その四、国家権力には逆らわない方が良いでしょう
この世界に確定申告なんてものは無く、マスターは場所代すら請求しないので、小説の売り上げはそのままあたしのポケットに入る。
エセ小説家ライフは極めて順調だった。……この日までは。
「次は何にしよっかな~」
椅子の背にもたれ掛かり、ペンを持ったままうーんと伸びをする。そのまま天井を仰げば、結構な大きさの染みを発見した。
あーあれ雨漏りしないかな。製本作業するにも手狭になって来たし、もうちょっとお金が貯まったら引っ越そうかな。
狭い部屋を改めて見渡せば、必要最低限の家具と大きな机。原稿を書く為の仕事場として酒場の真向かいにある小さな小屋をマスター名義で借りているのだ。
うん、さすがに孤児院のお子様達の前でエロ小説書くのは憚れたのと、カモフラージュの為。あたしは原稿を書いている間、ここに掃除婦として昼間働いている事になっているのだ。いや、だって孤児院の先生達に原稿と現金を見られても困るし、やはり中身が大人としてはどうよ、と危機を脱したとは言え、子供が増えるばかりで切迫している孤児院にも幾らか入れている。
まぁ、その為にもあたしは働かなくてはいけない。
それにどうしても叶えたい『夢』もあるし。
「今日中にはプロット書かないとなぁ……」
王道シンデレラは書いちゃったし、スパイものの連載はもうすぐ終わるからなー……長めで、女性向けと男性向け分けた方がいいかな。もうやっぱり開き直って当たればデカイBLか。
原稿が進まないのも手伝って、そんな事をとりとめなく考えていたら、がしゃん、と派手な音が上がった。突然の事にうわッと叫んで必要以上に飛び上がったのは、やっぱり疚しい原稿を書いてるせいか。
慌てて音のした方向を見れば、散乱したガラスの破片とくしゃくしゃに丸められた紙の塊。あれがガラスを割ったとしたら中には石かなんかが入っているのだろう。
「……ボールでも飛んできた?」
ぽつりと呟いてみるけれど、その可能性は限りなく低い。
この世界の子は野球なんて知らないし、いくら待っても某魚家族の元気な長男が坊主頭を下げてやってくる訳も無く、あたしはペンを置いて首を傾げた。
そうか違うならアレだ。投げ文だ。なんて強烈なファンレター。
やーあたしも有名になったもんだわー……って、現実逃避してたら何も始まんないよね! うん!
ああ、斬新なお届け方法に悪い予感がする。そりゃもうひしひしと。そして大抵こんな場合は当たってしまうのがお約束だ。
あたしは嫌々立ち上がると、注意深く歩み寄り、ガラスの破片に気をつけながら、黄ばんだ紙……いや布だったらしい。それを広げて絶句した。お経の様にぎっしりと書き込まれていたのは――。
『先月号でとても良い所で終わっていましたね。マルキンの陰謀はよく練りこまれていてとても感心しました。エリザベスがポケットにしまった鍵はやはり何かの伏線でしょうか。そして何よりもアレクシスと可憐なルル嬢の匂い立つような淫靡で嗜虐的な濡れ場を楽しみにしています。個人的な話になりますが、実は私三年連れ添った妻と先日別れましてとても寂しい思いをしていた時に貴殿の――』
……あれ、ほんとにファンレター? なんて人騒がせな。
と、思ったのも束の間、あまりの長文に常連さんか? と、差出人を確かめようとと二枚目の最後を見て――絶句した。
延々と綴られた感想から段落を分けた最後の二行。
『最後になりましたが、今晩あなたの家に騎士隊がやって来ます。急いで逃げて下さい。
貴方の一ファンより』
「ええええええええ……ッ!!」
ガサ入れ来た―――ッ!!
ああああああ! ちら……っとヤバイかなぁとは思ってたんだ! 猥褻出版物禁止法とかなんかで! でも娼婦さんとか堂々としてるし、むしろ前例が無いし、ちゃんと本の最初には警告文入れてるし、見逃してくれるんじゃないかって信じてたのに!
布を握り締めた途端、どんどんと派手に扉が打ち鳴らされ、心臓が口から出そうになった。
「すぐに扉を開けろ」
見知らぬ声はお腹に響く様な重低音でその場に立ち竦ませるような威圧感があって、心臓が嫌な感じに踊り出す。ぶわっと冷たい汗が噴出すのが分かった。
いくらなんでも早いよ……! ちょっとあたしの一ファンさん!
こんなにすぐ来るなら『ガサイレ ニゲロ』くらいの短文でいいから!
