、「また姉へのプレゼントか?」と言う。見るからに私の趣味ではなさそうなものは、姉への献上品と確信しているらしい。
「そうよ。これなんか似合いそうじゃない?」
「贈り物ならセルシス様が今頃しているはずだ。自分の物を選べ」
「あなたまたそう言うの!?見なさい、私のつけているもの!」
そういって両手を見せびらかすように彼に向ける。
今日のコーディネートは、まず右手の中指に指輪、左手首に腕輪、首飾り、髪飾り、おまけで言うと羽織っている上質なショール。これらはすべて、ここしばらくでケルヴィンから贈られた物である。
「センスがいいな」
「そうね」
じろりと選んだ本人を睨みながら言うと肩を竦める。いつものことだ、というように。あの髪飾りをきっかけにしたのか、定期的にこうやって贈り物を与えてくるのだから、こちらとしては困るのだ。普通のご令嬢ならば嬉々として受け取るだろうが。わたしの好きなデザインであることが更に困る。
「言っておくが、返却されても受け取らないからな」
「……貢ぎ癖があるのかしら?将来が不安だわ」
「付けているということは気に入っているのだろう?」
そう言いながら、恐らくこの店でわたしが一番好みであろうイヤリングをさっさと購入してしまう。わたしはもう半笑いで受け取るしかない。
「わかったわ。何か企んでいるのね?言ってみなさい、怒らないから」
「別に企んでいない。小腹が空かないか?」
そういってわたしの手を取り、近くに見えたスイーツ屋めがけて歩き出した。
そしてこのお店のクレープも、私は大好物なのだ。
「お姉さま?またクズでん ――サーシュ殿下のことで悩んでいるのですか?」
「なんだかいま、良くない言葉を言おうとしなかったかしら」
「気のせいですわ」
ここのところ、セルシスさまを交えて会ったあと、こうして暗い顔をすることが増えていた。会っているときはとても楽しそうなので不思議だったのだが、馬車の中で聞くとお姉さまは美しい顔を悲しそうに歪めている。
「……最近、サーシュ殿下とのお会いする機会が減っているの」
「そ、そうですか……」
「それは、いいのだけれど」
「いいんですか!?」
驚きの返答にぎょっとすると、お姉さまは――赤らんだ頬に手を当てきょときょと視線を逸らすと――小さく頷く。
「ミュレイ、私、どうしたらいいのかしら」
「お、お姉さま……?」
「この事を、セルシス様に相談したの。そうしたら……」
「そうしたら……?」
「あの方に『私だったら、あなたにそのような悲しい顔をさせないのに』って、泣いてしまった私を、だ、抱きしめてくださって……」
セルシスさまが動いたーーーー!
なかなかそれらしき雰囲気がなかったので、じわじわ攻めているとは思っていたけれど、ここでようやく行動を起こしたか。
「お姉さまは、いやでしたか?」
「そんな!その、私は……いやではなくて、だから困っているのよ」
顔を覆ってそう呟くお姉さまの愛らしいこと……!
やはり天はお姉さまの幸せに味方しているんだわ!
そんなことを考えながら、励ますようにお姉さまに寄り添う。
「心配しても始まりませんわ。セルシスさまは、お姉さまが兄殿下の妃候補だと知ったうえで、そのように想いを告げてきたのです。それならば、きっとお姉さまの立場を悪くするようなことは致しませんわ」
「でも……」
「どうにかしてくれるはずです。お姉さま、わたし、お姉さまに幸せになってもらいたい。だからお姉さまもどうか、ご自身の幸せを望んでください」
その言葉に微笑むお姉さまは、本当に、本当に美しかったのです。
数週間後、王城よりサーシュ殿下の名で手紙が届いた。
その内容は、第二殿下セルシスより要請があり、第一子、リザーヌ・ツェンネルを自身の妃候補から外し、彼の婚約者として計らうという事。
そしてもう一つ。
認める条件として。
第二子、ミュレイ・ツェンネルを、自身の後宮に召し上げる事、とあった。