拓海さんに会いに行きました。
学園で琴美との会話を交わした俺は、鞄をそのままに学園を飛び出してから自宅へと急いで戻り、自室にあるアルバムを見ていた。
「どういうことだ?」
明日香が妹になってしばらくしてから撮り始めた写真。それらが納められたアルバムにはたくさんの思い出が詰まっている。
そこにはもちろん、明日香の親友である由梨ちゃんの写真もたくさん収められていた。
しかし俺が今開いているアルバムには、由梨ちゃんが写っている写真が1枚もない。いや、正確に言うと由梨ちゃんが写っていた写真自体はある。
だがその写真は、まるで由梨ちゃんだけが居なかったかのようにその姿が綺麗に消えていた。
「サクラ! 出て来てくれ!」
いつもなら近くに居れば呑気な声を出しながら目の前に現れるが、今回は何度呼んでもサクラは姿を現さなかった。
「くそっ」
こうしていても仕方がないと思った俺は、真実を確かめるために拓海さんの自宅へと向かうことにした。
× × × ×
我が家から片道20分ほどの位置にある拓海さんの自宅を目指し、俺は全力で走っている。
しかし元々から体力には自信がない俺は、途中で止まって息を整えるという行動を何度か繰り返していた。
「そ、そうだ!」
拓海さんのことが心配だった俺は、ポケットから携帯を取り出して電話をかけた。
しかし何度かけなおしても、拓海さんが電話に出る気配はない。
そうこうしている内に息が整った俺は、再び拓海さんの家へと向かって走り出す――。
「ハアハア……」
息切れを繰り返しながらもようやく拓海さんの家へと着いた俺は、まず拓海さんの自室がある二階の部屋の窓を見た。
そこには以前お邪魔した時に見たのと同じ水色のカーテンがされていて、その様子からは拓海さんが在宅している気配は感じられない。
しかし俺はなんの迷いもなく玄関のチャイムを鳴らした。でも何度チャイムを鳴らしても、誰かが出てくる気配はなかった。
やはり在宅していないのだろうかと思ったけど、なんの気なしに玄関のドアノブを回して引いてみると、意外にもドアはガチャリと音を立てて開いた。
「拓海さん、居ますか?」
開いた扉から顔を覗かせて恐る恐る声を出し、拓海さんを呼んでみる。しかしその声に反応はまったくない。
「拓海さーん!」
玄関の中へと入り、さっきよりも大きな声で呼びかけてみる。
すると二階の方から、ゴトッ――となにかを落とすような音が聞こえてきた。
「すみません! お邪魔します!」
大きな声でそう言ってから靴を脱いで家へと上がり、音がした二階へと向かって行く。
そして二階に上がるとすぐ、拓海さんの部屋のドアが大きく開いているのが見え、俺はそこへと近づいて中をそっと覗き見た。
「た、拓海……さん?」
アルバムとたくさんの写真が散らばった部屋の中、拓海さんは虚ろな目をして座り込んでいた。その姿からはまったくと言っていいほど覇気を感じず、本当に魂が抜け出ているような感じに見えた。
「拓海さん、どうしたんですか?」
静かに拓海さんの前まで行ってからその両肩に両手を伸ばし、俯いて座っている拓海さんの身体を軽く揺する。
しかし拓海さんはなんの反応も示さない。俺の手が揺らす勢いに、なんの抵抗もなく身体を揺すられているだけ。
「拓海さん! しっかりして下さいっ!」
今度は大きな声で、もっと強く身体を揺すってみる。
「――あっ、涼太くんか……どうしたんだい?」
何度目かの呼びかけでようやく顔を上げて俺を見ると、本当にか細い声でそう聞いてきた。
「拓海さんこそどうしたんですか? 俺が来たことにも気づかないほどぼーっとして」
「ああ……ごめんな、涼太くん」
拓海さんはそう言って再び俯き、下に落ちていた写真に視線を向ける。
そして俺も釣られるように拓海さんが視線を向ける先の写真を見た。
「これは……」
そこにあった写真はほんのちょっと前、七夕に明日香と由梨ちゃんが2人で短冊の取りつけをしていた時に拓海さんが写していた写真だ。
しかしそこに由梨ちゃんの姿はなく、明日香の姿だけしか写っていなかった。
「拓海さん、由梨ちゃんは?」
「……由梨は今朝、笑顔で新しい未来へ旅立ったよ」
泣き腫らしたような赤い目を俺に向け、にこやかな微笑を浮かべってそう言う拓海さん。
「拓海さん……」
「涼太くん、僕はね、由梨との約束どおり泣かなかったよ。笑顔で由梨を見送った。でもさ、由梨が消えたあとでアルバムを見たら、どこにも由梨の姿がないんだ。確かに由梨はここに居たはずなのに……まるで最初から居なかったみたいに――」
段々と拓海さんの紡ぐ言葉は震えだし、最後には言葉にならなくなった。
そして三度俯いた拓海さんの下にあった写真に、大粒の涙が零れ落ちる。
初めて見る拓海さんのそんな姿に、俺はなにも言ってあげることができず、ただ黙っていることしかできなかった。
「――ごめんな、涼太くん。しばらく独りにしてくれないかな」
「はい……分かりました」
ここに居ても俺にはなにもできない。拓海さんの気持ちが分かったとしても、それを慰めることもできない。
俺は自分の無力に唇を噛みながら部屋を出た。
「由梨――」
そして部屋を出て階段を下りようとしたその時、拓海さんの居る部屋から嗚咽交じりに由梨ちゃんの名を呼ぶ声が聞こえた。
× × × ×
その日の夜、明日香と一緒に食事をしていたリビングは異常なほど静かだった。お互いになにも喋らず、ただ目の前にある食事を黙って箸で口へと運ぶだけ。
しかし時折だが明日香の箸の動きが止まることがあり、その時に視線をチラリと向けると、服の袖で目の辺りを拭っているのが見えた。
でもそんな明日香の姿を見ても、俺はなにも声をかけてあげることができなかった。
「――ごちそうさま」
まだだいぶ食べ物が残っているにもかかわらず、明日香は小さく手を合わせてから食器を台所へと運んで行く。
明日香が自宅へと帰って来た時、俺は玄関へと向かってから明日香を出迎えた。
その時に明日香が一言、『由梨ちゃん、消えちゃった……』と呟いた。その言葉を聞けば、大体どんなことがあったのかは想像がつく。
俺が学園で琴美と話した時のように、おそらく小学校の先生も、クラスメイトでさえも、誰1人として由梨ちゃんという存在を覚えていなかったのだろう。まるで最初からそんな人物など居なかったかのように……。
「ごちそうさま……」
俺も明日香と同じく、大半の食べ物を残した状態で箸を置いた。
明日香と違って手を合わせることもなく呟いたその言葉は、静かな部屋の中にスッと溶け込むように消えていった。




