7 お茶会のあと
テーブルに戻ると、お姉さまが楽しそうに笑い声を上げていた。わたしを見ると「あら!」と目を細める。
「よく似合っているわ、ミュレイ」
「お姉さま、楽しそうですね」
「ゼム様から、以前隣国に行った時のお話を聞かせて頂いていたの」
おや、どうやらサーシュのことはまだ相談していなかったらしい。このように明るい場なのだから、そういう雰囲気でもなかったのだろう。問題ない、これからも何度か会う機会を増やす予定だから。
わたしも気を取り直して、「隣国というと、モルーダですか?」と話に入る。
「ああ、織物が発展している国だったよ」
「おかしいのよ。髪の毛を伸ばしていたせいで、お召替えの際に女性の国民装束を着せられそうになったんですって」
「ああ、あの時の……」
ケルヴィンも思い当たったのか、苦笑いしている。
「途中まで着せられて、化粧道具が部屋に運ばれて気づいた。危うく、他国の貴族たちの前で醜態をさらすところだった」
「帰還してすぐに髪の毛を切りましたしね」
「同じ過ちは二度と起きないようにだよ」
確かにセルシスさまは柔和で美しい顔立ちなので、髪も長かったのなら勘違いされる可能性はあっただろう。隣国とは数年前まで敵対していたのであまり接点がなかったのだ。停戦し協定を組んだとしても情報が少なかったのかもしれない。
それから始終、お姉さまは楽しそうにセルシスさまのお話を聞いたり、他の参加者たちとも歓談したりと、夜会とは違って穏やかに過ごしていた。夜会だと、同年代のご令嬢たちとのバトルが勃発するので、こういうのは新鮮だったのだろう。参加者全員の人柄がよかった、ということもあるかもしれない。
「ミュレイさん、また遊びに来て頂戴ね。リザーヌさんもぜひいらっしゃって」
「ありがとうございます。とても楽しかったです」
時間になり、馬車に乗る前に夫人に挨拶をする。
それと入れ替わりでケルヴィンが見送りに現れた。
「ゼムさまは?」
「馬車が迎えに来て、一足早くお帰りになった。リザーヌ嬢にもよろしく伝えてくれと、言伝を」
「お話が聞けて、有意義な一日でしたとお伝えくださいませ」
「はい、そのように」
お姉さまが先に馬車に乗って、わたしも従者の手を借り乗り込もうとしたが、その前にケルヴィンに手を貸されたので使わせてもらう。
「お気を付けて」
「……ええ」
言葉に間が開いてしまったのは、支えられた手の甲に唇を落とされたからだ。
離されて行き場をなくした右手をふわつかせながら、お姉さまの向かい側に腰を下ろす。馬車が走り出すと、お姉さまの口元は楽し気に弧をかいていた。
「最初は気の利かない男と思ったけれど、ミュレイは気に入っているのね」
「なにを言ってるのですか!」
「違うの?彼と話している姿が自然だったし――その髪飾りも気に入っているのでしょう?」
ハッとしてつけられたままの飾りに指を伸ばす。
お姉さまは、以前わたしがいけ好かない子息から一方的に贈り物をされ、馬車に乗った瞬間はずして座席に放り投げたことをいっているのだろう。
「確かに、気に入ってますわね。髪飾りが、ですよ?」
「そうね。あなたにとっても似合っているわ」
鏡で見ていないからわからないが、お姉さまがそういうのならわたしに合ったものなのだろう。お姉さまに褒められるのは嬉しいけれど、なにやら胸がざわざわして落ち着かない。
そう、贈り物なんて、機嫌取りのために利用されるだけのもの。それなら今までだって、幾度となくもらった。
大きなルビーのついた使い回しに困る首飾り。
趣味の悪い、紫の薔薇がモチーフの腕輪。
頭が重くなる大粒のダイヤで覆われた髪飾り。
それは『ツェンネル家のご令嬢』だからこそ、贈られた物だ。
「そんなことより……サーシュ殿下のことは、相談しなかったのですね」
「しようと思ったけれど、そんな雰囲気じゃなかったし。でも、セルシス様は博識で話しやすいお方ね。ご兄弟だというのに、また違った性格だったわ」
すると、少しお姉さまが落ち込んでいくのがわかった。
「お姉さま?」
「ミュレイ、私きっと少し不安なのね。あと少し経てば、サーシュ様は後宮を開くでしょう?」
わたしはお姉さまの隣に移動して、肩をそっと撫でつける。
「立場から言って、正室は私にほぼ決まっていると思うのだけれど……だめね、夜会にばかり出ているのも。聞きたくない噂まで耳に入ってしまうわ」
「不安になってしまうのは仕方ありません。お姉さまの想い人とはいっても……正直わたしは、サーシュ殿下を好ましくは思えませんもの」
「楽しいお茶会の帰りなのに、ごめんなさいね」
「いいえ、お姉さま。やはり、セルシス殿下にご相談なさった方がよろしいかと。あの方でしたら、お姉さまのためになるアドバイスをいただけるかもしれませんから」
騙している気分――いや、実際、騙しているのだ。
お姉さまが恋い焦がれているサーシュよりも、お姉さまを確実に大切にしてくれるセルシスさまへ、気持ちが移るように。
夕食を済ませ、自分の部屋に戻る。
侍女は紅茶を淹れさせ、退室させた。
そっと立ち上がり、鏡台に映る自分の姿を見つめた。そっと、馬車でそうしたようにつけたままの髪飾りを指でなぞる。お姉さまの言った通り、ささやかながらも上品なつくりの髪飾りは、思いの外わたしにしっくり来ていた。
『元々送る予定だった』というのは、そうしなければ周りは不審に思うし、ある程度の形づくりとして必要な事だったのだろうとわかる。それならば、こちらからの返却提案に乗ってくれてもいいのだが、それは『男のプライド』というものなのだろうか。あれほど腹を割って話す仲なのだから、そんな気遣いなどいらなかったのだけれど。
悪い気はしなかった。
でも同時に、罪悪感が駆けあがってくる。
結局私は、利用しているのだから。
セルシスさまも――ケルヴィンのことも。
それもこれもすべて、わたしの自己満足のために。
「……わたしは、お姉さまの味方なの」
ぽつりとつぶやいても、それを聞いているのは、自分だけだった。