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妖精と真面目に話をしました。

 時間はこちらの都合などお構いなしに容赦なく過ぎ去って行く。どんなに後悔しようと、どんなに泣き叫ぼうと、過ぎ去った時間を取り戻すことは誰にもできない。

 だからこそ人は後悔のないように生きたいと思うのだろうけど、残念ながら人生はそう甘くはないものだ。

 人生は後悔の繰り返し――なんて言葉をどこかで耳にしたことがあるけど、まさにそのとおりだと思う。

 つまり人生とは、失敗と後悔を積み重ねながら、より良い生き方を模索もさくする――ということなのだろう。


「はあっ……」


 自室の窓から夕焼けに染まる街並みを見ながら、俺は小さく息を吐き出した。

 長いようで短かった夏休みも終わり、窓から見える遥か遠くの山は徐々に紅色へと染まり始めている。あと数日もすれば完全に紅葉こうようし、たくさんの人たちがその光景に目を奪われることだろう。

 そんな夕焼けの赤と紅葉が交じり合った哀愁あいしゅう漂う光景を眺めていると、心の中に生じた不安は更に大きさを増していく。

 その不安の原因は、言うまでもなく明日香について。

 あれは明日香と琴美と海に行った日の帰りの出来事。琴美が店に飲み物を買いに行っている最中のことになるが、俺が明日香と何気ない話をしていた時、明日香の身体が一瞬薄くなって消えそうになったのを見た。

 それを見た時、俺は信じれない気持ちでいっぱいだった。その現象は去年の秋頃に拓海さんから聞かされていたものとまったく同じだったからだ。

 サクラからちゃんとした説明を受けたわけではないのではっきりとしたことは分からないけど、明日香が消えかけたその現象は、俺と明日香との間に遠からず別れの時が迫っているということを表しているんだと思う。

 まあこれはあくまでも俺の予想だけど、でも拓海さんと由梨ちゃんの間に起こっていた出来事を考えれば、その考えに到達するのはそう難しい話でもない。


「俺は笑顔で送り出せるのかな……」


 そんなことを考えていた時、ふと初めて拓海さんと出会った時のことを思い出した。

 あの時の拓海さんは、俺に対してこんなことを言っていた。『由梨が転生条件を満たした時、僕は笑顔で由梨を送り出してあげられるだろうか』――と。

 最初からそう思っていたのかどうかは分からないし、色々な葛藤かっとうはあったんだと思う。

 けれど拓海さんは、由梨ちゃんとの約束どおりに笑顔で見送ったと言っていた。それは立派なことだと思うし、凄いことだと思える。

 でも由梨ちゃんが新たな未来へ旅立ったあとの意気消沈した拓海さんの姿を見た俺は、それが本当に正しかったのだろうかと疑問に感じてしまった。

 そしてそんな疑問が心の中に出てきた時、俺は考えた。明日香との別れが来た時、俺はいったいどうするんだろうかと。

 明日香たち幽天子は新たな人生を、未来を生きるためにこうして転生プロセスを踏んでいるわけだから、本来なら明日香たちの旅立ちを喜んであげるのが正しいんだと思う。

 でも人間の感情というのはそう簡単にはかれるものではないし、単純でもない。

 いや……本当は根本的なものは単純明快なのかもしれないけど、人間にある理性だとか見栄だとか、そんな色々なものが単純なものを複雑に変えているだけだと思う。


「どうしたの涼太くん? 外を見てぼーっとしちゃって」


 背後から優しげな声が聞こえて振り返ると、そこには心配そうな表情を浮かべながらフワフワと飛んでいるサクラの姿があった。その心配そうな表情は、昔俺が色々なことで悩んでいる時に母親が見せたそれと似ている。


「いや、ちょっと考え事をしてただけだよ」

「もしかして、明日香のこと?」

「…………」

「やっぱりか」


 サクラの質問に対しYESともNOとも言っていないわけだけど、どうやらサクラは俺の沈黙をYESととらえたようで、困った子だなあ――みたいな感じの苦笑いを浮かべながらそう言った。


