5 昨日の敵は今日から協力者
セルシスさまに別件で用事が入り、他の護衛を連れながら行ってしまったので、わたしはケルヴィンと二人きりになってしまった。「もう少し打ち解ける様に」とセルシスさまから言われてしまったので、ここで帰るわけにもいかない。
「……あまり自由に動けませんが、庭園の方にでも」
「ええ」
あれだけさんざんなことを言われたにもかかわらず、ケルヴィンは諦めたのかちゃんとエスコートをして歩き出した。少しだけ申し訳ないので、わたしもハンカチで拭うのはやめてあげよう。
ケルヴィンに連れられてやってきた庭園は、案内するだけあり立派なものだ。
「見事なものですわね」
「王妃殿下の計らいです。城下の手入れの管理者でもあらせられますので――」
「あなたって、生真面目なのかしら?侯爵家のご子息にあれほど敵意むき出しにしてしまったのだから、わたしに対しては気を遣わなくてもいいのだけれど」
わたしの提案に、ケルヴィンは軽く目を瞠ったが、その次には相変わらずの呆れた視線を向けてきた。
「君はなにが目的なんだ?」
「目的とは?」
「姉がセルシス殿下の伴侶になったとしても、実質君自身に与えられる利は、ほとんどないように思う。まあ、君の伴侶探しには大きく影響するかもしれんが」
「わたしの利は、お姉さまの幸せよ」
「そこがわからん……仲が良すぎか」
「いいわね。すっごくいいわ。ご兄弟は?」
「上にひとり兄が。現在は父の跡を継いで、領地の一角を担っている」
庭園内に設置されたベンチに、そんな会話を続けながらケルヴィンがハンカチを敷いてくれた。こういうところは出来る男といったところか。立ちっぱなしもなんなので、二人で腰を下ろす。
「まあ、男兄弟で仲が良すぎるのも気持ちが悪いものね。でも姉がいたら、あなただって溺愛していたかもしれなくてよ?」
「それは……想像しにくいが」
「お姉さまは、みんなが思っているような醜悪な人じゃないわ。これを見て」
わたしがそっと首元の髪の毛をよけてうなじを見せると、ぎょっとしたように目を逸らしたが「早く」と言えば、「失礼」と軽くのぞき込んで来た。
「……この傷跡は?」
「不慮の事故で、わたしが屋敷の二階から落ちた時のものよ」
ほぼ薄くはなったが、髪の毛を寄せれば目立つくらいには残っている。
きれいに着地はした。脳震盪こそ起きたが奇跡的に。けれどその落下中に木の枝でえぐれてしまったのだ。あとで聞いたが、軽く血も流れていたらしい。そのため姉はよけいに罪悪感を持ってしまったのだろう。
「この傷跡が残っている限り、これを見てしまうたびに、偶然にしろ事故の原因を起こしたお姉さまは、深く悲しんで自己嫌悪に陥るでしょうね。わたしとしてはこの程度、髪を下ろしていればわからないのだから気にしていない。だからお姉さまにはどうか、過去にとらわれずにうんと幸せになって欲しいの」
お姉さまが不幸を感じてしまうのならば、それはわたしのせいだ。
「この傷を忘れてしまうくらい、お姉さまは幸せになるべきなのよ」
「……それは確かに、君にとっては利となるか」
「ええ、そうよ。だから少しくらいの強硬手段、わたしは簡単に実行できるの」
「 俺としても、主に実害がなければ問題視しない。あくまで度が過ぎれば止めるだけのこと。……君のことだ」
「冷戦ってところね。お姉さまへの悪口は、心の奥底に眠らせてとりあえず鎖でもかけておくわ」
夜会での言葉は聞き捨てならないものだったが、それを抜いてみるとこの男は貴族特有の偉ぶった態度はほとんどないし、わたしの方が身分的にも下だというのに責めもしない。今まで知り合ったご子息連中とは違って話しやすいのだ。だからこそ、わたしもなぜお姉さまのためにセルシスさままで利用するのか腹を割って話すことができたのだろう。
わたしの言い草に、ケルヴィンは初めて苦笑を漏らす。それから差し出した手を握り返してきた。冷戦協定の握手である。
「まだ風が冷たい。城に戻ろう。帰るのならば馬車を手配する」
「セルシスさまにご挨拶は?」
「報告だけでいいだろう。誘いの文はまたこちらから――」
そこまで言ってケルヴィンの視線がわたしの後ろで止まった。振り返るとそこにいたのは……サーシュである。護衛二人を引き連れてこちらに向かっていた。
わたしとケルヴィンは頭を下げる。
「セルシスの護衛か」
「はっ」
「そちらのご令嬢は」
「……ツェンネル家、第二子、ミュレイにございます。サーシュ殿下におきましてはご機嫌麗しゅう」
「ああ、リザーヌの妹君か」
お姉さまを呼び捨てにするんじゃねえよ。
心中毒を吐きながら、何とか笑みを張り付けて淑女らしく礼をする。
サーシュの視線は上から下まで流れ、最後はわたしの胸の上で止まった。その眼には、やや気味の悪い色がにじんでいる。
「セルシスに呼ばれたのか?いないのならば、私が相手をしよう」
「……恐れ入りますが、実家より急な呼び出しが入りましたゆえ……」
「庭園で時間を潰す予定があったのに、か?」
「本当に急だったものですから、せめてもとケルヴィンさまが、立派な庭園を一目見せようと連れて来てくださったのですわ」
「私からセルシス殿下に頼みこんで呼んで頂いたのですから、少しでも楽しんでいただければと。本来ならば、城下までご案内したいところだったのですが」
「まあ、それは残念でございました」
肩を落としつつ、熱っぽくケルヴィンを見つめると、口元が引きつりそうになっている。がんばれ。わたしもがんばっている。
サーシュは気を削がれたのか、最後まで胸元を見つつ踵を返して去っていく。護衛たちがほっとしたようにそのあとを続いた。
「……俺の隣にいるのは、どこぞのご令嬢かと」
「……わたしもあんな大根役者が隣にいるとは」
完全に姿が見えなくなり、わたしたちはお互いの芝居に肩を震わせ、声が漏れないように笑いだす。
「それにしても、あの色魔殿下は、女と見ればああなのかしら。いちおう遭遇を危惧して、露出の少ないドレスにしたのだけれど」
「あの性癖には陛下もお困りのようだ」
「その点、あなたの株は少し上がったわ。ほんのちょっとね」
サーシュの後ろにいた護衛二人の視線も混ざっていたことに気付いていた。けれどケルヴィンからそのような気分の悪い視線は、先日の夜会でも今日も受けていない。セルシスさまは、まあ、普通の男性の反応くらいで、不躾なことはしていなかった。むしろケルヴィンは普通の反応以下である。
「ねえ、ケルヴィン……あの」
「なんだ?」
「その……今回、互いの目的のために手を組んだけれど……あなたは主のため、私は姉のため。だから、あなたの気持ちを無視してしまった部分もあると思うわ」
「それは……ま、まあ、急な事ではあったが」
「ああ!でもわたしには偏見なんてないし、他言しようとも思わないから安心してちょうだいね!」
「偏見?他言?何なんだいったい」
意図がつかめずいるケルヴィンの耳元に顔を寄せると少したじろいだ。
「あなた――女性に興味がないんでしょう?」
「 馬鹿か?」
少しは和解したと思ったのだが、その後始終機嫌の悪いケルヴィンに城から見送られ、男心はどの世界に生まれついてもわからないものね、と馬車に揺られながらそう実感した。