第2夢
◆
大きく機体が揺れたのは、揺れにも慣れてきてうとうとし始めた頃だったと思う。目の前のポケットに入れていた叔母さんからの手紙が床にはらりと落ちた。
さっきまでとは明らかに違った揺れ方だった。そう、乱暴だった。見えない大きな手が飛行機を鷲掴みにして上下に振ってるような感じ。
そして間もなく、案内音もなく急に放送が入る。
「お客様にご案内いたします。ただいま大きく揺れておりますが、どうかご安心ください。繰り返しま―――」
そして、次の瞬間、放送の声をかき消すような轟音と共に、俺の座る席の左側にあった窓が真っ赤に染まった。
そして、誰ともつかない声が機内に響き渡った。
「おい!エンジンが吹っ飛んだぞ!!」
そこからは機内が大パニックになった。子供が泣き叫ぶ声、急に目の前に落ちてくる酸素マスク。「安心してください」を繰り返す機内放送。席を立ち、それぞれの不安をわめき散らす乗客の火消しに駆け回る女性添乗員。カオス、混沌とはこのことだろう。俺は自分でも驚くぐらいに冷静にその様子を眺めていた。まるで自分はこの世界とは関係がない様に。
体感時間でいったら5分とか、10分とかまずまず長かったような気もするのだが、実際はもっと短かったのかもしれない。
次に残っている記憶といったら、大きな揺れの後だいぶ前に立っていたはずの女性添乗員が俺の頭上をかすめて後方に飛んでいったということだ。文字通り宙を舞っていた。
エンジンが一つ壊れたところで飛行機は落ちないという話を聞いたことがあったのだけど、そうではなかったのかもなんて思っていたら体が何かに強く引っ張られて俺は風を感じていた。ジェットコースターに乗ったときのような浮遊感を何倍にも大きくした感覚が全身を包み込み頭がぼーっとしてくる。
放送も何を言っているのかもはや聞き取れず、阿鼻叫喚の嵐の中、さらに轟音と振動が響き渡り、何事かと後ろを振り向いた瞬間、俺の小柄な体は緩めのシートベルトをすり抜けて、空に浮いた。
その直後、自分が見た光景を理解するのにしばらくかかった。もっと言えば、今になって思い出してようやく「あぁ、そうだったのか」とわかるようなものだ。
俺の視界の遠くには自分が乗っていたはずの飛行機があった。二つに折れた機体からは真っ赤な火の手が上がり、悲鳴と共に俺の視界から遠ざかっていった。
そう、おれは飛行機から投げ出されたんだ。
そして、記憶はそこまで。
次に目覚めたとき、俺は今座っているこの砂浜にいた。
どこかもわからない島に俺は一人、助けを待っているわけだ。
あの記憶からすれば、助かった人間はほとんどいないと考えるのが妥当だと思う。
どれくらい気を失っていたかもあいまいな記憶だから、今が何日なのかもわからない。
「どうしよ…」
足元に指先でSOSと小さく書いてすぐに消す。
「俺ここで死んじゃうのかな」
誰も聞いていないと分かっていてもつい口に出してしまう。そして、口に出すことで余計につらくなる。
海水にまみれたズボンもTシャツも全部乾いた。動き出すだけの体力も恐らく回復している。でも、立ち上がるだけの気力がなかった。
寄せては引く波をただただ見ているだけでどんどん時間が過ぎていった。
自分の置かれている凄まじく危機的な状況にもだいぶ頭は追いついてきて、次の一手を考えたかったし行動を起こしたかったけど何もできなかった。わずかに残っていた頭の容量で潮の影響でここに流されてきたのでえあれば、同じように流された人がいるんじゃないのかなぁとボーっと考えたくらいだった。
見渡すだけの水平線には飛行機の残骸や人影らしきものは見えず、ただただ大海原が広大に広がるだけだった。もはや墜落したという記憶すら夢だったんじゃないかと思うくらいに。
「痛って」
でも、首を回した時に確かに感じる打ち身の痛みが、確かにすさまじい勢いで自分が着水したことを何よりも物語っていた。ただ、その痛みのせいでいくらか頭がすっきりした。
「よし、歩くしかないか。何か探さないと」
独り言は自分を奮い立たせるために言った気がする。絵に描いたような無人島らしき島の海岸線。ここから見えるだけで内陸には大きなごつごつした岩山やジャングルが広がっている。食料に関しては見つけることができるかもしれない。