パニックってる頭を冷静にする為に両手でパチンと頬を張る。
だ、大丈夫、大丈夫。
あたしはすぐにその布を暖炉に放り込んだ。
ごうっと勢いよく燃えてあっという間に黒くなる。いくら気がきかないと言ってもファンだと言う人に迷惑を掛けるにはいかない。
机に広がっていた原稿は幸いな事に煮詰まっていたおかげでへのへのもへじくんが一人いるだけだ。インクもとっくに乾いている。一応引き出しの中に押し込んでくるりと身体を返す。カーテンを閉めていたのが不幸中の幸いだった。
あたしは何も知らないこの家の掃除婦。
まさかこんな子供がエロ小説書いてるなんて普通は思わない。
自らにそう暗示を掛け、ひっつめていた髪を手早く纏めてお団子にし、いかにも掃除してますよーっていう感じに布を頭に巻いて、この世界では悪目立ちする髪をきっちり隠した。
「はい。ただ今!」
臨戦態勢で扉を開けたその先にいたのは、ザ、騎士みたいな男の人だった。
えっと緑色のエンブレムは上から数えて何番目に偉い階級だったか。
下から二つまでなら分かるのは時々向かいの酒場に下級騎士さんが来る事があるからだ。
「小さいのに頑張るなー」って飴やら小銭やらくれる。……正直飴はいらないのだけれども。
「お前は……」
戸惑ったような声が降ってきて、慌てて顔を上げる。レンガみたいな硬そうな赤毛。西洋人らしい彫りの深さはそこそこ整っていると言うのに、その下の顔は三才未満なら号泣レベルに厳めしい。
「ここにカイン・ダンケはいるか」
ひぃいい名指し!
内心の動揺を隠しながら、あたしは不安そうに両手を胸に前で組んで、騎士さんを見上げる。
「そうです。ご主人様に何かご用ですか」
あたしは女優あたしは女優。キョトンとした顔を作って首を傾げてみせる。
あたしみたいな子供がいるのが予想外だったのだろう。騎士さんは視線を落とすと驚いた様に目を見張った。それから数秒後ぎゅっと眉を寄せてあたしを見下ろすと、少し考えるように間を空けて再び口を開く。
「ご主人様と言うのは、ダンケの事か?」
「はい。お家の掃除婦として雇って頂いてます」
その答えに、明らかにほっとしたように眉間の皺が薄くなる。
「お前は、その……ダンケが何をしているのか知っているのか?」
やや言いにくそうにそう尋ねれて、ようやく納得した。
エロ小説家に雇われてるから、何かいたずらでもされてると思ったのだろう。
いやいや幾らなんでもそこまでは黒くない設定だから! 大体ロリはやってない……って、今あたし自分で自分の地雷踏んだよ……! なんか心に抜けない棘が刺さった!
心の中で大号泣しながらも、あたしは目の前の騎士さんを真似て、眉間に皺を寄せた。
「……学者さんですよね? いつも何か書いてらっしゃいますし」
違いますか? って感じで小首を傾げて、天然オーラ全開でとぼけると、騎士さんは厳しい顔をほんの少し緩めて、ようやく肩の力を抜いてくれた。
……いやぁすみませんね。変な方向に心配をお掛け致しまして。
「なら良い。ダンケは留守か」
騎士さんの目が部屋をくるりと見渡すとそう呟いた。部屋はここと台所の一つしか無いし、この角度から台所はよく見える。
「いつもいらっしゃらない事の方が多いので分かりません。私は定期的にお掃除をする為に雇われていて、合鍵で入っています」
納得した様に騎士さんは頷くと、後ろを向いて背後にいた誰かに何か言付けた。
扉一杯、騎士さんの大きな体が覆っていてあたしから向こう側は見えないので、不安になる。そして顔を戻した騎士さんは改めてあたしを見た。
「ここで待たせて貰っても構わないか」
無理です!
ああああ。マジですか。やっぱり家捜しですか! あたし=カインって言う正体がばれる様なものは無いけど、びくびくしない自信は無い。
「あの……構いませんが、ご主人様いつ戻るか分かりませんよ。明日も来ますし伝言ならお伝えしておきますけど」
「いや……いい」
「……ちゃんと伝えますよ?」
少し傷ついたみたいに俯いて見る。今ここで聞けたら傾向と対策が取れるんだけど。
「ああ分かっている。だかこれはダンケと私の秘密の話なのだ」
聞き分けの無い子供をあやす様な雰囲気で、騎士さんはあたしの頭にぎこちなく手を置いた。
口かったいなぁ……! でもむしろあたしに言わないって事は、やっぱり猥褻物出版とかその辺りで引っ張られそうだ。いやむしろそれ以外にここに騎士さん達が来る理由が無いし。
「分かりました。あの……あたしそろそろ帰らなきゃいけないんですけど」
じゃあもう一刻も早く帰りたい。そうだ帰りに酒場によってマスター口止めしておかなきゃ。ああ、でも日頃の態度から察するにソッコーで裏切られそう。うわ、泣ける。あたしって人望無いな!
