3 セルシス第二殿下との密談
バルコニーに連行されたわたしは、蛇に睨まれたカエル状態であった。
どうしましょう。不敬罪としてわたしだけではなくお姉さまや家族に罰をあたえられてしまうのではないだろうか。けれどそれだったら速攻保護者が呼びつけられ「お前の娘、王族に対して何やってんだごるぁ」となるのではないだろうか。
「顔を上げてくれないか。外は暗いし、表情が見えない」
「……はい」
そういわれそろそろと俯くのをやめた。
セルシスさま――というより護衛騎士とのやりとりは隅っこで起こったので、他の客には気づかれなかったらしい。バルコニーに入ってもこちらを覗くものはいなかった。
「先ほどは、私の護衛がすまなかった。身内のことを悪く言われれば誰でも怒るだろう」
「い、いいえ、セルシスさまの御前だと気づかず、非礼をいたしました」
「あれはケルヴィンが悪かった。誰か聞いてるかもわからないのに」
ケルヴィンと呼ばれた護衛は、やや不機嫌そうながらも「言葉が過ぎ、申し訳ありません」と頭を下げてくる。
「わたくしも許しがたい発言だったとはいえ、大変申し訳ありません。あのぅ……処罰はわたくしひとりにして頂けないでしょうか?」
「処罰?」
「ああ、けれど結局家族にまで迷惑が……お姉さまに至っては犯罪者の姉として悪評が付いて大変なことに……それならばいっそここから飛び降りて、わたしは事故死ってことにしたらいいのかしら?」
「それは一緒にいた私も迷惑なのでやめてほしいのだが」
ぶつぶつ呟きながらバルコニーの下を覗くと、片手を上げて止められた。
「処罰って、さっきの言動についてかい?」
「はい、できれば内々に進めて頂けないでしょうか」
「……ご令嬢の一言だけで処罰するほど狭心ではないよ」
苦笑いするセルシスさまにまだ不安げな視線を向けると、「どちらも失礼だった。そしてどちらも謝った。それではだめかい?」と聞かれ、わたしはほっとする。
「君はお姉さんが好きなんだね」
「はい!お姉さまの幸せこそがわたくしの生きがいなのです!中には立ち振る舞いだけで誤解する方もいらっしゃいますが、本来やさしい心の持ち主ですわ」
「優しい心の持ち主はご令嬢を蹴落とせないのでは」
「あら、いずれ諦めねばならない道から蹴落としているんですもの。相手のことを考えた思いやり溢れる行動ですわよ」
ケルヴィンはに突っ込まれたのであっけらかんと返すと、ぽかんとする。なかなか端正な顔をしているのに残念なことになっていますよ。
セルシスさまは逆に「……彼女が優しいのは知っているよ」と、広間にいるはずのお姉さまに向けるように遠くを見つめながら言った。ここであるかないか微妙な、女の勘がぴーんと働く。
「セルシスさまは、もしかしてお姉さまを好いていらっしゃるのですか?」
「兄の妃候補にそういう感情を持ってはいけないことは理解している。しかし……兄の妻になって、彼女の笑顔が曇ってしまうのではないかと」
少し恥ずかしそうに、そして悲し気に告げるセルシスさま。どうやらサーシュさまの女好きの噂は本当で、側室も出来るだけ多くとれるようにと陛下にまで口をはさんでいたらしい。
ふつふつと湧き上がるのは怒りだ。
「どこまで女を侍らせれば気が済むのかしら……」
「妹の君に話すのはお門違いだとは思うけどね」
「いいえ、いいえ!話して頂けて感謝いたしますわ」
お姉さまとて――自分が妻となったことを前提に――側室がいるのは仕方のないこと、と割り切っていた。しかし正妃として迎えられるのなら、自分のことを一番愛していくれるのだと信じているのだ。
それを側室を増やせ?そういう男はいい歳になったとしても権力を使って若い側室を補充し続けるに決まっている。
そしてそのことに傷ついて悲しみに暮れるお姉さまの姿が鮮明に……。
