後編
3.ライバル
1.
「あら、PCオーディオの音なんて、あなたたちのように軽くてチャライのではなくて」
振り返ると、棘のある言葉は似合いそうにない清楚な美少女が立っていた。
「ええと、今の発言、君?」
僕は戸惑い、間抜けなことを聞き返した。廊下で田中とオーディオ話をしていたところに、急に割り込んできたからだ。
「血の巡りも悪いようね。そうよ、わたしが言ったの。つまらないお喋りをしていたから、思わず茶々を入れたくなったの」
攻撃的な美少女だった。けど、どこかで見たことあるな。
「もしかしたら、管弦楽部にいる?」
「また、間抜けな質問ね。たまには気の利いたこと言えないのかしら。そうよ、管弦楽部に所属してコンマスやっている相田です。覚えておきなさい」
そう言われて思い出した。目の前の美少女は、管弦楽部の定演で、確かに指揮者の一番近くでヴァイオリンを弾いていた。それにしても、一々気に障る物言いだ。
ムッとしながら、僕は言い返した。
「一応、そう言う以上はきちんと聴いたことがあるんだよね」
「当たり前よ。ウィンドウズもマックも一応、試してみたわ。ソフトもひと通りね。けど、駄目だったわ。音は出るんだけれど、音楽としての実体感に乏しいわね。まるで、今どきのハイエンド・オーディオの悪いところを凝縮したような音だったわ」
うわ、この人、千恵姉と同じ人種だ、と僕は直感してしまった。音のためには、何かを捨てても厭わない人種の一人だ。
とは言え、こちらとしても、はいそうですか、とは言えなかった。
「それなら、ヴォルミオは試してみた?」
勝ち気な性格は、下に見ていた相手から知らないことを聞かれた時に、弱点となることがある。この時の相田さんはまさしくそうで、目を白黒させた。
「え、ヴォルミオって何ですか。ウィンドウズかマックの新しい再生ソフトですか?」
いきなり敬語になった。僕は、それに突っ込みをいれた。
「デビアン系リナックスの音楽再生に特化したOS。それをラズベリー・パイ2の上で走らせて使うのだけど、ご存じない」
挑発的にこう言ったけれど、内心冷や汗ものだった。何しろ、千恵姉から聞いた情報、それも理解できた範囲だけ、しか頭にはなかったからだ。
しかし、相田さんはそれ以上は追求してこなかった。むしろ、好奇心を露わにして尋ねてきた。
「リナックスってエンジニアが使ってるOSですわね。それだと、どんな音が出るのかしら」
エンジニアが使ってるOSってのは、間違っていないけれど、何となくずれているように感じた。それでも、話は穏やかな方に行きつつあるようだ。
「どんな音って、聴いてみるのが一番かな。何なら持ってこようか」
「学校にですか。それは、ちょっと嵩張って大変ではありません?」
相田さんはそう言って、断ろうとした。
「いや、ラズベリー・パイ2って、このくらいのワンボードPCだから、全然大変じゃないから」
と、僕は両手の指でラズベリー・パイくらいの四角を作って示しながら、言った。
相田さんは、ちょっと失望したような表情になった。
「それでは、あまり期待出来はしませんわね。申し訳ないけれど、遠慮させていただきますわ」
それきり、興味をなくしたように、僕らに背を向けようとする。僕はなんだか、誤解されたような気がして、引き留めようとする。
「ちょっと待って。大きさだけで判断しないで、音を聴いてみてよ。オーディオは音を聴かなければ始まらないだろ」
この言葉で、相田さんは振り返った。
「音を聴かなければ始まらない、か。あなた、それをどこで教えてもらったの?」
僕は、狼狽しながらも、まるで千恵姉みたいな言い方だったな、と思っていた。
「ええと、千恵ねぇ、じゃない、叔母から教わったかな」
すると、相田さんは再び僕に興味を持ったようだ。
「叔母さま、ですか。それでは、その方もオーディオが好きですの?」
「ああ、僕のオーディオの師匠みたいなもので、ヴォルミオも叔母に教えてもらったんだ」
それから、しばらく相田さんは黙って考えこんだ。そうして、少し時間が過ぎた後に、
「わかったわ。それ、聴かせてもらうことにするわ。いつが都合が良いかしら」
「いつだって構わないよ。それなら、明日にでも持ってこようか」
と、僕は提案した。相田さんはそれに頷いて、返事した。
「それでは、明日のこの時間に、管弦楽部の部室でどうかしら。吹奏楽部の麻田くん」
僕は、名前を知られていた事に驚いた。相田さんは微笑んで言った。
「自分が知らないからといって、相手も自分を知らないとは限りませんよ。あなたのフルートはなかなか素敵ですね。それでは、ごきげんよう」
軽くお辞儀をして、相田さんは去っていった。僕らは二人でそれを見送るだけだった。
翌日、僕はラズベリー・パイ2とセイバーベリ―を持って、管弦楽部の部室に行った。セイバーベリーは日本製のI2S DACで、この前僕が買ったものだ。
この学校には、ブラスバンドとオーケストラ、二つの楽団の部がある。それが吹奏楽部と管弦楽部だ。ちなみに、予算は吹奏楽部の方が多い。これは、割合強い我が校の運動系部活の応援にブラスバンドが駆り出されるからだ。オーケストラはそうした予算は無いが、弦楽器をやっている生徒はいわゆる良家の子弟が多く、学校の予算がない分を寄付金などで賄っている。
その微妙な力関係は部活の場所にも現れていて、吹奏楽部が講堂を兼ねた体育館で練習しているのに対し、管弦楽部は複数の練習用個室を伴った音楽室を練習場所としている。ちなみに、こちらには冷暖房完備だ。
そんなわけで、我が吹奏楽部と管弦楽部は犬猿の仲とまではいかないにしろ、微妙な関係になっている。
僕は、特別教室棟の四階にある音楽室の前の廊下でチェロの練習をしていた女子に声をかけた。
「練習中すみませんが、相田さんと約束があってきたのだけど、相田さんはいる?」
僕の言葉を聞いたその子はびっくりしたような顔になると、黙って頷いた。
「こっち。案内するから」
そう言って、個室の一つをノックする。返事も待たずに入ると、
「面会人」
とだけ言って、出て行った。開いた扉の向こうに相田さんがいた。
「ごめんなさいね。あの子、無口で愛想ないけれど、悪い子じゃないのよ」
と、半ば肩をすくめるようにして、言い訳した。
「いいけれど、昨日言っていたものを持ってきたから」
僕も中々愛想無げに言って鞄からラズベリー・パイ2とセイバーベリーを取り出した。
「これがそうなのですね」
と、興味深そうに言った。ラズベリー・パイ2の上に載っているセイバーベリーに目をつけて、
「これは、I2S接続で接続されているのね。昨日ネットで調べたらそう書いてありましたの。それから、DACチップに入って、バッファーもなしに出力しているのですね。本当にシンプル・イズ・ベストを地で行ってますわね」
と、呟きつつ基板を調べて行った。
「DACチップは、ES9023とありますわね。ESSのチップなのね。ちょっと調べてみましょう」
と言って、スマホをいじり始めた。しばらくして、ありましたわ、と言って画面を僕に向けた。そのES9023のデータシートが表示されていた。
「ご覧なさい。最近のチップらしいわ。安いのに32/384が通るなんて、驚きですわ。細かい特性は出てませんが、これだけでも面白いわ」
と、僕が聞いているかもわからないのに、話しまくる。千恵姉とよく似ているなと、思ったのだけど黙っていた。
「これ、音が聴きたいけれど、データと操作はどうするのかしら」
黙ってみていたら、急にこちらを向いて質問を投げかけた。
「音源はUSBメモリに入れれば自動認識してくれる。あるいは、NASを指定してもいい。ファイル形式はメジャーなほとんどのファイルに対応しているから、あんまり考える事もないと思う。少なくとも、WAVとFLACには対応しているから。それから、操作はLANにつないで、他のPCやタブレットのウェブ・ブラウザから操作している。ここにLANがあれば、操作できるけれど、ある?」
僕がそう答えると、相田さんは苦そうな顔をした。
「校内LANはあるけれど、ちょっとこんなものを繋げるわけにはいかないわね」
「それなら、貸すから家で試してみなよ。モバイルバッテリーがあるなら、それから電源を取るとACアダプタよりもいい音で鳴るよ」
僕が提案したら、相田さんは微笑みながら、ありがとう、と言って、
「ちょっと面白そうね。家で試してみるわ」
と、いたずらっぽく微笑んでみせた。
翌日の昼休み、昼食の弁当を食べてゆっくりしていると、横から声をかけられた。誰かと振り向いてみると、相田さんがそこにいた。ちょっと頬が赤らんでいて、何やら少し興奮気味だった。
「あれ、中々凄いわ。麻田くんが言うだけの事はあるわね」
どうやら、ラズベリー・パイ2に感銘を受けたらしい。僕はちょっと嬉しくなった。
「ラズベリー・パイ2ね。どんな音で鳴ったの」
「よく出来たCDドライブに接続したような音ね。透明感がとても良くでていてよ。特にバッテリーで駆動した時には、それを強く感じたわ。それでいて、音が薄くならないのは普通のPCオーディオと一番違う点ね。セイバーベリーはちょっと安っぽい音でしたけど、あの構成からは考えられないくらい良く鳴りましたわ」
「でも一つ疑問なのは、USBで出力する時には16/44.1しかきちんと鳴らなかったことかしらね。何か、思い当たることはない?」
「ちょっとわからないなぁ。ラズパイの事は叔母から教わったから、叔母に聞けば何かわかるかもしれないけれど」
千恵姉からの知識しかない僕には見当もつかなかった。
「あら、そうですの。案外頼りないものですわね」
相田さんは、ちよっと興が冷めた口調になった。
「ごめん。今度聞いておくよ」
僕は何となく済まない気持ちになった。相田さんは気にしていない。どうやら、この人もずいぶんマイペースな性格のようだった。
「じゃあ、お願いするわ。これ、返しておくわ。ありがとう」
と、言ってラズベリー・パイ2を目の前に置いた。
「まだ、使っていてもいいのに」
と言う僕に対して、相田さんは、澄ました顔で答えた。
「大丈夫ですわ。もう注文したから、明日には届いていると思いますわ」
僕は、行動早っと思ったが口には出さなかった。その代わり、こんな事を口にしていた。
「じゃあ、そのうち相田さんのシステムの音、聴かせてよ」
「そのうち、ですわ。それよりも、麻田さんの叔母さまのシステムの音を聴いてみたいものですわ」
「それなら、近いうちに聞いておくよ」
「是非、お願いしたいですわ」
相田さんはそう言って、教室を出ていった。
話を聞いていた田中が、相田さんが教室を出ていってから、僕に向かって言った。
「麻田、お前凄いなあ」
「何が?」
「あのお嬢さまの相田さんを、それで手懐けてしまったんだから」
と、手元のラズベリー・パイ2を指さして言った。
「手懐けたって、人聞きの悪い」
「いや、相手の家に行って音を聴かせてもらうってのは、オーオタらしいんだけど、相手はあの相田さんだぜ。気後れしなかったのか?」
「そう言えば、そうだね。けど、どんな音で鳴らしているか、興味はない?」
「お前のその鈍感なところは、強みなのか欠点なのか。俺はとてもでないけれど、行く気にはなれないね。確かに相田さんがオーオタなのは初めて知ったし、音も聴いてみたいけれどね」
「そんなものかなぁ」
僕は首を傾げ、田中はヤレヤレという感じで首を振った。
その晩、僕は千恵姉に電話した。千恵姉は出るには出たが、忙しいからメールにして、とだけ答えて切った。
千恵姉のメールアドレスは、と調べてから、僕はメールを書きだした。相田さんの事は、オーオタの友人、とだけ書いておいた。
千恵姉からの返事は電話で来た。
「なになに、ラズパイ仲間を一人増やしたの?」
千恵姉は、好奇心を隠そうとせずに聞いてきた。千恵姉らしい。
「そういうこと。で、相田さんが千恵姉のシステムの音を聴きたいって、言ってきたから」
「それは歓迎するわ。それから、USB出力で音が途切れる件だけど、あれはラズベリー・パイ2の仕様というしかないようね」
「どういう事?」
千恵姉は、ちょっと真面目になった口調で話し始めた。
「ラズパイは、USBとLANを一つのチップで制御しているの。それで、ビットレートが高くなると、環境によってはチップの処理が追いつかないんじゃないか、と思うの」
「その点、ハイファイベリーを使うとI2S出力だから、USB出力を使わなくて済む。だから、高ビットレートのハイレゾファイルも通るのよね」
「そうなんだ。じゃ、ハード固有の問題なわけね」
「そそ。馨も話が通じるようになってきたわね」
千恵姉は、笑いを含んだ声で答えた。それから、スケジューリングの話となった。
「今週末はちょっと用事が入っているから駄目ね。来週末の土曜日なんてどうかしら?」
「土曜日は部活があるから駄目だと思う。日曜日はどうかな?」
「来週末はどちらも空いているから、日曜日でも大丈夫よ」
「わかった。それで相田さんに聞いてみるよ」
「それじゃあ、楽しみにしているわ。馨のガールフレンド」
「え、ちょ、ちょっと」
と、僕が反応しきれないうちに、千恵姉は電話を切ってしまった。
僕はしばらくスマホを見つめて、ガールフレンドねぇ、と思っていた。
翌日、廊下でばったり会った相田さんに声をかけた。
「叔母に聞いておいたよ。来週末の日曜日はどうかと言っていた」
相田さんは、ちょっと待ってね、と言ってスマホを取り出すと予定をチェックしていた。しばらくして、
「わたくしも夕方までは大丈夫ですわ。時間は、昼を過ぎた午後いちくらいに最寄り駅で待ち合わせ、ということでよろしいかしら。叔母さまの最寄り駅はどちらになりまして?」
僕は、千恵姉の家の最寄り駅を言った。
「それでは、その駅前にしましょう。連絡取れるように、Limeのアカウント教えて頂けるかしら?」
僕がアカウントを教えると、わたくしのはこれです、と相田さんもアカウントを教えてくれた。
「それで、もう一つ。USB出力の問題も、聞いて頂けたでしょうか」
「それ、ハード固有の問題だって」
「どういう事かしら」
