妹が居なくなりました。
気だるく感じる月曜日の授業も終わった夕方。
学園から帰った俺は自室のベッドの上でぐっすりと寝ているサクラを横目に見ながら私服に着替え、急いで明日香の部屋へと向かった。
「明日香、夕食を作る前にいつもの散歩に行こうか」
ドアの前に立ち、中に居るであろう明日香に向かっていつもの様に話しかける。
いつもなら明るい返事と共に元気良く明日香が出て来るんだけど、今日は出て来るどころか返事すらない。
「明日香、居ないのか?」
再び名前を呼んでみる。時間にしてみればほんの数秒程だろうけど、意識して待っている時間てのは、どうしてこうも長く感じるんだろうか。
二度目の呼びかけにも反応が無かったので、今度は部屋の扉をコンコンと叩いてみるが、やはり中からは何の反応も返って来ない。
「開けるぞ?」
とりあえずそう言ってからゆっくりとドアノブを回して扉を押し開け、顔だけを扉の隙間から出して中を覗き見る。そして覗き見た部屋の中に明日香の姿は無く、ベッドの上には綺麗にたたまれたパジャマがあるのが見えた。
別の場所にでも居るのかと思い、それから家の中を捜し回ったけれど、明日香の姿は家のどこにもなかった。その事に嫌な焦りを感じた俺は、自分の部屋で呑気に寝ているサクラを起こしに向かった。
「起きろサクラ! 明日香がどこにも居ないんだ!」
「ほえっ!? あしゅかがいない?」
俺の声で目を覚ますサクラ。寝ぼけているのか、呂律が回らない様子でこちらを見ている。
「ちゃんと目を覚ませ! 明日香が居ないんだよ!」
「えっ? 何で?」
「それが分からないからサクラに聞いてるんじゃないか!」
「わ、分からない」
「どういう事だよっ! サクラは見守りが役目なんだろ!? だったら何でちゃんと見てないんだよ!」
無責任な言葉を聞いた俺は一気に頭に血が上ってしまい、早口でサクラを責め立てた後でそのまま玄関へと走った。
「明日香の靴が無い」
さっきは外に行ったという可能性を考えていなかった為、明日香の靴があるかどうかを確認していなかった。
とりあえず明日香が家の外へと出て行ったのだと確信した俺は、急いで外に出て玄関の鍵をかけ、夕陽が沈んでいく街中へと飛び出した――。
「ハァハァ……くそっ、いったいどこに行ったんだ……」
携帯の時計を見ると18時半を過ぎていて、家を出てから既に二時間程が経っていた。色々な場所を捜し回ってはいるけど、未だ明日香を見つけるには至っていない。
しかし、それもそのはず。俺は何の当ても無く、ただひたすらに、がむしゃらに捜し回っているだけだから。こうしていると見当をつけて捜せばいいのにと思われそうだけど、そもそも明日香は一人で外を出歩けないから、行きそうな場所の見当なんか想像がつかない。
辺りは既に夜の帳が下り始め、道路の両側に設置されている街灯が次々と点灯し始めている。それを見た俺の焦りは更に強くなり、全身には嫌な汗をかいてきていた。
とりあえず落ち着く為にと大きく深呼吸をし、もう一度冷静に考えを巡らせていく。
――よく考えろ……明日香は一人で外を出歩く事は難しいんだ。てことは、遠くに行った可能性は低い。捜すならやっぱり家から近い場所だ。
「……もしかして、あそこなら」
俺は一つだけ明日香が居そうな場所を思いつき、急いでその場所へと向かった。
「ハァハァ」
急いでやって来たのは、自宅から五分くらいの位置にある公園。
かなり急いで走ったせいか、目的地の公園前に着くと息切れで苦しんだ。とりあえず息を整える為に下げていた頭を上げ、深呼吸を始める。そして何度か深呼吸を繰り返し、ようやく落ち着いたところで公園の中へと入った。
公園の中には砂場が一つ、ブランコが二つ、高さの違う鉄棒が三つ、そして滑り台といくつかの穴が開いたドーム型の遊具が一つあり、俺はドーム型の遊具の方を見てからそこへ向かって歩いて行く。
