10 サーシュ第一殿下
「ミュレイ嬢、サーシュ殿下が間もなくいらっしゃいますので、もうしばらくお待ちを」
「ええ……」
城内、サーシュ殿下に与えられた区域の一室。
わたしは到着するや否や着替えされられ、こうして紅茶を飲みながら、小一時間は待たされていた。ソファの後ろには部屋の半分ほどを占めるほどのベッドがある。わたしは鼻で笑い、赤いドレスの裾を摘まんで呟いた。
「趣味の悪いこと」
したことのないきつめの化粧に、胸元を強調した、本当に趣味を疑うドレスだ。その趣味の悪いドレスを選んだ人物は、ようやく現れ、醜悪な笑みを浮かべた。
「ようこそ、ミュレイ・ツェンネル嬢」
その相手に、目は笑っていないだろうが顔に笑みを浮かべ、淑女らしく挨拶を返した。
「急な通達で悪かったな」
「ええ、おかげさまで家の者達は大慌てでございましたわ」
「おや、手厳しい」
「女の身支度は、時間がかかるものですわよ」
わたしの返しに、サーシュ殿下は「そうだな」と笑う。
「リザーヌは残念だ。見目がいいので、妃に娶っていればいずれは国母として、国民にも愛されただろうに」
「わたくしは姉とは似ておりませんからね。繰り上がりで……ターナル伯爵家のご令嬢あたりが正室候補にあがるのでしょうか?」
「ほう、自分がそうなるとは思っていないと」
「滅相もございませんわ。わざわざ逃した女の妹を呼びつけるんですもの。そのような待遇など、期待もしておりません」
陰湿なものだ。寒気すらする。
わたしの様子にサーシュ殿下は面白そうに口元を歪めた。
「それはそうと、君はオールガー侯爵家から婚約の打診があったそうだな。オールガーと言えば、以前会ったセルシスの護衛だったか」
「ええ、そのようですね」
「知らぬこととはいえ、仲を裂くような結果になってしまったな」
「お心遣い、感謝いたしますわ。わたくしは政略結婚など、とうに覚悟していきておりました」
「結婚? おかしなことを」
どうやらここから先の事を言いたくてたまらなかったらしい。
「君を側室にでも迎えるとでも?」
「……後宮に呼ぶとは、言われておりましたが?」
「弟のしつけのためだ。どうやら兄に逆らうなどという思考を持ち合わせているようだからな。君はその見せしめとする」
立ち上がり、片腕を掴んで来た。
ぎり、と強くつかまれ、少しだけ眉を顰める。
「せいぜい後宮内で飼い慣らしてやろう。愚かしい考えを持ったばかりに、あれの妻となる者は苦しむだろうな」
「それは……ツェンネル家への冒涜でしょうか」
「たかが伯爵家ひとつ、いずれは朽ちていくのだ。それが少し早まったところで問題あるまい。ご当主殿には、どのような罪状が合うだろうな」
「 本当にクズね」
思わずこぼれた本音に、サーシュは腕を掴んだまま乱暴にわたしをベッドの上に投げ飛ばす。
「姉ほど美しくはないが、君のその体は実に魅力的だ。私のお下がりでよければ、やつの護衛にも楽しみを分けてやるか。しっかりと堪能した後にな」
舌なめずりをするように、サーシュが近寄ってくる。
生理的に受け付けないのだが、ここはこいつの息がかかった者しかいない。暴れるだけ、余計に痛めつけられ無意味だろう。
あの晩、一緒に逃げようと言ってくれた彼に、わたしは否と答えを出した。
予想していたのかあまり驚かずに、それでもケルヴィンは「なぜだ」と聞いて来た。
『それが、わたしだからです。逃げることは、信条に反します』
『不幸になると、目に見えているのにか』
『ならばそれがわたしの運命なのでしょう』
ケルヴィンから距離をとる。
伸ばされた手をとる資格は、いまのわたしにはない。
『わたしは、セルシス殿下だけではなく、あなたまで騙していたわ。己の野望にまみれ、自分勝手な理由をつけて。 姉の幸せを願いつつも、わたしは、本当に自分のことしか考えていなかった』