と、相田さんが更に尋ねてきたので、僕は昨日千恵姉が言っていたことを繰り返した。
相田さんは、なるほどと答えて、しばらく黙っていた。
「となると、I2S DACを使わざるを得なくなりますわね。ハイファイベリーには、デジタル出力のバージョンもあるようですので、そちらを試してみるのが良さそうですわ」
と、誰に向かうともなく呟いた。僕は、どう対応していいかわからなかったので、黙っていることにした。相田さんの方が僕よりもずっと、オーディオに関する知識と経験が豊富なようだった。
僕は興味を抱いて、相田さんに聞いてみた。
「相田さん、オーディオのキャリアはどの位なの?」
すると、相田さんは何気なく答えた。
「物心ついてからね。何しろ、父が重度のオーディオ・マニアなので、ヴァイオリンを習い始めたと同じくらいに、父の装置にも興味を持ち始めたわ。その頃は父の装置を扱うことも出来なかったけれど、父のお下がりで自分の装置を持ったのは、小学校の三年生の時だったわ。その時は、新しいヴァイオリンに変えた時のように嬉しかったことを覚えているの。それから、大体は父のお下がりの装置から、気に入ったものを使っているわよ。それで、自分で何かを買って、なんて事は今回のラズベリー・パイi2が初めてなのね。だから、麻田くんとそれほど、変わりはしないわ」
いえ、十分に凄いです。と、僕は心の中で呟いた。
「じゃ、キャリアは十年くらいって事?」
「そのくらいになるのかしら。意外と長いわね」
なんとなく釈然としない顔をして、相田さんは答えた。
それでは部活がありますので、と相田さんは言って僕らは別れて別の部室に向かった。
それから翌週末の日曜日まで、僕はなんとなくそわそわとしていた。
当然だろう。千恵姉が『ガールフレンド』なんて言ってくれたので、相田さんを意識してしまっていたのだった。
それでも、日常に埋没していると月日の経つのは早いもので、何もしないうちに当日になった。Limeのアカウントも交換したのに、挨拶程度のメッセージしか出来なかった。朝に千恵姉に電話したら、千恵姉の方が女の子が来るということで浮かれた調子だった。
僕は、午後いちって正確には何時だろうな、なんて思いながら早めに家を出て、約束した駅に向かった。着いたのは、正午を三十分ほど過ぎた時刻だった。
驚いたことに、相田さんはもう来ていた。
「あ、遅れた?」
と、僕は阿呆のように尋ねた。
「いいえ。わたくしが早すぎたのね。けれど、麻田くんも早く来てくれたようで助かりました」
と、相田さんは笑顔を浮かべて答えた。今日の相田さんは、細かい模様の散りばめられた清楚な白系統のワンピースだった。学校で制服姿しか見ていなかったので、とても新鮮に見えた。ただ、清楚なワンピースに不釣合いの大きなバッグを持っていた。
バス内で他愛のない話をしながら、僕はバッグの中に何が入っているか聞いた。
「大したものはありませんわ。チェック用のCDとオーディオ用の色々なアクセサリーですわ」
と、相田さんは答えたが、すぐそれに付け加えた。
「CDはわたくしが聴きたくて選んだものなのですけれど、アクセサリーは父が試してこいと言って持たせたものなので、わたくしの趣味ではありませんわ」
ちょっと慌てたようにして言い訳してみせる相田さんが可愛くて、僕はクスリと笑った。
それに釣られるように相田さんも笑顔になって、そうしているうちにバスは千恵姉の家の近くの停留所に着いたので、僕らはそこでバスを降りた。
停留所から歩いて数分で、千恵姉の家に着いた。呼び鈴を鳴らすと、すぐに千恵姉がでた。今日は音楽を鳴らしていないようだった。横で相田さんが、古いお家ね、と呟いたのが聞こえた。
リビングに案内されて、相田さんはLS50のサラウンドを興味深く見ていたが、千恵姉がコーヒーを淹れてくるのでちょっと座って待っていて、と声を掛けると、これつまらないものですが、と言いながらバッグからお菓子の箱を取り出した。中はどうやら高級そうなショートケーキのようだった。
それを見て、僕も、と母から託されたものを千恵姉に渡した。今日は羊羹だった。
千恵姉は礼を言ってからキッチンに下がって、僕らはリビングのソファに座った。手伝おうか、という僕の申し出は、二人で仲良くしていなさい、と千恵姉に一蹴された。ソファは二人掛けのミニソファだったから、相田さんとの距離が近くなって、僕は微妙に緊張した。
「古い家なんですね。これがメインシステムですか?」
と、相田さんは聞くともなく呟いた。
「一軒家で家賃がそこそこのを探したら、ここになったらしいよ。千恵姉が、当初よりは大分きれいにしているんだ。ちなみに、メインは別の部屋。これは、テレビ用だって言っている」
僕は、知っていることを答えた。微妙に緊張しているので千恵姉になってしまったのにあとで気付いた。
「テレビ用ですか。SACDのマルチチャンネルもこれで聴けるのでしょうか?」
「聴けるよ。AVブリでのデコードだけれど。コーヒー飲みながらでも聞かせてもらうよう頼んでみようか」
「ええ、是非お願いしたいですわ」
と、話していると千恵姉がお盆にコーヒーとケーキを載せて持ってきた。
「美味しそうなケーキばかりだったので、迷って三つ持っていたけれど、他に好みのケーキがあるかしら。相田さん?下のお名前は?」
「静乃です。相田静乃」
「そう、静乃さん。他に何かお好みのもの、あったかしら?」
「いえ、特には別に。ケーキはどれでも好きですので」
「女の子だもんね。で、わたしのことは千恵とでも呼んでください。麻田さんでは、馨と紛らわしいでしょう」
と、千恵姉は僕の方へ目配せしながら、じゃあわたしはモンブランいただこうかしら、とかと関係ないことを言っていた。
「じゃ、僕のことは、ここだけでも馨と呼んでもらえたら、助かる」
「わかりましたわ。千恵さんに馨さん」
と、答えながら、静乃さんはどれが良いとの千恵姉の問いに、イチゴのショートケーキを選んでいた。僕は、残っていたチーズケーキになった。いいわよね馨、という千恵姉の言葉には逆らうことはできなかった。
千恵姉はお茶を楽しんでいる間も、静乃さんに盛んに話を聞いていた。静乃さんも、オーディオマニア、特に同性は珍しいので、嬉しそうに会話をしていた。僕は、一人でなんとなくケーキを突ついていた。
漸く話がひと段落して、千恵姉は感に耐えない様子で僕に言った。
「こんなにコアな話ができるなんて、思っていなかったわ。馨はいいお友達を見つけたわね」
対する静乃さんも、頬を少し紅潮させていた。
「わたくしも、父以外の人とこんな会話ができるとは思いませんでしたわ。馨くん、今日は本当にありがとう」
静乃さんのような美少女からこんな風に素直に感謝されて、僕は悪い気はしなかった。先ほどまでは二人の会話についていけず退屈な思いをしていたのに、我ながら単純なものだ。
とは言え、今日ここに訪れた目的は、オーオタな会話をすることではなく、千恵姉の音を聴くことだったのだ。
僕は、話を一旦区切って音を聴くことを提案し、二人とも了承した。
「なにを鳴らそうかしら。まずは、ここでマルチチャンネルの音を聴いてみる?」
「そうですね。きちんと全チャンネルが同じスピーカーのマルチチャンネルはあまり聴いたことがないので、よろしければお願いします」
千恵姉の問いに、静乃さんは興味ありげな様子で答えた。
「静乃さん、日本のロックなんて聴くかしら?」
千恵姉は立ち上がりつつ静乃さんに尋ねた。
「あまり聴きませんけど、ヘヴィメタのようなものでなければ何でも」
「それじゃ、鈴木慶一、聞いてみようか。『ヘイト船長とラブ航海士』から」
静乃さんがソファの中央に座り、知恵姉が何曲目にしようかしら、と呟きながら、SACDをセットした。
出てきた音楽に驚いた。音のつくりがマルチチャンネルを前提にしていて、各チャンネルから異なった音が出てくる。その緻密な作りに音質以前に圧倒されてしまった。中央で聴いていた静乃さんはどう感じただろう。
「五曲目の『スカンピン・アゲイン』を聴いてもらったけれど、どうだったかしら?」
「ともかく、音の密度に圧倒されました。まさにマルチチャンネルならではの音楽、という感じでした」
千恵姉の問いに対して、静乃さんは感嘆冷めやらぬという調子で答えた。
「それじゃ、次は、クルレンツィスのフィガロの冒頭でも。これは、24/192でDTS‐HD MasterAudioで可逆圧縮された音源ね。こちらはBDオーディオ」
そう言って、千恵姉は盤をセットした。
クルレンツィスの指揮する瑞々しくも軽快な序曲が流れ始めた。速めのピッチでありながら、あちこちに装飾をつけた遊び心にあふれていた。レチタティーボではチェンバロではなく、フォルテピアノが使われていたばかりではなく、フォルテピアノを積極的に使って、装飾音や和声の補強に使っていた。他にもピリオド楽器を使っているようだが、ピリオド奏法にとらわれない個性的な演奏だった。
静乃さんはどう聴いたのだろう。
「この演奏はCDで家で聴いていてマルチチャンネルで聴くのは初めてですが、なかなか雰囲気が良いですね。ホールの前から十列目かそれより少し前で聴いている感じに近いですね」
静乃さんがそう感想を述べたのに、千恵姉は応えて言った。
「そうでしょう。オーディオだから、ホールトーンをリアチャンネルから出しても、二階席の前列みたいにホールの響きが中心になるとはいかないのよね。たぶんそれをすると、音量レベルが低いとか色々と文句がでるでしょうし、ホールトーンを入れすぎるとセッティングによっては定位が安定しないから、レコード会社としても安全策をとるのでしょうね」
「そうなのでしょうね。個人的にはコンサートは二階席前列で聴くのが一番好きなのですが。もっともホールにもよりますけれど」
「そういう意味では、コンサート通いしている人にとっては、オーディオの音は近すぎる、って思うこともあるのでしょうね」
「わたくしもそう感じることがあります。ただ、オーディオの音にも慣れているので、それぞれ別のものと捉えています」
「わたしもそれが一番だと思うわ。国内レーベルも録音を頑張ってくれているから、わたしの聴いた演奏がSACDになっているものもあるけれど、席が最良のところではないことを差し引いても、ライブで聴いた音と録音された音はずいぶん違うもの」
と、千恵姉とは静乃さんは意見の一致をみて、互いを見て苦笑しあった。そして、僕は相変わらず置いてきぼりだった。
千恵姉は、そんな僕の様子には気付いたようではなかった。オーディオの話ができる人が来て嬉しくてそれどころではないらしい。
「マルチチャンネルの最後は、RCA |Living StereoのミュンシュとボストンSOの幻想交響曲でも聴こうか。山場の4,5楽章で。これは、元々マスターテープが3chなので、そのままリアチャンネルなしで入っています」
と、4楽章の『断頭台への行進』から始まった音楽で、僕らは音楽の狂気の中に叩き込まれ、狂気と狂瀾のうちに音楽が進み、そして終わった。静乃さんは感心したようだった。
「LS50なんて小さなスピーカーでこれはどうかなと思いましたが、鳴るものですね。感心しました。それに、センターチャンネルがあるだけで音楽の密度がずいぶん違うものなのですね」
「そうでしょう。このスピーカー、意外と良く鳴るのよねぇ。おかげで、最近ではサブウーファーはアクション映画の時につけるくらいね」
と、千恵姉も嬉しそうに付け加えた。それから、何気ない様子で提案した。
「では、そろそろメインの音聴く?」
「お願いします。サブシステムでこれだけ楽しめたのですから、メインシステムでは、どんな音を聴かせていただけるか、とても楽しみにしていますわ」
静乃さんも満更お世辞でもなく、真剣そうな態度で応えた。
僕らはメインシステムのある部屋に移動した。大きさはそれほど大きくない。千恵姉によれば、七畳ほどだということだ。ただ、古い家だけあって天井は高い。
静乃さんはその部屋の装置を興味深そうに見ていたが、スピーカーで目が止まった。高さ70センチほどの箱に小さめのウーファーが入っていたが、その上に大きなユニットが載っていた。
「このスピーカーは自作ですか。それにしても、大きなリボンツィーターですね」
「ウーファーユニットは、|AudioTechonologyのFlexunit 8B77よ。リボンユニットは、Raven R3.1で30kg近くある磁石の塊よ。時計を近づけたら壊れるから気をつけてね。このリボンユニットは磁石の塊だけあって、500Hzから使えて感度は99デシベルよ。ま、大型ホーンの代わりになるくらいの化け物ユニットね。これを1500Hzクロスの二次のネットワークを組んで使っているわ」
「それよりも、難しかったのはウーファーね。こんな特殊なリボンユニットに合うウーファーなんてなかなか見つからかったわ。今はこれで落ち着いているけれど」
と千恵姉は笑顔で語っているが、ボーナスの度にウーファーをあれこれ取り替えていた姿を覚えている僕としては、あまり笑えなかった。いくら使ったか、聞きたいのだけれどちょっと怖くて聞く気になれない。
その辺りを知らない静乃さんは、無邪気だった。
「リボンツィーターもそうですが、オーディオテクノロジーのウーファーは自作では初めて拝見しました。これ、Skaaningがやっているところかと記憶していましたが」
千恵姉は、わが意を得たりと言う感じで頷いた。
「そうなのよ。よく知っているわね。ホント、馨のガールフレンドにしておくには勿体ないわね」
「ガールフレンドだなんて、静乃さんに失礼だよ。今のところは、オーディオ仲間」
と、僕は一応否定しておいたけれど、千恵姉はニヤニヤ笑いをやめなかった。
「ならば、そういう事にしておくわ。馨はまだオーオタ見習いにもなっていないけれどね」
と、何気に厳しいことを言う。とはいえ、この二人の会話にはついていけずにいたのも事実だった。
「お喋りばかりしていないで、そろそろ音鳴らそうかしら。静乃さん、なにかリクエストある?」
と、千恵姉はニヤニヤ笑いをやめて、静乃さんに尋ねた。