「にゃーん」
ドーム型の遊具に近付いて行くと、そこに開いている穴の中から、仔猫のような高い鳴き声が聞こえてきた。俺はその声に導かれるように歩き、いくつか空いている穴の内の一つから中を覗き込んだ。
「お兄ちゃん、怖いよぉ……」
「にゃーん」
中を覗くと、電灯の光が穴から射し込む場所に白い仔猫を抱いた明日香が居た。
「明日香」
「お、おにい……ちゃん?」
「まったく、こんな所に居たのか。かなり捜し回ったんだぞ」
「お兄ちゃーん!」
穴から顔を覗かせていた俺の方へと明日香が急いで寄って来る。
そしてドームの穴から急いで出て来ると、そのまま俺に飛びついて来た。
「怖かったよぉ……」
「よしよし。もう大丈夫だから」
泣きじゃくる明日香の頭を優しく撫でていると、ドームの低い位置に開いた穴から白い仔猫が出て来た。
「明日香と一緒に居てくれてありがとな」
足下まで来た仔猫を見ながらお礼を言うと、仔猫は俺達を見上げながら、にゃーんと優しげに一鳴きした。
「それにしても、どうして一人で出かけたりしたんだ?」
「あのね、今日テレビで見たの……」
「何を?」
「遊園地……みんな楽しそうにしてた。だから早くお兄ちゃんと一緒に行きたかったの……」
「そっか。でも明日香、頑張るのは良い事だけど、周りに心配をかけたらダメだぞ?」
「ごめんなさい、お兄ちゃん……」
「よし、お兄ちゃんとの約束だ。明日香、小指を出して」
「えっ? うん」
不思議そうに小首を傾げる明日香が差し出した小指に、自分の小指を絡ませる。
「ゆーびきりげんまん、嘘ついたら針千本のーます、ゆーびきった!」
明日香はポカンとした表情で俺を見ている。
まあ、いきなりじゃ何をやってるのか分からないとは思う。
「これはな、大切な約束をした時の誓いなんだ」
「大切な約束?」
「そうだよ。これはお兄ちゃんと明日香の大事な約束だ」
「うんっ!」
笑顔で大きく頷きながら返事をする明日香。
居なくなった時はかなり焦ったけど、とりあえず無事で良かった。
「涼太くん! 明日香を見つけたんだね!」
空に浮かぶ半月がある方から、焦った様にしてサクラが飛んで来た。
「遅いぞ、サクラ」
「ごめんなさい、涼太くん。私がしっかりしてなかったから……」
サクラにしては妙にしおらしい。いつもは騒がしい奴がこんなだと、こっちが拍子抜けしてしまう。
「いや、さっきは俺も言い過ぎたよ。明日香を捜してくれてありがとな、サクラ」
「涼太くん……」
「サクラ、ごめんなさい」
「ううん。こっちこそごめんね、明日香」
「さあ、帰ろう」
「にゃーん……」
「ねえ、お兄ちゃん。この仔を連れて行ったら駄目?」
ちょっと寂しげな鳴き声を聞いた明日香が仔猫を抱き抱えた。
「明日香、この猫はどこに居たんだ?」
「あそこの箱の中に居たの」
明日香が指差す場所には、小さめのダンボール箱が置いてあった。
見たところ仔猫には首輪もついて無いし、どうやら捨て猫らしい。
「うーん……」
「連れて行っちゃ駄目?」
仔猫を抱えたままの明日香が、瞳を潤ませながらそう聞いてくる。
簡単に良いよと言うのもどうかと思うけど、こんな表情を見せられては、駄目とも言えなくなってしまう。
「お前、ウチに来るか?」
「にゃん!」
明日香に抱き抱えられた仔猫に向かってそう問いかけると、即座に元気な鳴き声を上げた。
「ウチに来たいってさ、明日香」
「連れて行っていいの?」
「ああ」
「ありがとう、お兄ちゃん!」
嬉しそうに仔猫を抱き締める明日香。
そんな明日香に抱き締められ、仔猫も何だか嬉しそうにしている様に見えた。
「良かったね、明日香」
俺の右肩にちょこんと座り、サクラも微笑ましそうにしている。
「だけど、ちゃんと面倒を見るんだぞ?」
「うん! 分かった!」
こうして明日香の行方不明騒動は終わり、この日から我が家に新しい家族が増えた。