嫌な予感がしました。
あと数日で夏休みを迎えようというある日の朝、俺はいつものように朝食の準備をしていた。そこまではいつもとなにも変わらない日常だった。
しかしいつも起きてくる時間になってもリビングに現れない明日香を変に思い、明日香の部屋へと向かったところから事は始まる。
「明日香、起きてるか? そろそろ起きないと遅刻するぞ?」
コンコンと扉をノックしてそう問いかけるが、中から明日香の反応はない。
「入るぞ?」
妙な胸騒ぎを感じた俺はそう言って扉のノブを回して開き、部屋の中へと入った。
部屋の中にはベッドで寝ている明日香の姿があったが、なにやら寝言のよなことを小さく呟いている。その言葉がはっきりと聞こえなかった俺は、明日香の間近まで行って耳を傾けてみた。
「行かないで、由梨ちゃん……」
「由梨ちゃん?」
その言葉を聞いた俺は思わずそう口にする。
そして再び明日香の顔を見ると、その閉じた瞳から一筋の涙が流れていた。
「明日香! 起きるんだ明日香!」
その様子が気になった俺は、急いで明日香の身体を揺らして起こそうとした。
普通なら単純に夢を見ているだけと思うところかもしれないが、ここ最近の由梨ちゃんの行動や明日香たちが幽天子であることを考えれば、嫌な予感の一つもしてくるのが当然だろう。
「あっ……お兄ちゃん」
「大丈夫か?」
「お兄ちゃん!」
薄っすらと目を開けた明日香は俺の姿を確認するとパチッと瞳を開いて上半身を起こし、ガバッと抱きついて来た。
「お、おい!? いったいどうしたんだ?」
「由梨ちゃんが……由梨ちゃんが――」
俺に抱きついたまま泣きじゃくり、由梨ちゃんの名前を何度も声に出す。
しかしそのあとの言葉がどうしても続かないようで、ずっと由梨ちゃんの名前だけを泣きながら口にする。
「慌てなくていいから、ゆっくりでいいから」
そう言って明日香の頭を優しく撫で、気持ちが落ち着くまで待った――。
「いったいどうしたんだ?」
約10分ほどしたあと、ようやく落ち着きを取り戻した明日香と一緒にリビングまで下り、なにがあったのかを尋ねた。
「由梨ちゃんがね、お別れを言いに来たの……」
「えっ!?」
俺の質問に対して明日香から開口一番に出た言葉は、俺を驚かせるには十分だった。
「お別れを言いに来たって……どういうことだ?」
なんとなくその言葉の意味は分かっていたけど、俺も相当に気が動転していたせいかそう聞き返してしまった。
「由梨ちゃんがね、私の所に来て言ったの。『明日香ちゃん、今まで楽しい時間をありがとう。友達になれて良かった。いつかまた会うことができたら、今度も一緒に遊ぼうね。大好きだよ、明日香ちゃん』――って」
そう言ったあと、明日香の瞳からは再び大粒の涙が零れ始めた。
明日香の話を聞いて想像できることと言えば、もう一つしかない。
それはつまり、幽天子である由梨ちゃんが“この世界から消えてしまった”――ということ。
「そ、それってさ、明日香の見た夢じゃないのか?」
空気を読めてないと言われるかもしれないが、俺は泣いている明日香を見てそんなことしか言えなかった。だって、親友が居なくなったなんて思いたくないじゃないか。
「…………」
そんな俺の言葉に、明日香はなんの反応も示さない。
希望と言うよりも願望に近いかもしれないが、俺は明日香に学校に行ったらいつもみたいに元気な由梨ちゃんが居るさ――と言って元気づけ、一緒に小学校の校門前まで行った。
そして俺も遅刻は確定していたけど、そのまま学園へと向かい授業を受けることにした。
学園に着いた時には1時間目の授業が始まった頃で、俺はみんなの注目を浴びながら席へと着いて授業を受けることになった。
「――涼くん、今日はどうしたの?」
授業が終わってすぐ、琴美が心配そうな表情で俺の所へとやって来た。
「どうしたのって?」
「ほら、今日遅刻してきたからなにかあったのかなって」
「ああいや、ちょっと明日香が嫌な夢を見たとかで朝に落ち込んでたからさ、ちょっと慰めてたら遅くなったんだよ」
「そうだったんだ。涼くんは優しいね」
「そんなことないさ」
「でも、明日香ちゃんがそんなに落ち込む夢ってなんだったの?」
「ん? ああ、由梨ちゃんとお別れする夢を見たらしいんだよ」
琴美と由梨ちゃんは面識があるので、俺はそのあたりはぼかさずに正直に答えた。
「えっ? ゆりちゃん?」
俺の言葉に対する琴美の反応は凄まじくおかしかった。
しきりに首を傾げながら視線を泳がせ、考えを巡らせているような感じ。
「どうしたんだ?」
「えっ? あ、いや、あの……ゆりちゃんて誰?」
「はっ?」
琴美の口から出た言葉を聞き、俺は間抜けにも裏返った声が出てしまった。
「誰って、明日香の親友の由梨ちゃんだよ。キャンプやもみじ狩りや花見でも一緒に遊んだじゃないか。それにこの前の七夕でも一緒に短冊を飾っただろ?」
「えっ……?」
その言葉を聞いた琴美の表情はさっきよりも更に険しくなり、首を傾げる角度もより深くなっている。
これはいよいよおかしいと感じ始めた俺は、いくつか質問をしてみることにした。
「なあ琴美、去年の夏にキャンプに行ったことは覚えてる?」
「う、うん」
「その時自分を含めて何人で行った?」
「ええっと……私を含めて5人だったと思うけど」
「じゃ、じゃあ、去年のクリスマス会の時に琴美のプレゼントを受け取ったのは誰だった?」
「えっ? それは“明日香ちゃん”だったじゃない」
そこまで聞いてはっきりと確信した。琴美は由梨ちゃんのことを忘れているわけじゃなく、覚えていないわけでもない、“知らない”のだと。
それが証拠にキャンプに行った人数も違うし、なによりクリスマス会で琴美のプレゼントを獲得したのは他ならぬ由梨ちゃんだ。それすらもまるで書き換えられているかのように食い違っている。
「琴美ごめん、俺ちょっと用事があるから早退する」
「えっ? ちょ、ちょっと涼くん!?」
呼び止める琴美の言葉が聞こえながらも、俺は鞄をそのままに廊下に飛び出して学園の外へと出た。
そして俺は更なる確認をするため、急いで自宅への帰路を走った。