「特にありませんが、もしよろしければ何か大規模な合唱曲でもお願いします」
しっかりリクエストしているし。千恵姉は少し考えてから、CDラックに向き直った。しばらく考えてから、CDを取り出した
「それじゃ、古いけれどリヒターの振ったバッハのカンタータを聴いてみようか。大規模ってほどじゃないけれど、静乃さんはまずはそれで良い?」
静乃さんは黙って頷いた。
小編成の管弦楽が流れ始めた。フルートの絡み合いが印象的で僕も知っているカンタータだった。
「これ、一〇七番?」
「そう、馨も知っている唯一のカンタータね。最初は小編成の管弦楽、それから合唱、男性独唱、女性独唱と多彩に楽しめるわ。小さいけれど、オルガンもあるので、割とオーディオチェックにはよく使うのよね」
静乃さんは黙って頷いた。耳はずっと音楽に向かっているようだった。
短い管弦楽が終わり、合唱と独唱のパートに入った。このスピーカーは相変わらず中域が凄い。思わず、フィッシャー・ディースカウの独唱には聴き惚れてしまった。
こうして、二十分ほどでカンタータは終わった。静乃さんの頬は少し紅潮していたようだった。
「合唱とソロの実在感が凄いですね。こんな風に鳴るスピーカーは初めて聴きました。ATCが少し近いように思いますが、それよりもずっと濃い中域で、フィッシャー・ディースカウのソロはそこにいるような感覚でした。」
静乃さんの感想に、千恵姉は満更でもないようだった。
「そうなのよ。このリボンユニットは凄く良い中域を持っているのだけど、それに上手くバランスするウーファーがなかなかなくてね。今のウーファーになるまでは、ちょっと苦労したわ。今は、まずまずのバランスで鳴っているけれどね」
静乃さんも感心して聞いていた。
「それじゃ、大規模な合唱曲という事だから、ヴェルディでも鳴らそうか。アイーダの第二幕第二場の凱旋のシーンなんかはどう?」
「いいですわね。是非、お願いします」
そんな調子で、音楽を聴き続けて、気が付くと二時間以上経っていた。
静乃さんが時計に気づいて、申し訳なさそうな表情になった。
「申し訳ありませんが、夕方から別の用事がありますので、そろそろお暇させて頂きたいと思いますが」
千恵姉も、時間に気付いたようだった。
「そうなの。引き留めてしまって御免なさいね。馨、それじゃエスコートしてあげてね」
静乃さんは、首を大きく振って否定した。
「こちらこそ、楽しませて頂きました。感謝いたしますわ。ところで、千恵さん、一度家にも遊びに来ませんか?」
この申し出に、千恵姉は大きく笑顔になった。
「それは、わたしとしても嬉しいわ。静乃さんの音聴いてみたいと、話していて思っていたもの。それじゃ、メールアドレスと携帯電話番号交換しておく?」
「はい。それでは、日程を調整して宜しくお願いします。あ、馨さんも一緒に来ます?」
僕も、これだけオーディオに詳しい同級生の鳴らす音には興味があった。もちろん、静乃さんの自宅に行くことにも興味があった事は否定しないけれど。
「お邪魔でなければ、是非」
「それでは、千恵さん。日程が調整できたら、馨くんにもお知らせください」
「わかったわ。馨はあくまでおまけという事ね」
千恵姉が茶化したら、静乃さんは少し困ったような表情になった。
「そういうわけではありませんが」
「僕も、静乃さんの音に興味ある」
と、二人で同時に言って、思わず顔を見合わせ笑いあった。
帰り道で、二人で千恵姉の家の話になった。静乃さんはメインシステムの音を次のように評価した。
「空間表現も良いのですが、なにより厚い中域に支えられてエネルギーが豊かでいて、細かいニュアンスと音色表現に秀でている音楽が鳴っていましたわ。あの装置と音は、よほど手間暇とお金をかけていると思うわ。良いものを聴かせていただきました。千恵さんには馨くんからもお礼を言っておいてください」
僕は、黙って頷いた。確かに、今日の音は僕の耳の奥にもずっと残っていた。
水曜日に、Limeに静乃さんからメッセージが入った。千恵さんの訪問は再来週の日曜日の午後に決まったが都合は如何でしょう、というものだった。
僕は、二つ返事で了解です行きます、と返した。再来週が楽しみだった。
「お前、相田さんと最近つるんでいるの?」
田中が聞いてきたのは、静乃さんの家に訪問しようとする週の水曜日だった。
「つるんでいるわけじゃないけれど、この前話した叔母さんの家の装置の音を聴いてきたな」
なんとなく、嫌な予感がしつつも正直に事実だけ答えた。
「え、それじゃ家族公認ってわけ?」
「そんなじゃないけれど、まあ、オーオタ仲間?」
と、言いつつ
「それに、叔母さんの家に行きたくはないと田中が言っていたじゃないか」
田中が以前言っていたことを思い出させた。
「まあ、そうは言っていたけれど、あの相田さんと同じ趣味で仲良くなれるとは思っていなかったよ。もっとお高い人かと思ってね」
田中はなんとなく悔しそうだった。選択を後悔しているかもしれない。僕は、週末に静乃さんの家に行くことは黙っておこうと決めた。
「そうでもないんだよ。趣味のことになると、結構熱くなって語る性格なんだ。普段の冷たそうな周りに無関心な様子からは想像できなかったけれど」
そう言うと、田中は一層悔しそうな表情になった。
「そうか。お嬢様の攻略法は趣味からだったのか。これは、俺にもチャンスがあったかもしれなかったのにな」
と呟きながらも、次のように続けた。
「こうなったら、麻田、応援するからうまくやれよ」
何をうまくやればいいのかな、と思ったのだが、そこは黙って
「ああ、わかったよ」
とだけ、苦笑しつつ答えておいた。
その週末の日曜日は、千恵姉が車で僕の家まで来てから、静乃さんの家に行くことになっていた。
千恵姉は、午前中に来て、家で両親と近況を話しながら昼食を食べてから、僕と一緒に静乃さんの家に向かった。相変わらず、浮いた話が出てこない義妹を心配して母が話しているときに、父が出てきて、千恵だからな、の一言で母も話を中断した。どういう事よ、と言う表情をしている千恵姉に、今日もオーディオ関係だろう、と父は聞いた。図星を突かれた格好になった千恵姉に、父は苦笑して、
「そんなだから浮いた話が出てこない。こんなだと、馨に先を越されるぞ」
と、揶揄されたが、千恵姉はそこは動じず、
「いいのよ。わたしは、馨と静乃ちゃんのキューピットになるの。ね、馨」
と、澄ました顔で言った。
矛先が向いた僕は、慌てた。母が追及してくるので、僕はしどろもどろになった。
「静乃さんっていうのは、オーディオが趣味で仲良くなっただけで、何もないよ」
「でも、今日も千恵さんと一緒に、その静乃さんのお宅に行くわけでしょう?」
と、母は猶も追求してくる。
「それはそうだけど」
と、僕は認めるしかなかった。
母はなんとなく落ち着かなくなった。
「まあ、それならそんな御座なりなもの持っていかないで、もっときちんとしたもの用意した方が良かったわね。千恵さん、途中で寄っていく余裕あるかしら?」
「今から出れば、十分時間はありますよ」
と、千恵姉は自分から矛先が逸れたためか、余裕をもって答えた。
「それじゃあ、何がいいかしら。花と食べるものとどちらが良いかしらね。やっぱり、食べるものかしら。千恵さん、駅前のケーキ屋でこれで適当に見繕ってくれるかしら?」
と、千恵姉に諭吉さんを渡していたので、僕がむしろ驚いた。
「そんなに出さなくても、ただの趣味の友達の訪問なんだから」
僕がそう主張すると、母はこちらを睨んで言った。
「息子が人様のお宅を訪問するときに、恥ずかしい思いをさせるわけにはいきません」
と言うわけで、千恵姉とすぐに出発することになった。車の中で、千恵姉は聞いてきた。
「駅前のケーキ屋ってわかる?」
「多分、よそ行きの時に買っていくケーキ屋の事でしょう。わかります」
「これだけあれば、ケーキと花束買ってお釣りが来るわね。どうする、馨?両方買って花束持ってく?」
千恵姉は、悪戯っぽく聞いてきた。
「ケーキだけでいいです」
僕は、即答した。花束を持って静乃さんの家に行くなんて気障な行為を普通にできるほど、スレてはいなかった。
「あら、詰まらない。けど、それなら、贅沢しましょ」
そう言っているうちに、駅前についた。
千恵姉は、本当に贅沢をした。ホールでないショートケーキだけで、諭吉さんが飛んで行くとは、思いも寄らなかった。
週末の渋滞にはまって、静乃さんの家まで車で三十分ほどかかった。
約束の時間より少し遅れたが、静乃さんの家は車が四台ほど駐車できるスペースを持つカーポートを持つ邸宅だった。そこに二台ほど高級車が止まっていたが、それが静乃さんの自家用車だろう。誰でもよく知っている海外ブランドのセダンとスポーツタイプの車だった。その横に千恵姉のマツダのロードスターを止めた。
「車で来てもいいというだけに余裕あるわね」
と、千恵姉は言いながら車を止めた。
僕は、ケーキを抱えてながら車を降りると、
「確かにこのケーキが似合いそうな家ですね」
感嘆まじりにそう呟いた。
「そうよ。この前、ウチに持ってきてくれたケーキに見劣りはしないはずよ」
千恵姉は、さすがに女性だけあって、ケーキの見分けがつくようだ。その点、僕はさっぱりだった。
玄関前に来て、呼び鈴を押すと、静乃さんが出た。
「少し、待っていてください」
それでしばらく待っていると、玄関を開けたのは、父親らしい年配の男性だった。きちんとエクササイズしているらしいその体は中年太りの兆候もなく健康そうだった。そして、その後ろに静乃さんがいた。
「父がどうしてもと言うので」
静乃さんは恥ずかしそうにそう言い訳したが、父親は豪快に笑い飛ばした。
「静乃が初めてボーイフレンドをお招きすると言うので、出しゃばってきた父親の遼一です。君が聞いていた馨くんかね。それから、そちらのお嬢さんが千恵さんでしょうか」
僕が呆気に取られていると、千恵姉がそつなく応対してくれた。
「ええ、わたしは麻田千恵、こちらが馨。わたしは馨の叔母にあたります。今日は招待していただきありがとうございます。こちらは詰まらないものですが。って、馨、ケーキは」
と、僕にケーキを渡すように促す。僕も、詰まらないものですが、と言いつつケーキを渡した。千恵姉は続けた。
「聞くところによると、静乃さんの父君もオーディオ好きとか。折角ですので、そちらもお聞かせさせて頂ければ、幸いです」
と、千恵姉は巧みに静乃さんの父親にも関心があることを示した。
「父君なんて、遼一で結構です。オーディオ好きならば、歓迎します」
趣味の事を持ち掛けられで、悪い気がする人はそうそういない。遼一氏も同様だった。
「では、玄関先で立ち話もなんですので、お上がりください。桂子さん、お茶を淹れてください」
と、そばに仕えていたメイドらしき人にケーキを渡すと、僕らに家に上がるよう促した。
応接室に招かれ、そこでお茶を頂いた。紅茶の味は良くわからないが、良い香りのする紅茶だった。
「ここは、Aura noteと|Sonus Faberのminimaですか。スタンド付と言うことはオリジナル?」
と、早速オーディオ装置の目利きを始める千恵姉だったが、遼一氏はそんな千恵姉に微笑んで応対した。
「その通りです。ミニマはデザインに惹かれて買って、ここに置きっぱなしですよ」
「当時のソナス・ファベルは、良いもの作っていましたからね」
などと、話が通じていく。僕は不思議な感覚に囚われた。千恵姉が大人同士で普通に会話しているのは、肉親以外で初めて見た。大抵は、ぶっきら棒に必要なことだけ話すばかりだったからだ。
静乃さんの方を見ると、これまた不思議そうな顔をしていた。わけを聞いてみると、
「父が女の人とこんなに仲良く話すのは、母が亡くなってから久しく見ていなかったので」
との事。この時、静乃さんの母君が亡くなっていることを初めて知った。
横を見ると、大人二人が仲良く会話していた。僕にはわからないヴィンテージ・オーディオの話に話題は移っていた。
しばらく、静乃さんと二人で黙って、話を聞いていた。
そんな僕らに気がついたのか、遼一氏は済まなそうに言った。
「こんな昔話は、若い人には詰まらなかったかね。そろそろ地下に行こうか」
「地下?」
僕が聞き返すと、静乃さんが説明してくれた。
「父のリスニングルームは、半地下になっているので、オーディオをやる時は地下に行くと言って籠るのです」
その説明に、なるほど、と僕と千恵姉は二人そろって呟いた。
「それなら、夜中になってもいくらでも音を出せるのですね」
千恵姉は羨望を隠さずに言った。
「まあ、オーディオは結局は部屋ですからね」
と、遼一氏も満更でもなさそうに答えた。
「そうですよねぇ」
しみじみと賛同する千恵姉。隣近所から文句は来ていないとは先日言っていたが、それなりに自粛はしているというわけだ。
そんな事を話しているうちに、地下のリスニングルームに着いた。
スタジオにでもありそうな重い扉を開くと、そこは三十畳くらいの広い部屋に装置が置かれていた。インテリアも最小限に抑えられていて、オーディオと音楽を聴くことだけに徹底した空間と言う感じだった。
千恵姉は少女みたいな歓声を小さくあげた。思わず出てしまったと言う感じで、歓声をあげた後で、軽く赤くなって照れていた。またもや、目利きが始まった。
「dcsのフルシステムは初めて実物にお目にかかりますわ。アナログはLP12ですか。カートリッジとフォノイコライザーは何をお使いですか。それで、アンプはmomentum、スピーカーは|YG AcousticsのSonyaですか。最新の良いシステムですね」
「まるで、オーディオ雑誌の推奨システムのようでお恥ずかしい限りですが、聴いて選んだら結局これになってしまいましてね。」
と、遼一氏はこれも照れたように言った。根は良い人なのだな、と僕は思った。
「まあ、一曲お聴きください。何を聴かれますか?」
「遼一さんのお好きなもので。こちらに座ってよろしいでしょうか?」
千恵姉は部屋のベストポジションと思しき所にあるオットマンの付いたラウンジチェアを指して尋ねた。
