番外エピソード
「サクラ隊長、お疲れ様です」
「あっ、お疲れプリムラ」
私は今、天界にあるヘブンズゲート第五大隊が管轄の転生条件を満たした幽天子の魂が集まる魂来場と呼ばれる部屋へと来ていた。
この部屋へと来た幽天子は、ここで新たな転生の時を待つことになる。ここで転生のために待ち続ける時間にはそれぞれ差があり、この場に早く来たからと言ってあとから来た者より早く転生するとは限らない。
そしてここに居る魂たちが次にどんな人たちのもとに生まれるのか、それは私たちにも分からない。
でも一つ確実に言えることは、この場に来た魂はみんな未来への希望を胸にし、転生の手助けをしてくれたパートナーとの辛い別れをすませて来たということ。だからこそ、来世ではとびっきり幸せになってほしいと切に思う。
それに正直言って、幽天子とパートナーが別れる瞬間はどんな時でも切なくなる。この切なさは長い間この仕事をしてきた私でさえ、いつまでも慣れることはない。
私個人としては深い絆を作ったパートナーとそのまま過ごしてもらいたいと思うけど、残念ながらそれは叶わない。それは自然の摂理を大きく逸脱することになるから。
だから私たち天生神はその摂理をほんの少しの間だけ捻じ曲げ、幽天子たちに“人生って辛いこともたくさんあるけど、幸せな時間もたくさんあるんだよ”――ってことを感じてもらうのがお仕事。
「今日も異状はないみたいですね」
「そうだね。まあみんなパートナーと一緒に頑張ってここまで来たんだから、なにかあったら困るんだけどね」
「確かにそうですよね……。そういえばサクラ隊長、涼太さんはあれからどうなんですか？」
「涼太くんか……」
プリムラの口から出た名前を聞いて、私は思わず表情を歪めた。
そしてしばらく考え事をしたあと、私は踵を返して部屋の外へと歩き始める。
「た、隊長？ どうしたんですか！？」
「ごめん、プリムラ。私ちょっと用事を思い出したから、ここは任せるね」
「ちょ、ちょっと！ サクラ隊長！？」
私は後ろで声を上げるプリムラの方を振り返らずに外へと飛び出し、地上へと向かった。
今から１週間前、幽天子の１人である明日香がパートナーである桐生涼太くんのもとで生活を行い、無事転生のための条件を満たした。
私は涼太くんと明日香の最後の日を２人に分からないようにしてしっかりと見守っていた。まあ見守っていたとは言っても、所々でちょっとしたお節介はしちゃったけどね。
そして私は明日香と涼太くんがお別れしたあの日、涼太くんに感謝の言葉と気持ちを伝えに行き、同時に私が地上で行う最後の仕事を遂行した。
パートナーである涼太くんには、私たちの可愛い幽天子の１人である明日香の面倒を見てくれたことに言葉では言い表せないくらい感謝している。
でも私は涼太くんと最後の会話を交わしたあと、明日香と過ごしてきた記憶を消し去った。
そして本来ならそれですべてが終わりのはずだった――だけど涼太くんの明日香への想いは私が想像していたよりも遥かに強かったようで、別れから１週間が経った今でさえ、家の中で塞ぎ込むほどの影響が出ている。
明日香についての記憶は確かに喪失しているはずなのに、まだ心のどこかにある明日香への想いを無意識に必死で繋ぎ止めようとしているんだと思う。
しかしそんな想いさえほとんどの場合は長くても３日あれば消えてしまい通常の生活へと戻って行くというのに、涼太くんにはそんな様子がまったく見られなかった――。
天界を飛び出してから約５分。通い慣れた家の窓を突き抜けて部屋に入ると、机に向かって座りパソコン画面を見つめながら大きな溜息を吐いている涼太くんの姿が目に入った。
「居た居た」
私はいつものように声を出すけど、幽天子との繋がりが消えた今では涼太くんにはもう私の声は聞こえていない。
涼太くんはパソコンのマウスを操作してある部分をクリックすると、一つのファイルを画面に表示させた。表示させたファイルを見つめながら、涼太くんはマウスを動かしていた手を止める。
そこに表示させたファイルは明日香の面倒を見始めた頃からほぼ毎日のようにつけていた日記が収められたもの。
本来ならこういったデータも消去したり改ざんしたりしておくのが一番いいんだけど、涼太くんは日記を書くという行動が習慣化していたから消去するというのは良くないと判断してなにもしなかった。
改ざんについても記憶を失った涼太くんがもしその内容を見たところで、おそらく絵空事のようにしか思わないだろうからそのままにしておいた。
それとこの日記になにもしなかった最大の理由の一つに、涼太くん自身が閲覧のためのパスワードを設定していたことがあった。
