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    神官長(ユーリグ)視点


 それは神官長の仕事の一つである定期的な視察での事だった。


「いやぁ、神官長就任おめでとうございます。もうかれこれ二時間ですぞ。視察もこれ位にして私の屋敷で休憩なさいませんか」


 指の先まで悪趣味な程、装飾物を身に付けて、区長である男はそう言って、袖を引いた。脂ぎったその手に覚えた嫌悪感を内に隠して穏やかな笑みを張り付ける。横にいる娘も同じ様なもので、下品な程濃くひいた赤い唇の端を釣り上げて媚びた笑顔を自分に向けていた。


「いえ、まだ神官の話を聞いていませんから」

「さすがユーリグ様。お真面目ですなぁ。……ヤック! ユーリグ様がお呼びだぞ!」


 先程までの猫撫で声が嘘の様に、肩を怒らせその名を呼ぶ。ぞろぞろと引き連れた後ろから、よく日に焼けた一人の老人がゆっくりとした足取りで前へと出てきた。


「遅いぞ!」

「申し訳ありません。寄る年波には勝てないもので」


 柔和な顔に皺を刻み、その年齢にして、はっきりとした口調は飄々としていて、その瞳はどこか面白そうにユーリグを見つめていた。

 ――これならば間違いないだろう。


「申し訳ありませんが、彼と二人きりで話をさせて下さい」

「は? いや、ご覧の通りヤックは、礼儀も知らないただの平民で――」

「何か問題でも」


 時間の無駄にしかならない言葉を遮って、いくぶん強めた口調でそう尋ねると、町長はぶんぶんとその太い首を左右に振った。


「いえっ問題ございません……っでは、部屋を用意させますのでっ」

「結構です。あなた方がそちらにどうぞ」


 そう呟いてヤックの手を取る。

 大神官長様も足が悪いので介添えは慣れている。が、老人は微笑んでそれを辞退した。後ろで区長が何やら焦ったように喚いていたが無視してヤックを促し木陰へと向かった。




「単刀直入に言いましょう。あの区長は、孤児院を始め幾つもの施設の予算、寄付金まで横領し私腹を肥やしていました。明日にでも解雇します」

「そうですか」


 分かっていたのだろう。驚く事なく穏やかな笑みを浮かべたまま、ヤックは頷いた。


「私財を投資しそれを埋めていたあなたにその後を任せたいと思っていますが」

「……老い先短い老人には大層な。まだ若いですがぴったりな人間がいます」


 予想通りの言葉に、自然と吐息が落ちた。


「……ではその方に。あなたが選ぶなら間違いないでしょう」

「きっとその信頼に応えられるような者です」


 ヤックはそう言うと、初めて心からの笑顔を見せた。大神殿で神官長まで上り詰めた彼がこんな町外れの教会で下働きなどしていると聞いた時は、耳を疑ったものだが――。どうやら中央に戻る気はおろか、小さな権限しか持たない区長にすらなるつもりも無いらしい。


「お聞きしても宜しいですか」

「どうぞ」

「何故あなたは大神殿を辞めてしまったのですか」


 予想はしていたが、直接的な言葉に驚いたのか、ヤックは苦笑する様に眉尻を下げた。ユーリグの若さを不躾さを赦すように目を眇めて頷きを一つ。


「疲れていたのかもしれません。愚かな事に、私は大司祭になって初めて自分の無力さを痛感したのです。あなたもご存知の様に大神殿の大司祭長、まで上り詰めるに必要な地位は私にはありません。そう気付いた時に、初心に返り今私が出来る事をしようかと生まれ故郷であるこの街に戻ったのです」


 貴族の一人であるユーリグには、手痛い言葉だった。しかし神殿の神官長と言えば誰もが頭を垂れる存在。それほど簡単に捨てられるべきものでは無い。


「……あなたも疲れているようだ。ここの空気は私に優しいがあなたには煩わしいだけでしょう」


 慈愛に満ちた優しい声だった。大神殿の神官長などと傅かれている自分よりもずっと。


「愛すべき我が町ですから、その印象を持ち帰られるのは些か残念です。……良いものをお見せ致しましょう」


 ヤックは区長が向かった方向とは逆に歩き出す。その手を取れば今度は断られる事は無かった。着いた先は、午前中に視察を終えた教会。正面では無く裏口の門を潜り足を踏み入れると軽やかな音楽が耳に飛び込んで来た。パイプオルガンでは無く聖美歌の練習に使うピアノの音だ。


「街外れの孤児院に住む子供達です。その中に上手な者がいましてな」


 邪魔をしないように潜められた言葉に、目を瞬く。

 孤児なのにピアノ?