「どうしてそう思うんだ?」

「もう1年以上も涼太くんたちの見守りをしてるんだよ? 涼太くんがそんな表情で悩んでる時は、だいたい明日香のことなんだから」


 少し胸を張って自慢げにそんなことを言うサクラを見ていると、“違う”と言ってやりたくなるところだが、間違っていないので反論の余地はない。


「そっか」

「今度はなにを悩んでるの? そんな暗いを顔してたら明日香が心配するから、お姉さんに話してみてよ。まあ、涼太くんのお悩みに答えを出せるかは分からないけどね」


 おそらくサクラは俺がどんなことを悩んでいるのか、なんとなく分かっているんだと思う。だから俺は、あえて直球で質問をぶつけてみることにした。


「明日香はいつ消えてしまうんだ?」

「……それを聞いてどうするの?」


 そう口にした瞬間、先ほどまで浮かべていたにこやかな表情は消え、真面目な顔つきでそう聞き返してくる。


「明日香がいつ居なくなるのかを知っておけば、色々と思い出も作れるじゃないか」

「じゃあ聞くけど、明日香が居なくなるのが明日だとしたら、涼太くんは残り8時間足らずの間にどんな思い出を作るの?」

「そ、それは……」

「仮になにか思い出を作ったとして、それをお互いが忘れてしまうのに意味があるの?」

「それじゃあ俺と明日香が過ごしてきた今までの日々は、全部意味がなかったってことなのかっ!?」


 その言葉を聞いた時、俺はつい声を荒げてそんなことを言ってしまった。サクラが悪意を持ってそんなことを言っているわけではないことは分かっている。

 でもサクラの言っていることは、俺と明日香が過ごしてきた今までの日々を全部否定されているようで嫌だった。


「……ごめんなさい、無神経なことを言って」


 やや間があったあと、フワフワと浮かんでいたサクラは机の上に下り立ってから深々と頭を下げて謝ってきた。


「いや、俺の方こそ大きな声を出して悪かった」


 お互いに謝ったあと、少しだけ気まずい雰囲気と共に沈黙の時間が流れた。


「――なあサクラ、俺も拓海さんのように忘れてしまうのか? 明日香のことを、今までのことを……」


 サクラは俺の質問に対して口に出すことなく、小さく頷いて見せた。


「なんでだ? なんで俺たちから思い出を取り上げるんだ?」

「それは……それがお互いのためだからよ。だから忘れてもらうの」


 少し迷うような素振りを見せながらも、サクラは口を開いてはっきりとそう答えた。


「お互いのため?」

「居なくなった人のことをいつまでも覚えているのは、心に相当な負担を強いるってことなの。相手がこの世界に生きていた人で、それで死別したとかなら話は別だけど、明日香や由梨ちゃんみたいな幽天子は元々この世に居ない存在。本当なら涼太くんや拓海くんとも出会うことすらなかった。だからお互いに築いた思い出や記憶は、良くも悪くも別れたあとに必ず重く心にし掛かってくる。だから忘れてもらうの。幽天子の場合は、転生プロセスの間の記憶を持ったままでの転生が出来ないからっていう理由もあるけどね。でも物事はそう上手くは運ばないから困るのよ」

「どういうことだよ。サクラたち天生神の力を使えば、記憶の改ざんや消去なんて簡単なんじゃないのか?」

「涼太くん。由梨ちゃんが居なくなったあと、その記憶をなくした拓海くんと話をしたんでしょ? その時になにか感じなかった?」

「なにかって?」

「例えば拓海くんと話してる時に違和感があったとか、私が話していた内容と矛盾するようなことがあったとか、そういうことよ」


 それを聞いた俺は、由梨ちゃんの記憶を失った拓海さんと会って話した時のことを思い返し、一つだけサクラが言っていることに当てはまるようなことがあったのを思い出した。


「――もしかして、拓海さんが由梨ちゃんのことを完全に忘れてなかったことか?」


 今の俺の言い方は、はっきり言って正確ではないと思う。なぜなら拓海さんは、本当に由梨ちゃんという存在が居たことを喪失していたからだ。

 でも拓海さんは、今はもう居ない由梨ちゃんという存在が居たことを、心のどこかに留めているように感じた。

 俺がそう感じるのも、あの日拓海さんと話した時の言葉や態度の端々からそう感じることができたからだ。


「そう。私たち天生神は、最終的に転生条件を満たした幽天子とそのパートナーの記憶を消すことが役割。でも幽天子とそのパートナーとの間には、私たちの力も及ばない“不思議な力”が生まれたりもする。それは言ってみれば“絆の力”ってことだろうけど、その力は私たちが使う記憶消去や記憶改ざん、そんな力が及ぶ範囲を遥かに超えた魂の深い部分にあるの。私たちの力は所詮、表層的な部分にしか干渉できないって証拠なのよ」