「お好きなもので、と言うのは難しいですね。ジャズはお聴きになりますか?それから、お好きに座ってください。二人は、後ろから椅子を出して。あとで聴かせてあげよう」
と、完全に千恵姉中心になっていた。千恵姉は、古いものならば聴きます、と答えていた。さすがにオットマンに足を投げ出すようなことはしない。
「それでは、古いアナログで。ビル・エヴァンスの『ワルツ・フォー・デビー』から鳴らしていきましょうか」
と、スピーカーと対向面にあるレコード棚からレコードを取り出し、ターンテーブルに載せて針を落とす。静かなジャズが流れだす。客席の食器の音がやけにリアルだった。
詩情あふれるピアノに、ベースとドラムが合わせていく。初めて聴いたがいい演奏だった。
千恵姉も感心したように頷いていた。
「プレイヤーのやりたい事が伝わるような感じの音ですね。サウンドステージも広くて見事なものです。良いもの聴かせてもらいました」
千恵姉の言葉に、遼一氏は嬉しそうに笑顔になった。
「プレイヤーのやりたい事が伝わってくること。それを一番大切にしていますから、嬉しい賛辞ですね。良く聴かれていらっしゃる」
遼一氏は続けた。
「サウンドステージについては、実はそれほど重視はしていないのですが、新しい機器ですからね、まあ、おまけみたいなものですよ」
と、謙遜する。
「いや、そんなことはないでしょう。これほどのサウンドステージの広さと緻密さは相当意識していないと出ないものかと感じます」
おだてている様に聞こえたりするかもしれないが、千恵姉は音に関してはお世辞は言わない。気に入らないときは、遠回しに皮肉を言う程度だけど、嫌なものを良いとは言わない。
そうした態度は遼一氏にも伝わったらしい。
「お若いのに、大したものですね。家ではどんなものをお使いですか?」
「いえ、大したことありません。自作スピーカーを苦労して調整しています」
「と言うと、バックロードホーンなんかを?」
「いえ、長岡派ではありませんから、バックロードホーンは使っていません。ちょっと普通でないユニットを使った2ウェイのスピーカーです」
と、遼一氏は静乃さんの方を向いて確認した。
「そうなの?静乃」
「ええ、お父さま。ちょっと普通でない、と言うのは謙遜が過ぎるような感じがいたしますが」
静乃さんは静かに答え、続ける。
「ウーファーはオーディオテクノロジーですが、上はレイブン R3.1というリボンユニットでしたわ。お父さま、ご存じですか?」
遼一氏は、少し考えてから思い出したようだった。
「レイブン R3.1と言うと、十年くらい前に一部で話題になった三十キロくらいあるあのリボンユニットかい?」
「そうですわ、お父さま。千恵さんはそれをお使いになっていますの」
静乃さんは、意を得たりと言う感じになった。
遼一氏は千恵姉の方に向き直り、
「大したものを使っていらっしゃる。それにしても、よく手にはいりましたね」
「三年ほど前に、運よくデッドストックになっているものを入手する機会に恵まれましたので、何とか手に入りました。それからが大変でしたけれど」
そう答える千恵姉に遼一氏は頷いた。
「そうでしょうね。あれほどのユニットを使いこなすには相当な覚悟が必要でしょう」
「買ったときは、割と軽く考えていたのですが、結局そうなりました」
千恵姉は正直にそう言った。
「なるほど。そうした事をやっているから、耳もできているわけですね」
遼一氏は納得したようだった。
その後、しばらくは交互に入れ替わりながら、色々な音楽を聴いていった。遼一氏はジャズが中心だったが、千恵姉が持ってきたクラシックのCDも良く鳴らしていた。
ひと段落ついたところで、遼一氏が言った
「さて、今日はここが訪問の目的ではなかったでしょう。静乃、二人を自室に案内してあげなさい。私はもうしばらく地下にいるから、帰るときに声を掛けておくれ」
「はい、お父さま。それでは千恵さんに馨くん、案内いたしますわ」
千恵姉が一緒とはいえ、女の子の自室に入るので緊張していたが、自室に案内されて驚いた。
八畳程度の部屋とその奥に更に一室あって、奥がベッドルームになっているとの事だった。八畳程度の前室には、オーディオと机と楽器とクローゼットがあった。部屋の隅にミニソファが置いてあったが、音楽を聴くときはそれを動かしてきて聴くとのことで、まずは、僕がそのミニソファをリスニングポジションに置いた。
ここでも、千恵姉の目利きが始まった。
「CDPがStuderのA730、Quad44と自作の真空管アンプでB&W SS25を鳴らすなんて、なかなか渋いわね。アナログプレイヤーは|Clear Audio?」
「ええ、そうですわ。さすが千恵さん、一目で見破ってしまいますね」
「A730はアンバランスで接続しているの?」
千恵姉は猶も追求していく。それにこたえる静乃さんも淀みなく答えていく。
「いえ、バランス出しでLundahlのトランスを使って、Quad44の前でアンバランスに変換していますわ」
「で、真空管アンプはプッシュプルかしら?」
「プッシュブルですが、CSPP、クロス・シャント・ブッシュプルと言う形式です」
「それって確か、McIntoshのMC275で使われたものだったかしら?」
「良くご存知ですね。その形式のアウトプットトランスを見つけて、父が作ったのですが、結局作っただけで満足して、今はわたくしが使っています」
「そんな特殊な形式のトランス、良く見つけましたね」
「なんでも、ネットで色々調べ物しているときに見つけたらしいのですが、詳しいことはわたくしは聞かされていません」
と、ここでもオーディオ話はいつまでも続きそうだった。
ここで、静乃さんの矛先が僕に向いた。
「ところで、馨さんは何をお使いなの?」
僕が、さてどう説明しようかと考えていたところで、千恵姉が助け舟を入れてくれた。
「馨はまだわたしのところで修業中なのよ。今は、ラズベリー・パイ2でのPCオーディオを自作ヘッドホンアンプで鳴らして、ヘッドホン中心の生活よ。普通の高校生のオーディオね」
「普通の高校生ですか。父のお下がりを使っているわたしは、特殊なわけですね」
静乃さんはなんとなく拗ねるように言った。
「あら、親のお下がりなんだから恥ずかしがる事ないわ。きちんと使いこなせていけば、それは立派な自分の装置よ」
千恵姉は、取り成すように静乃さんに声を掛けた。
「そう言うものでしょうか」
「そう言うものよ」
中々納得していないような静乃さんを、強制的に納得させるような千恵姉の言葉だった。
「千恵さんがそう仰るのなら、そういう事にしておきます」
静乃さんは笑顔になってそう納得した。
「それよりも、音を聴かせてもらえないかな」
会話が落ち着いたところで、僕は言った。
「そうですね。夕方には用事がありますから、それまでは音楽を聴いて過ごしましょう」
そう言って鳴らし始めたのは、シベリウスのヴァイオリン協奏曲だった。
「これは、ヒラリー・ハーンの演奏です」
静乃さんは始まった直後にそう付け加えた。
静乃さんの音は遼一氏の音とは違っていた。実体感を持った楽器がスピーカーの間に並び、少しばかり脚色を伴いつつ、華麗かつ繊細な音で音楽が鳴った。
サウンドステージはやや狭いが、そこを濃密な音で満たしていた。
「これ、Quad44がネックになるかと思ったのですが、良く鳴っていますね」
千恵姉が指摘すると、静乃さんは少し驚いたようだった。
「ええ、Quad44はメンテナンスと一緒にオペアンプを替えたりして少し悪戯していますから」
静乃さんの答えに千恵姉は頷いた。
「やっぱりそうなのね。それにしても、良い音だわ。Quad44の個性を殺さずに巧くクオリティアップしているわ」
「そう言っていただけると、わたくしも嬉しいです。実は、半田ごてを握ってメンテナンスと改造はわたくし自身でやったので」
静乃さんは少し誇らしそうだった。千恵姉もそれを聞いて微笑んでいた。
そうしているうちに、帰る時間になった。
玄関で、地下に遼一氏を呼びに行った静乃さんを待ちながら、面白い経験だったわね、と千恵姉と話していた。そこに静乃さんと遼一氏がやってきたので、僕らは別れの挨拶をした。
遼一氏は、こんな挨拶をした。
「今日は色々楽しかったです。また、いつでもいらしてください。千恵さんも馨くんも一緒でなくても構わないから」
「静乃もその方がいいでしょう」
と、静乃さんの方を見た。静乃さんは顔を赤くしていた。
こうして、静乃さんの自宅訪問は終わった。
千恵姉からは車の中で、やったわね馨、と言われたが、何をやったのか僕にはわからなかった。
4.暫定的結論
1.
毅は、最近の馨の動向を面白がっていた。
最初はNASの領域を寄越せと言ってきたと思ったら、この前は電気工具を貸せと言いだして、何やら電子工作をしていた。どちらも千恵の差し金ではあるが、最近ではどうやらガールフレンドらしきものもできたらしい。
良い子に育ったものの、積極性に今一つ欠けると思っていた子供が、いつの間にか自分の興味を抱く方向に積極的に動くようになったのは、好ましい変化だった。
ところで、何をやっているのだろう、とまた毅は思った。千恵の影響だからオーディオ関係には間違いないが、NASは何に使うのだろうか、と不思議に思った。そこで、毅は本人に直接尋ねることにした。なに、NASの領域を分ける時も工具を貸す時も何に使うか報告しろとは言ってある。それをこちらから聞きに行くのも別に構いはしないだろう、と考えたのである。幸い今日は休日で、馨も家にいる。今から行こうとすっかりパーツ部屋になっている書斎を出て、馨の部屋に行った。
馨は自室にいるはずだったが、ノックをしても返事がなかった。そこで、そっとドアを開けると、馨はヘッドホンで音楽を聴いていた。
日曜日に漸くエージングの終わった自作ヘッドホンアンプとラズベリー・パイ2で音楽を聴いていて、気がついたら父が横に立っていた。
ヘッドホンを外すと、父が謝ってきた。
「いや、すまん。ノックはしたのだが返事がなかったので、勝手に入らせてもらった」
「ちょっと驚いたけれど、何か用事?」
なんとなくぶっきら棒に聞いた。
「いや、お前が何をやっているのか、父の監督責任と言うものを思い出してな。NASと電気工具を何に使ったのか、白状してもらおうか」
父は最後は芝居っ気を交えて尋ねてきた。そう言えば、NASの領域を分けてもらうときも後で報告するとは言っていたな、と思い出した。
「NASは音楽データの保存のため。保存したデータをこのラズベリー・パイ2っていうワンボードPCで読み込んで、ヘッドホンで再生するんだ。で、これがそのための自作のヘッドホンアンプ」
と、簡単に説明したが、父はそれで理解したようだ。
「なるほど。ラズベリー・パイで音楽再生する人もいるとは聞いてきたが、お前もやっていたのか。音は本当に良いのか?」
「良いよ。すくなくとも、WindowsやMacのPCを使うのなんかよりは断然良い」
すると、父は興味を抱いたようだった。
「どれ。俺にも聴かせてみせてくれ」
「うん、けれど、クラシックとボカロばかりだから、父さんの興味を引きそうなものはないよ」
「けれど、これはNASを指定するんだろう。俺のNASも指定すればいいだけだろう」
さすがにPCオタクだけあって勘がいい。ならば、と僕はGMPCを起動させていたPCでブラウザを立ち上げ、ヴォルミオの設定画面を開いた。
「ほう。ブラウザから設定できるようになっているとは、楽になっているものだな。で、NASの指定はここか。これで、いいか?」
と、僕が説明する暇も与えずに、ブラウザ上で自分のNASを指定してしまった。
「それでいいよ。データベースの読み込みに少し時間がかかるけれど」
と、言っている間にもラズベリー・パイ2はデータベースを読み込んでいった。しばらくして、データベースの読み込みが終了して、父のNASに収納されていた音楽データがGMPCに表示された。1970年代から1980年代のJ‐Popが多かった。
「それじゃ、若いころの中島みゆきでも聴かせてくれ」
と、父がリクエストしたので、それを指定してヘッドホンを渡した。
父は、黙って聴いていたが、しばらくしてヘッドホンを外して言った。
「いい音だ。中島みゆきをこんな音で聴けるなんて思いも寄らなかったよ。これ、スピーカーで鳴らせないのか?」
父は、普段はiPhoneと付属イヤホンで音楽を聴いている。千恵姉によると、独身時代には少しばかりオーディオにも手を染めていたというが、結婚してからはすっかり遠ざかっているという。
「鳴らせないよ。スピーカー用のアンプもないし、これが僕の懐では精一杯」
僕は、褒められて気を良くしていていたものの、できないものはできなかった。
「そうか。それじゃ、十万円ほど出してやるから、これをスピーカーで鳴らすことはできないか?」
いきなりの提案に僕は驚いた。
「いいの。そんなに出して。母さんが何か言うんじゃないの?」
「なに。一度PCの更新を伸ばすからと説得するさ」
「それじゃ、ちょっと考えてみるよ」
という事で、僕はオーディオで困った時の千恵姉頼りとばかりに、早速電話してみた。
「なになに。兄さんが興味を示したの?」
と、千恵姉は食いついてきたが、金額を示すと難しい声になった。
「十万円って、兄さんらしくないわね。ちょっと中途半端だわ」
僕の感覚では十万円も出してもらえると思っていたのだが、千恵姉の感想はちょっと違っていた。それを言うと、千恵姉は微かに笑った。
「普通の高校生の感覚では十万円は凄いというのはわかるけれど、オーディオの感覚で言ったら難しいわね。全部自作するっていうのならできないことはないけれど、ちょっと馨には厳しいわよね。中古をヤフオクで、って言うのも初心者には難しいわ。でも、新品のアンプとスピーカーで十万円では、多分いまヘッドホンで鳴らしている音よりもランクが落ちる音しか出せないわね。少し考えさせてくれる?」
それからしばらく、雑談になったあと、最後に千恵姉はこう言った。
「そうね、静乃さんにも相談したらいい知恵もらえるかもね。相談してみたら?」