この日記の閲覧をするためのパスワードが“asuka”である以上、記憶を失った涼太くんがこのファイルを開けることができるとは思えなかったからだ。もちろん涼太くんが保管していたパスワードの控えは私がすべて消去しておいたから抜かりはない。
だからいずれ涼太くんが自分から諦めてこのファイルを消してくれると私は考えていたんだけど、どうやらその考えは甘かったみたい。今から考えれば、涼太くんの明日香への想いを長引かせている原因の一つがこれだというのは間違いないことだと思う。
こんなことになるなら最初っからファイルだけでも消しておいた方が良かったのかと思ったけど、すべてをなかったことにすれば良いという訳ではないから、そこがこのお仕事の難しくてキツイところ。
「なんだろう、とても大切なものがここにあるような気がするのに……」
涼太くんはそう言うと、机の上にあるサンタ帽子を被った白猫のぬいぐるみを手に取った。
「くそっ……」
手に取ったぬいぐるみを少し見つめたあと、涼太くんは肩を震わせながら涙を流していた。
でも多分、涼太くんは自分がなんで泣いているのかなんて分かっていない。おそらく心の奥底にある明日香への想いだけを頼りに、無意識に涙を流しているんだと思う。
「涼太くん……」
大粒の涙を流す涼太くんの姿をしばらく見つめ続け、とうとう居たたまれなくなった私は覚悟を決めて涼太くんにまじないをかけた。
そして私のまじないがかかった瞬間、涼太くんの頭がフラフラと揺れだし、両手でぬいぐるみを抱き包んだまま頭を机の上へと乗せて眠りに落ちた。それを確認した私はほんの一時だけ人間へと姿を変える。
「涼太くん。君は今夜、明日香と一緒に過ごした日々をもう一度夢の中で体験する。もし涼太くんの想いが私の力を上回れば、その日記のパスワードが分かるはずよ」
寝ている涼太くんに静かにそう言い、私はベッドにある掛け布団を取ってからそっと涼太くんの身体に被せた。
「ごめんね、涼太くん。色々とお世話になったけど、私にできるのはここまで。でも、どういう結果になっても、幸せに生きてね。それは私の紛れもない望みだから……」
小さく寝息を立てる涼太くんの寝顔を見たあと、私は部屋の電気を消してから妖精の姿へと戻った。
「じゃあね、涼太くん。これで本当の本当にお別れ。明日香と一緒に涼太くんと過ごした日々は本当に楽しかったよ……」
そう言って涼太くんに背を向けてから部屋を抜け出る寸前、私はもう一度だけ涼太くんの方を振り返った。
「本当にありがとね、涼太くん……」
胸に込み上げた思いを一言そう口にし、私は部屋を抜け出て天界へと戻った。
× × × ×
「あっ、サクラ隊長、どこに行ってたんですか？」
「あっ、ごめんねプリムラ」
「隊長、目が真っ赤ですけど……どうかしたんですか？」
「えっ？ ああ、さっきここに戻る時にぼーっとしてたから、壁にぶつかっちゃってね。あまりに痛かったから涙が出ちゃったのよ」
「もう、なにをやってるんですか」
プリムラは呆れ顔を浮かべてそんなことを言ってくる。こうやって素直に言ったことを信じてくれるところもプリムラの可愛いところだと思う。
「あっ、そうだ。言い忘れてましたけど、さっき総隊長がサクラ隊長のことを捜してましたよ？」
「あっちゃー、もうバレちゃったのかな」
「隊長……またなにかしでかしたんですか？」
はあっと溜息を吐きながら、プリムラは疲れた表情を浮かべる。
「なによその言い方～。それじゃあまるで私がしょっちゅう問題を起こしてるみたいじゃない」
「しょっちゅうとは言いませんけど、第五大隊で一番問題を起こして怒られてるのは間違いなくサクラ隊長ですよ？」
「あれっ？ そうだっけ？」
私はそう言いながら、吹けもしない口笛を吹こうとする。
そんな私の様子を見ながら、プリムラはいつもの様に短くはあっ――と息を吐いた。
「なにをしたのか分かりませんけど、ちゃんと謝ってきた方がいいですよ」
「分かってるって。じゃあ、行ってきまーす！」
私はプリムラに手を振ってから総隊長のもとへと向かう。
おそらく今回の件で私にはかなり重い処罰が下されると思う。だけど後悔はしていない。あれは私の心に素直に従ったことだから。
まあその分、プリムラたちに迷惑をかけてしまうかもしれないけど、なるべくそうならないように交渉しよう。それでももしプリムラたちに迷惑をかけてしまったら、そこは全力で謝って、全力で解決していこうと思う。
少し晴々とした気分を感じながら、私は怒られに向かって行った。
