妹と散歩しました。
明日香が小学校四年生レベルの学力を身につけてから更に二週間。暦はもう六月の上旬を迎えていた。
驚くべき事に明日香は、もう小学校六年生レベルの学力を身につけている。はっきり言って凄いとしか言いようがない。明日香の集中力と理解力は、まさに才能と言えるだろう。
もはや疑う余地も無く、明日香は小学校に行けるレベルをクリアしている。だから本当なら、ここで『おめでとう』と言ってあげるべきなんだろうけど、残念な事に現実はそこまで甘くない。
「大丈夫か?」
「う、うん……」
休日のお昼時、俺は明日香と一緒に外を散歩していた。季節的にはそろそろ暑くなり始める時期だけど、今日はまったりと散歩するにはちょうどいい感じの暖かさ。
しかし実際は、まったり散歩と言った感じではない。明日香は俺の右腕をガッシリと両手で包み込み、ピッタリと密着する様にして歩いているからだ。
「明日香、しっかり目を開けて歩かないと危ないぞ」
「わ、分かった……」
俺の背後からひょこっと顔を横に出し、片目だけを開いて周りを見る。その様はまるで、お化け屋敷に来た子供の様にも見えた。
「ううっ……」
どうも明日香は俺とサクラ以外の人物には耐性がまったく無いようで、他人が近くを通ったり視線を向けられる事すらも恐がっていた。こんな調子では、学校に行く事など到底できない。
よく分からないけど、これが対人恐怖症ってやつなんだろう。今の明日香にとって、学校へ行く為の最大の問題はこれだった。
「きゃっ!?」
横を通り過ぎた人物と視線が合ったらしく、明日香は声を上げて再び俺の背中に隠れる。
「今日はこれくらいにしておこうか」
「うん……」
後ろからしょんぼりとした小さな声が聞こえる。
歩いて来た道を逆戻りしながら帰り始めたが、その帰り道も明日香は俺の背後で縮こまったまま、決して他を見ようとはしなかった――。
この日の夜。明日香が就寝した後で、俺はいつものようにパソコンで妹系ギャルゲーをしていた。
「サクラ、ちょっと聞きたい事があるんだが」
「なーに涼太くん? スリーサイズとエッチな質問以外ならいいよ?」
サクラは俺がこの手の言葉を発すると、毎回必ずこう返してくる。
俺は毎回サクラのこの言葉を無視して話を進めていたけど、これってもしかして、スリーサイズを聞けっていう振りなんだろうか。
「明日香の事なんだけどさ、サクラはどうしたらいいと思う?」
とりあえず今回もサクラの言葉を無視して話を進める。多分、聞いてもまともに答えないだろうし、別に興味もないからな。
机の上に座っているサクラには視線を移さず、マウスをカチカチとクリックする。
「さあー? それを考えるのは涼太くんの役目だからね」
「さいですか……」
一瞬だけ視線をサクラに移すと、このお気楽妖精はどこで用意したのか分からない飲み物が入ったカップを片手に、ゲームの進行を楽しんで見ているようだった。
「ねえ、これって遊園地だよね?」
サクラはパソコン画面の背景を指差しながら、もう片方の手で俺の腕を掴んで揺らしてくる。
「ああ。これは遊園地イベントだからな」
「ふーん。これが遊園地なんだね」
「何だ? 遊園地を知らないのか?」
「情報として知ってるくらいかな。見守りをしてたらこういう場所に行く機会はそう無いから」
サクラのこの言葉は結構意外だった。色々な場所に飛んで行けるんだから、こっそりと遊園地に行って楽しむ事も出来そうだからだ。
「わあー、綺麗な絵」
俺は話の間もゲームのイベントを進めていた。
パソコンの画面上には、主人公とヒロインが観覧車から夕焼けを眺めているというイベントのクライマックスシーンが映し出されている。こういったゲームにはよくある王道イベントだ。
「わーお、これは凄い」
新たに表示されたイベントCGを見て、サクラが声高らかに立ち上がる。