そこで、この前の訪問時に教えてもらった携帯番号に電話したら、2,3回のコールで静乃さんが出た。
千恵姉の時と同じような説明をして、アドバイスを求めたら、やはり難しそうな声になった。
「わたくしも千恵さんと同じ意見ですわ。十万円なら、キャリアある人には中古を探すようにアドバイスするでしょうが、馨さんには少し難しいですわね」
「でも、折角馨さんのお父さまが出してくれると言っていらしゃっているのですから、何とかできるようなアイディアを探してみましてよ。そうね、次は秋葉原を探索してみるというのはどうかしら?」
そう言って、日にちはまた後日という事で、携帯を切った。
さて、人に頼ってばかりでなく、自分でもどうにかしようと、ネットに向かってみた。
とは言え、何を調べればいいかわからない。とりあえず『アンプ スピーカー 十万円』と検索窓にいれて、検索してみた。
そうしたら、案外多くの件数が表示された。最初に表示されたのは、大手家電量販店のオーディオ関連のサイトだった。合わせて、五万円でお釣りがくる単体アンプとスピーカーが表示されていた。これでいけるかどうか、明日にでも静乃さんに聞いてみることにしよう。いけるのなら安いものだ、思った。
次に表示されているのは、個人のサイトで、〈アンプはそれほど重要ではない〉と題する長文だった。読んでみたが、中に出てくる機器の名称がわからないし、百万円の装置を安いとする感覚には、普通の高校生の僕にはどうもついていけなかった。
その次は、お馴染みの価格コムのクチコミ欄で、お題はずばり『10万円で収まるエントリーオーディオの組み合わせは?』だった。聴くジャンルこそ違うが、参考になりそうだった。
これもまた、様々な機種が出てきてわからなくなりそうだったが、それぞれ検索して調べながら読んでいった。世の中には、安くても案外お勧めのオーディオ機器はあるのだな、と心強く感じた。
翌日、そうした情報を昼休みに静乃さんに話してみた。
「ですから、そうした有象無象の情報を一々鵜呑みにしていたら、頭が悪くなってしまいますわ。自分で探そうと努力したのは褒められますが、せめて聴いてみないと何も判断できなくなりますのよ」
一蹴された。
「じゃ、どうしたらいいかな?」
「聴くのが早いと思いますわ。秋葉原に行くのは、もう少し後にしようと思っていたのですが、この週末にしましょう」
「僕の方は予定は大丈夫だけど、静乃さんはいいの?」
「なんとかしますわ、馨さんのためですもの」
静乃さんは口調は軽かったが、頬が少し赤くなっていた。
静乃さんが去ってから、横で見ていた田中が茶々を入れてきた。
「お前ら、ホント仲良くなったよなぁ」
僕は、あいまいに笑うに留めた。実際、仲良くなったと言ってもオーディオだけなんだよな、と思いながら。
日曜日の秋葉原は、人で一杯だった。歩行者天国になっている道路一杯に人がいて、ぶつからないように歩くのに気を遣った。今日は一人ではなく、静乃さんと一緒だから余計気を遣ってしまう。もっとも、先導しているのは静乃さんだったけれど。
向かっているところは、中央通りの中ほどにあるヤマワキ電気本店だった。なんでも、遼一氏が馴染みの客になっているので、娘の静乃さんもちょっと顔が効くとのことで、今日の趣旨に合わせた機器を試聴室にセッティングしてもらっているとの事だった。
他のフロアでは、店のテーマソングがしつこく流れていたが、オーディオフロアは静かだった。
そこで、顔見知りらしい一人の店員に静乃さんは話しかけると、店員は承知していたようにお辞儀した。
「相田さんのお嬢様ですね。お待ちしていました。言いつけられたものの用意はできています。こちらにどうぞ」
と、いくつかあるリスニングルームの一つに案内された。
「注文された通り、スピーカーとアンプで五万円ほどのシステムと、こちらで用意した推奨システムを揃えさせていただきました」
「ありがとうございます。それでは、しばらく聴かせていただきます」
と、静乃さんは店員に礼を言い、リスニングルームに入った。
リスニングルームの内部は、整音用のアクセサリーと二脚の椅子とオーディオ機器が置かれただけの空間だった。
「まずは、五万円のシステムを聴いてみましょうか」
静乃さんはそういって、一脚の椅子をリスニングポジションにおいて、もう一脚ある椅子は、後方に置いた。
「CDPがAccupahseの最高峰だから、安いシステムには大分有利でしょうが」
と、静乃さんは言いつつ慣れた手つきで、その最高級と言うCDPを操作した。
五万円のシステムは、案外破綻なく鳴った。低域が薄いが、中高域はそれなりになり、楽器の質感は多少曖昧になったものの、意外と普通に音楽を聴くことができた。
「これは、これで良いんじゃない?」
僕は、感想を言うと静乃さんも幾らか同意してくれた。
「そうね。これだけ聴いていると、器は小さいけれど、まとまっているわね。ところで、馨さんのヘッドホンシステムと、これではどちらがいいかしら?」
「そりゃ、ヘッドホンかな?空間に音が鳴るという感覚はスピーカー独特で気持ちいいけれど、細かい音や質感はヘッドホンの方が遥かに上だね」
「ここはCDPが最高級と言う有利さがあるのですが、それでも馨さんのヘッドホンシステムには劣るのよね。お父様が聴いたのはヘッドホンの音だから、それからレベルが落ちすぎると落胆させることになるわ」
静乃さんは真剣だった。僕は、何となく気圧された。
「父に音がわかるとは思えないのだけど」
言い訳がましく僕が言うと、静乃さんはこちらを睨むように見た。
「それでも、わたくし達はわかりますわ。そこで全力を尽くさないのでは、マニアの名が廃れますし、お金を出してくれるお父様にも申し訳ないことですわ」
僕は、そうだろうかと思い返し反省した。確かに、この金は僕の金ではなく、父の出してくれる金なのだ。ならば、少しでも有効に使うのが正しいのだろう。
「それじゃ、どうすればいいかな?」
僕が途方に暮れていると、静乃さんは提案した。
「ともかく、ここの推奨システムを聴いてみましょう。高校生が買うものだからと言ってありますので、あまり無茶な価格の製品は選択していないようですわ」
と、リスニングルームを改めて見渡すと、衝立のようなスピーカーと見慣れたスピーカーが置いてあった。KEFのLS50だった。
「衝立のようなスピーカーは、Magnepan MMGね。同軸型のスピーカーは千恵さんのところで聴きましたわね。KEFのLS50ですわ」
「どちらも予算オーバーですが、ショップとしても最低限ここのあたりは譲れなかったのでしょう。アンプは、国産のプリメインが何機種か並んでいますわ。どちらから、お聴きになりたいですか?」
「LS50かな。千恵姉のところで聴きなれているから」
僕がそういうと、静乃さんは店員を呼んで、LS50に接続しなおしてもらった。
出てきた音に驚いた。全く、オーディオはこれだからわからない。一気に音楽の表現の幅が広がった。五万円のシステムで十分と思っていたのだが、これを聴いた後では、極端に言えば、音が鳴っているだけのように感じた。
「随分、違うなあ」
一言簡単に言うと、静乃さんは我が意を得たりとばかりに頷いた。
「そうでしょう。どんなところが違うと馨さんは感じましたか?」
「音楽が鳴っている、って感じになった。細かい音が出ているとか楽器の質感が良く出ているとか、そういう事ももちろんあるけれど、一番の違いは、演奏している人がいて、それを再生しているっていうのが良くわかるようになった事だね」
「馨さんは、森を見てから木を見る人なのですね。全体の特徴を掴んでから細かいところを聴いていくのですね」
静乃さんは何となく嬉しそうだった。そして、付け加えた。
「そうした聴き方をする人は、オーディオでもあまり道を間違えないものです」
僕も褒められて嬉しくなった。
「そういうものなの。静乃さんが褒めてくれるのは嬉しいなぁ。それじゃ、もう一つの衝立みたいなスピーカーを聴いてみたい」
店員にセッティングしてもらっている間も、僕と静乃さんは他愛無いおしゃべりをしていた。静乃さんによると衝立スピーカーは、セッティングに敏感なので少し時間がかかるとの事だった。それでも、十五分くらいで一応のセッティングも終わり、衝立スピーカーを鳴らし始めた。
こちらは、LS50よりも更に全体を見通す音になった。まるで、良いホールで聴いているような感じがした。細かい音はもしかしたらLS50の方が出ているかもしれないけれど、このスピーカーではオーケストラ全体が鳴っている様子がよくわかった。
「これ、楽器をやらないで、コンサートに行く人には最高なんだろうね」
僕が感想を漏らすと、静乃さんも同意した。
「ええ、わたくしもそう思いますわ。ホールが鳴っているという感じがしますものね」
その後も色々な音楽を聴いていったが、第一印象は変わらなかった。
「結局、LS50の方が馨さんの好みのようですわね」
「けど、買えないのだろう?」
「そうね。今は円安だから、ペアで十五万円ほどになるわ。値引きをしてもらっても、スピーカーだけで予算は超えてしまうわね」
静乃さんは、残念そうだった。
それから、静乃さんは店員にお礼を言って、LS50が気に入ったようですが、予算が厳しいですね、と話していた。
その時、店員はこう提案した。
「それなら、中古ではどうでしょう。今はありませんが、入ってきたらAnniversaryモデルなら、八万円くらいで出すことも可能ですよ」
静乃さんは、その提案に心揺さぶられているようだった。僕はそれではアンプは買えない、と思っていたが、中古だと安く手に入るのだな、と感じていた。
「このモデルが特殊、と言うか、円高時代に入ったから、新品価格も安かったのですよ」
と、静乃さんが後で説明してくれたのだが。
それから、しばらくして千恵姉から電話があった。
「この前のデート、静乃さんから聞いたわよ。折角二人きりで行ったのに、手も繋がなかったっていうじゃないの」
静乃さんから何を聞いているんだか。それにこの前のはデートではなかったと思う。
千恵姉にそう言ったら、即座に否定された。
「これだから、馨は奥手なのよ。そんな事だと静乃さんにも愛想つかされるわよ。女の子が二人きりで男の子と行動するのは、口実はどうであれ立派なデートなのよ。そこんところ、わかってる?」
千恵姉は、何やら張り切って言っていた。この前の、キューピットになる発言も満更でたらめではないのかもしれない。
「で、デートで何もできなかった哀れな僕をからかうために電話してきたのですか?」
僕は、少しばかりムッとなっていた。
「違うわよ。いい案、思いついたから電話したの」
と、いきなり口調が真面目になる。
「馨、この前の秋葉デートで、LS50が気に入ったそうね。それなら、X300Aって機種を調べてみて」
僕は、携帯を顎ではさみながら、目の前にあったPCで検索してみた。LS50によく似たユニットを持つスピーカーが表示された。
「これは?」
と、僕は千恵姉に聞きながらもサイトの文章を読んでいった。
「LS50と完全に同じ、かどうかはわからないけれど、同じUniQユニットを搭載したアクティブスピーカー。売価は六万円ほどよ」
「アクティブスピーカー?」
僕が聞いたら、千恵姉は電話の向こうでこけた。
「馨、色々調べたって聞いていたけれど、そんな事も知らないの?以前も説明したような気がするけれど、アクティブスピーカーは、アンプを内蔵したスピーカーの事よ。これ一台あれば、アンプは必要ないわ。と言うか、内蔵されているから、外付けアンプをわざわざ買う必要はないわ。これ、聴いてみる価値があるんじゃないかしら?」
「そうなんだ。それじゃ、アンプ代が浮くんだね」
「そうよ。それで、スピーカースタンドを買えばちょうどいいじゃない」
千恵姉の提案は一考の価値はありそうだった。
僕は、検討してみるよ。ところで、そのスピーカーはどこで聴ける、と聞いたら
「それも調べてみなさいよ。ちょっとわからないわね。」
との事だった。
それでも、道は見えてきたような気がした。
それから、二、三日して、昼休みに静乃さんがやってきた。
「馨さん、あなた、ヘッドホンアンプを自作したと言っていたわね」
周囲を気にしないで、少し勢い込んで聞いてくる静乃さんに、驚きながらも答えた。
「うん、作ったよ」
「それ、どんな感じのものだったのかしら。キット?、それとも完全自作?」
「基板一枚に説明書のPDFがついたもので、部品を一つ一つ買って、ケースを加工して、ボリュームとトランスも買って組み立てたもの」
僕は丁寧に答えた。その答えにますます静乃さんは体を乗り出してきた。今や、顔が三十センチと離れていない。いい香りがした。
「それなら、これは作れるわね」
と、スマホで示したのがアンプのキット、ただし今回は基板に部品付、だった。
「これで、九千円。ボリュームとトランス、ケースを買う必要はあるけれど、LS50でぎりぎり十万円で行けるわ」
静乃さんは、踊りださんばかりだった。
「内容は、パワーIC、LM3886を使ったものだから、モノは確かだと思いますわ。どうかしら、これ?」
普段は見ることができない静乃さんの姿に、教室に残っていた人は呆気に取られていた。僕も周りの目が気になったが、静乃さんはそんな事にはお構いなしだった。
「静乃さん、ちょっと落ち着いて。それから、LM3886ってどんなICなの?」
それで、静乃さんも周囲の注目を集めていることに気付いたようだった。少し、姿勢を正すといつもの調子に戻ろうとして、努めて平静な口調で説明を始めた。
「LM3886はこれにちょっとした抵抗とコンデンサ、それから電源を取り付ければ4Ωで60W近く取ることができるパワーICよ。とある海外ハイエンドメーカーでも採用された実績のある石なの。これなら、十分にLS50を鳴らすことができると思うわ」
それでも、静乃さんは話しているうちに頬が紅潮してきていた。
相当熱が入っているな、と僕は感じた。
「でも、千恵姉からは、KEFのX300Aっていうアクティブスピーカーを薦められているんだ。それも聴いてみたいなと、思っているんだ」
