黄昏ボーイ・ミーツ・ガール
斜陽が目に痛い。二十四インチの自転車で、僕は黄昏の道を急ぐ。ブレーキを全力で握るけど、この坂は急な上に長いから大した効き目がない。
何かが家の隙間から出てくる。猫だ。猫のすぐ脇を通り抜ける。直前までそれが猫だと気付かなかった。逆光だからだ。ぞっとした。けどこれ以上スピードは落ちない。
閑静なはずの住宅街に、耳を塞ぎたくなる高音が響き渡っていた。こんだけうるさくすれば相手の方が気付くだろう。それだけが安心材料だった。ブレーキがもっと滑らかだったら不安しかなかった。
「うわあっ!?」
言ってる傍から轢きかけた。坂の終わり、気を抜いた瞬間。直前まで考えていたこともその慢心に拍車をかけていた。「危ねっ!」慌てて回避しようとするも、遅い。横転。ペダルとふくらはぎと二の腕がアスファルトにこすれて抉れる、そんな心象風景。メメントモリ。
ズザザザザァァァァ……。
十メートルほど流された。むしろ十メートルで止まった。体を倒して、背中を地面に触れさせてから脱力。仰向けに寝転がる。右腕が尋常じゃなく痛い。あと右足。起きられそうにない。先ほど僕の前に立ち塞がったのは何者なのか、一目見てやろうと首をもたげる。
少女のようだった。身長は自分より少し高いから、百五十センチくらいだろうか。小ぶりのバッグを肘のあたりから下げている。ミニスカート? 違う、あれだ、ワンピース。白いワンピースの腰元をベルトで縛っている。上半身側に余裕を持たせているから、自然と丈が短くなる。見え、ない。下半身に視線が釘づけになっていたことに遅れて気付く。慌てて上げるが、顔のディテールはよくわからない。夜目遠目笠の内なんて言うが、黄昏時でも十分美人は増える。
「あの、立てますか?」
少女が口を開いた。声は可愛い。僕は「すみません、無理です」と答えた。少女が手を差し伸べてくれる。なんで右手出すんだよ、と思いつつ左手を持ち上げて握る。少女は強く握りなおすと、左腕を添えて、全身で僕を引っ張った。右腕を地面にこすりかけて慌てて持ち上げると、今度は自転車のサドルに肘をぶつけた。じん、と痛む。散々だな、と思いつつ上半身を持ち上げた。僕が起き上るのを見て、少女は満足げに、また口を開く。
「今度から気を付けてくださいね。じゃあ」
そう言って、イヤホンを付けた。坂を上り始めた少女の、皺ひとつ付いていない綺麗な背中を、僕は茫然と見ていた。
「あぶねえ……」
その一言に尽きた。
尽きてます。