主人公とヒロインが夕焼け空の観覧車でキスをしているシーンだが、いつもは一人でこういったシーンを見ていたのに、目の前でサクラが興奮している様子を見ていると、感情移入も何もあったもんじゃない。
「ちょっと落ち着けよ。明日香が目を覚ますだろうが」
「あっ、ごめんごめん」
ペロッと舌を出し、自分の手で軽く頭をコツっと叩くサクラ。
何だろう。ゲームやアニメではよく見る可愛い仕草のはずなのに、実際に目の前でやられると、結構イラッとくる。
「涼太くんも琴美ちゃんとチューがしたいんじゃないの?」
「なっ、何だよ急に!?」
「急にも何も、琴美ちゃんの事が好きなんでしょ?」
ニマニマとしたいやらしい笑顔を浮かべながら、サクラは目の前に飛んで来る。
「な、何の事かなあー?」
「コ・イ・ツー、誤魔化すなよ~」
俺の頬をツンツンと突きながら、ニンマリと両側の口角を吊り上げて茶化してくる。
「な、何で俺が琴美を好きだと思うんだよ」
「そんなに誤魔化さなくてもいいじゃない。この前デパートで会った時、心の中でそう言ってたわけだし」
「はあっ!?」
その言葉に驚き、思わず目の前に居るサクラを両手で鷲掴みにした。
「ちょ、ちょっと何するの!?」
「こここ心の中で言ってたって、どどどどういう事だよ!?」
「お、おっぱい潰れちゃうー! 落ち着いてー!」
「お兄ちゃん、何を騒いでるの?」
唐突に開けられたら部屋の扉から、明日香が入って来る。それを見た俺は、慌ててサクラをベッドに向かって放り投げた。
「きゃっ!?」
「わ、悪い。うるさかったか?」
「うん。あれ? サクラどうしたの?」
投げられた衝撃が強かったのか、サクラはベッドの上で伸びていた。そんなサクラを見て、寝ぼけ眼の明日香が首を傾げる。
「ちょっとサクラと騒ぎ過ぎたんだよ。ごめんな明日香」
「二人で遊んでたの? ずるい……明日香も一緒に遊びたい」
不満げに頬を膨らませる明日香。最近は本当に表情豊かになってきたもんだ。
「違う違う。別に遊んでたわけじゃないんだよ」
そう言って背中を押して部屋まで送ろうとすると、明日香が机の上のパソコンの方を見た。
「お兄ちゃん、そのゲームって面白いの?」
「えっ!?」
この質問はどう答えていいのか非常に困る。
もちろん俺にとっては楽しいのだけど、明日香の前で妹系ギャルゲーが面白いと言うのもどうかと思うからだ。
「あー、ほら。もう遅いから、良い子は早く寝ないと」
「う、うん」
ちょっと強引に明日香の背中を押して部屋へと連れて行く。
そして明日香をベッドに寝かせて部屋を出ようとしたその時、明日香が少し明るい声音で声をかけてきた。
「お兄ちゃん。私、頑張るね」
にこやかな笑顔を向ける明日香が言う頑張るとは、早く外に一人で出られるようになるね――と言う事なのだろう。
「ああ。でも無理はダメだからな?」
「うん」
いい返事だ。こういったところは本当に素直でいいと思う。世の中のひねくれた老若男女の手本にしてもらいたいくらいだ。まあ、俺もその内の一人だろうけど。
こんな事を考えていると、自身が世間で言うところのシスコンになってきているようで、時々恐ろしくなる。
「あ、そうだ。一人で出かけられるようになったら、ご褒美にお兄ちゃんが遊園地に連れて行ってやるぞ」
「遊園地?」
「ああ。とっても楽しい場所だ」
「分かった。頑張るね!」
嬉しそうな表情を見せる明日香を見た後、おやすみなさいと言いながら俺は部屋を出た。
――明日香と遊園地か……ちょっと楽しみが増えたな。行く時はついでだから、サクラも連れて行ってやるかな。
部屋に戻った俺は、まだベッドの上で伸びたままのサクラをサクラ自身が作ったベッドに寝かせ、ゲーム内容をセーブしてからパソコンをシャットダウンした。
パソコンの灯りが消えた後、暗い部屋の中を移動してベッドの中へと潜り込み瞳を閉じる。それなりに疲れていたからか、眠りにつくのにさほど時間はかからなかった。
そしてこの日、俺は夢を見た。懐かしくて嬉しくて、それでいて悲しい夢を。