と、正直に状況を話すと、静乃さんは冷や水を浴びせられたような表情になった。
「アクティブスピーカーですか。それは、考えていませんでしたわ。確かにX300Aなら上手くいけば、良い音出そうですわね」
とは言え、諦めていなかった。
「けれど、アクティブスピーカーですと、それで終わりですわ。その後、X300Aに不満が出たときには、またアンプとスピーカーを考えなければならなくなりますわ。その点、別々に揃えれば、一つ一つ替えることもできますわ。特にLS50はどんなにアンプを良くしても不満なく鳴らせることができると思いますわ。馨さん、ここは良く考えてくださいね」
と言って、僕のクラスの教室から出ていった。
その後、普通の人からは意味不明な今の会話の説明を皆から求められて大変だった。
放課後には、キットのサイトのURLはここ、とLimeに静乃さんからメッセージが来ていた。僕は、検討してみます、とだけ返した。実際、急な展開で落ち着いて考えていられなかったのだ。
帰宅してから、静乃さんに教えてもらったサイトを見ながら、色々考えてた。
考えはしたが、結局聴かないことにはわからない、と言うわけで、X300Aを聴くことができるところを探した。
オーディオショップでは扱っているところも中々見つからなかった。ところがあるところにはある。発見したのは、楽器店のDTMコーナーだった。
いくつものアクティブスピーカーを扱っているようだった。それに、試聴もできるようだ。ただ、X300Aはなかった。
今日のところは、これで疲れてしまった。宿題も風呂もまだだったのを思い出して、ちょっと千恵姉のところに今までの経過を、自分の中で整理する意味も込めて、メールで送ってみた。
次の日、メールの返答が来ていた。千恵姉の方でも探してみるとのことだった。それから、静乃さんの提案も検討するに値する、とあった。結局、両方向から考えてみるしかないようだった。
その翌日は土曜日だった。部活の帰り道で校門の辺りで静乃さんと出くわした。静乃さんは友人と喋りながら歩いていたが、こちらを見つけると、声をかけてきた。僕も部活の友人といたが、そちらに挨拶をして別れて、静乃さんの許に行った。
「結局、どうしているのかしら?」
静乃さんは単刀直入に聞いてきた。
「X300Aを聴けるところを探しているのだけど、中々見つからない」
僕は、困っていることを訴えた。静乃さんもそれに同意した。
「DTMでもないアクティブスピーカーだと、オーディオ店でも扱いづらいのでしょうね。楽器店では、扱いが元からないから入ってこないでしょうし」
「多分そういう事なんだろうと思う。こうなったら、誰か持っている人を探してみるのが早いかもしれないと思っていたところ」
「そうね。わたくしも探してみますわ」
「お願いできるなら、頼む」
「そんな堅苦しいこと言わなくても、探して差し上げますわ」
いつもの調子で静乃さんは胸を張っていった。
その日の夜に、静乃さんから電話があった。Limeで今時間があるか、問い合わせてからの電話だった。なんとも静乃さんらしい、と僕は微笑んだ。
「あれから考えてみたのですが、逆転の発想はどうかしら、と思ったのでお電話差し上げました」
電話となると、静乃さんはいつも以上に言葉遣いが丁寧になるのを初めて知った。
「と言うと?」
「X300Aを聴けるところを探すのではなく、まずはアンプを作ってはどうかしら、と思ったのです。馨さんに紹介したキットならば、合計で二万円程度で組めるでしょうから、それを組んでみてから、千恵さんのところのLS50に繋いで鳴らしてみるのです」
「それで結果が良かったら、そのままヤマワキ電気さんのところで中古が出るのを待つ、という事でどうでしょう、と思ったのです。如何かしら?」
僕はその提案をしばらく考えてみた。
「このまま、当てもなく探し続けるよりもそれも良いかもしれない。ただ、トランスって結構高いから、どのくらいのが必要になりそうか、聞いてみるよ」
静乃さんのほっとした様子が電話口から伝わってきた。どうやら、かなり緊張していたようだ。
「でしたら、キットの販売元に問い合わせてありますわ。RFコンポーネンツのトロイダルトランスがお勧めのようです。わたくしには、トランスの見方はわかりませんから、馨さんがどれがいいか調べて頂けないでしょうか」
「そこまで、調べてくれているのなら、あとは自分で調べてみるよ。今日はどうもありがとう」
と、電話中なのに頭を下げた。
「いえ、馨さんのお役に立てたなら幸いです。今日は夜分に失礼しました」
「いや、こちらこそ本当にありがとう。アンプができたら、また一緒に千恵姉のところに行こう」
静乃さんが電話の向こうで息を呑んだのがわかった。
「馨さんさえよろしければ、是非。それでは、おやすみなさい」
と言って、静乃さんは電話を切った。
RFコンポーネンツのサイトを開いて、トロイダルトランスを探してみた。整流後に±30V程の電圧が出ていれば良いだろうから、25V二系統の出力があるトランスで良いのだろう、と思って探しはじめた。容量は150VAもあれば十分か。と当たりをつけたのは、大体四千円ほどだった。ただ、ここはクレジットカード払いしか受け付けてくれていない。仕方がないので、父に頼みに行った。
父に説明しようとしたら、父のアカウントが既にRFコンポーネンツに作られていた。それで、僕はトランスを注文するように父に頼んだ。
父は、スピーカーを鳴らすために必要なものだという事で快諾した。もっとも、お前にアンプが作れるのか、とは聞かれたが。
その週末に、ボリュームなどの小物を買いに秋葉原に出かけた。静乃さんも誘ったが、その日はどうしても抜けられない用事があるのでごめんなさい、との事だった。
ヘッドホンアンプの時に千恵姉に連れられたので、パーツ屋の位置は大体覚えていた。
僕は、ボリュームや端子、ケースなどを買った。
その次の週には、アンプキットやトランスも到着した。
更に翌週にはアンプは組み終わっていた。やっぱり板金加工が一番苦労した。
組みあがった翌日の昼休み、僕は静乃さんの教室に行った。静乃さんは一人で読書をしていたが、僕の顔を見て笑顔になった。
「アンプ組みあがったから、千恵姉のところに行くのに都合のいい日はいつかな、と思って」
「あら、千恵さんの予定はまだ聞いていらっしゃらないのかしら?」
「千恵姉よりも、静乃さんの方が忙しそうだから、先に決めておきたいと思って」
静乃さんは、微笑みながらスマホで予定を確認した。
「そうですね。確かに最近は予定が詰まっていますわ。再来週の日曜日はどうかしら。この日ならば、午後から空いているから、この前みたいに慌ただしくならずにゆっくりできると思います」
「再来週の日曜日の午後ね。千恵姉に聞いてみる」
「ところで、組みあがったと言っていましたが、鳴らしてみましたでしょうか」
と、静乃さんがアンプについて質問してきた。
「まだだけど、スピーカーはうちにはないから」
それを聞いて、静乃さんは眉を曇らせた。
「それはいけません。いきなり自作アンプをスピーカーに繋げるのは、自殺行為ですわ。明日にでも、うちから捨ててもいいスピーカーを持ってきますので、それできちんと鳴るか確かめてください。短絡でもして、千恵さんの大事なスピーカーを壊すわけにはいきませんわ」
僕は、それを聞いて、ちょっとアンプ作りを甘く見ていたかな、と反省した。確かに、ヘッドホンアンプの時は、説明書にしつこいくらいに回路のチェックの仕方が書いてあって、それをよく知らないままにやっていた事を思い出した。それに比べたら、今回のアンプは、組み上げたきり半固定抵抗を説明書のまま調整しただけで、何もしていない。
その夜、千恵姉に予定を聞くため、電話を掛けた。
千恵姉の提案したアクティブスピーカーX300Aではなく、静乃さんの提案したLS50の中古と自作アンプにしたことについて、少しばかり言われた。
「どらちでも、馨の好きな方にすればよいけれど、せめてアンプを作る前に相談くらいしてもいいんじゃないの。LM3886は定評ある石だから特に反対はしないけれどさ」」
ここまではいいが、千恵姉はいつも余分な一言を付け加える。
「それとも、そんなに静乃ちゃんのがよかったの」
僕は、言い訳しようかどうかと迷ったが、いっそ開き直ってみた。
「そうだよ。静乃さんの方がずっと良かった」
「おぉ、言うようになったわね青少年。オバサンは当てられてしまいますわ」
と、冗談で自分を卑下したが、千恵姉がオバサンと言ったのは初めて聞いた。
それでも、まじめな口調に戻って、
「自作アンプは、怖いからね。きちんとスピーカーを壊さずに鳴らせるか確かめてから持ってきてね」
静乃さんと同じことを言ってきた。
「大丈夫。静乃さんが壊れてもいいスピーカーを明日持ってきてくれるから、それを繋げておかしいところがないか、チェックしてみる」
「最近は静乃さんとつるんでいるわね。お姉さんは悲しいわ。けれど、LS50の中古と自作アンプは悪い組み合わせではないわ。LS50ならば、アンプを良いものに替えてもきちんと応えてくれる発展性があるしね。それじゃ予定は空けとくから、再来週までにアンプをきちんとしておいてね」
最後にそう言って千恵姉は電話を切った。
翌日、静乃さんが持ってきてくれたスピーカーは8センチフルレンジユニットを高さ二十センチくらいの箱に収めた小さなスピーカーだった。
「Audaxのフルレンジユニットでボーカルに関しては、中々良い音がいたしますわ。馨さんの父君が中島みゆきを聴く分にはもしかしたら、これで十分と言うかもしれません」
と、静乃さんは冗談めかして言っていたが、目は笑っていなかった。
僕はお礼を言って受け取ったが、本当に壊していいものだろうかと疑問に思った。
帰宅してから、早速アンプにつなげてみた。
スイッチを入れると同時にスピーカーから異音が発せられてそれきり沈黙した、とは流石にならなかったが、スイッチを入れてもなにも音が出なかった。
接続を確認して、スイッチを入れ直す。やはり音は出なかった。
急いでスイッチを切って、天板を開ける。音が出ないと言うことはどこか半田がきちんとついていないか、どこかの部品の取つけ忘れだろう、と見当をつけてチェックしたが、半田は見る限り大丈夫で部品のつけ忘れもなかった。大丈夫なはず、と思ってもう一度スピーカーをつなげてみたが、やっぱり音が出ない。何がおかしいのだろうと、不思議に思って基板を見ているだけで時間が過ぎていった。さすがに、明日の支度をしないとならない、と思ったところで発見した。
前段のオペアンプが前後逆向きになって、ソケットに刺さっていた。
確かにこれでは音は出ない。と言うか、電源電圧で壊れたりしないか?と疑問に思ったが、取り敢えずは前後の向きを正しい方向にして、スイッチを入れてみた。
スピーカーが鳴りだした。ボリュームを最大にして耳を近づけても、サーと言うノイズは少し感じられたが、異音は発していない。オペアンプも無事だったようだ。どうやらアンプは上手く動作してくれているようだ。
しばらく様子を見て無事なようだと思えてから天板を閉じ、本腰を入れて音楽を鳴らしてみた。ただし、ボリュームは小さめだ。
フルレンジらしい中域の充実した音で音楽が鳴り始めた。ちょっとオーケストラなどには高域も低域も足りないので、昼間の静乃さんの言葉を思い出して、ボーカルを鳴らしてみることにした。曲は、父のNAS領域にある中島みゆきにした。
中島みゆきが歌いだした途端、静乃さんの言ったことがわかった。確かに声の伸びがいい。なにより生気がある。ヘッドホンの整った音よりも魅力的だった。確かにこれは、ボーカルしか聴かないのなら十分な音の世界を作り出していた。
これは父には聴かせない方がいいかな、と思いながらもしばらく聴き惚れていた。我に返ったのは、こんな時間に音を出すと近所迷惑になる、と言う母が扉をノックした時だった。
こうして無事にアンプのチェックを終えたのはいいのだが、翌日の予習をそれから始めたので、床に就いたのは午前になってかなり経ってからの事だった。
翌日、静乃さんにスピーカーを返そうとしたら、しばらく使わないからそのまま貸してあげるわ、と言われた。そして、アンプが無事完成したのかとスピーカーの感想を聞かれた。僕は、オペアンプの向きが逆だったことと、スピーカーはボーカルがとても良かったと感想を言った。
すると、静乃さんはにんまりと猫のように笑いながら言った。
「やっぱり、お父さまには聴かせなかったでしょう?」
僕は、その通りだ、と答えるしかなかった。
それから、しばらくはスピーカーを鳴らしながら、アンプのチェックを行った。幸い父は平日は帰りが遅いので、夜の早い時間帯は安心して鳴らすことができた。母もその時間帯なら特に何も言わなかった。
このようにして、千恵姉の家に行く日となった。
当日は、最初に静乃さんと行った時のように最寄り駅で待ち合わせて、バスで行くことになっていた。約束の時間には、静乃さんはもう来ていた。今日は淡いモスグリーンのミニのワンピースと、白いニーソックスだった。
先日は静乃さんが大きなバッグを持っていたが、今日はハンドバック一つとお土産らしい箱を持っているだけだった。逆に僕は、アンプを担いできているので、大きなバッグになっていた。
バスに乗って、二人でお喋りしていると、すぐにバスは目的の停留所に到着した。時間が短く感じられた。
千恵姉の家の呼び鈴を鳴らすと、すぐにドアが開かれた。いらっしゃいと言う千恵姉に、静乃さんは丁寧に挨拶してお土産を渡し、僕は挨拶しながらアンプを渡した。
リビングに通されて、お茶と静乃さんのお土産、今日は和菓子だった、を堪能すると、千恵姉によるアンプの検分が始まった。
千恵姉は、ドライバーを持ってきてアンプを開けると、基板を取り外し、裏側を厳しくチェックし始めた。
「馨の半田付けはまだまだね。一応、イモ半田にはなっていないようだけど、それが精一杯ね。こての当て方も半田の量もバラバラね。自作はじめたばかりだから仕方ないだろうけれど。それに、配線処理も問題ね。ほら、ここなんか長すぎるからショートしかけている。これは危ないわよ」