「……セルシスさま、お姉さまのことを本気で、誰よりも大切にして頂けるのなら、その気持ちを諦めないで頂けませんか?」
「なんだって?」
「わたくし、幼い頃よりお姉さまを見守り続けてきました。悪い輩は遠さげ、どこぞの馬の骨も蹴散らし、世界で一番幸せになってもらえるように場を整えてまいりましたの」
ケルヴィンの呆れたような視線が突き刺さったが、そんなのは関係ない。
セルシスさまは何とも言えない表情でわたしを見つめる。それに対し、にいっと笑みを向ける。
「要は、お姉さまの心をセルシスさまに向け、二人が愛し合っているということを王の耳に届くまでにしてしまえばよろしいのですよね。それも良いイメージで」
「それは、そんなことが」
「サーシュさまのお噂は以前より聞き及んでおりました。真実かどうかはわかりませんでしたが、わたくしの元まで届いているということは、王城内ではもっと詳しく広がっているという結論に至ります」
「確かに兄のことは、城の者なら誰しも知っていることだが」
「ではより簡単です。将来この国を、愚かな王に統治させるおつもりですか?」
言外に「あなたが王位を継ぐ意志は?」と含ませると、ケルヴィンが待ったをかけた。
「セルシス様、安易に信用はなりません。彼女の姉が第一殿下の妃候補である以上、ツェンネル家はその派閥に組まれているはず」
「あら、わたくしそのような難しいことは存じませんわ」
「どちらの道も、君の姉が国母になる道ではないか」
「ええ、幸せになって頂きたいので。お姉さまは少しおばかさんですが、頭が悪いわけではありません。学園では成績も上位です。そしてセルシスさまは今お話しただけで、良識があり賢明で誠実なお人柄だとわたくしは感じました」
環境が悪ければ、流れる川とてすぐに汚れる。しかし、時間はかかってもそれをろ過する存在があれば、水はいずれ元のきれいなものへと戻るのだ。
お姉さまはおばかさんだけど愚か者ではない。そう自信たっぷりに告げると、ケルヴィンはますます頭がいたそうに片手で押さえる。
「……完全に姉基準なのか、君は」
「そうですが、何か問題が?」
「問題だらけでしょうに」
そんな彼を尻目に、「それは可能なのか?」とセルシスさまが問う。
「不可能なことではありませんわ。もちろん、そのためにはセルシスさまの努力が必要になってくるとは思いますが」
「……」
「無理にとは言いません。だめならば違う方法を見つけます。今のところ、なかなかいい案は見つかりませんけど」
セルシスさまはしばらく考えていたが、「違う場で話をしたい」と言った。
「護衛はいるにせよ、いつまでもここにいるのはいいことではないだろう」
「そうですわね」
「近いうちに使いを出そう」
「セルシス様、城に呼ぶにしても彼女が”あなたの”そういう対象と思われる危険性があります」
それは避けたいところだ。なかなかいいところをついてくる。
「そうか、ではケルヴィン。お前の名で呼びなさい」
「……は?」
「私の名で呼べば波が立つ。そうだな、お前が今夜の夜会で彼女に好意を寄せた。だが私の護衛なので抜けられると困るため、主の目の届くところで面会するということにしよう」
開いた口が塞がらないのか、ケルヴィンはセルシスさまを見つめた。
わたしも変化球に固まる。
「それはあまりにも強引な手段では」
「そうです、セルシスさま。わたくし、一度でも姉に陰口を言う男に好かれているなど、設定だとしても身の毛がよだちます」
「ずいぶんと息が合う」
思わず二人で顔を合わせる。
「……主の命にも従えないなんて、忠誠心がたりないのでなくて?」
「……この程度で音を上げるとは、姉への愛情も安いものですね」
ぐぬぬ……としばし睨み合い、「お受けします!」と二人してセルシスさまに表明する。セルシスさまは面白そうに「ではよろしく頼む」と頷いた。