 貴族の令嬢のたしなみの一つでもあるが、これ程腕が立つのは王宮や神殿の抱えている楽士位だろう。

 カーテンの隙間から、覗く様に促され、素直に従う。

覗き込んで驚きに目を瞬く。子供達の側でピアノを弾いているのは、見慣れない黒髪の少女。


「カラタ族……?」

「ええ」


 ヤックの返事を聞かずにともそれは明らかだった。この大陸に黒髪は件の一族だけ。誇り高さ故に滅亡した一族。

 そういえば王城に赴いた時に小耳に挟んだ事がある。その時、一人残された少女がただ哀れだと思っただけだ。薄っぺらい同情をしていた事に気付き、思うだけで何もしなかった自分がどうしようも無い人間に思える。


「……なかなかの腕前です。カラタ族は音楽が好きだったのかもしれませんね」


 目を細めてヤックは音を楽しんでいた。

 気持ちの良い旋律だ。聖美歌の様な厳かさは無いが、春の野原でバンビが跳ねる様な軽やかさがある。

 そして何よりそんな音楽に合わせて、子供達が楽しそうに笑顔で歌っていた。


 ああ、私は確かにこんな光景を夢見ていたのだ。

 ――初めて横に立つ老人の気持ちが分かった気がした。きっとヤックも自分の迷いを見透かし、ここに連れてきてくれたのだろう。


『次、何がいい?』


 少女にしては落ち着いた涼やかな声が鼓膜を擽る。区長の娘の様な甲高い声だけの声とは雲泥の差だ。否、比べる事すら出来ない程、心地好い音だった。


『あー勇気の出る歌だ~!』


 一際小さい子供が、一生懸命手を伸ばす。少女は、にっこりと笑うと子供を抱き上げ自分の隣へと座らせた。

 軽やかな声が教会に響く。

 よく響く歌声もさるものながらその歌詞が素晴らしかった。

 忘れかけていた神への気持ちを思い出させてくれるような。

 歌い終わると、潜んでいたにも関わらず拍手をしていた。


「素晴らしいです。今のは何という曲なのですか」


 振り返った拍子に艶やかな黒髪がふわりと揺れる。その黒い瞳の深さに心が囚われる。強い日差しに当たっても色を変えないその漆黒が、唯一無二の尊いものの様に思え、知らずに嘆息していた。


 しかし、

 少女は怯えた様に少し身体を引いたのが分かった。彼女を怖がらせてしまった事がとてつもない大罪にすら思える。


 ――ああ、失敗した。

 穏やかに、優しく。


 そう思うのに逸る気持ちがどうしても抑えられず、足は勝手に彼女の方へと動いた。



 過去の傷を抉る様な真似をした私にそれでも少女は優しく微笑んでくれた。話せば話すほど彼女と離れがたく、手を繋いだまま話し込んでしまった。最後は笑顔を見せてくれた少女に愛しさが込み上げる。彼女の生い立ちやこれまでの事を思えば、その笑顔も尊い。


 どうにかして彼女を手元に……いや、神殿に上げる事は出来ないだろうか。きっと彼女が側にいてくれれば、自分は迷う事無く自分の道を進む事が出来るだろう。


 神殿に戻るなり、彼女が住んでいる孤児院に連絡し確認を取る。区長が正規の援助金を回していなかった事を謝罪し、セリの年齢やこれまでの経緯を改めて聞いた。彼女はよく気が付き、他の子供の面倒も引き受け、昼間は働きその殆どを孤児院に入れている心優しい少女だった。


 自宅のお茶会に誘うべく、ペンを取る。彼女はどんなお菓子が好きだろうか、と考えるだけで心踊った。







2010.04.28

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