そう言いながら、ニッパーをどこからか取り出し、問題のある配線を短く刈っていった。
しばらくして、これで良いでしょう、と言いながらアンプを元に戻した。その間、僕らは感心して見守るしかなかった。
「それじゃ、まずフルレンジで鳴らしてみましょうか」
と、言いながら、奥の部屋から奇妙な形のスピーカーを持ってきた。それは、普通のスピーカーくらいの箱の上に、長い管をつけて小さなスピーカーが載っていた。
「あら、スワンなのですか」
静乃さんはその形のスピーカーに見覚えがあるらしい。千恵姉は苦笑しながら、
「残念、スーパーフラミンゴよ。スピーカーユニットは8センチね。それにしても、静乃さんは良く知っていたわねぇ」
「父の持っている雑誌のバックナンバーで見たことがあるので。実物を見るのは初めてですわ」
静乃さんがそう答えると、千恵姉は僕に向かって説明した。
「これはね、長岡鉄男と言う評論家が設計したスピーカーなの。1990年代の自作界を席巻したスピーカーの一族ね。オリジナルは10センチユニットを使ったスワンで、ユニットの大きさによって幾つもバリエーションがあるのよ。そして、これは8センチユニットを使った眷属のスーパーフラミンゴ、って機種ね」
そう言われて漸く素性がわかったが、形は納得いかなかった。
「けれど、なんでそんな形なの?」
「これは、バックロードホーンと言う形式で、低域を増強するためにユニットの後ろがホーンになっているのよ。大きな箱の部分は折りたたまれたホーンね。そして、音場感を出すためにユニットがこんな先についているの」
「けれど、やっぱり8センチね。低音感はあっても、低音はスッパリないわ。そこは仕方ないわね」
千恵姉の説明に、僕は漸く納得した。
説明しながら、千恵姉はそのスピーカーをセットして、僕のアンプに接続した。
「さて、馨のアンプの初お目見えだから、最初に鳴らす曲は馨に選ばせてあげる。何を最初に鳴らしたい?」
そう聞かれて、僕はしばらく考えたのち、リー・モーガンのサイドワインダーをリクエストした。
「あら、珍しいわね。馨がジャズ?」
「部活で先輩が良いって言っていたから」
千恵姉はからかい気味にそう言い、僕は一応真面目に答えていると、ウチではアナログ盤しかないのよねぇ、と千恵姉は呟いた。呟きながらも、アナログプレイヤーとイコライザーアンプを僕のアンプに素早く接続していた。
「それじゃ、鳴らすわよ。オリジナル盤なんかではない、最近のプレスのだけれどね」
ベースとドラムのイントロのあとに、モーガンのトランペットが鳴りだした。ピンポンステレオではあるが、音に生きの良さがあった。一曲終わって、千恵姉が評価をした。
「久しぶりにこのスピーカーを鳴らすのだけれど、やっぱり独特の良さがあるわね。鳴りっぷりが良いというか、音が抑圧されていないのよね。アンプについては、そんなに悪くない感じだったわ。どう馨、感想は?」
「音に生きの良さがあったと思う。プレイヤーの息遣いが聴こえてきそうな曲だった。ベースの伸びが足りなかったけれど、それでもやりたい事は十分に伝わってきた」
僕の感想に、千恵姉は頷いて同意した。僕はちょっと嬉しかった。
「次は私の選曲で。ブラームスのクラリネットソナタの2番を鳴らしてみます」
千恵姉はそう言って、ソースをCDに切り替えた。
穏やかで物憂げな旋律が美しいブラームスらしい曲だった。一楽章を聴いてから千恵姉は、
「フルレンジでは異常はなさそうね。では次はLS50に接続します。きちんと音が出れば良いけれど、ね。馨」
「そうだね。けれど、なんでまずフルレンジで鳴らすの?」
僕は、静乃さんにスピーカーを借りてから抱いていた疑問を口にした。
「「それは」」
と、静乃さんと千恵姉がそろえて、説明を始めようとした。そこで千恵姉は、静乃さんに若いかけて説明を譲った。
「フルレンジが一番スピーカーの電気回路として単純だからです。普通の2ウェイなどのマルチウェイユニットは、クロスオーバー・ネットワークが入っていて電気的に思わぬトラブルを起こすことがあるからです。特に自作アンプの場合は、それが起こりやすいのです」
静乃さんは、少し固くなって説明した。千恵姉を意識していたようだ。その千恵姉は静乃さんの回答に微笑んでこたえた。
「静乃さんの言うとおりね。だから、自作アンプを作ったらまずフルレンジで鳴らしてみてチェック。それから、マルチウェイスピーカーで鳴らして試験するのが鉄則よ。それでも、トラブルは出るときには出るんだけどね」
と、肩をすくめながら言った。何やら身に覚えがあるような感じだった。
そうして説明している間も、千恵姉は僕の自作アンプとLS50を接続していた。
「これ、キットなのよねぇ、馨?」
と、千恵姉が聞いてきた。そうだと答えると、千恵姉は呟くように言った。
「なら、設計はまず確かだと思うけれど、あとは、馨が組み立てを間違っていなければ、いいのだけど」
と、言ってスイッチを入れた。
「取り敢えずは、異常発振はしていないようね。では、次に音楽を鳴らしてみます。まずは、先ほどと同じブラームスのクラリネットソナタの2番から」
一瞬緊張した空気が流れたが、無事音楽が流れ始めた。一聴して先ほどよりもレンジが広いのがわかる。特に高域の質の向上と低音の伸びが顕著だった。
「こうして聴くと、スーパーフラミンゴは古いことがわかるわね」
と、千恵姉は呟いたが、僕も同感だった。静乃さんもかすかに頷いていた。
無事曲が終わると、ほっとした空気が流れた。
「一応、LS50を鳴らせるようね」
「千恵姉のアンプほどではないけれど」
「わたしのと比べてはいけないわ。コストが違いすぎるもの」
と、千恵姉と言っている間静乃さんは黙っていたので、静乃さんにも話しかけた。
「静乃さん、どう思った?」
「LM3886一発のアンプのシンプルな良さは出ているように思いましたわ。室内楽では十分なパワーでしたけれど、オーケストラではどうなるのでしょうか、興味があります」
との、静乃さんの意見で次はオーケストラを鳴らすことにした。
静乃さんのリクエストで、ロトのストラヴィンスキーとなった。
「あら、評判のやつね。春の祭典で良いかしら?」
千恵姉がそう言って、ラックからCDを取り出し、冒頭から鳴らし始めた。
奇妙なファゴットの響きから始まるこの曲はオーディオ名曲として名高いもので、過去にも様々な録音がリファレンス扱いされた。と、これは千恵姉の受け売りだが、確かに音響効果が高いもので、オーディオ試聴用に良く鳴らされるとの事だった。
しばらくして、曲は最初のクライマックスを迎えた。
初演当時の楽器構成で演奏したと評判のこの演奏でも、やはり大編成は辛かった。歪む事こそなかったが、音が飽和してしまった。
千恵姉は、まあ仕方ないわね、と言いたげな顔をしながら評した。
「やっぱり、大編成は難しいわね。けど、良く鳴っていると思うわ、LM3886一発で馨が作った割には」
「僕が作った割には、ってどういう意味?」
僕はちょっとムッとして尋ねた。
「言った通りの意味よ。壊れずに動作するものをキットとはいえ、初心者がきちんと作ったわ。これは褒めているのよ」
そう言われたら、返す言葉はない。僕はそのまま黙り込んだ。横を見ると、静乃さんがクスクス笑っていた。
「笑うことないだろう」
と、僕も笑いながらこちらにも文句を言った。静乃さんの笑いはますます止まらなくなった。
「ごめんなさい。あんまり仲が良いものだから、思わず笑みが出てしまいました」
静乃さんはようやく笑いを収めながら言った。
それを見ていた千恵姉は、本当の姉のような微笑みを浮かべていた。
「それじゃ、馨のアンプで色々聴いてみようか。しばらく使っても大丈夫なようだったら、発熱対策もできているってことになるわ」
それから、夕方まで色々な音楽を聴いていった。クラシック、ジャズ、ロック、ボカロにアニソン、なんでもありだった。勿論、千恵姉がすべて持っていたわけではなく、僕と静乃さんが持ってきたものもあった。僕はCDばかりだったけれど、静乃さんはUSBメモリ一つ持ってきただけだった。それに聴きたい音楽を片っ端から詰め込んだらしい。それを千恵姉のラズベリー・パイ2で鳴らしていた。因みに、静乃さんの音楽の趣味はクラシック、特にヴァイオリン曲、と古いジャズとロックに偏っていた。これはどうやら父君の趣味も影響しているらしい。
こうして鳴らしていて気がついたのだけど、音が最初より良くなっているようだった。
僕が尋ねてみると、千恵姉も頷いた。
「そうね。アンプに限らずオーディオ機器は最初のバーンイン、慣らし運転のようなものね、が必要なの。特にアンプは、最初はケミコンの癖がでるのかしらね」
「そうですね。抵抗などではあまり感じないのですが、ケミコンは交換してしばらく鳴らしていると音がこなれてくるのはわたしも感じたことがあります」
静乃さんも、千恵姉に同意した。
「というわけで、このアンプはもう少し鳴らしていれば音が良く鳴る可能性大ということよ。良かったわね、馨」
千恵姉のこの一言で、今日はお開きとなった。
帰りのバスには、人がほとんど乗っていなかった。僕と静乃さんは二人掛けの席に並んで座って話をしたのだけれど、体が当たる度に体が緊張してしまって何を話したのかまるで覚えていなかった。静乃さんの顔もわずかに赤くなっていたのに気がついたのはバスを降りてからだった。
アンプは合格点をもらえた僕はLS50の中古を探し始めた。静乃さんとLS50を聴きに行ったショップにも、中古が出たら知らせてくれるようお願いはしてあったが、それだけではいつになるかわからない。そこで、ネット上に展開しているショップにあるか探し始めた。
そうして数日経った頃だった。母から呼び出しがかかった。
リビングに行くと、父も一緒だった。母は少しばかり怒っているようだったが、父は一緒にやった悪戯がばれたような顔つきをして、僕に一瞥をくれた。
そうした二人の雰囲気を読んで、母は呆れたようだった。取り敢えず椅子に座るように言ってから、しばらく黙っていた。
「今、毅さんから聞きました。なにやら二人で悪だくみしているようなのね」
「悪だくみって、恵美さん。そんな言い方はないだろう」
と、父が抗弁すると母はキッとなって父を睨んだ。なんだかんだ言って、父は母に弱い。
「悪だくみって、二人でオーディオを揃えようとしているだけだよ」
僕がそう言うと、母はわざとらしくため息をついた。
「父と息子が一緒に何かしようというのを、ただ単に邪魔しようとするほど、母は分からず屋ではありません。問題はですね、馨、毅さんはいくらあなたに預けたのですか?」
そういう事か、と悟ったが、正直に言うべきか迷った。しかし、父の様子を見るに既にばれてしまっていると思った方が良さそうだった。
「ええと、十万円です」
僕は正直に答えた。すると母は柳眉を逆立て、声だけは冷静になった。怖いときの母だった。
「それは、高校生が一度に趣味のために使うには、過ぎた額だとは思いませんか、馨?」
「馨が、もしそれだけの金額を貯めようとしたら、バイトでどの位働く必要があるかしら?」
母は静かにそう問い詰める。それに対して、何とも返答ができなかった。
ここで、反論したのは意外なことに父だった。
「しかしね、恵美さん。俺だって馨に全権委任して、好きに使えと渡したわけではないのだよ。俺は、中島みゆきを良い音で楽しみたいから、良いオーディオを揃えろ、と馨に預けただけなんだ」
それを聞いて、母は何やら悲しげにも見える薄い笑いを浮かべた。
「まったくあなたは、そうやって趣味にばかりお小遣いを使ってしまって。少しは他の事にも気が回らないのかしら?」
父は何を言われたかわからないようだったが、僕は何となくわかった。これは、父が破滅的なことを言う前に、何とかしないとならない。
「恵美さん、何を…」
と、言いかけた父を止めて、まだ話は終わっていません、と言う母も無視して、父を連れて廊下に出て、扉を閉めた。
「馨、話の途中で逃げると、恵美さんはますます収まらないぞ」
「それよりも、父さん。効きたいことがあるんだけど、母さんにプレゼントをあげたのって最後はいつ?」
父は面食らった顔になった。それから、徐々に納得したような不思議な思いを抱いたような表情になった。
「なるほど。馨が生まれてからそれらしいものはあげてないな。しかし、それで怒るか?」
僕はこの時ほど、父に呆れたことはなかったと思う。
「ああ、それは十分怒りの理由になる。だって、十数年間、自分の趣味にばかり小遣いを使っていて、その上、今回は息子に、でしょ。自分は一体なんなのよ、って気分にもなるよ」
父は、ようやく会心したようだが、それでも困惑していた。
「恵美さんは自分のものは自分で家計をやりくりして買っているから、それで十分なんじゃないか?」
父と母が結婚できたことが、なんだか不思議に思えてきた。
「それだけじゃ、駄目。たまには、父さんが自分の懐からなにかおごってあげないと。デートにでも誘って、服でも買ってあげたら。その時には、今回の額以上のものをね」
「なんだ。それじゃ、ブランド物のコートでも買えっていうのか」
父は呆れたように言った。そこ、呆れるところじゃないんだけどなぁ。
「そんなところで、いいんじゃないの。ともかく、父さんにとって母さんが一番なんだと、納得させる行動が必要なんだ」
「俺は、恵美さんが今でも一番だぞ」
父はぬけぬけと言った。
「ならば、それを行動で示してあげて。そうすれば、母さんも納得するよ」
こうして、父を説得してリビングに戻った。母は、出ていくとき以上に機嫌が悪そうだった。
「それで、二人の悪だくみの相談は終わったの?」
「悪だくみではないけれど、相談は終わったよ」
と、僕はなるべく何気ない感じで答えた。あとは、父が頼りだけど、さて、どうなることやら。
「それで、結論は?」
「恵美さんが父と息子の共通の趣味を奪うことは許せない、との事で意見の一致をみた。というわけで、徹底抗戦することにした」
