その五、流されるばかりでは駄目な場合もあります
ガサ入れ騒動から三日。
あまりの恐ろしさに、仕事場どころか街にも降りてなかったら、酒場のマスターがわざわざ孤児院までやってきてくれた。
「セリ!」
面会室なんてものは無く、唯一ソファセットがある園長室に入るなり、マスターは座っていたソファから立ち上がり、駆け寄るとぎゅっとあたしを抱き締めた。まぁ確かに死線を超える大事件ではあったけれども、普段の態度を考えれば、一体何があったのかと勘繰りたくなるもので。
「……マスター?」
いや貴方そんなスキンシップ好きなキャラじゃなかったよね?
むしろ目も合わせず会話も必要最低限のみっていうビジネスライクな雑菌扱いだったと思うけど。
あまりの熱い抱擁に首を傾げたあたしに、マスターは、はっとした様にあたしを突き飛ばした……いや、身体を離した、のだと思いたい。
「ご、ごめん!」
「いえ……少しびっくりしただけです」
冷たい板張りの床に尻餅をついたあたしに、マスターは視線を逸らせたまま手を差し出す。その耳はやたらと赤く、瞳は潤んでいる。何だコレは。アレだ。触手エロ持ってった時の反応に似てる。真っ赤になった顔はトマトの様で、小さな丸眼鏡がかなりずれていて、絵に描いた様な狼狽ぶりだった。
「……」
いやいやいやまさか。
「……マスターもしかして心配してくれてました?」
おそるおそる尋ねれば、マスターは、ぎろっとあたしを睨みつけ、当たり前な事を聞くな! とでも言う様にむっと唇を引き結んだ。
続けてもう一問。
「あたしの事、ちょっとでも好きだなぁって思ったりしてます?」
「ばっ……! そんな訳無いから……ッ」
怒鳴り声に比例し、その顔がだんだん赤くなってくる。
……うわぁ何というツンデレ……! これアレだね。リアルで体験ってなるとツンの間で嫌われてるんだと思って距離空けられて終わるよね。寧ろ現在進行形で終わるとこだった。いや終わらせとこう。ツンデレとか面倒すぎる。どうせなら最初からデレて猫可愛がられたい。むしろそれが夢だ。
とりあえず面倒だから気付かなかった事にしておこう。うん。
「もしかして騎士さん、マスターの方にも行きましたか?」
話題を変えた事をどう思ったのか、マスターは一瞬怪訝そうな顔をして俯いたかと思うと眼鏡をずり上げた。そして仕切り直す様に咳払いする。一体何を繕ったのか。
「いや、客から小屋に上級騎士が来てたって聞いて、連れて行かれたんじゃないかって心配してた。すぐに様子を見に来たかったんだけど、うちにしか置いて無かったのは有名だし、すぐにこっちに来るのはさすがにマズイと思ったんだ」
マークされてつけられる事を心配してくれたんだろう。
しかしマスターの所に騎士さん達が行ってないのが意外だ。一応聞き取りとかするんじゃないだろうか。あたしをその日の内に帰した事と言い、ガサ入れにしては中途半端過ぎる。
詳しく聞けば、あの日以外は酒場にも家にも騎士の姿は無く、店に来る近衛の人達にも探りを入れてみたが、手配されている訳では無いらしい。
……結局何だったのか分かるまで作家活動は休んだ方が良いだろう。
急に現れなくなるのも怪しまれるだろうからと、しばらくうちで働かないかと誘ってくれた。まぁその誘い方が「しょうが無いから雇ってあげるんだからね!」 な、いかにもツンデレで、最初からこうだったら分かりやすかったのになぁ、って思う。
その気遣いと優しさに感激して思わず抱きつこうとしたら、瞬時に身体を逸らしてかわされあたしは床にダイブした。
……うん、ツンデレは程々にしないと、いい加減温厚なあたしでも怒るからね?
* * *
「はーい、みんな行くよ」
今日は、週に一度みんなで教会に行く日である。
引率は最年長であるあたしと、おばあちゃん先生が一人。教会で大人しく出来るある程度年齢がいった子供達の引率だから、二人でも何の問題は無い。
お祈りやら、司祭様の有難いお言葉を頂いて、広い庭に集合。いつものように司祭様に挨拶に行く先生と別れる。一応、もう一回子供の数を数える。――よし。
大聖堂に誰もいなくなったのを確認してから、子供達を引き連れて再び足を踏み入れた。
がらんとした聖堂は少しの音でもよく響く。何となく足音を潜めて歩いていると、子供達もそれにならって抜き足差し足だ。なんという可愛いやつらめ!
大きなパイプオルガンの横を通って、小さな小部屋に入る。そこにあるのは、練習用の古いピアノだけだけど、子供達はそれをぐるりと囲む様に絨毯へと座り込んだ。
蓋を持ち上げ、その前に座り、ぼろん、ぽろんと音を合わせて、とりあえず指を動かす。
何曲か子供達のリクエストを聞いて、最後はみんなで擽り合う手遊び。保育スキルは絶賛活用中だ。
しかもみんな孤児院でお手伝いしてるせいか、一度教えればわりと小さな子でも器用に指を動かす。
現代っ子との違いはこんなとこでも明らかだなぁ。やっぱり子供の成長に家庭での手伝いは欠かせない。教育評論家のあの先生の言葉は正しかった。
慣れた旋律を奏でながら、小さく溜息をつく。
……ああ、でもピアノ弾いてたら気分転換になるかと思ったけど……やっぱり元気出ないなぁ。
急な収入ダウンは、思ってた以上に深刻だ。贅沢に慣れきった身体がニクイ!