 サクラは自嘲じちょう気味にそんなことを話してくる。

 つまりサクラが言っていることは、幽天子とパートナーが絆を深めれば深めるほど、記憶を消したり改ざんしたりできる確率が確実にせばまるということ。これはサクラたち天生神にとって、非常に効率の悪い仕事になってしまうということだ。

 でもそう考えると、少々おかしく感じてしまうところがある。

 サクラたち天生神が最終的に幽天子とパートナーの記憶を消すことが仕事なら、最初からそんな不安定要素が出ないようにすればいいのにと思ったからだ。


「なあサクラ、最終的に俺たちの記憶を消すのが仕事だとしたら、なんで俺や拓海さんが明日香や由梨ちゃんと絆を深めるのを黙って見てたんだ? 絆を深めれば記憶の完全な消去は難しくなる。サクラたちにとって都合が悪いだけじゃないか。サクラたちなら上手くそのあたりの操作もできたんじゃないのか?」


 そう、サクラが言っていることが事実なら、幽天子とパートナーとの触れ合いを最低限度にしながら転生プロセスを行う方が、遥かに効率的だ。わざわざ不安定要素を増やす必要なんてないんだから。


「涼太くんは相変らず痛いところを突っ込んでくるなあ」


 机の上からフワフワと浮かび上がりながら、サクラは苦笑いを浮かべる。


「幽天子がこの世界に再び転生するためのこのプロセスにはね、パートナーになる人の強い愛情が必要不可欠なの。だから私たちは、パートナーと幽天子との触れ合いに口を出したりはしなかったの。それが必要なことだからね」


 サクラはすまなそうな表情を浮かべながらそう言った。

 なんてこった……幽天子を転生させるにはパートナーの強い愛情が必要で、その愛情が強ければ強いほど、拓海さんのようにおぼろげながらもそれを心に留めてしまう。なんて皮肉な話だろうか。


「あまり言いたくはなかったけど、明日香は転生条件を満たしつつあるわ。それは涼太くんも明日香に起こった異変を見て気づいてるとは思うけどね」

「ああ」

「だから私は、もうこれ以上思い出作りをしない方がいいと思う。涼太くんが辛くなるだけだと思うから」


 サクラはきっと、本気で明日香が居なくなったあとの俺のことを心配してくれているんだと思う。確かに記憶を失くしているのに、心のどこかでそのことを覚えているなんて地獄もいいところだ。

 でも、それでも俺は覚えていたかった。明日香のことを。


「サクラ、お前には悪いけど、俺は最後まで明日香と一緒に思い出を作るよ。特別なことじゃなくていい、平凡でいいんだ。最後まで明日香と兄妹として過ごすよ。そして俺は、明日香のことを忘れないようにする」

「はあっ……涼太くんはそんなことを言うと思ってたよ」


 やれやれと言った感じの表情を浮かべたあと、サクラは微笑んでいた。


「でも、涼太くんの言っている道は相当にキツイことだよ?」

「分かってる。それでも忘れたくないんだよ、明日香のことを」

「そっか……涼太くんを明日香のパートナーに選んで良かったと思うよ」

「こっちこそ、明日香を俺に預けてくれてありがとな。それと、最後まで俺たちをしっかりと見守ってくれ」

「もちろんだよ、このサクラさんにドーンと任せておいてっ!」

「おう、頼んだぜ」


 俺とサクラは右の拳を握り、それをコツッと当てあった。

 サクラと色々な話をしたことで、俺の決意は更に固くなったと思う。

 おそらくそんなに長くはないであろう残された時間を、俺は無駄にすることなく過ごして行きたいと思った。

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