9 心の決断
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その日のツェンネル家は、ひどく慌ただしかった。
サーシュより届いた手紙の内容に、お姉さまは顔を輝かせ、けれど次の条件を聞き、血の気を失うほど顔色を悪くさせていた。それはお姉さまだけではなく、両親も、使用人たちも言葉を失う程であった。
もちろん、その沈黙を破ったのはわたしだけれど。
「みんな、何をそんなに困っているの?」
「ミュレイ……?」
「お姉さま、おめでとうございます。わたしは、セルシスさまの方がお姉さまにお似合いだと、ずっと思っていたのですよ」
「何を言っているの……?」
「サーシュ殿下のおっしゃる条件、わたしは呑むということです」
ざわり、と衝撃が走り、「馬鹿言わないで!」とお姉さまが大粒の涙をこぼしながら大声で怒鳴ってくる。
「自分が何を言っているのか、わかっているの!?」
「ええ、ちゃんと理解していますわ。わたしがサーシュ殿下の元に行けば、お姉さまは晴れてセルシス殿下と結ばれるのです。喜ばしいことではありませんか」
「そんなっ、そんなこと、私は許さないわよ!」
「許すも許さないも、わたしの人生です。お姉さまが口を出すことではありません」
今まで向けたことのない突き放した言い方に、びくり、とわたしの肩を掴んでいた手が動揺して揺れる。わたしはお姉さまに、優しく笑いかけた。
「どうぞ、気に病まないでください。我が家は伯爵家。上位貴族です。本来ならばサーシュ殿下の威厳を辱めたと処罰を受けても仕方のないこと。けれど、殿下はその妹を差し出せば、目を瞑ると言ってくださっているのですよ。この上ない温情ではありませんか」
「ミュレイや……だがお前はケルヴィン殿のことを慕っていたのでは?」
お父さまから告げられた名前に、わたしは目を瞑り、それから視線を合わせる。
「ケルヴィン様とのことは……残念でございました。けれど、これは王族よりの命。お姉さまのご婚約は、すでに受理されているはずです。そしてそうならば、選択肢はすでにひとつしか残されていないのです、お父さま」
「ミュレイ……!」
お母さまが両手で顔を覆い、お父さまにもたれて泣き出した。
そう、これは拒否できないのだ。
わたしは泣き続けるお姉さまを抱きしめる。
「セルシス殿下は懸命に計らってくれたはずです。これはいわば、セルシス殿下への当てつけとした、サーシュ殿下のいやがらせですもの。わたし、そのようなことに屈しませんわよ」
「いや……いやよ、ミュレイ……っ」
「あら、また王城で会えるのに何を悲しんでいるのですか?さあ、お父さま、お母さま、わたしは城へ向かう準備をしたいと存じます。サーシュ殿下へ手紙のお返事をして下さいませ」
城からの使者はまだ残って、お父さまの返事を待っていた。
だがお父さまは肩を落とし、動こうとしない。
使者の表情は、この光景のせいもあろうがかなり暗く、ぎゅっと拳を握りしめている。わたしは使者の前で礼をする。
「我が家の見苦しいところをお見せして、申し訳ありません。わたくし、ミュレイ・ツェンネルは、サーシュ殿下のお言葉をありがたく頂戴し、お約束通り登城すると、どうぞお伝えくださいませ」
「……承知いたしました」
使者は深々と頭を垂れ、屋敷を後にした。
屋敷内はまるでお通夜。
階下からはお姉さまがお父さまに、どうにかならないのか、と。自分の代わりにさせるなんていやだ、と泣いている声が聞こえてくる。使用人たちのすすり泣く声も聞こえ、わたしは息を吐きだす。
こうなるかもしれない、と予想はしていた。
お姉さまをセルシスさまにお願いすることは出来ても、その代わりに起きること―あのクズ殿下がやらかしそうなこと―は、必ずあがって来るだろうと覚悟もしていた。それこそ、王族への謀反として家ごと潰される可能性だって、本当ならあったのだ。けれど、わたしはセルシスさまが最低限度の条件まで引き上げてくれることを信じていた。