こういうときはアレだ。
前奏の後、ゆっくりと歌い出す。
「あー勇気の出る歌だ~」
今年八歳になるナナが無邪気に手を挙げる。正解、と振り向いてテンポを上げれば、きゃらきゃら笑って立ち上がり鍵盤を覗き込んできた。
そうあたしが歌っているのは、言わずと知れたパンの顔を持つ正義の味方のうた。しかもアニメで流れる二番じゃなく、隠れた名作と言われる一番だ。何回か歌っているので、合図なんかしなくてもみんな心得た様に声を揃え、綺麗に合唱する。ああほんっとにいい歌すぎる。あたしだけの正義の味方! どっからか飛んできて国家権力から守ってくれないかなー!
歌い終わった所で、突然背後から拍手が起こった。慌てて振り向いた先にいたのは、このピアノがある練習室を使ってもいいよって言ってくれた司祭様。飄々としていてなかなか面白いお爺ちゃんで、こうして歌っていると、結構な頻度で聞きに来るのだ。……まぁ、それはいいとして、何より気になったのはその隣にいる人。
司祭様より遥かに身長が高く肩で切り揃えられた髪は、薄紫色。
それだけでも目立つのにその顔は、教会のステンドグラスに描かれている大天使様みたいに整っている。おまけに目の色なんて金色で、シンプルな白一色の服着てるから余計にその美貌が際立っている。
……騎士さんと言いこの神官さんと言い、最近美形に縁があるなぁ。
「今のは、何という歌なのですか?」
反対側から差し込む逆光が眩しかったのか、目を細め優雅な足取りであたし達の元へと歩み寄ってくる。あまりの美形っぷりに思わず鑑賞モードに入っていたあたしは、がしっと両手を取られて、初めて我に返った。
至近距離で見ても文句の付け所も無いその顔に自然と腰が引ける。いやだって! こっちの世界に来てから肌のお手入れもしてないし、子供の振りしてるから化粧もしてない。こんなに近付かれたら、肌のカサつきから毛穴の汚さとかその他もろもろ色んな事が気にかかる。
けど服装から察するに、多分偉い地位の人なんだろう。振りほどくのも憚れて司祭様に助けを求めてみる。……が、司祭様はにやにや面白そうに笑っているだけだ。相変わらず食えないジジイである。
視察か何かでここを訪れたとかそういう話だろうか。そう言えば関係無いって聞き流してたけど、引率の先生が何か偉い人が来るって言ってたよなぁ。まだ若いしお付きの人かなんかかな?
ぎゅっと握り込まれたままの手を見つめて、考える。
……いつから聞かれてたんだろう。子供相手と大人では違う。こんな美形にさして上手くも無い歌を聞かせてしまった。しかもストレス発散も兼ねてたからでっかい声で歌ってたし恥ずかしすぎる。
「ところでアン……と言うのは、貴女の一族の神か何かですか」
笑顔で問われて、頭の中に金メッキの正義の味方な銅像が思い浮かんだ。そりゃ豪華だけど重くて飛べなさそうだ。
一族の神、って事は、あたしの髪と瞳の色で、イコールカラタ族と判断したんだろう。騎士さんにも一族の生き残りがいるって聞いたし、下手な事は言わない方が良いだろう。けど、自作だと騙る程図々しくない。
「……昔の歌ですから私には分かりません。聞ける人もいませんし」
顔が見えないように俯いてそう呟けば、神官さんは、はっとした様に顔を上げた。
「配慮が足らずに申し訳ありません」
うん、だから聞かないでね!
もうこの話題には触れないでよ~、と念を込めたのが良かったのか、神官さんに深々と頭を下げられる。いやそこまでされると逆にこっちが困る。
「私ユーリグと申します。どうか貴女の名前を教えて下さいませんか」
「……セリと申します」
名前と一緒に偉いであろう役職名とか地位は語ってくれない。まぁ、とりあえず下手に出てて間違いは無いだろう。
子供達の大半が不安そうにあたしを見ている事に気付き、大丈夫だよ、と笑顔を見せると、神官さん……いやいやユーリグさんだっけか、ばつが悪そうに苦笑し、ようやく手を離してくれた。
もうすっかり日も暮れてる事に気付き、あたしは早々に……と言うか逃げる様に司祭様とユーリグ様とやらに挨拶し、子供達を連れて部屋を出た。背中に感じる物言いた気な視線は無視だ無視。
しかし。
「セリセリっ貴女っ今大神殿から、お茶会のお誘いが……ッ」
慌てふためいて広間に入ってきた先生に顔が引きつる。……中央神殿の司祭長が来ると言うのは、小さい街には結構大きなニュースだった。名前を聞いた時に予想はしていたのだが、まさかお誘いがあるとは思えなかった。
……ああ神様。何気にフラグ立ちまくってますが、これ死亡フラグじゃないよね?
2010.04.28