でも、一人であの森の中に入っていくのも気が引ける。誰か生存者を見つけることが先決だ。
波の音と、砂を踏む音が世界のすべてだった。どれだけ歩いても続く砂浜は俺を絶望させるだけには十分すぎた。
見上げた空にはお日様がまだてっぺんにある。という事はまだ12時から13時ぐらいの時間なのだろう。そしてこの気温からしたら、ニュージーランドからは遠いはずだ。何せ温かい。きっとまだ赤道付近なんだろう。
そんなことを考えながら砂浜を歩き続けていた時だった。
前方に規則的なくぼみを発見する。足跡だった。海から這い出たあとで右足を引きずるようにして歩いている。浜辺の足跡で消えていないということはまだ跡がついてから時間が経過していないということだ。
俺は高鳴る鼓動を抑えて速足で追いかけていく。これが今、すがることのできる希望のすべてだった。
◆
がくん、と足元が揺れる。小さい悲鳴があちこちで聞こえた。当然、僕だって怖い。
夜だからなんだろうけど、薄暗い飛行機の中はそれだけで少し気味が悪いし、通路をせわしなく行き来する乗務員のお姉さんたちは笑っているけど、なんかまずそうなことを隠していそうな気もする。
シートベルトを付けてくださいというアナウンスが入って5分も経つと、揺れはどんどん強まっていった。
「サマーキャンプなんてやんなきゃよかった」
勝手に滲んでくる涙を感じて、座席のひじ掛けをぎゅっと握ると目を強くつむった。その時、僕の右肩にあったかい感触が伝わる。驚いてそちらを見ると、横に座っていたおばあちゃんが僕の肩に手を載せてくれていた。眼鏡をはずしてネックレスみたいにかけたおばあちゃんは、さっきまで日本を出発してからずっと本を読んでいた。もしかしたら寝ていないのかもしれない。
「大丈夫よ。ちょっと揺れたらすぐに収まるわ。あなた、飛行機は初めてなの?」
うん、と頷く。
「そうなの。それは怖かったわねぇ」
そう言っておばあちゃんは肩に乗せていた手を僕の頭に持ってくるとよしよし、と撫でてくれた。
「見たところ、あなた一人みたいだし揺れが収まるまでお話ししましょうか」
僕はいくらか怖い気持ちが薄れて、また、うん、と頷く。
「そうね、あなたお名前は」
「江崎祝っていいます」
僕が名前を言うと、おばあちゃんは細めていた目を真ん丸に見開く。
「あら、あなた、坊やだったの。わたしったら、お嬢ちゃんだと思っていたわ。あんまりにもかわいい顔をしてるんだもの」
僕はどうこたえらた良いか分からずに、まごついてしまう。
「ごめんなさいねぇ。坊やだったら“かっこいい”の方がいいわよね。ニュージーランドには何をしに行く予定なの」
「イングリッシュサマーキャンプに参加するんです」
「あら、そうなの。いいわねぇ。でも、一人で行けるなんて心強いわ。やっぱり男の子ね」
僕は思い切っておばあちゃんに質問してみる。
「あ、あの、あばあちゃんはニュージーランドに何しに行くんですか」
「そうね、旦那に会いに行くの。とはいっても、あの人はもう亡くなっているんだけどね。私もこんな年だし、行ける時に行っておこうと思って。若いころ、私たち夫婦は向こうに住んでいたのよ。それで、あの人が亡くなって、私は帰国したの。もう、20年以上も昔のことよ」
悲しい話をしているはずなのに、おばあちゃんはとても穏やかな目をしていた。読書灯に照らされたおばあちゃんはなんだか神様みたいに見えた。
がくん。
「ひっ」
揺れはいつも不意に訪れる。
「あらあら、今回はだいぶ続くわね。でも大丈夫よ、あと少しで落ち着くわ。知っているかしら、いろいろ聞くけど、飛行機って世界で一番安全な乗り物だそうよ。そうそう、祝くんはいくつなのかしら」
おばあちゃんは僕を安心させてくれるためなのか話を繋げてくれる。
「10歳です」
「あらまぁ。10歳で一人海外なんて大冒険ね」
「お母さんが行っておいでって言うから」
本当にそうなんだ。英会話教室の先生と二人して「絶対に行った方がいい」って盛り上がっちゃって。僕は「うん」っていうしかなかったんだ。
「でもね、祝くん」
そう言って、おばあさんの手が僕の肩に優しく乗る。
「うん」
「あなた、きっと、いい経験ができるわ」
「どうしてわかるの?」
おばあさんは目を細める。
「そうね、年寄りの勘かしら」
そう言って、ふふっと笑った