「悪いが少し話をさせてくれないだろうか? 勿論終わったら家まできちんと送らせて貰う」
うわーい……事情聴取だよね、これ。ここでぶっちして逃げたら余計に怪しいよなぁ。
もうここまで来たら流された方がいい。変に帰るって言い張っても怪しまれるだけだろう。基本的にあたしは長いものに巻かれる主義だ。
「分かりました。じゃあ、良かったらどうぞ。お茶位なら出せます」
とりあえずここがカイン・ダンケの仕事場だと言うのは常連さんにはわりと知られている事実だ。そんな家の玄関先に騎士さんがいたら、今後の売れ行きにも影響するだろう……いや、むしろ、もう出版出来ないかもしれないけど。
狭い部屋だから案内なんて不要だ。とりあえず座り心地の悪い椅子を勧めて、あたしは台所に入った。
お茶を持っていったら騎士さんは背筋をまっすぐにして座っていた。
他人の家だからってきょろきょろ見渡すとかそんな事はしないらしい。
どうぞ、とお茶を出せば、高い鼻をくん、と動かし目を細めた。
「良い匂いだな」
あたしも同じものを持って向かい側の椅子に座る。ちらりと騎士さんを伺えば、上品にカップに口をつけていた。さすが騎士様はお茶を飲む仕草すら上品だ。見た目は無骨っぽいのになぁ……根本的に何かが違うのだろうか。やっぱり。
「うまい」
感心するように呟かれて、一瞬状況も忘れて顔が緩む。あたしが作ったゆず茶ならぬオレンジ茶は、孤児院でも人気がある。
でもやっぱり身内からの評価は甘いものなので、第三者の感想も聞きたいと思っていたのだ。
……小説家がぽしゃったら、貯まった資金で多国籍カフェみたいなの経営するのもいいかもしれない。……騎士さんも愛飲中! とか煽り文つけるのはさすがにマズいかな。
「オレンジのお茶です。砂糖で漬けた蜜柑とお湯を混ぜただけなんですよ」
そうか、と頷いた騎士さんは、静かに丁寧にお茶を飲んでいる。
あったかいお茶であたしも少しだけ落ち着きを取り戻す。
「……その髪」
静かにお茶を飲んでいたら、騎士さんの目がじっとあたしを見ている事に気付いた。視線は目よりも少し上。気付けば慌てて纏めたせいか布から黒い髪が解れて飛び出していた。
……あーもういっか。お茶飲んでるのに、三角巾被ってたらおかしいよね。
「はい。そうですね」
そう言って布を外すと、纏めていた髪も解けて肩に落ちた。そういえば随分伸びたなぁ。この世界じゃ、女の人は色んな髪型をしてて、ありがちな女の子は髪の毛長くないと的な縛りは無い。一年間めんどくさいなぁなんて思いながら伸ばしてたのは、面倒を見てくれるシスター達が勿体無いって言ってくれたのと、もしかして珍しいなら鬘にして売れるんじゃないかと思ってたからだ。
「そうか、お前が」
納得したように騎士さん頷く。難民の申請は王城でやってるって聞いたから、もしかしてそこで耳にしたのかもしれない。曖昧に笑って否定も肯定もしないでおく。こうすれば、髪と瞳を見て勝手にそうだ、と思ってくれるのだ。
騎士さんも多分に漏れず、納得したように頷いて、手にしていたカップを置いた。綺麗に飲み干してくれたらしい。男の人にとっては甘すぎると思ったから、ちょっと嬉しかった。
「今はどこに?」
きっと住居の事を聞かれているんだろう。どうでもいいけど、この人端的な質問が多いよ。
「街外れの孤児院です」
「ああ、……そうだったな」
やっぱり報告書なんかがあるのかな?
聞いてるというよりは、記憶を確かめている感じで、一つ一つの答えに頷いている。
「……私の隊に、お前と同じ一族がいるんだ。機会があれば会ってみるといい」
思っても見ない申し出に、思わず叫び掛けてあたしは慌てて口を閉じる。
何! 同じ一族って!
初耳なんですけど……全滅したんじゃなかったのか……!!
曖昧に頷いたあたしを騎士さんはどうとったのか、複雑そうに表情を歪めた。
当然ながらカインは戻って来る訳もなく、あたしの身柄は夕方には解放され、話していた騎士さんが直々にあたしを孤児院まで送ってくれた。
三時間も同じ空間にいれば嫌でも慣れは出て来るもので、騎士さんの嵌めていた白い手袋にときめきを覚えて(あたしは手フェチだ)じっと見てたら、手を繋いでくれた。顔は怖い人だけど、庶民が淹れたオレンジ茶なんて不思議なものを飲み干してくれたし、間違いなくいい人だ。
明日は晴れそうですね、とか差し障りの無い事を話して別れの挨拶をし、転がるように出てきた先生達に後は任せてあたしは部屋に入るとそのままベッドに倒れ込んだ。
「ねーセリ姉ぇ。遊んでよー!」
「ごめん。もうHPゼロです」
「はぁ?」
2010.04.28