父は、なぜか力強く宣言した。そこ、なるべく下手に出るところでしょう、と突っ込みを入れたくなったが、父の考えていることがわかるまで黙っていることにした。
母は、鼠を目の前にした猫のような表情になって、目を細めた。怖い。
「ほう、どう徹底抗戦しようってわけ?」
それに対して、父は胸を張って言った。
「それはもちろん、懐柔策だ」
母は、すこしずっこけた。隙ができたところで、父は続けた。
「恵美さん、この週末にデートしよう。いや、してください。映画でも見てショッピングして。恵美さん、ここ何年か冬のコートを変えていないだろう。だから、ここは贅沢な冬のコートを買うんだ。もちろん、金は俺が出す。どうだ」
父はまっすぐ母の目を見て、このセリフを言った。ド直球じゃないか。しかし、母の顔をみると、先ほどまでの怖いまでの表情とはうって変わって柔らかくなっていた。しかも、頬を少し赤くしている。
「まあ、珍しいわね。毅さんから誘ってくれるなんて、何年振りかしらね。それにしても、コートの事は良く見ていたわね」
「俺は恵美さんが一番だから、いつだって見ているさ」
なるほど。母はこうしたド直球に弱いタイプだったのか。父は天然なところがあるから、こうした直球を婚約時にも幾つも投げたのだろう。その証拠に、母は更に頬を赤くしていた。
「そういう事なら、懐柔されてやらなくもないわ。コートも欲しかったところなのは確かですし。その代り、馨が無駄遣いしないように、毅さんがしっかり見張ってくださいね」
その後は、平和裏に話が進んだ。多少揉めたのは、設置場所だった。母は、父が資金を出すのだから、リビングに設置するべきだと要求した。
「家族のものなんだから、リビングに設置して誰でも聴けるようにするべきよ。わたしだって、好きな音楽は聴きたいし」
そう言って譲らなかったので、設置場所は妥協することにした。それにリビングの方が広いから、多少はセッティングの余裕も出るだろうとの心づもりもあった。
こうして、母からの干渉はなくなったが、相変わらずLS50の中古は見つからなかった。ヤマワキ電気に電話しても色好い返事は返ってこなかった。
そうして探しているうちに二週間が過ぎた。
父はともかく、母は楽しみになってきたらしく、早く決めろと催促する。まったく、一旦態度を変えたら勝手なものであるが、少なくとも反対はしなくなったので生返事をしてやり過ごした。
そうしていたある日、静乃さんが昼休みに教室にやってきた。にこやかにしているが、どことなく陰がある。
「昨日、ヤマワキ電気から父に電話があったそうよ。なんでも、LS50のデッドストックが見つかったのですって」
僕は、その知らせに腰を浮かせかけた。
「デッドストックってことは、新品?」
静乃さんは、微笑みを浮かべた。
「もちろん、そうですわ。ただ一つ問題があるのよ。価格ね。ヤマワキ電気では九万五千円を提示してきたわ。これが精一杯ですって。馨さんの予算はオーバーしてしまうけれど、どうします?」
表情に陰があった原因は価格にあったのか。確かに十万円でアンプとスピーカーを揃えようとしていて、既にアンプに二万五千円ほど使っているから、二万円の予算オーバーになる。
「どうにかできるか、父と相談してみるよ。どうにもならなかったら、貯金を取り崩せるか考えてみる。静乃さんの見るところでは、それは買いなんでしょう?」
「そうですね。新品がこの価格で手に入るなら、多少予算オーバーしていても、買う価値はあると思います。あんまり待てないそうですから、二、三日中にお返事いただけると助かりますわ」
要件が終わった後で、ちょっと無駄話になった。この前の父と母の喧嘩の一件を話したら、静乃さんはしんみりとした風情になった。
「馨さんの家族は良いですわね。わたしの家では早くに母が亡くなったものですから、そうした喧嘩も見たことがありませんわ」
そう言う静乃さんは、普段と違ってどこか儚げだった。
その日の夜、父の帰りを待つ間に千恵姉に電話してみた。もちろん、LS50のデッドストック品の事でだ。家の電話にかけたら出ないので、携帯に電話してみた。携帯にはすぐに出た。どうやら音楽を聴いていたらしく、奥で小さく音楽が鳴っていた。
「どうしたの、馨?」
と、ちょっと不機嫌そうに受けたのは、音楽を聴いていて興に乗っていたからだろう。
「LS50の事で相談があって」
と、言うと少し機嫌が良くなったようだった。
「まだ、中古買っていなかったの?」
「中々、ネット上のショップでは良いものが見つからなくて」
僕がそう言い訳すると、千恵姉は少し笑った。
「探し方が悪いわね、馨。ネットオークションも探してみたかしら」
「まだだけど。大体、ID持っていないし」
「そこならば、馨の予算内で買えるものが時々出てくるわ。コンディションは色々だから、入札する前にわたしか静乃ちゃんに相談した方がいいけれど」
千恵姉は電話の向こうでない胸張っていばっているんだろうな、と容易に想像できた。
「うん、そうかもしれないけれど、今日、静乃さんがデッドストックが見つかったって教えてくれたんだ。価格は九万五千円で予算をオーバーするけれど、どうかなって」
僕がこういうと、千恵姉は、途端に真剣になった。
「デッドストックで九万五千円かぁ。今ならいい買い物かな。それで新品が手に入るなら、いいと思うわ。ちなみに、わたしは出た当時のをペア八万五千円で買ったのだけど、今は円安だからねぇ。そのくらいなら、いいんじゃない」
千恵姉は、そう言って賛成してくれた。僕は、お礼を言って電話を切った。
さて、こうなると父との交渉となるのだけれど、父はその日は遅くに帰宅したので、相談できなかった。相談事があると伝えるだけで精一杯だった。
翌日の夜、父は普段帰宅する時間に帰ってきたので、僕は父のマシンルームに相談に行った。
「なに、追加予算が欲しいって?」
と、父は僕の話を聞いて厳しい口調でそう言った。
「はい、そうなんです。お願いします」
僕は頭を下げたが、父の表情は硬いままだった。
「俺の言った十万円は、スピーカーとアンプを揃えるには中途半端だとは、千恵から聞いている」
「しかし、そこを何とかするのがお前の知恵だろう。スピーカーのレベルを下げるとかできないのか」
父は、手を組んで難しい顔で言った。
「知恵は出したのだけど、ここまでなんだ。スピーカーはこの価格にしてはコスパが高いものだから、別のものにするならば数ランク落ちてしまうんだけど」
僕は、必死になって懇願した。しかし、父の態度は頑なだった。
「駄目だな。これ以上は出せない。恵美さんに知られたらまた怒られるぞ」
と、父は宣言した後、ちょっと表情を緩めた。
「実は、俺も今月は出費がかさんでな。恵美さんにもコートを買ってやらないといけないからな」
「どうしてもそのスピーカーを欲しいと言うのならば、差額はお前がバイト貯金を取り崩せ。それに、お前がテスト用とか言って借りてきたスピーカーで夜な夜な音楽を聴いていることを、恵美さんから聞いているぞ。結構いい音だと言っていたから俺はそれでもいいんだぞ」
言外に、あまり贅沢を言うとスピーカー代はなくなるぞ、との脅しを含ませて、父の話は終わった。話が終わると、父は再びPCの画面に向かい、何やらコードを書くことを再開した。
自分の部屋に戻ってきて、しばらく頭を冷やしてから考えてみた。
父の主張ももっともだった。僕は父から資金を出してもらえることに有頂天になって、もう少しなら出してもらえるだろうと甘く考えていたのだった。しかし、それはやはり甘い考えだった。自分の欲しいものは、自分で手に入れるのが原則。という事で、家では成績が維持できていればバイトも良いだろう、との許しを得ているのだった。
そんな事を考えていたら、スマホに電話があった。静乃さんからだった。
「夜分すみません。麻田くんのお電話でしょうか」
と、静乃さんは声を抑え気味にして尋ねた。
僕がはいそうです、と言うと、静乃さんは声を弾ませた。
「馨さんですか。夜分電話してすみません。今、ご迷惑ではありませんか」
普段の丁寧さが電話だと更に増すみたいだな、と思いながら僕は受け答えをした。
しばらくお喋りをしたあと、本題に入った。
「それで、馨さんはLS50はどうなさるおつもりですか?そろそろ、ショップの方にお返事しないといけませんので」
静乃さんは、心配そうに尋ねてきた。
「うん、買うことにするよ。父が追加で出してくれなかったから、僕のバイトの貯金を取り崩すことになるけれど」
僕がそう応じたら、電話の向こうからほっとしたようなため息が聞こえてきた。
「ええ、それでしたら、購入の意思をショップの方に伝えますわ。馨さんのお父さまにもあまり甘えてはいけませんから、馨さんの決定は正しいと思いますわ。ただ、気になることが一つあるのですが」
と、静乃さんは言葉を濁した。僕は何?、と聞いた。
「スピーカースタンドの事ですわ。馨さん、貯金を取り崩してしまって、スピーカースタンドを購入する余裕は残っていますか?」
僕は不意を突かれた思いがした。そうだ、LS50のような小型スピーカーにはスピーカースタンドが必須だった。
「すっかり忘れていたよ。静乃さん、大体どれくらいするものなの」
「そうですね。安いもので三万円ほど、高いものですと十万円を超えるものもありますわ」
安くても三万円か。LS50の追加分と合わせて五万円。出せない金額ではないけれど、高校生の懐には、かなりきついものと感じられた。
「安いスタンドなら出せない額ではないけれど、きついなぁ。少し考えてみるよ」
そう告げると、静乃さんは電話の向こうで申し訳なさそうになった。
「ごめんなさい。わたしが早くに気付くべきだったのだけど、すっかり失念していたわ。家に余ったスタンドがあれば良いのだけれど、今ないから、お貸しすることもできないわ」
静乃さんはそう言ったきり、黙ってしまった。その沈黙になんだか悪いことをしているような気がしてきた。
「大丈夫だよ。何とかするから、静乃さんも元気出して」
僕がやや虚勢気味ながら力強く言うと、静乃さんも少し安心したようだった。
とはいえ、更に貯金を切り崩すくらいしか思いつく手はなかった。ネットで調べてみても、確かに静乃さんのいうように価格範囲は広いもので、何を判断基準にしたら良いのかよくわからない。
買うならば、少しでも安くて良いものを買いたいと思うので、やはりここは、千恵姉に相談するのがいいかな、との結論になった。
とは、夜遅くになったので、メールに要件を書いて送った。千恵姉はあれで、早くに寝てしまうタイプなのだ。その分会社には早くに行って早くに帰ってくるという働き方をしている。一時は、朝六時に出社して定時に帰る生活をしていたらしい。これも、夜遅くまでは音楽を聴き辛いから、ということのようだ。働き者なのか、趣味第一なのか、この辺は僕にも判断できない。
千恵姉からは翌日の午後、返信が来た。夜に電話するとのことだった。
「それで、馨はどうしたいの?」
千恵姉は、電話で単刀直入に聞いてきた。
「うん、それで迷っているんだ。メールにも書いたように、買うにしてもどれが良いんだかわからないから千恵姉に選んでもらえたら、と思っているのだけど」
僕は、千恵姉にお願いしてみた。千恵姉はしばらく考えていた。
「まあ、新しいのも買うのもありかもしれないけれど、古いのでよければ家に余っているのがあるのだけど。古いといっても、SL700って過去の名機のスタンドだから、今でも十分使えるわ。それ、馨いらない?」
願ってもない申し出だったが、僕は迷っていた。
「欲しいかと言われれば欲しいけれど、なんか千恵姉に世話になりっ放しでいいのかな」
「馨は、そんなこと気にしなくても良いわ。オーディオに興味を持ってくれたプレゼントよ」
千恵姉は笑いながら、馨がそんなこと気にするなんて、と付け加えた。
「それなら、そのスタンドを遠慮なくもらいたいけれど、どうやって家まで運ぶの?」
「LS50が来たら連絡くれれば、車で持っていくわ。それでいい?」
僕は、そこまでしてもらうのも悪いな、と感じた。
「僕としては、着払いで送ってくれれば十分なんだけど」
「梱包が面倒なのよ。なにしろ、一本二十キロ近くあるから。それに、馨のシステムの第一声も聴きたいし」
と、千恵姉が言ったので、それでお願いすることにした。
翌日、静乃さんに経緯を話すと、素直に喜んでくれた。そして、
「で、千恵さんはいつ来るんですか?その日にわたしも、馨さんのシステムの第一声を聴きたいですわ」
そう言われては、これまでも色々と静乃さんの世話になっているので、招待しないわけにはいかない。
「それじゃ、決まったら連絡するよ、多分LS50が到着した週末あたりかな」
僕が答えたら、静乃さんは謎めいた微笑みを浮かべた。その時の静乃さんはまるで小悪魔が悪だくみしているように見えた。
「LS50はあまりアンプを選びませんがエージングは長くかかるとの評判です。馨さんが深みに嵌る瞬間を楽しみにしていますわ」
僕には、わけがわからなかったが、微笑み返して応えておいた。
代金を振り込んだ翌々日にはLS50は到着した。
千恵姉に電話をしたら、週末の土曜日に来てくれるという。
それを静乃さんに連絡したら、静乃さんはその日は何としても行きます、と返答をくれた。
そして、土曜日になった。
千恵姉は、午前中から来て両親と世間話をしていた。
午後すぐに、静乃さんから最寄り駅まですぐとの連絡があって、僕は駅まで迎えに行った。
静乃さんが来ると玄関先で両親と挨拶を交わしていた。
千恵姉は、静乃さんが来ると早々にスピーカースタンドとスピーカーをセッティングして、音出しの用意をした。
用意ができて、音を鳴らす前に千恵姉は謎の微笑みを浮かべていた。この微笑みは静乃さんが何日か前に浮かべていた微笑みと同じだった。ただ、静乃さんは小悪魔のようだったが、千恵姉はまるでメフィストフェレスのように感じられた。
千恵姉は僕の耳元で囁いた。
「ようこそ、馨。オーディオの世界に。深みに嵌るほどに底がない事がわかる質の悪い泥沼だけど、泥んこ遊びは楽しいわよ」
そして、僕のオーディオシステムの第一声が鳴った。