『君が望むのは、自分以外の誰かのためなのにか?』
『そうよ、勝手でしょう?他人に自分の幸福像を重ね、そうなるように仕向けたのだから。姉はそのいい例ね。すっかり振り回してしまった』
わたしはケルヴィンに微笑みかける。
『ありがとう、ケルヴィン。あなたといた時間は、わたしにとって一番の幸せだったわ』
そう告げれば、それ以上の譲歩は無理だと悟ったのか、彼は再び窓から出ていった。警備の甘いところを聞き忘れた、と頭の片隅で考えながら、自分で手放したその大きさに、胸がぎしりと痛んだ。絞めつけられて、このまま息も出来ずに死んでしまいそうなほど。
そう、その時の痛みに比べれば、これから起こることなどかゆいくらいよ。
そっと目を閉じ、せめてもと視界から不快なものをシャットダウンした。
人の気配が近づき、思わず身を固くする。
すると、ふとその気配は止まる。部屋の扉の向こうが慌ただしく、やがて乱暴に開け放たれた。
「何事だ!ここをどこだと思っている!」
「――サーシュ殿下」
兵の中から一人抜き出て来た。騎士団の団長で、陛下の直属でもある男性だ。
「ヤグル!このような無礼、許されると思うのか!」
「それはこちらのお言葉ですな」
兵たちが部屋になだれ込んで取り囲み始めた。サーシュに捕まりそうだったところを、ぎりぎりのところで逃れベッドから飛び降りる。兵の一人がすぐに自分たちの後ろへ救出してくれた。
「お怪我は!?」
「大丈夫です、まだなにも」
腕こそ掴まれたが、それ以外は一切触れていない。そのことを告げると安堵した表情を浮かべる。
「サーシュ殿下、此度の件、陛下はいたくお怒りになっておりますぞ」
「後宮内のことについては、私に権限があるはずだ!」
「ええ、そうでしょうな。ツェンネル家のご令嬢の件に関しては、セルシス殿下との間でのやりとりになるので問題はなかったでしょう。どのような過程があったにせよ、『然るべき処遇』をしていただければ」
ヤグル団長は、不快そうに目を細めベッドを見下ろす。
「後宮で預かるご令嬢は、王族が責を受け、確かな立場を持って城に留まるのです。ツェンネル伯爵家は、我が国でも歴史ある旧家。陛下も現当主のお父上には恩があります。それをこのように……他にも色々とやらかしておいででしたな?陛下の命により、捕縛せよとのこと。 抵抗なさらぬよう」
激しく睨むサーシュだったが、多勢に無勢。彼の護衛騎士も捕らえられ、すでに牢に入れらたのだろう。姿が見えない。
あっけなく拘束されると、それでもなにやら喚き散らしていたが連れられて行った。それと入れ替わるように、ケルヴィンがわたしの姿を見つけると駆け寄ってくる。そして第一声が、
「なんだその趣味の悪い出で立ちは!?」
「……文句は、あの喚いている方に言って」
面と向かって言われると、着せられたわたしまで恥ずかしくなる。
ケルヴィンはぶつぶつ文句を言いながら、自身が羽織っていたマントでわたしの身体を隠すように覆うと、潰れぬ程度に抱きしめて来た。
「間に合ったな?」
「……ええ、間に合ったわ」
焦がれた体温に、ようやく体が感覚を取り戻して震えだした。そして同時に安堵感に包まれ、体の力が抜ける。
だが自分の顔面が、あのどぎつい化粧を施されているのを思い出し、涙を流さないように堪えた。黒い涙は勘弁したい。
「ケルヴィン……」
「ああ」
「とりあえず……この粗悪なドレスを、脱いでしまいたいわ。あと、肌が呼吸できなくて苦しい」
「そうしよう。 目にも毒だ」
彼は侍女も連れてきてくれていたらしい。
手には、先ほど回収されたわたしのドレスをしっかり持ってくれていた。




