1 ツェンネル家の日常
突然だけど、私のお姉さまは超絶かわいい。
白く滑らかな肌に、ほんのり桃色に染まった頬。ぱっちりとした二重にエメラルド色の瞳。そしてさらさらの金髪は毛先に向かうほど滑らかなウェーブがかかっている。
華奢ながらも女性らしい体つきで、男性だけではなく女性だって魅了してならないだろう。
ひとつだけ欠点を上げるとすればそれは、お姉さまはちょっとばかりおばかさんだっていうところ。
「いやよ!」
「リザーヌ様、どうかお静かに……」
「私に口出ししないでちょうだい!」
カップの中身をかけられ、メイドが小さく悲鳴をあげる。淹れたての紅茶だ。幸い顔にはかからず、もうひとりのメイドが慌ててタオルで拭いてあげていた。
あらあら、今日もご機嫌ななめですか。
わたしはひとつ溜息をついて、それから今来ました、と言わんばかりに部屋の入り口から顔を出す。
「まあ、お姉さま!いったい何があったのですか?」
「ミュレイ!」
目にいっぱいの涙を浮かべて、お姉さまがわたしを振り向く。
「今日は夕刻から殿下とお食事の約束ではありませんか。そのようにしては、目が赤くなってしまいますよ」
「だって、サーシュ殿下とせっかくお会いできるのに!ドレスがこんなやぼったい色だなんてきっと愛想をつかされるわ……!」
お姉さまは自分が着る予定のドレスを見て嘆きだす。ちなみにこれは、ひと月まえに彼女が見て気に入ったドレスだ。お姉さまの心は移ろいやすいのである。
この国の第一殿下、サーシュさま。お姉さまは彼のお妃候補として月に何度か城へと足を運んでいる。今日がその何度目かのチャンスなのだ。認められれば、今後後宮に迎え入れられることになる。今は、その選考段階だ。
「お姉さま、鏡をよく見ましたか?お姉さまの美しい金髪が映えるようですよ」
「……そんなこと」
「色味が気になるのなら、ほら、この白いケープを羽織って……まるで天使が舞い降りたようで、わたしうっとりしてしまいます」
ねえ?とメイドたちに意見を求めると、わたしの意図に気付いたのか「本当に……!」と胸の前で手を組んで、一生懸命賛辞の言葉を並べた。だんだんと気を良くしたのか、鏡の前でドレスをあてがい「そう悪くもないかもしれないわ」と口元に笑みを浮かべる。
「それではご準備を」
「ええ」
「お姉さま、楽しんでいらしてくださいませ」
出番が終わったのでわたしは部屋をそっと出た。
こういうことが日常茶飯事で、メイドたちは困って仕方がないかもしれない。けれど何を隠そうわたしは、そんなおばかさんで少し残念なお姉さまが大好きなのだ。困った性格だとしても、基本的な立ち振る舞いは伯爵家令嬢としては申し分ないのだから。
ミュレイ・ツェンネル。
それがわたしの名前。
伯爵家の次女として生まれ、今年で十五歳になる。
お姉さまとはあまり似ていなくて、わたしの髪の毛は父と同じダークブラウンだし、控えめな二重で鼻もぽちゃっと低い。唯一勝ったのは、姉よりも豊かな胸だけ。でもこれは、不躾で下品な視線ばかり集まるので、あまり自分では主張したくない。”以前のわたし”が聞いたら、貧乳の僻みを買うぞ!と警告したい。
以前のわたし。
そう、わたしはいわゆる転生者みたい。
記憶はあいまいで、死んだときのことは正直覚えていない。きっと事故か何かに遭ったんだと思うけれど、同じ魂であっても違う人格を持っているので、あまり感慨の気持ちはなかった。きっと一度天の国に戻った時に、あっさり受け入れたんだと思う。生前は、かなりこざっぱりとした女性だったもの。……性格に加え、外見やスタイルも。
そんなわたしがいわゆる前世の記憶を思い出したのは、あんな風にお姉さまが癇癪を起したときの事。たまたまお姉さまの肘がわたしに当たって、バルコニーからうまい具合に落ちてしまったのだ。幸い下は茂みで、その上にぼすんっとキレイに着地。けれど、衝撃で脳震盪を起こしたわたしは、数日意識を失ったらしい。
その間に、そう、色々と思いだしたってわけ。
「ミュレイ」
「お父さま」
「リザーヌがまた、わがままをいったのかね?」
現れた父はマスコットキャラクターのように、ぽよんぽよんしたお腹をさすりながら困ったような笑みを浮かべている。
「ええ、でももう大丈夫よ」
「すまないな。お前にはいつもそんな役回りをさせてしまって。一度わしからも……」
「お父さまが言ったら、ますますへそを曲げてしまうわ。お姉さまはわたしに負い目を持っているから、わたしの言葉は耳を傾けてくれるもの」
わたしが記憶を思いだすきっかけとなった事件を、お姉さまはものすごく気にしている。もちろんわたしはもう昔の話として納得しているのだけど、彼女にとっては幼い妹をバルコニーから突き落とした、と罪の意識がどうしてもなくならないらしい。
そこに付け込んで、こうやってお姉さまを収めているわたしは、結構悪いやつなのかもしれない。でもそれに頼るしか、お姉さまを静かにさせる手段がないので許しいほしいところだ。
「何か欲しいものはないのかね?」
「そうねぇ……新しい本が欲しいわ」
「まったく、いつもそれだな。ドレスも装飾品もいらないという」
「そういうのは、お姉さまに与えてこそ本来の輝きを得るものよ、お父さま」
「……自分の幸せも考えなくてはいけないよ?」
「あら、わたしの幸せは、お姉さまが幸せになることよ!」
笑顔全開で告げたわたしに、お父さまは苦笑いするしかなかったのだった。