「……でも、そもそも王勅命ではないのよね」
手紙を見たが、あくまでサーシュの署名のみ。もしかするとあの馬鹿が勝手に決めて実行したのだろうか?それならばまた、話は変わってくる。もちろん、後宮への登城は殿下の一任でも実行はできるが、今回は弟殿下に自分の妃候補を譲り、その妹を自分側の候補に挙げるという、貴族界の勢力にも関わる条件だ。陛下への報告は必須になるだろう。
色々考えながら、わたしは髪に差していた飾りを取る。
初めてもらった、あの髪飾りだ。
引き出しを開けると、彼からもらった装飾品が顔をのぞかせる。
――だから、贈り物をもらうには抵抗があったのよ――
ガタン、と部屋の窓が音を立てたので、びくっと飛び上がりそうになる。風による音ではなかった。外はもう暗く、目を凝らして寝台のランプを持って近寄る。
「……――!!!」
叫びそうになった。
何とか息を整え、窓を開けて一言文句を言う。
「あなた、不法侵入って犯罪なのは知っているのかしら?」
「警備の甘いところがあった」
「後で教えてちょうだい」
侵入者―ケルヴィンは窓枠に足をかけると、音を立てないように部屋に入ってきた。部屋の横に生えている木を伝ってきたのだろう。防犯上、ここも視野に入れるべきね、と心の中で思う。ところでうちに来たことがないのに、よく勝手がわかったものだ。
「それで。いったい何の用なの?」
「何の用だって?」
「怖い顔ね」
ケルヴィンの眉間には、今まで見たことのないほどくっきりと皺が寄せられている。じっと見られていることに耐え切れず、話し続ける。
「ところで、護衛騎士っていうのは、木の上まで移動するのかしら」
「誤魔化すな」
「誤魔化してなんかいないわ。ちょっと疑問に思っただけで……怒ってるの?」
「サーシュ殿下が出した条件を、受けたそうだな」
「……ええ、耳が早いのね」
笑顔を向けると、ますます―むしろ、苦し気に―目を伏せた。
「君が請け負うべきではなかった」
「わたしが最初に言いだしたことでしょう」
「だとしても、それに乗ったのはこちらだ。君は――」
少し、戸惑ったように指先が頬に触れる。
その体温に、わたしはパッと離れて背を向けた。
「わたしは、それこそ脳内お花畑なご令嬢じゃないことに、自分で感謝すべきね」
「 ミュレイ」
「政略結婚は貴族の義務よ。国のためになるのなら、わたしは後悔しない」
「ミュレイ!」
腕を掴まれ、向かい合わせにされる。
顔を見られたくなくて俯くが、そのまま抱き込まれた。
「わたしは、現実的なのよ?」
「ああ……」
「小さい子供みたいに、お姫様になったからって、幸せになれるなんてそんな幻想……持たずに生きて来たわ。だって 、」
幸せになれる人は決まっている。
それはきっと、お姉さまみたいな人。
心が清くて、凛々しくて、優しい人。
わたしは、違う。
どんなに外見が変わったって……生まれ変わったって。
誰が好きになってくれるというの?
「わたしは っ、わたしのことが嫌いなのに……っ」
一瞬、息が止まりそうなほど、より強く抱きしめられた。
体を離そうとしても、それすらままならぬほど、強く。
ケルヴィンの手のひらは優しく頭を撫でて、それから両頬を包み額に唇を落としてきた。
「ミュレイ、俺と一緒に来るか?」
「……っ」
「今回のことは、両親も同意してくれた。俺が君を攫ったとすれば、君の家族に非はない。俺の独断で行ったことだ。父は陛下の信用もあるし、多少の処罰で済むだろう。セルシス様には迷惑をかけるが城を出る際も止めるそぶりはなかった。他国に逃げれば簡単には見つからない」
貴族の暮らしは、できないだろうが。それでもいいのなら。
「な、なぜ、そんなことを」
「そうだな。恐らく、君を好いているんだろう」
困ったように笑うケルヴィンは、見たことがないほど優しい目をしている。
額同士がくっつく感触に、そのあたたかさに、わたしは目を閉じた。
そして、こう答えた。
「いいえ、ケルヴィン。わたしは一緒には行きません」




